佐々木朗希とマリーンズの知られざる縁――2010年、優勝パレードの日、佐々木少年はマリンスタジアムにいた

佐々木朗希とマリーンズの知られざる縁――2010年、優勝パレードの日、佐々木少年はマリンスタジアムにいた

佐々木朗希投手と井口資仁監督 ©梶原紀章

 2010年11月21日。千葉ロッテマリーンズの本拠地・千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)は華やかなムードに包まれていた。日本シリーズで中日ドラゴンズを4勝2敗1分けで破り、日本一に輝いていた。そしてこの日、日本一を祝うパレードが午前11時から盛大に行われた。幕張新都心をマリーンズカラーにラッピングされた天井のない2階建てのバスに乗った選手たちは紙吹雪が舞う中、1時間かけてパレードをした。

 そんな熱気が残る午後。ある家族が球場に向かって歩いていた。夫婦と男の子が3人。到着すると球場は無料開放されており、スタンド上段の高いところからグラウンドを見つめた。初めて見るプロのスタジアムだった。グラウンドでは優勝報告会などのイベントが賑やかに行われている最中だった。2019年ドラフトで千葉ロッテマリーンズに指名された大船渡高校の佐々木朗希投手との縁はこの時まで遡る。

■マリンのマウンドで投げた小6の佐々木

「凄い縁を感じますね。自分がクジを引いた縁もそうですし、色々な縁を今回は感じます」

 4球団競合の末、交渉権を引き当てた井口資仁監督は10月29日に指名挨拶のため大船渡高校を訪問し、佐々木朗希と面会を終えて行われた記者会見で興奮気味にそのように話をした。

 東京駅を午前9時に出発し新幹線で、一ノ関駅にて下車。そこから車で約2時間。到着の10分ほど前から校舎前で待ち構えていた令和の怪物と固い握手を交わすと校長室では佐々木の母も交えて様々な話で盛り上がった。その中で最初に話題に上がったのは、初めてマリンを訪れてから3年後の2013年。佐々木が小学校6年生の時にマリンのマウンドで投げたことがあるというエピソードだった。

 東日本大震災で「グラウンドを失った子どもたちに夢を」というコンセプトにスタートした「リアスリーグ」に賛同したロッテがバックアップする形で2013年に始まった少年野球大会の第1回はQVCマリンフィールド(現ZOZOマリンスタジアム)で行われ、千葉の少年野球チームとの親善試合でマウンドに上がっていた。岩手の大船渡をバスで出発し朝に千葉に到着。大会では優勝の栄光を勝ち取り、試合後にはサプライズゲストとして当時の千葉ロッテマリーンズのエースだった成瀬善久投手が登場し記念撮影を行うという演出もあった。佐々木にとって忘れられない思い出の地がZOZOマリンスタジアムなのだ。

■「ロッテの優勝パレードに寄って行こう」

 そして佐々木が小学3年生だったその3年前の2010年には東京ディズニーランドに遊びに行った帰りに「ロッテの優勝パレードがあるらしい。めったにそのような場面に遭遇することはないから、寄って行こう」と家族で決め、幕張入り。残念ながら日本一パレードは終わっていたが日本一に酔いしれる球団の余韻を楽しむことができた。ちなみに佐々木本人はこの時、オフィシャルストアに立ち寄りグッズも購入している。

 思わぬ縁で結ばれていた令和の怪物と千葉ロッテマリーンズ。千葉で行われていた秋季練習を欠席してまで直接、会いに来た井口監督も珍しく興奮した表情で第一印象を語った。なによりの期待の表れだった。 

「目力もあったし、内に秘めたるものを感じた。目指して欲しいのは日本一の投手。球速もまだまだ出ると思う。その先のステージも含めて目指して欲しい」

 指揮官がまだ現役だった2010年、マリーンズ日本一の年にマリンを訪れ、13年にはロッテが協力する形で行われた復興支援大会でマウンドにも登り、当時のエースと写真撮影を行った佐々木。令和の怪物は数奇な運命に導かれるように人生の歩を進めている。多くの期待と注目が集まる中、運命の道はこれからどこへと向かい進むのか。ワクワクが止まらない。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

(梶原 紀章)

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