「2人きりの世界を守り続けてきました」高倉健の最後を看取った養女が明かす“17年間の生活”

「2人きりの世界を守り続けてきました」高倉健の最後を看取った養女が明かす“17年間の生活”

©文藝春秋

 高倉健(本名・小田剛一 享年83)がこの世を去ってから、11月10日で5年を迎える。

 孤高の映画俳優として知られた高倉健は、自身のプライベートについて一切明かさないことで知られた。

 そんな高倉健の最期を看取った女性が、小田貴月さん(55)だ。2013年に高倉健の「養女」として養子縁組され、現在は高倉プロモーションの代表取締役を務めている。

「僕のこと、書き残してね。僕のこと一番知ってるの、貴だから」

 高倉健が生前に遺した言葉を胸に、小田さんが2人の出会い、共に過ごした17年間の思い出、旅立ちの瞬間までを綴ったのが、 『高倉健、その愛。』 (文藝春秋刊)だ。

 小田さんが小誌のインタビューに応じ、国民的俳優の“素顔”を明かした。

■「魂が共鳴していた」

 小田さんの高倉健との出会いは1996年にまで遡る。仕事先の香港で偶然出会ったのをきっかけに、手紙や電話で交流を深めていき、翌年頃には共に過ごすことを決意したという。小田さんが17年間続いた生活を振り返る。

「高倉が帰宅してから、最初に交わす合言葉がありました。“ペコリン度数”と言って、『腹ペコ』からとった高倉の造語です。『今日は“ペコリン”! 何食えるの?』『今日はまだ“ペ”くらいかな。先に少しお茶を飲みたいね』といった具合に、その時々の高倉のお腹の減り具合を自己申告してくれるんです」

 小田さんは戸籍上は高倉健の養女ではあるが、話を聞いているとその役割は娘というよりも妻のように映った。その点を問いかけると、どちらの関係性も否定し、「(私達は)魂が共鳴していた」という表現をする。

 その特別な愛の形は、2人きりの世界で築き上げていかれたものなのだろう。

■家に知人を招くことはなかった

「高倉が家に知人を招くことはありませんでした。例外は、水道屋さん、電気屋さん、植木屋さんです。その時は、高倉自身が直接対応していました。

 そのように高倉と2人きりの世界を、17年にわたり守り続けてきました。私が何かを言った途端に、この世界があっという間に壊れてしまうということは、最初に覚悟したことです。高倉と共に生きるということは、入山記録を残さず、地図のない山に“単独登攀”を挑むようなものでした。厳しい道のりは予想されましたが、途中のリタイアは絶対にしたくないと思っていました」

■「死んだフリをするのが得意でした」

 誰にも悩みを相談出来ない――ある意味では孤独な17年間にも思えるが、だからこそ見ることが出来た高倉健の姿があったという。

「高倉はリビングのソファに寝そべって、死んだフリをするのが得意でした。両手両足を無理な方向に捻ったまま、息を止めて物凄い形相をしているんです。私が気づかないフリを続けていると、『いい加減に気づけよ! あぁ、疲れた』と大声で笑い出す。

 CDで曲を聴きながら、なんちゃって日本舞踊を踊りまくる姿も(笑)。

 高倉は、日常を楽しむ才能に溢れる人でした。だからこそ私も、この生活を楽しんで続けていけたのだと思います」

 インタビューでは他にも、毎日の食卓風景、養女となった理由、婚姻届の秘話など、高倉健の知られざるエピソードが満載。

 全文は「文藝春秋digital」の「 高倉健『2人だけの17年』 」に掲載されている。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年12月号)

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