絵画の定番は「窓辺に立つ女性」? なぜこれほどまでに“窓”がアートの中心にあるのか

絵画の定番は「窓辺に立つ女性」? なぜこれほどまでに“窓”がアートの中心にあるのか

東京国立近代美術館

 世にあまたあるアートを、どんな切り口で集めるとより作品が輝くか、展示全体で何らかのメッセージを発することができるかどうか。展覧会を構成する側は、観る側にすこしでも多くの驚きと心の揺らぎを提供しようと、日夜考え続けている。そうしてテーマや構成に凝った展示が登場するわけだ。ここにユニークな切り口を持った展覧会がひとつ。東京国立近代美術館での「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」だ。

■西洋絵画と「窓」の相性のよさ

 タイトルのとおり、ここでのテーマは窓。窓が描かれたりした作品なんてそんなにたくさんあるだろうか? と思ってしまうけれど、これが意外に数多い。窓そのものを描き込んだりしていなくても、窓から見える光景をモチーフにしていたり、内と外をつなぐものという窓の機能を思い起こさせる作品も、ここでは窓に関連しているとみなすので、なかなか幅広い作品が集まっている。

 たとえば、伝説的な写真家として知られるウジェーヌ・アジェは、20世紀初頭のパリの街で、店舗のショーウィンドウに向けて多くシャッターを切った。ガラス越しに浮かぶマネキンの笑顔が華やかで、ガラスの向こうは時が止まっているかのよう。

 窓辺にいる女性というのは、古今東西を問わずどうやら定番の絵柄のよう。アンリ・マティスの《窓辺の女》《待つ》は格好の例だ。ここでおもしろいのは、マティスが西洋絵画が長年追求し技術を培ってきた遠近感や立体感のある表現を、ほとんど無視しているところ。

 窓の向こうの風景というのは、遠近法を用いて絵に奥行きを出すのにもってこいの道具立て。光の差し込む窓辺に人物を置けば、明暗によって立体感を出すことがしやすい。窓と窓辺の人物という組み合わせは、西洋絵画が得意な遠近感と立体感を強調するのにおあつらえ向きで、それゆえよく描かれてきた側面もあるだろう。

 それなのに、マティスは絵画の伝統の技を採用しない。奥行きも浮き出しも排して、むしろできるだけ画面を平面的に見せようとしている。そうして、海も雲も女性もソファもカーテンも、すべては等価だという新しい表現世界を生み出している。ものの姿を忠実に写すだけではなく、あれこれ知的な企みを含むいわゆる現代アートというものは、このあたりに端を発しているとみなすことができるのだ。

■身近な光景だってアートの素になる

 日本の近代絵画を代表する作、岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳之像)》もある。ふつうの肖像に思えるけれど、これはよく見ると画面上部にアーチ型の額縁がある。つまりは「額縁に入った麗子の肖像画を見ながら描いた絵」という体裁をとっている。複製の複製になっているはずなのに、麗子の姿がちょっと怖いほどに生々しいのは不思議だ。

 マルセル・デュシャン《フレッシュ・ウィドウ》は窓のオブジェだが、本来なら外界を見渡せるはずのガラス部分が真っ黒に塗られて、何も見通せない。絵画の世界で重宝されてきた窓の機能そのものを停止させ再考させる試みだろうか。

 区切られた額の中で、淡く絵柄が付けられた透明なシートが幾層にも重なっているのは、ロバート・ラウシェンバーグの《スリング ショット リット #5》。オブジェとして美しいとともに、何か見慣れたものを思い出す。そう、パソコンのデスクトップで、いくつもウィンドウを立ち上げて作業をしているときの様子に酷似しているのだ。

 窓というテーマを設定することで、これほど美術史上の名作が秩序立って並べられるとは。編集の妙といえそうだ。同時に、身近なところに美は潜んでおり、あらゆるものは視線の注ぎ方によってアートになり得るということをも、今展はよく示してくれている。

(山内 宏泰)

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