「ヤドカリの引越」「ビーバーに彫刻してもらう」ある芸術家の“そんなの可能なの?”な創作とは

「ヤドカリの引越」「ビーバーに彫刻してもらう」ある芸術家の“そんなの可能なの?”な創作とは

十和田市現代美術館

〜ぼくらはみんな生きている〜

 というフレーズで始まる童謡「手のひらを太陽に」がこれだけ歌い継がれるのは、アンパンマンでおなじみ、やなせたかしによる歌詞の秀逸さとインパクトに負うところが大きい。

 冒頭の一節のようにシンプルかつ当たり前なのだけど、つい忘れがちで大切なことが、そこには含まれているのだ。いつの時代のどんな世代にも響くメッセージだから、そうそう古びたりはしない。

 アートが私たちにもたらしてくれるものも、ほとんど同じだ。生きている実感とか、生の躍動のようなものをありありと感じられる表現こそ、時代を超えて愛される作品となる。

 そんなことを改めて思い知らされる展示が、青森県の十和田市現代美術館で開催中。AKI INOMATAの個展「AKI INOMATA : Significant Otherness ?生きものと私が出会うとき」。

■ヤドカリに殻を引越してもらうというアート

 ヤドカリやミノムシ、タコにアサリ、さらには犬やビーバーまで。いろんな生きものと協働して作品を生み出すのがAKI INOMATAの創作となる。生物をモチーフにして絵を描いたり彫刻にかたどったりというのではない。ともに長い時を過ごし、制作の最重要部分を生物の側に委ねながら、作品はかたちづくられていく。「そんなこと可能なの?」と思ってしまうけれど、会場に赴けば謎は解ける。その実践例がゴロゴロとあるのだ。

 たとえばヤドカリである。INOMATAの創作はまず、意外に長生きだというヤドカリを飼育するところから始まる。彼らを健康に育てつつ、一方でヤドカリに使ってもらえそうな「殻」をつくり出す。世界中の都市をテーマにした透明な造形を殻のサイズでデザインし、それを3Dプリンターで立体化。完成したら、ヤドカリの棲む水槽へそっと入れる。ヤドカリが殻を気に入れば、もともと使っていた殻を捨てて、新しい殻への「引越し」がおこなわれる。世界各地の建築物を背負ったヤドカリの誕生である。

 美術館はたいてい展示室への生物の持ち込みを禁じているので、ふだんはヤドカリの様子を写真に収めて作品とするが、今展では水槽の設置がオーケーとなった。世界の都市を冠して元気に動き回るヤドカリの実物を、たっぷりと観察することができる。その優美な姿を眺めていると、居場所を自由に選択できるようでいて案外そうでもない現代人の悲哀や、自分の住環境への不服がつらつら思い起こされてしまう。

■ミノムシにお洒落させたり、ビーバーが彫刻したり……

 ではミノムシとはどんな協働を? よく知られるとおりミノムシは身の回りにある材料で(たいていは小枝や葉っぱだ)蓑、つまり巣をつくり上げ、我が身をすっぽり覆う習性がある。INOMATAはミノムシもたくさん飼育しながら、カラフルな人間の服を細かく切り刻んだ布片を彼らに渡す。しばらくするとミノムシたちは、その布切れで蓑をつくり上げる。まるで仕立て直した人の服をまとっているみたいだ。

 会場ではこの様子も、実地に観ることができる。偶然なのだろうけれど、彩りや布の組み合わせパターンはミノムシによって大きく異なる。まるで一匹ずつが自身のファッションセンスを競っているかのよう。

 ほかの生きものたちとの協働ぶりはといえば、タコにはアンモナイトとの出逢いを用意。かつて地球上に存在したが恐竜とともに滅んだアンモナイトは、タコの近縁にあたる。アンモナイトの殻の形状を、化石のCTスキャンデータから復元し、タコにあてがってみたのだ。

 アサリの貝殻には、その断面に成長線と呼ばれる無数の線が刻まれている。木の年輪と同じく、どんな環境でどう生きていたかの履歴がそこから読み取れるのである。INOMATAは、東日本大震災直後と数年後に採取されたアサリの殻断面の顕微鏡写真を撮り、会場に併置した。そこから、震災前後でアサリの生息環境がどう変化したかを読み取ろうとしたのだった。

 犬については、飼い犬の毛と自身の髪を数年にわたり採集し、それで互いのコートをつくり身にまとってみた。相手の気持ちや境遇をより寄り添わせようとの試みか。

 ビーバーはさすがに飼えないので、動物園に協力を仰いでビーバーの飼育エリアに角材を入れてもらった。ビーバーは木をかじる習性があり、ガシガシと角材にかじりつく。ひとしきり格闘が終わったあとに角材を回収すると、ときにそれは円空仏や現代彫刻の類似の形態に仕上がっているのである。

会場ではINOMATAと生きものたちの、種を超えた協働がそこかしこで展開されている。ヤドカリもミノムシもビーバーも、なんと創造性豊かで、かつ美しいことか。彼らをどこまでも対等のパートナーとして扱い、互いの気持ちがうまくつながったときだけ作品が成立すればそれでいいと覚悟を決めているらしい、INOMATAの姿勢の揺るがなさにも心を打たれる。

 ここには、他者とかかわるときにだれもが参照したくなるような、心の持ちようがある。

(山内 宏泰)

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