「僕の初恋は近所に住んでいたオス犬だった」開高健ノンフィクション賞受賞作家が語る“動物性愛”の世界

「僕の初恋は近所に住んでいたオス犬だった」開高健ノンフィクション賞受賞作家が語る“動物性愛”の世界

濱野ちひろさん ©文藝春秋

 動物を「妻」や「夫」と呼び、ともに生きる人々がいる。動物を文字通り”伴侶”として選び、生活を共にするだけでなく、時にセックスをすることもある。彼らは精神医学の分野で「ズーフィリア(動物性愛)」という呼称で分類されていることから、自らを「ズー」と名乗るのだという。

 そんなズーたちを2016年6月末から学術調査しまとめた単行本「 聖なるズー 」(集英社)が、今年「第17回開高健ノンフィクション賞」を受賞した。著者は京都大学大学院博士課程文化人類学でセクシュアリティについて研究をしている濱野ちひろさんだ。

 ズーとは一体何を考え、どんな生活をしている人々なのか。謎深きズーについて、著者である濱野ちひろさんに話を聞いた。

 ◆

■「ズーフィリア(動物性愛)」とは?

――著書ではじめて「動物性愛」という言葉を知り、衝撃を受けました。まず、動物性愛について説明いただけますか?

濱野 普通に生活しているとなかなか出会わない言葉ですよね(笑)。極々簡単にいってしまうと、動物を愛し、時に性行為をする人々のことです。

 もともとは、動物との性行為は普通ではない性行為とされ、すべて“獣姦”と呼ばれていました。歴史的に見ても多くの地域で禁止されています。19世紀末に精神医学者であるリヒャルト・フォン・クラフト=エビングが動物に対して性的なフェティシズムを持つ人々について、“動物性愛(ズーフィリア)”という用語で説明するようになりました。

――ズーフィリアは動物に欲情する“精神病”だとみられているんですか?

濱野 彼らは動物に性的興奮を覚え、そして恋人のような愛着を感じる。“普通の人”からすると“アブノーマル”ですよね。精神医学的見地からは、性的倒錯として語られてきました。しかし最近では同性愛のように性的指向のひとつだとする性科学・心理学的見地からも研究され始めています。

――動物への性愛……。なかなか想像しにくい感情ですね。

濱野 私も研究を始めた当初は驚きました。子供の頃にメス犬を飼っていましたが、彼女に性的欲求を感じたことは一度もありませんでしたから。でも現実にそういう人々が存在している。

 ドイツには「ZETA(ゼータ)」という、世界唯一の動物性愛者の団体があります。動物性愛への理解促進や、動物虐待防止の取り組みなどについての情報発信を行っています。

■オス犬に指を舐められ「これまでに感じたことがない衝撃が走った」

――ドイツにはズーが多いんですか?

濱野 多いというよりも、可視化されつつあるということだと思います。どこの国にもズーはいると思います。著書に詳しく書いていますが、日本人のズーにも出会いました。でも、多くの人が「動物性愛」という言葉すら知らないので、自分がズーだと自認できていないんです。一方、ドイツではズーたちが自分は動物性愛者だと自覚して、ズー同士でコミュニティを作っている。少数ですが、ズーであることを公に表明している人もいます。実はドイツには性に革新的でオープンな雰囲気があって、それがズーたちにも影響しているんだと思います。

――何人のズーと会ったのですか?

濱野 私がドイツで出会ったのは22人です。そのうち男性が19人、女性が3人。全員のうち2人はチャットでしか話していないのであまり情報がありません。その2人を除いた20人のうち「生まれつきズーだ」と答えたのは12人で、すべて男性でした。

――生まれてこの方人間に性欲を感じたことはないけれど、動物には性欲がわくと。

濱野 そういう人もいます。私が初めて出会ったズーはそうでした。彼も「生まれつきズーだ」と言っていました。ミヒャエルという、メスのジャーマンシェパードの“妻”を持つドイツ人男性です。彼が動物性愛者であることに気づいたのは13歳のとき。きっかけは、近所に住んでいたオス犬に指を舐められたことだったそうです。『これまでに感じたことがない衝撃が走った』と教えてくれました。

――そこに身体的な変化もあった。

濱野 そうですね。「身体的にも感情的にも何かが爆発するのを感じた」「泣きそうで、息がぜえぜえ上がった。興奮やら、愛のような感情やら……」と。

■“ズー・ゲイ”などセクシュアリティの多様性がズーの社会にも

――衝撃的な初恋だったわけですね。

濱野 ただ相手がクラスメイトの女の子ではなく、犬だった。ミヒャエルは、自分は「アブノーマル」なんだと、うつ病を発症するまで追い詰められてしまったそうです。カウンセリングに行ったり、セックス・ワーカーを訪ねたり、人間の女性と結婚したこともあったそうですが、動物への愛がなくなることはなかった。元妻との離婚後、オス犬のパートナーを得て、初めて動物とセックスをしたそうです。

――同性の動物がパートナーになることも多いのですか?

濱野 動物性愛者以外の人と同様に、ズーにも様々な性的指向の人がいます。私が出会ったとき、ミヒャエルはメス犬がパートナーでしたが、生来的にはオスの動物に魅力を感じる “ズー・ゲイ”。女性とメス同士の場合は“ズー・レズビアン”と呼ばれます。動物しか愛さない人もいれば、人間と動物両方が恋愛対象の人もいます。LGBTs同様、セクシュアリティの多様性がズーの社会にもあるんです。

■動物を傷つけないよう「受け入れる側」になる男性も多い

――著書ではパートナーになる動物は犬か馬が多い、とありました。

濱野 私が出会ったズーたちは、犬をパートナーにする人が圧倒的に多かったですね。その次が馬。一般的にズーが子どもの頃に接することの多いペット動物や、農場の動物が性の対象になることが多いとされています。それと、ゼータのズーにとっては“サイズ問題”も重要なようです。

――体のサイズですか?

濱野 はい。ゼータには猫をパートナーにする人がいなかったのですが、その理由は「小さすぎて、猫を傷つけないでセックスするのは不可能だから」というものでした。だから小型犬をパートナーにしているズーもいませんでした。特に「ゼータ」のメンバーは動物を身体的にも精神的にも傷つけないように細心の注意を払っているので、動物に自分の性器を挿入することを避ける傾向もありました。

――動物の種類によっては、人間との体格差はかなりでますよね。

濱野 そうなんです。相手や方法によっては怪我をさせてしまうかもしれない。だから「ゼータ」のメンバーは、男性であっても“受け入れる側”であることが多いんです。そうすれば動物に負担をかけてしまう可能性は低いですから。あとはオーラル・セックスをしたり、動物のマスターベーションを手伝っているという人もいました。

■「動物にも性欲がある」という前提がある

――人間が“受け入れる側”になるには、動物がその気にならないとできませんよね?

濱野 私もその点がすごく疑問だったんですよ! どうやって性行為が始まるのか。でもズーたちが口をそろえて言うんです。「向こうから誘ってくる」って。

――動物が誘ってくる……。

濱野 戸惑う気持ちはわかりますよ(笑)。でも、ズーたちには動物の“サイン”がわかるんです。例えば「(自分の周りを)くるくる回る」「身体にのしかかってくる」などの他に、動物の方から「寝ている時に性器を舐める」「服をめくってへそを舐める」などの直接的な行為や、動物の性器の変化で誘惑に気づくこともあるそうです。

――そういうことをされても、普通は“誘惑”だと思えなそうですが……。

濱野 ズーとそうでない人を決定的に分ける点があるんです。それは「動物にも性欲がある」と思っているかどうか。その前提があるから、彼らは動物からの“サイン”を理解することができるんです。

――動物には発情期があるとか、そういうことではないですよね。

濱野 それは知識として知っているだけですよね。そうではなくて、彼らは「動物にも(人間と同様に尊重されるべき)性欲がある」と考えているんです。例えば飼い犬が足に抱き着いて腰を振ってきたら、どうしますか?

――「やめなさい」とは言うかもしれません……。

■ズーは愛する動物と対等になりたい

濱野 そうですよね。多くの人は、「下品だからやめなさい!」と叱ったり、面白いことかのように笑ったりします。でもズーは違うんです。「ああ、今セックスがしたいんだな」「性欲が刺激されているんだな」と受け取り、その欲求に応えようとするんですよ。彼らは動物の性欲を抑圧もしないし、馬鹿にもしない。あるがままの欲求を尊重したいと思っている。

 動物を飼うということは、その動物の一生を背負うということです。もし自分がパートナーに選んだ動物の性を無視すれば、パートナーは死ぬまで性的に充足できない日々を過ごすことになりうる。だからズーは、自分たちが動物の性を満たすことは、パートナーとして当たり前のことだと思っているんです。

――“夫”や“妻”の考えとしては正しいですよね。

濱野 特に「ZETA」のズーは、パートナーといかに心地よく生きていくかをよく考えていました。彼らが動物との性行為で大切にしているのは「相手と対等であること」なんです。この社会では、人間が動物を支配していますよね。食事のタイミングを決めて、待てを覚えさせて、人間社会に馴染むように訓練している。性的にも去勢や避妊手術をするなどして支配しています。それは、人間社会で共生するにはある程度は仕方ないことです。でもズーは動物と対等になりたい。愛するパートナーですからね。ズーと動物の性行為は、支配・被支配の関係から解き放たれるための行為なのです。

――人間が“受け入れる側”になることが多いというのには、そういった思いも影響しているのでしょうか。

濱野 そうなんです。 動物の性欲を受け入れることで、ズーは支配者という立場から“下りる”ことができるんです。

――ズーは動物との性行為が気持ちがいいからしているわけではない?

濱野 身体的な快感という意味でいうと、そこまで重要ではないのかもしれません。そもそも動物との性行為は身体的にはそんなに気持ちよくないらしいんです(笑)。でも心が満たされる素晴らしい体験だそうです。ズーは性行為に対して、身体的な快感よりも精神的な充足を求めているのかもしれません。

■交際相手からの性暴力をきっかけに

――相手が動物であるということを一度横に置いて考えてみると、すごくフェアで “普通”の考え方ですよね。

濱野 そうなんです。彼らは相手が動物であろうと、相手を一個人としてみています。ズーの話を聞いていると、どんなに小さくてかわいいチワワにも「ぬいぐるみみたい」なんて言えなくなりました。研究を通して、動物たちもそれぞれれっきとした一個人で、尊重されるべき存在なんだなと気づかされました。

 そもそも動物性愛を研究対象に選んだきっかけは、私がかつて10年程、交際相手から性暴力を受け続けていたんですね。

――はい。著書には壮絶な経験が書かれていました。

濱野 その性暴力からなんとか抜け出した後も、体験を自分のなかで消化することができず、性や愛について研究しようと京都大学大学院に入学したんです。でも性暴力やDVに真正面から向き合うのには、まだ拒否感がありました。そこでどうしようかなと思っていたら、当時の指導教員に「ジュウカンやってみたら?」と言われたんですね。

■女性を支配する歓びを求める人に嫌悪感を抱いたことも

――それで始めたと。

濱野 最初「ジュウカン」を脳内で漢字変換できませんでしたけど(笑)。そのあとも獣姦について検索していたら、おぞましい動画や画像ばかりヒットして気持ちが萎えきっていて。でもそんな時に、どうやら動物と愛情をもって性行為をおこなう人々がいるらしいぞ、ということがわかった。それが動物性愛者でした。

 でも研究の過程では、過去のトラウマを刺激されるようなこともあったんです。

――どんなことが起きたのですか?

濱野 研究を始めて一年ほど経った頃、ネットのアダルト掲示板で動物との性交渉に興味がある人を探したことがあったんです。そうすると、性衝動を発散させようとして、卑猥な言葉を投げつけてくる人がたくさんいたんです。なかには何度かメールでやりとりした方もいたのですが、その人は女性をうなぎやミミズなどと性交させることに快感を覚える人でした。彼らはそこに女性を支配する歓びを見出しているのだと私は感じました。もちろん彼らの性のありかたも否定されるべきではありません。ただ、嫌悪感を抱かざるを得ませんでした。

――セクシュアリティ研究はそういった経験をすることも多そうですよね。

濱野 そうですね。研究の過程にはそういったリスクがありました。それに研究内容を発表しても、 “色物”として見られてしまうことも多い。ただ、ある文化人類学者の女性からは「あなたの研究は本当に大事よ。でも誤解を招きかねないから、興味本位の人たちに余計なチャチャをいれられないように知恵を使いなさいね」とアドバイスをいただいて、救われました。

――研究の本質を受け取ってくれる人がいたんだと。

濱野 うれしかったですね。ズーにもそういう人が多かった。だから研究を続けてこられたんだと思います。

■ズーは相手がだれであれ、ちゃんとその人自身を見ている

――ズーは人間に対しても下に見たり、差別したりすることはない?

濱野 少なくとも私は女性であるとか、日本人であるとか、動物性愛者じゃないとか、そういったことでズーから差別的な扱いは受けませんでした。彼らは相手がだれであれ、ちゃんとその人自身を見ている。

 ズーの生き方は、人間へのまなざしをも変える可能性を秘めています。ズーの生き方を研究することは、他者とのかかわり方を改めて考え直すことに繋がっていくと思います。

 11月15日、東京・千代田区にある帝国ホテルで「第17回開高健ノンフィクション賞」の贈賞式が行われた。そこで濱野さんは「私たちが本当に考えてみるべき問題は、善と悪、ノーマルとアブノーマルなどの、境界線上にこそ存在しています」と語っている。「 聖なるズー 」(集英社)では、正義や常識では断じきれないズーの生き方を克明に描き出している。

(「週刊文春デジタル」編集部/週刊文春デジタル)

関連記事(外部サイト)