高見泰地七段 VS 千田翔太七段 「AI将棋の申し子」が時折見せるあまりに人間的な姿

高見泰地七段 VS 千田翔太七段 「AI将棋の申し子」が時折見せるあまりに人間的な姿

高見泰地七段(左)と千田翔太七段(右)。これまでの対戦成績は、千田七段の3勝1敗。叡王戦では棋士の序列に関わらず、下座に先手、上座に後手の棋士が着座する

 11月24日。天気は曇り。11月も末だというのに湿度が高く空気も生ぬるい。

 東京・将棋会館5階、香雲の間。

 この日行われたのは永瀬拓矢叡王への挑戦をかけた、第5期叡王戦本戦トーナメント1回戦。

 上座に座るのは後手・高見泰地七段。下座に座るのは先手・千田翔太七段。

 互いに20代、新時代の棋士である。

■奪われたものをまた取り返す

 高見七段といえば、軽快なトークと、自らも称する「プロの観る将」目線からのファンサービス、親しみやすい柔らかい性格、そして何より「妖術」と呼ばれるその勝負師の棋風で人気を誇る棋士だ。

 その妖術によって大逆転を呼び込み、名勝負を繰り広げ、第3期叡王戦では金井恒太六段との番勝負の末に初代叡王に輝き、初タイトルを戴冠した。その棋風とキャラクターのギャップに魅了されたファンは少なくないはずだ。そして第4期では惜しくも永瀬七段に叡王を奪取されてしまった。奪われたものをまた取り返す。本局への意気込みも相当なものだろう。今回は前叡王として予選免除となり本戦出場となった。

 一方の千田七段は、叡王戦と同じくドワンゴが主催したプロ棋士 vs AIの「電王戦」でCOM側の棋士として「ヒール役」を演じ、「AI時代の申し子」の異名を取った超AIフォロアーな棋士である。その徹底ぶりはすさまじく、現在は人間の棋譜ではなくAI同士の棋譜を並べているという。

■トレードマークの赤色のネクタイを身に着け

「強くなるまでに人間の棋譜とかをたくさん学習してしまうと悪い感覚が身につく」とばっさり斬ってしまうド直球ぶりに驚く人も少なくないが、2016年度には棋王戦に初挑戦、今期も順位戦ではA級昇級を狙える成績を出しており、レーティングも常に上位トップ10。着実に結果を残してその持論を証明している実力者である。今回は伊藤博文七段、畠山鎮七段、北島忠雄七段、阿部健治郎七段を破り、七段予選トーナメントCブロックを通過して本戦出場となった。

 まず目に入るのは二人のその対照的な姿だろう。高見七段は淡い水色のネクタイを身に着け、盤前に扇子と時計を置き、脇息の後ろには鞄を置いている。千田七段はトレードマークの赤色のネクタイを身に着け、盤前には何も置いていない。盤側にも長財布がぽんと置かれているだけだ。指し手を進める指も、高見七段が丸くやわらかい指なのに対し、千田七段は血管が浮き出るほど細く筋張っている。

 見届け人による振り駒の結果、千田七段の先手となった。戦型は、互いに飛車先の歩を突いていく「相掛かり」。相掛かりは居飛車の代表的な戦法の一つで、序盤から変化のバリエーションが広く、定跡化も進んでいないため構想力が非常に重要になる力戦型の戦法だ。羽生善治九段の言葉を借りれば「カオス」といったところだろう。

 対照的な二人が生み出すカオスな戦いは、一体どんな展開を見せたのか。

■1時間の長考に沈み、「フリーズしていた」

 この日はお互いの強気がぶつかり合うような将棋となった。千田七段の突っ張った▲4五銀に対し、高見七段は「攻めて来い」と言わんばかりに誘い込む。

 銀を引いてしまうと攻めにくくなるため、人間としては踏み込みたい展開だ。

 しかしこの誘い込みの目的は、2手先の△4七角にある。将来的に馬を作り、力を蓄えようという思惑である。

 その思惑に嵌ってしまった千田七段は、少ない3時間の持ち時間のうち約1時間の長考に沈んだ。この時のことを「フリーズしていた」と振り返るほどで、高見七段の妖術によって誘い込まれた局面でいかに粘って耐えられるか、必死に絞り出さねばならない状態になっていた。

■相当気合が入ったゲン担ぎにも見える

 脳が大量の汗を流していそうな局面の中、さてファン待望の夕食休憩の注文の時間がやってきた。対局の生放送が行われるようになってから、食事内容の情報だけでなく注文するその姿もファンにとって嬉しいコンテンツとなった。それこそ、デビュー当初の藤井聡太四段(当時)が注文した時に使われたマジックテープ財布はお茶の間まで騒がせた。

 注文は基本的に上座の棋士から行う。高見七段の注文は東京厨房の「大きなチキンカツ弁当」。「大きな」「カツ(勝つ)」ということで相当気合が入ったゲン担ぎにも見える。実際このチキンカツは大きく、弁当箱いっぱいに詰まっていた。東京厨房は将棋会館から徒歩3分ほど、CHACOあめみやの隣にある洋食店である。対局中の外食が禁止される以前は、ここで食事を摂る棋士もいたという。主に普段の出前店がほぼすべて休業している休日等に注文されるようだ。

 将棋連盟にあるメニュー表には、13種類の二段弁当と2種類の丼ぶり弁当、好きなおかずを6種類の中から3つ組み合わせるチョイス弁当などが記載されており、豊富な品揃えになっている。

 一方、千田七段は注文なし。その代わり仕出し弁当を持参していた。千田七段はその細い体格とは裏腹にグルメらしい、という噂をよく耳にする。そのギャップある噂と将棋めし的な視点のため、ぜひどこの店のものなのか聞きたいところであったが、「店側の許諾を取っていないので私からはなんとも……」とかわされてしまった。確かにそのとおりである。その代わり、「結構いろんなフライが入っています。そこそこいいと思います」という情報を貰った。

■攻めを凌ぎ合い、水面下に潜む激しい変化を読む

 持ち時間が3時間の対局は、通常10時開始で昼食休憩を経て18時頃には終局する。しかし、叡王戦は他の棋戦と違い、15時から対局開始となるため、夕食休憩を挟んで大体21時から22時あたりに終局することが多い。最終盤を迎える時間帯には、肉体的にかなり限界に近くなるのではないだろうか。最終盤は一手間違うととんでもない大逆転が起こることもあるため、勝勢側敗勢側どちらも決して油断はできない。そのため栄養補給も立派な作戦と言えるだろう。ゲン担ぎの高見七段と「謎」の千田七段、はたして――。

 エネルギーを補充した夕食休憩明け。時折長考するものの、指し始めるとポンポンと駒が動く。強気に出たお互いの攻めを凌ぎ合い、水面下に潜む激しい変化を読み、神経を使う展開が続く。しかし評価値はほとんど互角で、ついにそのまま終盤戦を迎える。

 局面を動かしたのは高見七段の攻めだった。先手玉に迫ってぎりぎりの寄せ合いに持ち込み勝負しに行こうとしたが、その思惑は千田七段に受けつぶされ、詰めろがほどけてしまった。

 そこからはあっという間であった。もう局面は最終盤だ。後手玉には詰めろがかかり、もう助からない。あとはどう詰むかだけの局面であった。

■敗戦後のへとへとな状態でも……

 しかし、高見七段は諦めてはいなかった。先手玉を仕留めるために4七に打ち込んでいた香車を4九に成り込ませたのだ。

 この手は詰めろにもなっていないし形作りとも言える手でもない。にも関わらず、この誰の目から見ても厳しい状況で角筋を通し、銀を受けた。それ以外の手だとすぐに詰むが、この香成りによって少し延命される。高見七段はその延ばした命に賭けたのではないだろうか?

 しかし先手はそれを許さず、通された角筋を手堅く受け、勝利を挙げた。21:58、高見七段が頭を下げて投了を告げる。

 ずっと互角の難しい将棋であったため、感想戦は1時間以上行われた。終了後、高見七段はこちらに向かって一言「将棋めしの取材にいらしたのに、こんなですみません」とぽつりと言った。高見七段はそういう棋士だ。いつでも観客のことを思いやり、楽しませよう、期待に応えようとしてくれる棋士だ。あの時注文したチキンカツは、やはりゲン担ぎだったのだろう。何としても勝ち上がりたかったのだろう。タイトルを奪取されてしまった時に耐えきれなかった涙をぬぐうには、もう一度番勝負に立ち、奪取するしかないと考えていたのだろう。この大熱戦の、それも敗戦後のへとへとな状態でもその姿勢を崩さない姿に思わず言葉を失った。

 その後、生放送で解説を担当していた兄弟子の勝又清和六段と共にゆっくり階段を下り対局室をあとにした。

■どこまでも合理的な人であり素直な人

 勝った千田七段の次の対局相手は、今をときめく豊島将之名人だ。豊島名人もまたAIを駆使して実績を上げている現代の最強棋士のひとり。千田七段に意気込みをたずねると「ぼちぼち頑張ります。(豊島名人とは)5局以上やっているんで、いつも通り頑張ります。昔からやっている相手なので、今になっていうことは特にないかなと……」と、ビニール袋に余ったポケットティッシュと棋譜用紙を詰め込み、笑いながら答えてくれた。

 どこまでも合理的な人であり素直な人である。嫌味がない。

 一見クールすぎる発言にも見えるが、だからこそ彼の人間的な姿が目に留まる。

 この日、千田七段はあまり体調がすぐれていなかったらしく、食事もほとんど食べられなかったという。夕食休憩前には本人も「フリーズした」と言うほどの大長考をし、その影響で持ち時間に大差が出ていた。局面も非常に神経を使う苦しい戦いを余儀なくされ、高見七段の「妖術」を振り切りながら序盤の劣勢を粘り耐え続けていたのだから、なおさら喉を通らなかったのではないだろうか。感想戦で彼の指は目視できるほど震えていた。

■「ソフトってこういうものなんです」と紹介する係

 さらに今回相掛かりを採用したのは、本局の見届け人を務めた将棋ソフト「水匠」開発者・杉村達也氏が公開した定跡をリスペクトした意図もあったという。もはや愛である。そのことを語る千田七段は、どこか照れくさそうにも見えた。

「以前はまず、将棋ソフトって何なんだ? 何なんだというか、どのくらい力があるかってことすら認知されていなかったわけですね。どちらかというと『ソフトってこういうものなんです』と紹介する係、みたいな」……彼が以前、電王戦でヒール役の立場にあえて立ったことについて質問すると、すこし困ったような、でもすこし面白がっていそうな笑顔で語ってくれた。

 彼のAIへの愛は間違いなく誠実で深い。AIの局面評価に近づこうと人間将棋を切り捨てるその姿勢も、将棋に真摯に向き合う姿なのだ。「AI将棋の申し子」が時折見せるあまりに人間的な姿は、時に人をひきつけてやまない。

  叡王戦本戦2回戦 、豊島名人との対局は12月1日に行われる。

※一部局面についての記述を修正しました(12/01 14:00)

写真=杉山秀樹/文藝春秋

(松本 渚)

関連記事(外部サイト)