テレビっ子新王座 棋士・中村太地インタビュー#2 “ドラマの手つき”と“ひふみん”のこと

テレビっ子新王座 棋士・中村太地インタビュー#2 “ドラマの手つき”と“ひふみん”のこと

(c)杉山拓也/文藝春秋

王座タイトルを獲得したばかりの将棋棋士・中村太地さんは“テレビっ子”だった! てれびのスキマさんによる「テレビの履歴書」インタビュー・中村太地王座編の第2回は、将棋ドラマでどうしても気になることについて。(全3回  #1 からつづく)

■「中村くんはプロを目指してる」の時代

―― 小6で奨励会に入られたそうですが、そこからは本格的に将棋一筋に進もうと思い始めた感じですか? 

中村 プロを目指すことを決めたのが小6の春の大会がきっかけなんですけど、そこからは将棋を楽しむより、勉強するほうにシフトしました。

―― 「中村くんはプロを目指してる」ということは学校の友達は知っていたんですか? 

中村 そうですね。というのも、当時は奨励会の例会日が平日にあったので、月に2回は学校を休まなきゃいけなかったんです。だから「あいつ、なんで休んでるんだ?」みたいになるじゃないですか。で、「将棋のプロ養成機関に新進棋士奨励会っていうのがあって、そこから四段に昇格するとプロ棋士になれて……」みたいな感じで説明してました。

―― 『3月のライオン』では林田先生みたいな理解者がいましたけど、中村さんの学校にはいらっしゃいましたか?

中村 ああ、確かに中学入ってからはそういう将棋好きな先生が何人かいて、応援してくれたりしてましたね。

―― 授業とか融通してくれたり。

中村 融通利かせてくれる先生と、厳しい先生といましたね(笑)。学校の名前を背負ってる部活と違って“個人の活動”なので、どうしても休むと病欠扱いになっちゃうんです。でも、先生によってはテストを休んでも補修テストを受けさせてくれたり、補講をしてくれたりしました。あとは、友達の助けが相当大きかったですね。ノートを見せてもらったりとか、分からないところを教えてもらったり。

■風変わりな師匠・米長邦雄の面接試験

―― 棋士の方って必ず師匠につきますよね。伝統あるもの独特というか、いまやお笑いの世界でも落語など以外では、あまり師につくことはなくなってきています。将棋の場合は師匠はどのように選ぶんですか?

中村 いろんな種類があるんですけど、もともと知り合いの棋士がいたらその人に頼んだり。あとは、通ってる道場の方の紹介というのが多いですね。僕の場合は師匠(米長邦雄・永世棋聖)と全く面識もつながりもなかったんですけど、両親が師匠のファンで、せっかくだからお願いしてみようということでいきなり手紙を出してみたんです。そうしたら、返事をもらえて、一回面接しようということになって。

―― 面接ってどんな面接なんですか?

中村 うちの師匠は結構変わり者だったので、面接では本人を見ないんですよね。本人を見ず、母親を見るんですよ。母親を見るっていうのはどうしてかというと、うちの師匠的には、本人と一番時間を過ごしているのは母親だから、母親の影響がすごく出ると。母親がしっかりしている人であれば大丈夫だという基準なんです。あとは、本人が素直であれば、将棋のその時点での強さはそんなに関係ないと。父親は将棋ファンだし、師匠のことも大好きだから、面接の日は意気揚々とスーツ着て行ったんですけど、父親は全く関係なかったんですよね(笑)。

■『古畑任三郎』棋士が犯人の回、見ました

―― 師匠と弟子の関係ってどういうものなんですか? 

中村 これはほんと門下によって全然違うんですけど、うちはわりと放任主義でした。師匠は年齢も結構上でしたし、門下入りした時から棋界の運営に結構かかわっていて、将棋連盟の会長もやってましたので、かなり遠い存在でした。たまに会うと、「元気にやってるのか?」とか声かけていただきましたけど、目を見て話せるような感じではなかったですね。怖いというか、威厳がありすぎて。

―― 兄弟子とかとの上下関係みたいなものってあるんですか? 

中村 はい、それは普通にあります。体育会系なノリというわけではないですが。将棋を教えてもらったりとか、ご飯に連れて行ってもらったりしました。

―― 勉強会みたいなのってあるんですか?

中村 そうですね。月に1回師匠宅で勉強会が開かれていて、兄弟子たちと将棋を指したり、自分が奨励会で指した手を師匠に講評していただくとか。

―― 奨励会に入ってからも、テレビとの縁は変わらずでしたか? 

中村 見てましたよ。あの頃はドラマをよく見てたかな。ちょっと大人の恋愛ドラマっていうんですか、そういうのを見てもストーリーを追えるようになってましたから。あとは『古畑任三郎』シリーズとか。

―― 棋士の回(第1シリーズ 第5話)がありましたよね。坂東八十助(当時)が演じた回。

中村 ありましたね。見ました。

―― 封じ手がトリックに関係している。

中村 将棋のサスペンスの場合、大体そこがトリックになりますよね(笑)。

■ドラマを観ていて、どうしても気になるのは「手つき」

―― 将棋のドラマでいうと、『ハチワンダイバー』とかもありましたね。

中村 そうですね。あと、結構前だと、森田剛さんが主演で『月下の棋士』もやっていました。藤原竜也さんの『聖の青春』とか。松山ケンイチさんで映画化される前にドラマでやったんですよね。あれも見てました。

―― ああいうのを見ていると、現実とは違うな、って思うところとかってあるんですか? 

中村 まあ、多少はありますけど、そこは目をつぶって(笑)。

―― 楽しめるほうですか? 

中村 そうですね。将棋を扱ってくれるだけでうれしいので。でも、どうしても気になるのは手つきです。この駒を指す手つきが、俳優さんでもなかなかうまくできなくて。相当練習しないと駒がパチンって鳴らないんですよ。鳴らさないと将棋をやってる人から見るとちょっと違和感があるんですよね。

―― あれは弾みをつけて、テコみたいにパチンとやっているわけではないんですか? 

中村 置くだけでパチンって鳴るんです。人差し指と中指で挟んで置くと自然とパチンと音が出るんですけど、そこの加減というか、具合が結構難しくて。僕も、「これは最善の一手だ!」って思った時は駒音高くなるように、意識的に置きます。気持ちいいんですよ(笑)。最近の映画だと、『聖の青春』とか『3月のライオン』の方たちは何カ月も練習してくださったそうで、うまく駒音を出されてました。

―― 駒音には棋士の美意識が出るものなんですか?

中村 中には音をなるべく鳴らさないようにする人もいるんですよ。丸山忠久九段は、そっと静かに、きちっと、鳴らさないように指す。「音無し流」とまで呼ばれています。その逆に、気合のみなぎった駒の置き方をされる方もいます。

―― 加藤一二三さんは?

中村 「バチーンッ!」ですね(笑)。それで加藤先生の駒が割れたっていう伝説もあります。

■初めてのテレビ対局と同級生の「ハンカチ王子」

―― 奨励会から四段に昇格され、プロになられたのが高校3年生のときですが、テレビで初めて対局したのはいつですか? 

中村 地上波だとやっぱりNHK杯ですね。

―― それは何歳ぐらい? 

中村 22、23歳ぐらいだと思います。NHK杯戦も、プロ棋士全員が参加する棋戦ですけど、予選で3連勝しないと放映される本戦まで行けないんです。この3連勝が大変で。初めて出られることになった時はやっぱりうれしかったですね。昔から見てたNHK杯戦に自分が対局者で出られるということで。緊張して手が震えちゃうぐらいでした。……あ、でも、テレビで最初に対局したことは、もっと前にありましたね。

――それはいつのことですか?

中村 小学校の時に、NHKのお正月番組で女流棋士と小学生がペアを組んで対局する企画があったんです。それに小学校4年生の時に出ました。和服着せてもらって(笑)。で、その次の年に、小学生名人戦っていう全国大会でも一番大きな大会があって、これも放送されました。結局準優勝だったんですけど、これもNHKで。やっぱり、何人か見てくれる人がいて、ちょっとうれしかったですね。

―― 高校は早稲田実業ですが、同学年に「ハンカチ王子」の斎藤佑樹さんがいたんですよね。

中村 はい。2006年の夏の甲子園優勝の時は、ほんとにフィーバーがすごかったですから。大騒ぎになりすぎて、彼は文化祭に参加できなかったんですよ。

―― 話したことはあるんですか?

中村 いえ、クラスが一回もかぶらなくて話したことはないです。斎藤くん話では、トイレで1度隣になったことがあるのが唯一の自慢です(笑)。

■中学受験して、大学まで進学した「棋士としての理由」

―― でも、いち早くプロになられたのは中村さんですね。

中村 ははは。プロという意味では確かに僕のほうが早いですね。 

―― プロになったことは学校では有名だったんですか? 

中村 結構知ってくれてましたね。学年だよりみたいなのでたまに出るんですよね、個人の活動の欄に。400人ぐらい1学年にいたので、顔と名前が一致してたかどうか分からないですけど、「中村太地」っていう名前と「プロとして将棋やってる」っていうのは知ってくれていたと思います。

―― そこから早稲田大学に進まれるわけですけれども、将棋に専念するのではなく、大学進学を選んだのはどんな理由からなんですか。

中村 小学校の頃、プロを目指すってなった時に親と「大学までは絶対に行く」と約束したんです。僕は幸いにして高校で奨励会を抜けてプロ入りできたわけですが、奨励会に所属できるのは26歳まで。年齢制限があるんです。親としては当初、大学にも行かないで26歳まで将棋だけひたすらやって、もしプロになれずにポンと社会に放り出されたら大変だと思ってくれたんです。変な言い方ですが「つぶしが効く」という意味でも大学まで取りあえず行っておいてくれと。大学進学に直結する早稲田実業を中学受験で選んだのもそういうことなんです。

―― そこまで考え抜いての10代だったんですね。

中村 高校から大学受験となると、だいたい将棋も正念場を迎える時期なので、やっぱり大変だろうと。それで中学受験をすることにしたんです。

■選挙特番はザッピングしながら、けっこう見入っちゃいます

―― 早稲田ではサークルには入られたんですか? 

中村 結局は将棋部でした。でも僕はプロなので、大会とか出ちゃ駄目なんです。だから部員に将棋を教えたり、ご飯行ったり飲み会したりして過ごしてました。ただ、今思えば将棋以外のサークルに入りたかったって気持ちもあるんです。サークル見学は何個か行ったんですけどね。旅のサークルとか、謎のコーヒー研究会とか。早稲田には数えきれないぐらいサークルがあって、絶対活動してないだろ、みたいなところもあるんです。僕が覗いたコーヒー研究会も、コーヒー研究はしてない感じでした(笑)。まあ、他のサークルに入ってしまうと将棋がおろそかになってしまいそうで、我慢したんですが。

―― 授業はちゃんと出られてたんですか?

中村 1〜2年生の頃は結構行ってましたね。1年生の頃とか、授業の取り方があんまりうまくなくて、必修科目がバラけて週6回通うことになっちゃって(笑)。4年生の時は単位をほぼ取り終わっていたので、将棋に時間を費やせたっていう感じです。

―― 論文で賞を取ったそうですね。

中村 いや、あれはゼミのグループで書いた共著論文なんですけどね。論文を出した人の中から普段の成績優秀者を表彰するような賞で、ありがたいことに返還しなくていい奨学金がもらえました。それで洗濯機を買いました(笑)。

――ゼミではどんな勉強をされていたんですか?

中村 政治学だったんですが、僕は無党派層の研究みたいなことをやっていました。なので選挙特番はザッピングしながら、けっこう見入っちゃいます。池上彰さんの選挙特番とか。

―― 最近、藤井聡太さんが高校に行くことになってニュースになっていましたけど、大学まで進学された中村さんとしては、将棋と学業の両立についてどうお考えですか? 

中村 藤井さんはすでに本とか新聞もよく読んでるみたいですし、一般常識とか、見識的には全く問題ないと思うんです。けど、僕が大学に行って一番よかったなと思っているのは、友達がたくさんできたことなんです。今、一般企業でサラリーマンしてる人とか、早稲田で知り合った友達とは、今でも飲んだり、何かあったら連絡とったりしています。勉強するためだけに大学に行く必要はないと思うんですけど、かけがえのない友達を作ったり、将棋以外の世界を知るためには、高校や大学に進むことはいいことじゃないかな、と個人的には思います。僕の場合は、テレビの話もできる友達ができましたし(笑)。

◆テレビっ子新王座 棋士・中村太地インタビュー#1「国仲涼子さんがずっと好きです」 http://bunshun.jp/articles/-/4878
◆テレビっ子新王座 棋士・中村太地インタビュー#3 「ロンハーの好きなところ、ですか?」  http://bunshun.jp/articles/-/4880

写真=杉山拓也/文藝春秋

なかむら・たいち/1988年東京生まれ。2000年に奨励会入りし、06年に四段となりプロ入り。2017年10月11日に王座戦で羽生善治を破り、初のタイトルを獲得した。早稲田大学政治経済学部卒業。テレビでは14年にNHK『NEWS WEB』でナビゲーターとしてレギュラー出演したほか、現在はEテレ『将棋フォーカス』の司会などでも活躍している。

(てれびのスキマ)

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