マフィア映画の巨匠・スコセッシが最新作『アイリッシュマン』で「有害な男性性」を描かなければならなかった理由

マフィア映画の巨匠・スコセッシが最新作『アイリッシュマン』で「有害な男性性」を描かなければならなかった理由

映画『アイリッシュマン』 2019年11月27日よりNetflixで独占配信中

 なんだか「アレ?」と戸惑い、ドキッとさせられた。

 現在配信中&公開中のNetflixオリジナル作品『 アイリッシュマン 』を観ている最中から抱いた率直な感想だ。同作を手掛けたのはマーティン・スコセッシ。言わずとしれた巨匠だが、最近だと『アベンジャーズ』シリーズ(12〜19)をはじめとするマーベル・シネマティック・ユニバースの作品群を「あれは映画ではなく、アミューズメントパーク」とディスった監督と説明したほうが早いかもしれない。このスコセッシ、“怒る、罵る、脅す、盗る、殴る、刺す、撃つ、殺す”が詰まった“暴力のアミューズメントパーク”と呼びたくなるマフィア/ギャング映画を得意とする。

『グッドフェローズ』(90)、『カジノ』(95)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01)、『ディパーテッド』(06)は、まさにマフィアやギャングが右往左往して死屍累々となるスコセッシの代表作。『ミーン・ストリート』(73)や『タクシードライバー』(76)といった反社会的勢力の方々が主人公でない作品でも、容赦ないバイオレンスを炸裂させる。

『アイリッシュマン』は、殺し屋として1940年代から1970年代のアメリカ裏社会を生き抜いたフランク・シーランの姿を追う実録マフィアもの。というわけで“怒る、罵る、脅す、盗る、殴る、刺す、撃つ、殺す”のオンパレードにアガリまくるに違いないと期待したわけだが叶わなかった。もはや「どうした!? スコセッシ」状態だったのだ。そうなったことに絡んでくるのが“toxic masculinity=有害な男らしさ”という、聞き慣れないうえに男どもにはなにやら耳あたりの悪そうな言葉だ。

■これまでの映画のトーンとは明らかに違っている

 今回の作品についてもう少し触れてみると、製作費は170億円、上映時間は209分。キャストはスコセッシ映画の常連であるロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル、マフィア映画の元祖といっていい『ゴッドファーザー』シリーズ(72〜90)のアル・パチーノと超豪華。

 主人公のフランク(ロバート・デ・ニーロ)は、マフィアから重宝された殺し屋だけあって恫喝も爆破も殺人もお手の物。決して派手ではない撮り方だが、凶行シーンもキチッと用意されているし、CIAがキューバのカストロ政権を転覆させようとしたピッグス湾事件、ケネディとニクソン両米大統領との癒着、全米トラック運転組合委員長ジミー・ホッファの失踪と、アメリカ現代史とマフィアの関与という“闇”まで垣間見せてくれるのだが、これまでのスコセッシのマフィア/ギャング映画のトーンとは明らかに違っている。

■“有害な男らしさ”を体現する存在

『グッドフェローズ』などに出てくる連中はもちろん、マフィアじゃないが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)の詐欺師まがいの株式ブローカーであるジョーダン・ベルフォートも好き勝手に暴れまくった末に追い込まれていくが、“俺の人生だ! 文句あっか!”とばかりにまったく悪びれない。そのピカレスクを極めた生き様とバイオレンスを含めたエグい描写の融合が観る者をアゲにアゲてきたわけだが、それがどこにも見当たらない。代わりに“漢(おとこ)”として生きる者たちの無様さ、哀れさ、滑稽さが際立っているのだ。そこで飛び込んでくるのが“toxic masculinity”。直訳すると“有害な男らしさ”で、本作の製作を務めた女性プロデューサーのジェーン・ローゼンタールが『アイリッシュマン』のテーマのひとつとして発した言葉。そして、同ワードを体現する存在として劇中に配置されているのがフランクの娘ペギー(アンナ・パキン)だ。

 フランクは殺し屋であることを娘たちに隠し、家では良き父親、良き家庭人として振る舞う。しかし、幼かったペギーの目の前で彼女とトラブルを起こした食料品店の店主をボッコボコにする。フランクにとっては愛する娘のための父親らしくて男らしい行為だと信じて疑わないが、ペギーはそこに必ずや誰かを傷つけてしまう有害性を見出す。以降、フランクがせっせと働きに出る(殺しに向かう)と父親へ嫌悪の眼差しを向けるようになる。

 一方のフランクも自分では気づいていないが、自分をマフィアの世界へと導いて金に困らぬ生活を送らせてくれる父親的存在のラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)に恩義を感じ、仁義を貫く。男らしい姿かもしれないが、フランクはアイルランド人。アイリッシュマンはイタリア人(シチリア人)の者たちでのみ形成されるマフィアという“ファミリー”の一員になることは絶対に許されないのだ。それでもブファリーノが放つ命令に黙って従うフランク、“有害な男らしさ”に気づかない父親を冷たく眺めるペギー。

■「おまえが先に謝れ」 ひたすらプライドにこだわる男たち

 ペギーが親しみを感じ、フランクと兄弟のような絆を育むジミー・ホッファ(アル・パチーノ)も、ひたすらプライドにこだわって“有害な男らしさ”を撒き散らす。自分に従う組合員トラック運転手の数は150万人、年金として彼らから集めた金は莫大で、銀行から金を借りられないマフィアに資金を融通してやる。強大な力を欲しいがままにするがゆえに、プライドの高さも相当なものになるのもわからないでもないが、これが酷すぎる。

 引きずり降ろされた委員長の座に返り咲くための協力を得ようと因縁のあるマフィアのひとりと会談する約束をするものの、10分待たされたことにブチ切れて本題に入れず。アロハに短パンで現れる相手のカジュアルさに失礼だとブチ切れて、さらに本題に入れず(会談場所は年間平均最高気温29℃のフロリダ)。かつての因縁をめぐって「おまえが先に謝れ」と譲らずに、やっぱり本題に入れずに取っ組み合いをしただけで終わってしまうという具合に、万事がこの調子。

 ネタバレになるので詳しくは書けないが、そうした“有害な男らしさ”の果てにフランクもホッファも辛くて苦い局面に対峙することに。にもかかわらず、老境を迎えたフランクがとうに亡くなったブファリーノへの仁義を立てて過去の悪行をFBI捜査官に頑として語ろうとせず、なんとか関係を取り戻そうとヨチヨチ歩きでペギーの勤め先を訪ねる姿は哀れでしかない。まぁ、そこにグッとくるといえばくるのだが……。

 怒る、罵る、脅す、盗る、殴る、刺す、撃つ、殺しまくるフランクらにアガろうと思っていても、ペギーの冷たい眼差しがフラッシュバックする。そして、観ているこちらまで自分が夫として父として振る舞っている普段の言動や態度に有害性があるのではとドキッとして、脳内でセルフチェックシートを作成してしまう。

 マフィア/ギャング映画を得意としてきたスコセッシが、その妙味であったはずの“男らしさ”をマフィア/ギャング映画の超大作で自己批判するようになったのか……とシミジミしたものの、なんだか引っ掛かる。ひょっとして“有害な男らしさ”というテーマを取り入れざるをえなかったのは、時代にも賞レースにも乗っかれるみたいなジェーン・ローゼンタールの“プロデューサーらしさ”ともいうべき思惑が反映されてしまったからじゃないのかとも勘ぐってしまう。

 そんな意味でも戸惑ってしまった209分であった。

(平田 裕介)

関連記事(外部サイト)