筑駒卒の“元神童”はなぜAV男優になったのか? 森林原人40歳が明かす「同級生にカミングアウトした夜」

筑駒卒の“元神童”はなぜAV男優になったのか? 森林原人40歳が明かす「同級生にカミングアウトした夜」

©杉山秀樹/文藝春秋

「全員が東大に行くって雰囲気でした」偏差値78のAV男優・森林原人が振り返る“僕が筑駒生だった頃” から続く

 筑波大学附属駒場中学校・高等学校、通称「筑駒(ツクコマ)」は、全校生徒の約6〜7割が毎年東大に合格するという、日本屈指のエリート校だ。だが、同校の卒業生である森林原人は、軒並み東大へと進学した同級生たちを横目に、19歳でAV男優としてデビュー。以後20年以上に及ぶキャリアの中で、約1万人の女優と絡んできた。

 中学受験では麻布、栄光、筑駒、ラ・サールの全てに合格し、「全能感」を覚えたという森林。筑駒に入学して間もなく、彼は「異常に頭のいい」同級生たちの存在に衝撃を受けながらも、教室の中でしっかりと自身の居場所を見つけた。そんな森林は、なぜ“敷かれたレール”を飛び出し、AVの世界へと飛び込むことになったのか?(全3回の2回目/ #3に続く )

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 この取材の場に、森林は1枚の絵を持参していた。「高2の3学期に、美術で描いた絵です。当時、先生にもけっこう褒められたんですよ」

『僕を導くものは時代・夢・愛?』と題されたその絵には、鬱蒼とした草原の真ん中に佇む子羊が描かれている。河岸の顔を見せない女性と赤い糸で結ばれ、天使と、枯木の陰からは悪魔も覗く。子羊はレールとは逆の方角を向いて涙を流している。その視線の先にあるバラの花は、あるものは咲き、あるものは蕾さえなく、だが共通して無数の毒々しい棘を見せる。一面の明るい花が穏やかに咲く向こう岸へと渡された橋は、折れて水に浸かっている。

■卒業が迫るにつれて焦り始めた

 勉強では同級生たちにどうしたってかなわない。だけど、エロの話なら誰にも負けない。そんな持ち前の明るさで筑駒に居場所を見つけ、中高と水泳部に所属し、楽しく日常を送っていた森林も、卒業が迫るにつれて焦り、悩み始めた。

「筑駒の中では友達も多かったんですよ」。人気者の森林にとって、筑駒最大のイベント、文化祭は最高に活躍できる舞台だった。筑駒では受験を控えた高3生が、クラスの垣根を越えて文化祭特別班を組織する、という伝統がある。なかでも花形と言える、ステージイベントを企画運営する「ステージ班」の班長に指名された森林は、筑駒名物の女装ミスコン「ミス駒場」にも自ら女装して司会するなど、主役級の活躍を見せた。「それでも、モテないっていうのが、自分の中に突き刺さってくるんですよね」

 小学1年生のとき、森林はクラスの女子全員からバレンタインのチョコを貰ったという。それならばと、2年生のときは大きな袋を持って学校へ行くと、今度は2、3個しかもらえなかったと笑う。「でも、自分の好きな子からは毎年もらえていたんです。6年間ずっと同じ子が好きで。明るくて、学級委員をやるようなタイプです。だから中高と、彼女が出来なくても、自分の良さに気付いてくれる人が絶対現れるんだ、っていう確信はなくならなかったですね」

■社会に飛び出したとき、自分には何があるのか?

 他校の文化祭に行っては女子に声をかけ、筑駒の文化祭にやってきた女子を見つけてはまた声をかける。聖心女子学院の子とグループ交際をしたり、「僕たちは東大生」と偽って桐朋女子の子と“合コン”したり……。それはそれで楽しかったものの、森林は一向にモテなかったという。

「顔のいいやつはその場でお持ち帰りとかしていて、本当にこんなことがあるんだ……と。でも、主催したのは俺なのに、って。そんなことが続くうちに、もしかして自分は気持ち悪いんじゃないかって、そういうコンプレックスにどんどん向かっていったんです」。筑駒生であることで得られる「自分は特別だ」という自己肯定感と、「自分は気持ち悪いんだ」という自己否定が渦を巻いた。「それが多分、この絵なんです」

 森林は当時の自分と向き合うように、一言一言を絞り出した。「筑駒というコミュニティを抜けて、社会に飛び出したときに、自分に何があるんだろうと。『ストリートニュース(※)』に載れるわけじゃない、本当に頭が良いわけでもない、世間一般に出て面白いと言われるやつでもない。それじゃあ自分のアイデンティティはどこにあるんだ、と。こういう葛藤は、きっと筑駒じゃなかったとしても多くの思春期の子どもが感じるものだとは思うんです。でも筑駒では、そこに振り幅があるのがつらかった。自分は頑張れば、ノーベル賞を取れる人間かもしれない。かと思えば、どうにもならない、しがないおっさんになるだけかもしれない」

※『東京ストリートニュース!』。95年〜02年まで刊行されていた首都圏高校生向けのファッション誌。一般高校生を読者モデルとして取り上げ、“カリスマ高校生”ブームの火付け役となった。

■「大学受験に失敗して、本当にどうにもならなくなりました」

 それでも、筑駒には「東大に入ることさえできれば……」という空気があった。「校外ではちょっと暴力的なやつも、学校の中ではアニメオタクを尊重したりするんですよ。筑駒という安全圏にいる限りは、どんなキャラクターでも安心というか。でも、いざ外に出たときにどうなるんだろうっていう不安は、みんな抱えている。とはいえ、東大に行っておけば、世間的にはなんとかなるんです」

“筑駒”という安全圏から、“東大”という安全圏へ。だが、その移行に失敗した人間は、「外の世界」に飛び出て自らを確立するしかない。「そういうやつの多くは、同窓会に来ないです。東大に行かないで、同窓会に楽しく来るやつは少ない。やっぱり筑駒にいる限りは、東大っていうのがあるので」

 中学受験を志したときから、森林を支え続けてきた「自分には何か特別な能力がある」という確信。筑駒時代の6年間で、それは徐々に薄れながらも、決して消え去ることはなかった。「でも、大学受験に失敗して、本当にどうにもならなくなりました」。筑駒卒業後、森林は1浪を経て、「なんとか引っ掛かった」専修大学文学部心理学科へと進んだ。

■捨てられない“筑駒というプライド”

 数ある専攻のなかで、なぜ心理学科を選んだのか。そう問うと、森林は「自分を知るためです」と答えた。「心理に進む人って、心理学を学べば自分のことがわかるんじゃないかと思って行くんですよ。誰かの役に立ちたいとかの前に、そもそも自分がわかんないっていう」

 1年間の浪人生活の末にようやく大学生になったものの、結局東大には遠く及ばなかった。その負の感情を抑え込むように、森林の中に湧き上がってきたのは「何か楽しいことをしたい」という思いだった。「今だったら、NSC(吉本興業の養成所)に入るような気がします。でも、当時は入り方もわからなくて。筑駒から専修大学へ行った、というのは正直恥ずかしかった。それでも何か楽しいことをやりたくて、社交ダンスサークルに入りました」

 しかし、そこに溶け込むことは遂にできなかった。「筑駒っていうプライドが捨てられないんです。それに、地方出身者に対するマウントを取ってしまうんですよ。麻雀で徹夜したとか、飲み会で吐いちゃったとか、そんなの高校でやったよって。一緒にするな、って思っちゃって、結局友達もできませんでした」

 何か楽しいことを、面白いことをしたい。でも、大学の中に自分の居場所はない。そんな葛藤を抱えながら迎えた大学1年の夏、森林はその後の人生を大きく変える決断を下すことになる。AV男優へ応募したのだ。

■男優デビューは「自傷行為」だった

 その当時の思いを、彼は「もうやけくそでしたね」と語る。「誰かに自慢しようとか、そういう思いは一切なくて。自傷行為として『男優やってやる』みたいな感じでした。誰にも言わなかったです。本当に誰にも相談せずに、こっそり始めたんです」

 新人AV男優の仕事は、まずは脇役、いわゆる“汁男優”から始まる。「やけくそ」で飛び込んだ世界だったが、慣れないながらも少しずつ現場を重ねるにつれて、3ヵ月ほどが経ったころには、すでに月の半分が男優の仕事で埋まるようになっていた。そして、徐々にやりがいや充実感も覚えるようになったある週末、森林は筑駒ステージ班のOB飲み会に足を運んだ。

■「なぜか涙が出てきて、自分でも止められなくて」

「ステージ班っていうのは、文化祭が大好きなわけです。僕も、今でも文化祭のチラシを持ってるくらい。それで大学生になると、みんなで筑駒の文化祭に行って、後輩のステージを見て、そのあとに飲み会をやるという伝統があるんです。浪人時代は行かなかったんですけど、僕も大学に入ったから行きました」

 飲み会には、大学3年生や4年生の先輩もいた。現役で大学に入った友達は既に2年生。みんなで楽しく飲んでいると、話題は自然と「就職活動」に移っていった。「大学4年の先輩とかに、僕の友達が就職の相談をしてるんです。どうしたらいいですかね、って。それで先輩たちが『あそこは先がないからやめたほうがいいな』とか『とりあえず国一受けとけ』みたいなことを言ってるんです。そんな話をしていたら、僕、突然泣き出しちゃったんですよ。なぜか涙が出てきて、自分でも止められなくて」

 そんな森林の姿を見て、周りは「今の会話で泣くところなんかないだろ」と驚いたという。しかし、涙は一向に止まらない。とうとう森林は友達に掴まれて、店の外へと連れ出された。

■もう自分は筑駒という“安全圏”にはいない

「そこで『どうしたんだよ』と。そのときに、『みんなに内緒にしてることがあるんだ。……実は俺、AV男優をやってるんだ』って初めてカミングアウトしたんです。筑駒の人は就職するにしても、自分たちならどこにでもいけるだろう、って意識がやっぱりあるんです。だけど、AVの世界に入った僕はもう、そうした“安全圏”からは外れてしまった。こっそり男優をやってる中では自覚しきれていなかったそんな部分を、初めて認識したんです。自分には、普通に就職するなんて選択肢はもうないんだ。みんなとは違う世界に行ってしまったんだ、と……」

 彼の言葉を聞いて、友達は「やめればいいじゃん。早くやめろよ、そんなの」と返した。しかし、森林はそこで頷くことができなかった。「確かに自傷行為で始めてはいるんですが……でも、自傷行為って、生きている実感が欲しくてするものですよね。僕も生きがいみたいなものが欲しかったんだと思うんです。どんな仕事でもそうかもしれないけど、たとえ汁男優の仕事でも、うまくいくとやっぱり褒められるんですよ。だから、仕事をして、褒められて、お金をもらえてって喜びは、もう知ってるわけですよね、この3ヵ月くらいで」

 その思いを聞いた友達は、「じゃあお前が決めろよ。でも、早くやめろよ」と声をかけた。

■先輩男優の財布には、いつも100万円入っていた

 ちょうどその頃、森林は仕事終わりに、男優の先輩から飲みに誘われた。「今は違うんですけど、当時の男優の世界は完全に縦社会でした」。いざ酒を飲み始めると、その先輩は嫌な感じで森林に絡んできた。

「お前、どんな家で育ったんだ、って。親の仕事とか明かしたくないから、普通のサラリーマンの家です、って答えたんです。そしたら、サラリーマンの給料なんてせいぜい30万とか40万くらいのもんだろう。でもな、お前の親父の給料なんて、俺は2日で稼げるんだよ、って言われたんですよね」

 突然父親を馬鹿にされた悔しさと同時に、森林は「だけど、2日で30万稼ぐなんてすごいな」とも感じたという。「確かにその人の財布には、いつも100万円入ってたんです。そのときに、自分は電通に入るとか、官僚になるとか、そういう道はなくなったけど、ここで金を稼ぐ、男優界で成功するっていう道があるじゃないかと思ったんです」

 それは「ある意味、追い込まれるというか、逃げ込むというか、そういう面もあったと思います」と森林は振り返る。「でも、そこから面白いほど、男優の仕事がうまくいきはじめるんですよね。もう本当に」

■「これじゃないか」という確信が増していった

 男優になっても、モテないことに変わりはなかった。だが、それ以上に心が満たされていく感覚があった。「男優界の同期にしみけんと黒田くん(黒田悠斗)がいて。この2人はしゅっとしていて、若い女優たちからモテるんです。でも僕は、このコミュニティでもモテない。来るのはキモいストーカー役とか、鬱屈とした近親相姦の息子役とか、そういう役なわけですよね。でも、卑屈になってるところをうまく活かしたいじめられっ子の役とかがはまって、褒められたりしてました」

 そして2年も経つころには、“絡み”の仕事も任されるようになった。「そうなると、汁男優という属性じゃなくて、森林原人っていう個人名でキャスティングされるようになるんです。女優さんにも個人名で覚えてもらえて、セックスができる。やりがいもある、手応えもある、しかもお金も稼げる。そんな風になってきて、『これじゃないか』って確信が増していったんです」

 デビュー当時の話をする時、森林は「褒められる」という言葉を何度も繰り返した。それは、彼がAV界にいつづけた大きな動機だったのかもしれない。

 AV男優として、順調にキャリアを歩み始めた森林。だがまもなく、その身に大きな転機が訪れる。親にAV出演が知られてしまう、いわゆる“親バレ”だ。それはデビュー2年目、5月の母の日のことだったという。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

( #3に続く )

「モザイクの向こう側はグレーの世界でした」筑駒卒のAV男優・森林原人が思い出す“あの日ヤクザに言われたこと” へ続く

(河崎 環)

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