「死んでも枕元で怒鳴る」57歳になった俳優・松重豊が今も恐れる“あの演出家”

松重豊、『孤独のグルメ』が転機 蜷川幸雄氏を今も恐れる「死んでも枕元で怒鳴る」

記事まとめ

  • 松重豊の転機はテレビ東京系『孤独のグルメ』で主人公・井之頭五郎を演じたことだろう
  • 松重は大学卒業後に蜷川幸雄氏主宰の「蜷川スタジオ」に入り、芝居の基礎を身につけた
  • 芝居中にセリフが出てこなくなる夢をよく見るが、そのときの演出家は蜷川氏だという

「死んでも枕元で怒鳴る」57歳になった俳優・松重豊が今も恐れる“あの演出家”

「死んでも枕元で怒鳴る」57歳になった俳優・松重豊が今も恐れる“あの演出家”

『孤独のグルメ』で主人公・井之頭五郎役を演じる松重豊 ©文藝春秋

 きょう1月19日は俳優の松重豊の誕生日だ。1963年福岡県生まれの57歳。いまから13年前の2007年、ある映画雑誌に掲載された松重のインタビューでは、冒頭に《今回ここでは、パブリックイメージとも言える、大男・コワモテ=松重豊を覆し、柔和で、それでも太くて強い芯を持った役者、松重豊を堪能できます!》というリードが躍っていた(※1)。だが、いまや松重豊というと「大男・コワモテ」よりも、むしろ「柔和」なイメージを思い浮かべる人が多いのではないか。それほどまでにこの10年のあいだで彼のイメージはがらりと変わった。いや、当人が変わったというよりは、作品のつくり手や受け手の側から彼に求めるものが変わったというべきか。くだんのインタビューでは取材者(映画評論家の秋本鉄次)が、《松重豊はどんな役を演じていても“自分の身の置き所を持て余しているような男”のように映る。そこから時には凶暴性や威圧感が滲み出て、あるいは誠実なる寡黙さなどを醸し出す》と評していた。最近の出演作品でも、松重の「自分の身の置き所を持て余している」姿こそ変わらないものの、そこで求められるものが、凶暴性や威圧感から、哀愁だったり滑稽さへと変わったということではないだろうか。

■転機はやはり2012年『孤独のグルメ

 松重はすでに2007年にはNHKの朝ドラ『ちりとてちん』でヒロインの父親を演じるなど、家庭的な役もこなしていた。しかし転機となったのはやはり、2012年にテレビ東京系の深夜ドラマ『孤独のグルメ』で主人公・井之頭五郎役に起用されたことだろう。原作となった同名コミック(久住昌之原作、谷口ジロー作画)では、輸入雑貨商を営む五郎が、商談のあいまに街をさまよいながら、これぞと思った店に入って、一人食事をする。そこに物語らしい物語はない。ただ、店内の雰囲気や料理の感想などが淡々と五郎のモノローグで語られるのみだ。そんなハードボイルド調ともいうべき同作をドラマ化するにあたり、自分の身の置き所を持て余しているような松重のキャラクターは、まさにうってつけであった。ドラマ版『孤独のグルメ』の初代チーフ監督の溝口憲司は、《原作の五郎が優しいイメージだったので、逆に松重さんを使ったら面白いだろうなあと思い、彼に依頼しました。/強面のデカい男が、おいしそうにご飯を食べる。その『ギャップ』が松重さんの魅力なんです》と、その起用理由を説明している(※2)。

 果たして『孤独のグルメ』は好評を博し、シリーズ化された。残念ながら溝口監督は昨年3月に急逝したが、シリーズは後進のスタッフたちに引き継がれ、この年10月期のSeason8に続き、大晦日には毎年恒例のスペシャル版も放送された。同作は松重にとって初の主演ドラマであり、これをもってブレイクを果たしたと紹介されることも少なくない。しかし、そういう言い方はすでに30年以上ものキャリアを持つ俳優に対し失礼な気もする。

■中華料理バイトで一緒だった“あの大物ミュージシャン”

 松重は明治大学在学中より演劇活動や映画の自主制作を始めた。このころ一緒に映画を撮っていた日本大学藝術学部の学生のなかには三谷幸喜もおり、しばらくして彼が劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げすると松重も参加している(※3)。また、学生時代に下北沢の中華料理屋でバイトしていたときの仲間には、ミュージシャンの甲本ヒロトがいたという。最近のインタビューでも松重は、役者を続けるうえで心の支えや励みになっているライバルとして甲本の名をあげ、《彼はいまもガリガリに痩せていて、ステージで腹を出すじゃないですか。こっちもいくら食べる仕事をやっても、あれには負けたくない(笑)》と語っている(※4)。事実、松重は体型を維持するため、毎朝犬の散歩で6キロ歩くほか、体操や腹筋ローラーを欠かさない(※5)。

 大学卒業後の1986年、演出家の蜷川幸雄主宰の「蜷川スタジオ」に入り、実験的な作品や海外公演にも参加しながら芝居の基礎を一通り身につけた。当時、蜷川の演出作品をプロデュースしていた中根公夫は、このころの松重について《丈高く、しかし背を丸めてはいず、頬は削ぎとった様にこけて、荒々しい大きな声とギラギラ光る飢えた獣の様な目を持っていた。いつも反抗的で粗野なのに、底にデリケートな優しさを秘めた、この役者に私は将来期待するものがあった》と記している(※6)。

■俳優業をやめ、建設作業員をしていた

 そんなふうに周囲から嘱望されながらも、松重は3年半ほど在籍した蜷川スタジオをある日ふとやめてしまう。本人は後年、このときのことを《暑い夏でねえ。あまりにも暑くって、稽古場じゃなく目黒のプールへ行っちゃったんです。ああ、こうして人って何かを失っていくんだなぁ……と思いつつ泳いでましたね》と語っている(※7)。中根公夫によれば、それは『近松心中物語』のロンドン公演前の稽古中のことで、松重は《蜷川のダメ出しに猛然と反発し、翌日から公演を降りて、スタジオもやめてしまった》という(※6)。彼のなかでは、《小劇場では生活ができないし、かといって商業演劇は芝居の本質が違う気がした。まぁ、若気の至りなんですけれども、芝居を職業にすることに対して、自分の中で整理がつかなくなってしまった》と葛藤もあったようだ(※3)。

 それから一旦は俳優業から足を洗い、建設会社に就職して約1年半、工事現場で働きながら生計を立てた。そんな松重を芝居の世界に呼び戻したのが、蜷川スタジオの1期先輩の勝村政信だった。勝村に説得されて、1ヵ月仕事を休んで舞台に出演したのち、勤務中に転落事故に遭って入院、会社側とぎくしゃくしたのをきっかけに、俳優に復帰することになる。このころには結婚して生活の重さを感じるようになり、商業演劇への違和感など変なこだわりもなくなっていたという(※3)。

■190cm以上なのに189cmと過小表記

 俳優として再デビューすると、映画やドラマにも出演し始める。松重は身長が190センチを超えていたが、現在とは違って当時、俳優にとって高身長はデメリットしかなかったので、公式プロフィールでは189センチと過少表記した。そのため、衣装合わせには必ず自前のスーツを持参して行くはめになる。時代劇の場合はそうもいかず、《つんつるてんのハカマを、膝の上あたりできつく結ばれて、真っ直ぐ歩くのもままならない》状態で演技をした(※8)。ちなみに後年、腰痛で整形外科に行き、念のためMRIを受けたところ、あるべきところに椎間板がないと言われ、身長を測ってみると187センチに縮んでいたとか(※8)。

 演じる役は、映画やドラマに出始めた当初はやはりコワモテのヤクザなどが多かったが、しだいにさまざまな役を演じるようになる。そして先述のとおり『孤独のグルメ』でドラマに初主演し、さらに北川景子と「妊活」にいそしむ夫婦を演じた昨年公開の映画『ヒキタさん!ご懐妊ですよ』では映画初主演を果たした。ただし、本人は《自分が主役をやるより、主役の人をどう見せれば作品が良くなるかを考えるほうが好きです。舞台でも、主役を際立たせるためにはどの位置にいて、どう動き、どうセリフを言えば良いかと考えていたりします》と、あくまで自分には主役よりも脇役が向いていると語る(※9)。それだけに、他人から褒め言葉として「主役を食っていた」と言われても、松重は脇役に徹しきれていなかったのだと受け止め「失敗したな」と思うという(※1)。

 初期のコワモテのころとくらべると、最近の松重の役柄は全体的にどこか丸くなったような印象も受ける。井之頭五郎を演じるときこそ髪を黒く染めているが、数年前からほとんどの作品にナチュラルな白髪頭で出演し、《これからは老人役をやっていくのが楽しみですね。そのためにも、僕自身が元気な老人でいたいです(笑)》とも語っている(※10)。そんな松重に、《若いボクサーの様にハングリーで高貴だった昔の君を忘れないで欲しい》と呼びかけるのは、前出の中根公夫だ(※6)。だが、15歳のときにイギリスのパンクバンド、セックス・ピストルズのレコードを聴いて、「何かをやってみたい!」と血が騒いだのがそもそもの原点という松重は、けっしてパンク精神、ハングリー精神を忘れたわけではない。それは役者として大事にしていることを訊かれたときの次の回答からもあきらかだ。

■「死んでも枕元で怒鳴り続ける」“あの演出家”

《経験に頼らずに、“忘れること”です。演技の経験を引き出しにストックしておくのではなくて、引き出しをすべてその場で捨ててしまう。(中略)『経験があると安心する』という人もいるかもしれませんが、それでは引き出しの中から出すことしかできず、新しいものを生み出せません。全く新しいところから新しいものを持ってきたいと思うのです》(※9)

 松重は駆け出しのころを振り返り、《蜷川さんには演じることに関して、役に固定しない、というか、イメージや発想を自由にしてゆくことをたたき込まれました》と語っているが(※1)、「経験に頼らない」という信条にもそうした師の教えがうかがえよう。ちなみに松重は、芝居の最中にセリフが出てこなくなる夢をよく見るが、そのときの演出家はやはり蜷川だという。そう打ち明けたあとでの、《死んでも枕元で怒鳴り続けるのは、嬉しい恐怖だ》(※11)との一文からは、彼にとって蜷川がいまなお特別な存在であることが十分すぎるほど伝わってくる。

※1 『キネマ旬報』2007年8月上旬号
※2 『週刊現代』2015年2月28日号
※3 『サンデー毎日』2013年6月16日号
※4 『GQ JAPAN』ウェブ版2018年8月30日配信
※5 『週刊文春』2015年11月19日号
※6 『悲劇喜劇』2019年5月号
※7 『GALAC』2011年8月号
※8 『サンデー毎日』2019年3月17日号
※9 『THE21』2014年8月号
※10 「Smart FLASH」2019年10月4日配信
※11 『サンデー毎日』2019年5月19日号

(近藤 正高)

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