インカ帝国の“エナジードリンク”そのお味は?――高野秀行のヘンな食べもの

インカ帝国の“エナジードリンク”そのお味は?――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

 インカ帝国の公式ドリンクにして、現代はアンデス庶民の酒チチャ。初めて飲んだときはあまりに酸っぱいし、アルコール分は感じないしでさんざんだったと書いた。以後、チチャは探すこともせず、そのうちアマゾンに来てしまった。

 ピルコパタという鄙びた町を朝、エドというガイドと一緒に歩いていたときである。この町にも「ケチュアの人間が住んでいる」という話になった。ケチュアの人間とはケチュア語のネイティヴ話者を意味する。ケチュア語はインカ帝国の公用語であり、今でもエクアドルからボリビアにかけてのアンデス山地の広い地域で話されている。エドはクスコの町に住む若者で、もはや第一言語はスペイン語になり、ケチュア語は耳で聞いてわかる程度だが、アイデンティティとしては「ケチュア」らしい。妙に胸を張って言うに、「ケチュア人がいるところには必ずチチャとコカがある」。

 私は首を傾げた。コカはアマゾン原産だからともかく、チチャの原材料はトウモロコシであるし、周りを見渡してもジャングルと水たまりばかりで、標高三千メートル前後の乾燥したアンデスとは似ても似つかぬ環境である。だが、市場で訊いたらあっさりチチャを売る店が見つかった。店の主は二十五年前、両親を失ってアマゾンに流れてきたというケチュアのおばさん。店の前に置かれたテーブルの上にはチチャがたっぷり入ったプラスチックの容器とコカの大袋。エドの言葉どおりの光景である。それにしても、朝の八時前から酒を売っているとは。私は喜んで一杯所望。

 大きなグラスになみなみと注がれたチチャをグイッと飲んで驚いた。さほど酸っぱくなく、果実由来ではない微妙なコクがある。なによりも表面にびっしり浮かんだ泡。アマゾン川を舟で旅していると、水面に薄茶色の泡がよく浮いている。さまざまな植物から出る「灰汁」だというが、色も質感もそれを彷彿させる。ビールより気泡が大きく、なんとも柔らかい泡が唇にひっかかり、その間を突破するように冷たい液体が喉に流れ込んでくる。

「 ケ・リコ(美味い)! 」と言うと、おばさんは笑って二杯目をおまけで注いでくれた。美味いのは確かだが、このチチャもアルコール分は感じないほど薄い。でも、ノンアルコールのジュースなら、朝から一リットル近くも飲めない。それがするする入ってしまうということはやっぱり酒精入りなのだろう。

 なるほど、と思った。辺境の地では朝から一日中、酒を飲んでいる民族がいる。この町の近くに住むマチゲンガという民族は森で狩りをするときでもキャッサバの酒を日がな一日飲んでいると言うし、私が訪れたことのあるミャンマーのナガ族も、薄い米のどぶろくを朝から飲んでいた。

 アルコール発酵していると腐敗菌が入りにくい。つまり、安全な飲み水を常時確保できない土地の人々にとって、ライトな酒は水代わりなのだ。栄養分もあるので、エナジードリンクとも言える。

 とか思っていたら、おばさん、今度は店の奥から「二日前に仕込んだ」という、もっと強いチチャを出してくれた。 こちらは確実に酒!  アルコールはビールの半分ほどだが、独特の泡とともに心地よい酔いが体内に流れ込む。チチャ、いいではないか。インカ帝国御用達の名声は伊達でなかった。

 代金を払うとき、エドと一緒にコカを一キロほど買い込む。チチャを飲んだあとはコカを噛む。それがアンデスの民の数百年に及ぶ習慣であり、アマゾンにいてもそれに従ってしまう私たちだった。

(高野 秀行)

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