男のヤクザ映画、女のタカラヅカ

男のヤクザ映画、女のタカラヅカ

©文藝春秋

■娯楽映画の王道、『仁義なき戦い』

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 僕にとっての映画はエンターテイメント、すなわち娯楽、あっさり言えば浮世の憂さ晴らしである。人生について考えさせられるシリアスな作品もたまにはイイが、何といっても単純にして明快なアクション活劇がいちばん。なかでもヤクザ映画には目がない。

 とりわけスキなのが、東映実録路線のヤクザ映画である。その原点にして頂点に位置するのが『仁義なき戦い』シリーズだ。オープニングのジャーンジャーンジャーンという出囃子に次いで「昭和21年 広島県呉市」の文字が出てくる。そこに「敗戦後すでに1年、戦争という大きな暴力こそ消え去ったが、秩序を失った国土には新しい暴力が渦巻き……」という小池朝雄のナレーションがかぶってくると、もうたまりません。何回観てもつくづく面白い。これまでに少なくとも28回は観ていると思う。

 フェルディナント・ヤマグチというコラムニストがいる。僕はこの人の趣味性たっぷりの文章が大スキで、前々からクルマ関連のコラムなど楽しく読んでいた。ヤマグチ氏は「覆面文筆家」。メディアでは一切素顔を出していない。本業は某優良企業のビジネスマンで、その傍ら文章を書いているという。

 とある会社からとある仕事の依頼をいただいたときのこと。例によって「ではとりあえず、一度お目にかかってご要望をお伺いいたしましょう……」ということになり、当該案件の責任者の方が僕の仕事場にお見えになった。鍛え上げた体にピシッとフィットするスーツをビシッと着こなしている。精悍な顔立ちにして上品な物腰。いかにも仕事ができそうな一流企業のビジネスマンである。

 名刺をいただくと「山口」とある。珍しくない名前なのでそのときはまったく思いもよらなかったのだが、この山口氏こそがフェルディナント・ヤマグチその人だと後で分かった。007のようなスパイ映画も大好物な僕は、この手の「もうひとつの顔を持つ……」とか「その正体は……」というのがわりとスキなのだが、これを地で行く人が実在するのである。今生ではかなわなかったが、来世では僕もこういうことをしてみたい。

 で、その会社のお仕事でヤマグチさんではないほうの山口さんと一緒に広島に出張する機会があった。広島といえば『仁義なき戦い』。僕の中での広島のイメージは『仁義なき戦い』で形成されている。広島に来ると、完全に人口の半分ぐらいが「のう、わしらよ、どこで道間違えたんかのう……」とか呟きながら仁義なき戦いに奔走しているのではないかと錯覚する。

 僕と同世代の山口さんも『仁義なき戦い』が大スキだということが判明、空港で帰りの飛行機を待つ間、広島風お好み焼きを食べながら仁義なき戦いトークが始まった。こういう局面になると山口さんはやはりヤマグチさん、実に話が面白い。オープニングのナレーションの真似が飛び出して、これには爆笑、広島風お好み焼きの焼きそばの部分を吹き出した。

 その映画についての雑談がいつまでもできる。これが優れた映画の条件だと思うのだが、このときも飛行機に乗り込むまで雑談が尽きなかった。

■男のヤクザ映画、女のタカラヅカ

 ことほど左様に、僕と同じかそれ以上の世代には『仁義なき戦い』ファンが多い。ただし、そのほとんどが男性である。「東映実録ヤクザ映画がもうスキでスキで、毎週欠かさず観ています」というような女性にはとんとお目にかからない。

 女性が活躍する男女共同参画社会にあっても、依然として強固な性差が表れるところがある。ヤクザ映画はその典型のような気がする。ヤクザ映画には男性生理の根本部分に訴求する何かがある。

 女性にとっての「男のヤクザ映画」に相当するものは何か。男はめったに反応しないのだけれど、なぜか女性に大ファンが多いという種目もあるはずだ。しばらく考えてみたが、なかなかしっくりくるものが思いつかない。「ラブストーリー」かな、と思ったが、男でもその手の映画が好きな人は意外と多い。

 で、ついに見つかりました。「タカラヅカ」である。とある旧知の女性から「券があるから観にいかない?」とお誘いがあり、はじめて宝塚歌劇というものを観た。うすうす予想はしていたが、これが(僕にとっては)とにかくつまらないのである。キンキンキラキラの登場人物が次から次に出てきて歌ったり踊ったり笑ったり怒ったり喜んだり悲しんだりするのだが、何が面白いのかまったくわからない。

 満員の客席を見回してみると、9割以上が女性客。はじめて知ったのだが、タカラヅカの華はあくまでも男役だそうで、老いも若きも観客の彼女たちが感情移入しているのは(女性が演じている)男性キャラクターなのであった。ということは、タカラヅカの男性キャラクターが女性にとってある種の男の理想像であるということを意味する。ところが、男性の僕からみると、タカラヅカの男役が演じる人物は男として何の魅力もないぺらぺらな連中に見える。

 東映実録ヤクザ映画と宝塚歌劇はある次元で対極にある。『仁義なき戦い』の中ではそれぞれに最高に魅力的な男、例えば田中邦衛や志賀勝や名和宏や川谷拓三がタカラヅカの舞台に立っているのを想像されたい。夢の世界を一瞬にして台無しにする破壊力に満ち溢れている。

 逆にタカラヅカの男役スターが『仁義なき戦い』の登場人物だったとしたらどうか。間違いなく使い物にならない。梅宮辰夫の子分で三下の川谷拓三のさらに下の取り巻きのチンピラぐらいしか務まらないだろう。画面に登場するのは2秒、しかも一瞬で文太兄イに殴られて気絶していると思う。

 タカラヅカこそが女性性の極みだと僕が思うに至った理由は、誘ってくれた女性の友人がまったく女性的ではないという事実にある。この人はバリバリ仕事ができる女性で、詳細は伏せておくが、その仕事とポジションを知れば誰もがエリートとみなす人物。オフでもオンでも化粧は一切せず、着ているものは黒一色。その性格は男性よりも男性的、攻撃的でストレート。竹を割ったようなスカッとした気質の持ち主で、男から見ても惚れ惚れするほど「男前」なのである。

 その彼女がタカラヅカのキンキンキラキラの舞台をうっとりと見つめている。過剰装飾の男役の一挙手一投足を目で追っている。タカラヅカが女性の生理と本能の深層を直撃する強大な力を持っているということをつくづく思い知らされた次第である。

■アクション活劇の4分類

 冒頭で言ったように、僕にとっての最上の映画エンターテイメントはアクション活劇である。面白い活劇はどれも面白いのだが、面白さとは別の次元として、「グッとくる」というのがある。これもまた娯楽作品の重要な愉しみのひとつである。

 数多くのアクション映画を観ているとグッとくる程度にはばらつきがある。グッとくる程度に応じてアクション活劇は4つに分類できるというのが僕の見解である。

1. 単純アクションもの

 ドンパチでもチャンバラでも殴り合いでも何でもイイ。例えばブルース・ウィリス主演の『RED』。現実離れした爽快感が身上で、ハラハラドキドキの末にスカッとさせてくれる。これぞ娯楽の王道。ダニー・トレホが珍しく主役を取った『マチェーテ』とか、バカとしか言いようがない話もアクション活劇ならではの楽しさがある。ただし、このタイプはスカッとくるだけで、グッとくることはない。

2. キャラクターもの

 アクションだけではなく、特定のキャラクターの魅力で引っ張る。その究極がジェームズ・ボンドの007シリーズだ。キャラクターに感情移入できるので、アクションでスカッとするだけでなく、グッとくる要素が入ってくる。

 このところの例でいえば、ジェイソン・ステイサムの一連のアクション活劇がそのタイプだ。初期のステイサムは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や『スナッチ』といったコミカルな味わいがある上質なクライム・ムービーでイイ味を出していた。ところが『トランスポーター』シリーズの大ヒットの後は、「クールな仕事人」というキャラクターが固まり、どの主演作品を見ても驚くほど同じ話である。で、どれを観てもきっちり面白い。それだけキャラクターが際立っていて、カッコイイ。ステイサム映画を観ると、自分とは似ても似つかないのに「ハゲててよかった……」と思わせるものがある。

3. 任侠もの

 ステイサム映画の寡黙でぶっきらぼうで不器用なキャラクター設定は、僕の勝手な想像だが、高倉健の任侠映画に影響を受けているのではないか。高倉健。古今東西、カッコイイ男の絶対の理想型だ。

 同じアクション活劇でも、任侠ものとなるとグッとくる程度が一段と増大する。アクションの背後に、「義理と人情はかりにかけりゃ・・・・・・」という「プライスレスなもの」が透けて見えるからだ。登場人物への感情移入もいや増す。プライスレスなもろもろをこれでもかこれでもかと溜め込んだ挙句に炸裂する殴りこみのカタルシス。仁侠映画に固有の極上エンターテイメントである。田原俊彦は「ハッとして! Good」と言ったが、任侠映画は「グッときて! Good」なのである。

 健さんの『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』、鶴田浩二の『博奕打ち 総長賭博』、そして何よりも健さんと純子姐さん(藤純子)そろい踏みの『緋牡丹博徒』、こうした往年の東映任侠ものの傑作を観ていると、「日本人に生まれてよかった!」としみじみと思う。

■プライスフルなプライスレス

 で、アクション活劇の中でも「グッとくる」が最高度に達するのが第4のタイプ「実録ヤクザもの」である。

 仁侠映画の「義理」「仁義」といった様式美のタガをきれいさっぱり取っ払ったところに生まれたのが『仁義なき戦い』を嚆矢とする実録ヤクザ映画だ。

 プライスレスなものが折り重なってドンパチとなるところまでは任侠ものと同じなのだが、何のためにプライスレスを抱え込むのかというと、その目的がカネとか出世とか女とか、結局のところ目先の利得でしかない。すなわち、「プライスフルなプライスレス」。この矛盾というかねじれが面白い。

 むき出しの人間の欲を実現する手段としての「ヤクザ」なのだが、欲を求めて右往左往しているうちに、大小さまざまの利害にからめとられ、ヤクザ社会のプライスレスなあれこれに嵌っていく。プライスとプライスレスが混沌としてきて、自分でも何のために何をやっているのか分からなくなる。このねじれが描く人間の面白さと可笑しさと愚かさと哀しさ、ここに実録ヤクザものの滋味がある。この種の映画が押しなべて群像劇になるのも、そのほうが複雑に利害が錯綜し、「プライスフルなプライスレス」の濃度が上がるからだ。

■最高傑作『仁義なき戦い 広島死闘編』

『仁義なき戦い』でいえば、基本構図を確立した第1作も実に素晴らしいが(とくにキャスティング。菅原文太、松方弘樹ももちろんイイが、あのあざとくこすっからく卑怯で情けない組長役に金子信雄を据えたところでこの映画の大成功は約束されていた)、私見では、文太を脇において北大路欣也が狂犬のような鉄砲玉を演じる第2作『仁義なき戦い 広島死闘編』がシリーズの白眉だ。

「どこで道間違えたんかのう……」と自問自答しながら、修羅の坂を加速度をつけながら転げ落ちていく。「馬鹿でなれず、利口でなれず、中途半端でなおなれず」。絶対的矛盾が描き出す破滅の美学。問答無用でグッとくる。娯楽で観ている映画なのに、勝手に自分の人生をそこに投影したりする。

 女性の方が男性よりも現実的であるという。これは女性がタカラヅカの絵に描いたような非現実世界を好むということとまったく矛盾しない。実生活で現実的であるからこそ、娯楽においては徹底的に非現実的な夢を見る。娯楽の非現実と日々の生活の現実がきっぱりと切り離されている。

 これに対して、男性は実生活でも現実的になりきれない。現実生活の中で、ヘンな夢を見たりする。裏を返せば、娯楽の虚構世界でも現実を引きずってしまう。こうした男の中途半端な性分のスイートスポットを半端なく突きまくりやがるのが実録ヤクザ映画なのである。

■Vシネがある!

 実録ヤクザ映画の大作がつくられなくなって久しい。寂しい限りだ――。そうお嘆きの貴兄には、Vシネマを薦めたい。「Vシネ」というとバカにする人もいる。ところがどっこい、これがわりとイイのである。

 それもそのはず、そもそもVシネの正式名称は「東映Vシネマ」、東映の登録商標になっている。東映の仁侠映画から実録路線をリードした当時の社長、岡田茂の精神をいまに引き継ぎ、往年の「プログラムピクチャー」の勢いでやりたいほうだいやっているのがVシネなのだ。かえって東映濃度は増しているといえなくもない。

 Vシネ初心者であれば、まずは清水健太郎主演の作品をお薦めする。どれをとっても間違いない。いよいよ虚実の境目が判然としない。演技のリアリティにおいて他の追随を許さない。清水健太郎こそ正真正銘の実録俳優であるといっていいだろう。

 最近の作品であれば、『制覇』シリーズあたりはいかがだろうか。三船敏郎、丹波哲郎、菅原文太、梅宮辰夫、若山富三郎というオールスター・キャストで作られた往年の東映の大作のリメイクで、この人たちに負けず劣らずの濃い面々が入れ替わり立ち替わり出てくる。なによりもパート14まであるのがイイ(来年にはパート15が出るらしい)。いつまでたっても終わらない。年末年始をぼんやりと過ごす友としてうってつけである。

 本編がなくなってもVシネがある。これで日本も安心だ。

(楠木 建)

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