ロッテ・井口資仁監督が3年目にして初めて語った「運命」

ロッテ・井口資仁監督が3年目にして初めて語った「運命」

運命を感じながら3年目のシーズンに挑む井口資仁監督 ©梶原紀章

 運命ではないかと思える瞬間が人生には必ずある。千葉ロッテマリーンズを率いる井口資仁監督は運命を感じながら3年目のシーズンに挑む。

「入団した時にロッテがシーズン1位でリーグ優勝をしたのが1974年以来ないという事を知った。その年が自分の生まれた年だったこともあり鮮明に記憶に残った。なにか縁というか運命を感じた」

■「そのために自分は監督になったのだと思っている」

 いわゆるバリバリの大リーガーだった井口資仁は09年1月に千葉ロッテマリーンズ入りを表明。千葉市内のホテルで会見に臨んだ。会見前に入団をするチームの情報をしっかりと頭に入れようとインターネットや文献などを読み漁り、様々な情報を仕入れた。球団史を紐解いていた時に、とっさに目に入ったのが1974年、金田正一監督率いるロッテオリオンズのリーグ優勝、そして日本一の事だった。その後、千葉に移転しマリーンズとなり05年にリーグ2位ながらプレーオフを勝ち抜いてリーグ優勝(当時はプレーオフで勝ち抜いたチームがリーグ優勝という制度)、日本一となってはいるものの、リーグを1位で突破しての優勝は1974年から遠ざかっていることを知った。自身は1974年12月4日生まれ。74年10月23日の日本シリーズ第6戦。金田正一氏がナゴヤで高々と日本一の胴上げをされた42日後に生まれている。それ以来、この事は強く脳裏に残った。

「そんなに遠ざかっているのかというのが正直な印象だった。だからこそ、よし、やってやるぞと思った。2010年も日本一になったけど、リーグ3位。ずっと下剋上ではなくリーグ1位で勝ち抜いての優勝をしたいと思ってプレーをしたし、後輩たちにもその大事さを伝えてきた。残念ながら現役ではその目標は叶わなかった。だからこそ監督としてそれを達成したい。そのために自分は監督になったのだと思っている。そういう運命なのだとね」

 1月26日の羽田空港。石垣島での新人合同自主トレを視察するための移動便の出発を待っていた指揮官は搭乗口付近で滑走路を眺めながら、力強くハッキリと運命を口にした。マリーンズ入団以降、背番号「6」の様々な発言を聞いてきたが、運命を語ったのはこれが初めての事だった。

■「運命の年ではないかと感じるね」

 運命。英語で言うとDESTINY。2020年、指揮官が自らの運命を強く意識するのには明確な理由がある。昨年10月に1974年にロッテをリーグ優勝に導いた金田正一氏が死去した。偉大なる先輩だった。球場に足を運んだ時に必ず、激励に訪れ労をねぎらってくれた。野球とロッテへの愛を感じる大先輩だった。

 そして年明けの1月19日には球団オーナーの重光武雄氏もこの世を去った。ロッテ創設者でオーナーの球団への強い想いは様々な関係者から聞いてきた。千葉ロッテマリーンズの監督という自分が今、ここにあるのはオーナーの存在なしには考えられない。1月22日に都内で行われたコーチ会議では首脳陣全員で1分間の黙とうを行った。感謝の気持ちを伝え、リーグ優勝を約束した。

「オーナーと金田さんが球団を作ってくれた。そして今年は球団創設70周年の記念の年でもある。様々な出来事が重なり合った中での大事な節目。だから今年は絶対に勝たないといけないと思っている。そして球団もいろいろな方面から全面バックアップしていただき、様々なプラスアルファも起きている。なにか大きなことが起きる予感がする。運命の年ではないかと感じるね」

 2020年の千葉ロッテマリーンズのチームスローガンは「突ッパ!」。そこにはリーグを1位で突破するという井口監督の強い想いが込められている。石垣島への移動の機内。窓の外に富士山が見えた。雪化粧した見事な光景に指揮官もしばし見とれた。雄大にそびえたつ日本一の山。運命に導かれ千葉ロッテマリーンズの監督となった男は、富士の頂を見つめながら、リーグ優勝をしての日本一を誓った。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

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(梶原 紀章)

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