あの伝説の番組が帰ってきた! ビートたけしのオールナイト文春【第1回全文公開】

あの伝説の番組が帰ってきた! ビートたけしのオールナイト文春【第1回全文公開】

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■短期集中連載 第1回 「やり逃げ」で始まった

木曜深夜、若者をラジオの前に釘付けにした伝説の番組があった。数々の名物企画、殺到する弟子志願者、襲撃事件からの復帰……。あの熱狂から27年、レジェンド達が再びスタジオに集結。眠れぬ木曜日がいま甦る!(全3回)

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■オールナイトニッポン50周年“勝手に応援”企画

高田 50年を迎えたオールナイトニッポンだけど、はじめは糸居五郎[ ※1 ]さんとかのニッポン放送の局アナがやってたんですよね。私も亀さんが出てた土曜の回は聴いてましたよ。

亀渕 僕は1969年から登板でしてね、それ以前は斉藤安弘[ ※2 ]さんや今仁哲夫[ ※3 ]さんといった先輩がラジオDJとしてやってたんです。

たけし オールナイトが始まる前さ、あんな時間にラジオを聴いてるやつって新聞配達くらいでしょう? オイ、起きろーッて放送でシャンとさせるやつ。

高田 朝が早いからって、他の業種だっているよ! オールナイトって番組は、私らみたいな、エロ本見ながら受験勉強したりしてた〈ながら族〉のハシリが支持したんだよね。たけしさんも聴いてたでしょ?

たけし 高田先生んちは、いい家なんだよ。おいらの家は最近、水洗式になった足立区だし、6畳に6人で雑魚寝だろ? ラジオつけてたら、うるさいってぶん殴られるよ。勉強だって懐中電灯でやれってドヤされちゃうもん。

亀渕 よし! この辺で始めましょう。えーっ、勝手にやります! オールナイトニッポン50周年スペシャル「ビートたけし、高田文夫、亀渕昭信のオールナイト文春」っ!

高田 さすが文春、懐ん中へ飛び込むねえ(笑)。

たけし マヌケなスポンサーが、頼むから名前を入れてくれって言ってるようなもんじゃない(笑)。

亀渕 あー、もう息が切れちゃった。後は文夫ちゃん、お願いしますよ。

たけし あら、亀が浮いてきちゃったよ(笑)。

亀渕 さて、局アナ時代の後、僕ら74年からタレント起用に方針を変えたんです。その流れで中島みゆき[ ※4 ]さんや笑福亭鶴光[ ※5 ]さんが登場した。で、ついに81年の元旦木曜の深夜1時にたけしさんの放送開始だね。このオールナイトはかつて聴いたことのない番組だったよ。

たけし 単なる北千住の酔っぱらいのクダですよ。

■「おいら」「ちっこい」下町言葉を徹底

高田 あのさ、真面目な話をしちゃうとね、まず80年に漫才ブームがありました。この時は大阪弁が席巻してた。東京勢はツービートだけ。だからニッポン放送からオファーを貰った時にたけしさんと決めたことは一コだけ。やるなら下町言葉で徹底しようよってね。「おいら」とか「ちっこい」でしょ、それに「おでん、かいぼっちゃう[ ※6 ]」なんて何語かと思ったもん。言い回しが可笑しくて、いわゆる標準語じゃなくて東京弁。

たけし 「百円(しゃくえん)」とかね。育った町の言葉を使って大阪弁のテンポと同じように漫才を演ったらリズムが生まれたの。

高田 リスナーで最初に食いついたのが長距離トラックの運転手。「若くて威勢がいいねえ」って評判で。

たけし 相方のビートきよし[ ※7 ]さんは山形弁で訛るでしょ、だから漫才は変な調子なの。仕方ないからあいつをメトロノームにしちゃってさ。で、おいらが「バカヤローコノヤロー」って喋る合間に、あいつに「よしなさい」って言わせるわけ。だけどこれじゃラジオのトークは盛り上がんないよ。学校に行けなかった理由が「雪」なんだもん。

高田 豪雪を知らないし、雪国思ってしんみりしちゃったりしてもねえ。

たけし 漫才は相方とネタを繰り出しては切り返すという段取り仕事。だけど、ラジオは一人喋りになるんでペースや話の筋が測れなくて辛い。そこに高田先生という日本一のお客がいてくれたお陰で、巧く横道から戻して貰えたの。

高田 実を言うと、私の声が出るのは止められてたのよ。ラジオパーソナリティは1対1でリスナーに語りかけるものってセオリーがあった。初代ディレクターだった森谷(和郎)[ ※8 ]さんも私がウケたりすると「ちょっと声は出さないで」って嫌がったんだよね。

亀渕 最初は録音で森谷ディレクターが編集してた。

高田 だけど、たけしさんはイタの人(舞台の人)だから笑い声が瞬間に起きないとノレないわけさ。

たけし 先生は『やすらぎの郷』の石坂浩二さんみたいな扱い受けちゃったの?

高田 (笑)! 私も郷に入ってやすらいじゃうよ。だけど私も構わずに笑ったり、茶々を入れたりした。それがリスナーにもウケて、たけしさんのネタ卸しライヴを毎週聴かせる格好に発展してったんです。

たけし いつの間にか高田“先生”になってさ、おいらを追い越しちゃった。凄いサル使いみたいなもんだよ。日光猿軍団の社長だな。

高田 また! なに調教されてんの(笑)。それでね、私らが最初にニッポン放送から言われたのは「3ヶ月だけお願いします。4月からアテがあるので」って。誰が跡を受けるんだいって訊いても答えねえの。だから最初から飛ばしてましたね。たけしさんも「何でもいいよね、やっちゃおうよ」って。

たけし うん、3ヶ月やって逃げちゃえばいい。

高田 やり逃げだよね。

亀渕 番組も録音から、すぐに生放送になった。森谷君が感心してたのは2人とも放送禁止用語を絶対に言わないってことね。

たけし 橋の欄干を渡ってるんですよ。落ちそうで落ちない。これは言っちゃいけないってのが必ず、ノッてても分かったんだよね。

高田 塀の上の懲りない面々ね。ギリのところ、ずーっと歩いてる。これは反射神経ですよ。運動神経。

■村田先生のネタはマネージャーまでチクってきたよね

亀渕 ネタにする人も弱いやつじゃなかったよね。

たけし そうですね。

高田 ウソだァ、いじめてたじゃない。おタカさん[ ※9 ]や山形の田舎者やブス。

たけし うん(笑)。

高田 で、局からお願いが来て、4月以降もやることになったんですよ。

亀渕 ギャラも安いのにね。当時、太田プロの副社長[ ※10 ]さんから怒られました。

たけし ババア、まだガメてやがるな、チキショウ。

高田 こんな派手なジャケット着てさ、ガメついなんていう、太田プロの「フクシャ」とか色んなキャラクター作っちゃったね。社歌[ ※11 ]まで勝手に拵えちゃった。

たけし 「利権が絡めば私もカラむ」か!

高田 マネージャーもキャラクターで売っちまうし。

たけし 「ジキル菊池[ ※12 ]」。

高田 懐かしいね! 酔っぱらうと豹変するんだ。

亀渕 あれ、ホントなの?

たけし 一杯だけで変わっちゃう。「いや、すみません。飲めません」って酒を断るんだけど、「いいから飲めよ」と注いだら、ふっと飲むの。そうしたらドンと床にコップ置いて「なんだ、この野郎!」って。コントだよ。

高田 リスナーも耳で捉えたイメージで勝手に極端なキャラクターを作っちゃうわけ。村田英雄[ ※13 ]先生でしょ、ガッツ石松[ ※14 ]さん、ポール牧[ ※15 ]さんとかをラジオという世界で大スターにしてさ。

たけし 不意に「村田英雄の頭はデカいんで遠近感が狂う」って喋ったんだ。

高田 どんな大きさだよ(笑)。

たけし リスナーは先生を知らなかったのに、おいらが火種作ったら、デカく燃え上がらせるんだ。挙句、先生のマネージャーまでがチクってきて「また御大がやらかしました![ ※16 ]」って投書してきてさ。入国審査の性別欄に、SEXってあるんで「週2回」って書いたとか。

高田 ガッツさんは世界チャンピオンだけど、頭が“不憫”だとかもね。困ったもんだよ。

たけし 安全なとこから石投げたり、棒で突っついてるんだけど、来たら逃げられる幅でやってたよね。

高田 近所の悪ガキの感覚ですよ。村田先生から放送中、電話かかってきたじゃない? 録音だと思ったら生電話。

たけし アレは参った。

高田 あなた、すっかりアガっちゃって(笑)。ゲストにも来て頂いたし、ラジオドラマで任侠もの[ ※17 ]演ったら出てくれて。

たけし 『男の盃』な。村田の親分がノッて三波組を叩き斬る! って止まらなくなって。

高田 ホント、最高だよ。先生は素晴らしかったね。

■局の前にファンの出待ちや入り待ち

亀渕 今はテレビのトーク番組、雛壇芸人全盛だよね。その原型を作った気はしない?

高田 私から言わせれば笑いの質量が違いますよ。創造的で、また重いから。この人、ハードパンチャーだから。

たけし 決定的にテレビの喋りと違うのはさ、リスナーは自分の観たい映像を脳内で浮かべるんだよね。だけどテレビだと、喋りや周りの反応まで映るから、想像が働かないで笑いが薄まっちゃう。ラーメンを食う中継やったら、ラジオで啜る音を聴かせたほうが絶対、テレビより美味そうに思えるはずなんだよな。

亀渕 局の屋上にリンク張って、氷上タップ踏んだ[ ※18 ]の憶えてる?

高田 (笑)。全然、見えないってのにね。軽井沢におかまの格好で行こう[ ※19 ]って企画もさ、画面無視だよ。

たけし 人間は耳だけだと自分にベストな想像を働かすの。バスにおかまが乗っているっていう音だけで、いちばん可笑しい格好を頭ん中で膨らませるわけ。「なんだ、そのひでえ口紅は」とかツッコむと、見えないんで余計に笑える。

亀渕 放送が人気になると局の前にファンの出待ちや入り待ちが出来てたね。

高田 もうね、81年の夏にはそのまんま東[ ※20 ]が来たんですよ。回した不幸の尺八[ ※21 ]を返しに来てさ。

たけし 東は最初、おいらを見たくて来たんだよね。番組のリスナーは、初期は男の学生が殆どだったはずだけど、急にクラブのお姉ちゃんとか来るようになったの。12時に店引けて、すっ飛んでマンション帰って聴くなんてのが。やたら綺麗な女がいたよ。だけど、当初はどんなやつか見たいからというのが多かった。それが徐々に弟子志願になって来てさ。

亀渕 すぐ傍が丸の内警察でしょ。家出少年扱いになりそうなのがいっぱい来るから警備が気を遣ってた。千葉から自転車飛ばして来た少年もいたなあ。

高田 東の次に弟子に志願してきたのが松尾伴内[ ※22 ]ね。

たけし 局の1階に下りてタバコを吸おうとしてライターないかってポケット探ってたの。そうしたら遠くのほうから、グッと身を低くして猛ダッシュしてくるやつがいる。危ない、刺されると思って、横にいた先生をさ――、

高田 とっさにこの人、私を盾に使ったんですよ!(笑)

たけし そしたら伴内がバッと土下座したの。もう大笑いしたな。

■玉袋筋太郎に渡した「支度金」

亀渕 玉袋筋太郎[ ※23 ]さんも出待ち出身でしょう?

たけし 初めて会った頃は、3人組の高校生でね。1、2年生の頃からずうっと来てて、そいつらがトリオの弟子にしてくださいって頼むから、「卒業したらな」って約束したの。ホントはやっちゃマズいんだけど、おいらのマンション呼んで酒飲んでさ。タクシー代渡して帰してね。で、ある日、また会ったらコンビになってる。「一人いないな」って訊くと「喧嘩別れしました」と答えるわけ。最後に玉袋だけが残ってね。

高田 あいつ、高校卒業の時にさ、バカなりに努力してアサヒビールに就職決まってたんですよ。そしたら翌週、たけしさんが彼に支度金つって、カネ渡して「これで身のまわりきれいにしてこい」ってスカウトですよ。身請けだよ、女郎買ってんじゃないんだから!

たけし 浅草キッドが売れて、紀伊國屋で独演会やったの。そん時に玉袋のお母さんがお礼を言いに来てくれたんだ。挨拶が済んだら人払いを頼まれちゃったのよ。何すんだろって思ったら、懐から封筒を出して、こっちに握らして手を握ったまま「これであったかいものでも食べなさい」なんてさ。芸人を何だと思ってんだ(笑)。あけたら3000円入ってた。

高田 昔気質だよ、新宿のおかみさん[ ※24 ]でさァ。

たけし お父さんの方はオカマバーをやって身上つぶしちゃったらしいよね。

高田 うん、娘とセーラー服の取り合いしてたっていう(笑)。

たけし そのお父さんも独演会にいてね、付き合ってた男と別れて身綺麗にしたって言うの。で、倅が客席の親父を見っけて「あ、父さんだ」と思ったら、玉袋がバイトしてた歌舞伎町のラーメン屋の店員が隣りに座ってて、そいつの手ェ、ギュッと握ってたんだよ。

高田 もう、身綺麗になるんじゃなかったの!?

■何でも喋れるから。1週間分の日記を綴るみたいにね

亀渕 いい話だなァ。あのね、82、3年頃に僕がオールナイトのスタジオに寄るとね、あの狭い中にテレビの人がうじゃうじゃいて驚いたよ。

高田 たけしさんとやる打ち合わせの時間が木曜のオールナイトの本番前しかないから、ぞろぞろ来るんですよ。テリー伊藤やTBSの桂(邦彦)さんとかがさ。

たけし オールナイトの前は早めに入るんだけど、ハガキなんか読んでる暇がないの。だから高田先生たちが手分けして読んでる。その間に「笑ってポン![ ※25 ]」だの「スーパージョッキー[ ※26 ]」とかのいろんなテレビの打ち合わせをしたね。別室にも人が溢れるから、便所の前でもやりましたよ。徐々においらもイライラ来て「こんなネタやらないよ」とか怒って、テレビの台本突き返したりさ。

亀渕 その間、高田先生は何してるの?

高田 こっちは番組の準備ですよ。たけしさんがバカ忙しいのは分かるんですよ。ニッポン放送でしか捕まえられないのも。だけど、この人が煮詰まって機嫌悪くなると本番の空気がダメになるんですよ。お前ら無神経なことやってんじゃないよ、これからオンエアあるのにさァってね。

たけし だけど他の仕事を休んでもオールナイトだけは来てたね。仲間に会えるって感じもあり、自分でも面白かったんだよな。

高田 何でも喋れるから。1週間分の日記を綴るみたいにね。

亀渕 僕がよく憶えてる放送は、83年に師匠の深見千三郎[ ※27 ]さんが亡くなった時だね。あれはずっと心に残ってるよ。

たけし 2月2日に火事で死んじゃったんですよ。放送で「もう少し待ちゃ、人が焼いてくれるのに自分で焼いちゃって」って。

高田 やっぱりこの人、格好いいと思いましたね。師匠の最期までギャグにしちゃう。「待て、待て! ああ、せっかちだから、自分で焼いちゃったよ」なんて可笑しいんだ。切なくて余計おかしいんだよネ。

亀渕 日々起きた悲報も喋るという点では、88年3月24日の上海列車事故[ ※28 ]の速報入った時があったよね。あの放送でたけしさんが「もしかしたらリスナーが修学旅行で乗ってるかもしれないじゃないか、生放送やってらんないよ」って。

たけし あん時はもう、テンションがドーンって下がっちゃってたから。やりきれないし、「クラシックでもかけて放送終わってよ」と言って帰ったの。

高田 すごいですよ。話を聴いた皆が「たけしさん、やっぱり立派な方だ」って思うでしょ? だけど問題は一人ポツンとスタジオに残された私ですよ。どうすりゃいいんだよって。局アナと2人で俯いてずーとニュースを読んでさあ。

亀渕 先生大変だ(笑)。

高田 だけど、こんな感情をリアルに出すパーソナリティは、ありえないよ。

亀渕 今だっていないね。

高田 その結果が講談社の殴り込み[ ※29 ]ですよ。半年休んじゃうんだもんねえ。たけちゃん、この次はソレ行ってみようか?

たけし アレはおいら、リアルに感情、出し過ぎちゃったかな。

※続きは「 週刊文春デジタル 」または文春e-Books 『あの伝説の番組が帰ってきた! ビートたけしのオールナイト文春』 でご覧ください。

(構成 岸川真)

ビートたけし/1947年、東京・足立区生れ。漫才コンビ「ツービート」で漫才ブームを牽引。81〜90年、「ビートたけしのオールナイトニッポン」パーソナリティ。映画、出版など多方面で活躍中。

たかだふみお/1948年、東京・渋谷区生れ。大学卒業後、「スタッフ東京」設立に参加し、73年、放送作家デビュー。89年から現在まで「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)パーソナリティ。

かめぶちあきのぶ/1942年、北海道生れ。早大卒業後、64年にニッポン放送入社。69年から4年間、オールナイトニッポン出演。その後制作に携わり、99年に社長就任。相談役を経て、2008年退社。

きしかわしん/作家・編集者。1972年、長崎市生れ。助監督などを経て佐藤忠男、新藤兼人らに師事。

■用語解説

※1:満州電電社中央放送局で先輩だった森繁久彌の薫陶を受ける。1954年、ニッポン放送開局のコールを務めた。日本DJの草分け。

※2:アンコーが愛称。同期入社の亀渕とカメ&アンコーを組みフォーク・クルセダーズの「水虫の唄」をカヴァーし、ヒットさせた。

※3:てっちゃんが愛称。若ハゲをネタにした自虐トークを展開。降板後、昼帯番組「歌謡パレードニッポン」で聴取率1位。一躍昼の顔へ。

※4:79年から8年間、月曜を担当。のほほんとした語り口、下ネタも辞さないお姉さん感覚が魅力。現在も月イチで日曜生放送に出演中。

※5:史上最高の下ネタDJ。「ツルコーでおま」「乳頭のイロは?」などのフレーズと数々のエロネタで少年の心をわしづかみにした。

※6:池や沼の底をさらう掻(か)い掘り。魚を獲りつつ水質保全を図る。この場合、店主の目を盗み、おでん種をさらって食う行為を指す。

※7:「よしなさい」など4種のツッコミ語を堅持。番組内で彼が後輩に使う「コピれ」などが評判に。挙句「ファクシミれ!」も登場。

※8:始末書の重みで背が縮んだなど、しばしば小柄な体格をネタにされた。オールナイトでは、82年の谷山浩子や88年の伊集院光も担当。

※9:下積み時代のビートきよしの同棲相手。元自衛隊員。きよしと営業も。寝食を共にした仲。「オカマのダンサー」として知られる。

※10:磯野泰子太田プロ副社長。番組内で、その押しの強さを夫の勉と比較される。ギャラの天引きなどは定番のネタだった。

※11:「利権が絡めば私もカラむ、そこのけそこのけコルセットが通る!」。ハガキ職人、小泉せつ子の投稿作詞。

※12:菊池忠。太田プロ時代のマネージャー。酒乱豹変キャラが話題を呼び「オレたちひょうきん族」にも出演。

※13:番組発信で「ムッチーブーム」を巻き起こす。81年にゲスト出演、ネタにされることを「芸人冥利に尽きる」と笑い飛ばした。

※14:「好きな数字はラッキー7の3」「太陽は右から昇る」などのネタが有名。後年語られるガッツ伝説の礎になった。

※15:「たけちゃん、新車買ったよ!」と言うが、じつは走行距離10万キロの中古車だった、などホラ吹きキャラとしてネタにされる。

※16:愛車の車種キャデラックを「俺のはデラックスだ」。砂糖とミルクを入れたコーヒーを啜り「やはりブラックに限る」など伝説多数。

※17:番組初期には敵役に三波春夫を想定した『男の盃』二部作の他、『遅かった尺八』などが放送された。

※18:84年1月、軍団が裸でタップを踏み、滑って転んで阿鼻叫喚。が、たけしと高田の笑い声のみでしか状況が分からないという怪中継。

※19:87年、北野印度会社があった軽井沢へ出演者全員が女装で行った。深夜の別荘にキャサリン(そのまんま東)が突撃訪問した。

※20:弟子を辞めさせるコーナー企画で、少ない所持金なのに全国のリスナーを訪ねる、托鉢僧のような旅に出されたことがある。

※21:たけしが練習しても上手く吹けない尺八をリスナーに送りつけ、吹いた録音と証拠写真を送り返す企画。

※22:土下座以前から高田は「あいつはヤバい」と警告していた。番組内で白髪の毛染めを欠かさないことから「ビゲンの鬼」と称された。

※23:新宿から局まで自転車で通う「追っかけのあんちゃん」と呼ばれた番組常連少年。補導されかけたことも。

※24:株屋だった玉袋の祖父は西新宿の一等地、現在のヨドバシカメラがある場所に土地を所有していた。

※25:伝説のTBS系バラエティ。83年7月放送。「3回打ち切り」と言われるが実際は12回。桂邦彦のネーミングセンスが疑問視された。

※26:毎週日曜昼の日テレ系バラエティ。83年から16年間放送。軍団と芸人が身体を張るコーナーが看板。映画紹介や投稿枠も人気だった。

※27:鋭い話芸、ギターやタップをこなす多種多芸の人。「浅草唯一の師匠」と敬愛される。が、その芸は惜しくも記録に残っていない。

※28:上海郊外で発生した列車同士の衝突事故。乗り合わせた高知学芸高校の生徒27名と教諭1名が犠牲に。

※29:86年12月、たけしと軍団がフライデー編集部を襲撃。事件後、写真誌を含むマスコミの報道姿勢が議論に。

(「週刊文春」編集部)

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