”コントの時代”を創った男が語る「日本テレビにあって、フジテレビにないもの」――2017 BEST5【エンタメ部門 4位】

”コントの時代”を創った男が語る「日本テレビにあって、フジテレビにないもの」――2017 BEST5【エンタメ部門 4位】

©深野美季/文藝春秋

2017年、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。エンタメ部門の第4位は、こちら!(初公開日:2017年5月3日/全4回の4回目・ #1 、 #2 、 #3 も公開中)。

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 フジテレビ時代に『ごっつええ感じ』、『SMAP×SMAP』、『笑う犬』シリーズなど数多くのコント番組の制作、演出で活躍した小松純也さんは、笑福亭鶴瓶の落語会演出も手掛けるなど、常に挑戦をし続けている。古巣のフジテレビが苦境に喘ぐなか、これからのテレビはどこへ向かうべきなのか。現在はNHKやTBSでも新しさを追求し続ける小松さんに新しいことをやり続けるための仕事論をお伺いした。

■笑福亭鶴瓶を「落語家」に回帰させた舞台

――テレビ以外では笑福亭鶴瓶さんの落語会「鶴瓶のらくだ」(2007年)の演出もされていますよね?

小松 鶴瓶さんとはあんまり世間にはバレてないですけど、それまでも深夜でコソコソ番組をやってたんですよ。もうちょっとバレたかったんですけど(笑)。それで、僕は舞台もやっていた人間(劇団そとばこまち出身)なので、鶴瓶さんの事務所の方から声をかけてもらったんです。鶴瓶さんの落語家として生きていく決意表明みたいなものをやりたいと。その落語会の見せ方として、落語を知らないアナタに任せたいと言われて。

――どんな演出だったんですか?

小松 鶴瓶さんの葬式という設定から始まるんです。その落語会の演目「らくだ」というのは、簡単に言ってしまうと人が死んで、その死体をどうするかっていう噺なんですけど、それにちなんでいるんです。最初に鶴瓶さんが出てきて、最近こんなことがあったと話をして、「ホンマ、スタッフ頭おかしいんですよ」って言って幕を開くと舞台全面に鶴瓶さんの祭壇がある。で、鶴瓶さんが遺影のところに入るんです。司会者が、舞台上で「鶴瓶さんが舞台上で死んだ」と説明して、タモリさんや(明石家)さんまさん、(中村)勘三郎さんからの弔電を読む。そんな前フリのあとで、舞台上で鶴瓶さんが死んだ日の落語会が始まり、最後に「らくだ」を演る。

 サゲまで行って頭を下げた鶴瓶さんが舞台上で死んだように動かず、葬式に戻り、鶴瓶さんの棺が花道から運び去られ、幕が閉じかけるんだけど、再び開くと、「らくだ」の死体のように棺桶から落っこちた感じで舞台上にそのまま居た鶴瓶さんが、ゆっくり顔を上げて、鶴瓶さんオリジナルの「らくだ」の死体が息を吹き返す噺になり、サゲになる。終わって拍手の中明転すると鶴瓶さんの遺影があった場所に(笑福亭)松鶴師匠の大きな写真。それを背負って鶴瓶さんがお客さんにご挨拶。という流れです。

 松鶴師匠は鶴瓶さんの師匠で「らくだ」が十八番だったんです。今日はその「らくだ」をやって、師匠の遺影を前に皆さんに挨拶させていただきます、笑福亭鶴瓶は再生し落語家として生きていきます――そんな決意が伝わればいいなと演出したんです。

■その日は鶴瓶さん、逃げるように帰った

――歌舞伎座の初日は、鶴瓶さんが失敗したと感じていたと聞いたことがあります。

小松 よくご存じですね。大失敗だったんです。自分の思っているようにできなかった。一言で言うと呑まれたように見えました。伝統ある歌舞伎座で、勘三郎さんとか歌舞伎役者の方々も見に来ている。当時、歌舞伎座で落語会をやった人なんてほとんどいなかったと思いますし。ご自身の思いもあったでしょう。そういう状況にあんな大ベテランでも呑まれたんです。僕もそばにいて、いつもの鶴瓶さんじゃないと思いましたから。

――聴いていても分かりましたか?

小松 分かりました。終わった後って、楽屋で「どやった?」「こう思いました」っていう話をするけど、その日は鶴瓶さん、逃げるように帰った。で、僕はやけ酒を飲みました(笑)。新しいことをするっていうのは「危ない橋を渡る」ってことだと思うんです。で、危ない橋は絶対渡りきらなきゃいけないんですよ。そうじゃないと、すべてが大失敗に見えてしまう。この時、鶴瓶さんと僕は危ない橋を渡ろうとしたんですけど、渡りきれなかった。それを見られたのがすごく恥ずかしかったし、鶴瓶さんも同じ思いだったと思う。自分の責任だ。落語を真っ直ぐ演ってもらったほうがよかったのかなとか、さすがにその時は僕も後悔しましたね。

 ただ、大阪の松竹座での最終日は、本当に素晴らしい舞台だった。今でも鳥肌が立つぐらいで、僕も見ながら涙が出ました。松鶴さんの「らくだ」というのも豪快で素晴らしかったらしいですけど、落語を知らない僕も、鶴瓶さんの「らくだ」は荒削りかもしれないけど素晴らしいと思うんです。あらためて思いました、鶴瓶さんは凄い人だと。

■「僕の人生史上最低視聴率だった番組」

――その前に鶴瓶さんとは『鶴瓶漂流記』という深夜番組をやってるんですよね。ある人に言わせると、この番組が鶴瓶さんが落語に回帰するきっかけのひとつだったんじゃないかと。

小松 まず『鶴瓶漂流記』がどういう番組かというと、笑福亭鶴瓶とゲストが街頭で待ち合わせをしまして、そのまま1日を一緒に過ごすというだけの企画なんです。それをひたすら撮って、僕が後で時間軸も無視して物語になるようにギッタギタに編集する。お互いビックリさせ合うっていう感じでやっていた番組なんです。落語回帰のきっかけがあるとすると、番組の2回目、ミッキー・カーチスさんがゲストの回ですね。当時ミッキー・カーチスさんは(立川)談志師匠に弟子入りをしていて、「鶴瓶とやるんだったら落語の話がしたい」と。それでミッキーさんは落語家と思い込んで鶴瓶さんに会って、六本木で一晩一緒に過ごすんです。その後、2人は別れて、鶴瓶さんがひとり朝の公園のブランコに座って「ずっと今日1日、俺、あの人に落語家扱いされてたけど、(落語で)できる噺、2つぐらいかな……」って言って終わったんです。だから、そういうことを実感なさったタイミングではあったかもしれないですね。でも、僕の人生史上最低視聴率だった番組です(笑)。

――ええっ!(笑)

小松 視聴率が出なかったんですよ。「※」(0.1%未満)だったんです(笑)。「※」を初めて取りました。でも、当時自分では最高傑作かもしれないと思ってましたね。まあ、この間見返してみたら、演出が出しゃばりすぎて確かに見るのが苦痛な番組でしたけど(笑)。

■ライブドア・フジテレビ騒動の年に『27時間テレビ』総合演出

――その後、2005年の『27時間テレビ』(正確には『25時間テレビ』)では、小松さんが総合演出、鶴瓶さんがメインMCとしてコンビを組まれましたよね。

小松 上から「演出やれ」と言われて4回断ったんですよ。前の年は片岡飛鳥が10年越しの構想である『めちゃイケ』ベースの企画でうまく成功させたんです。あれは片岡と岡村(隆史)さんたち「めちゃイケメンバー」の物語でもあったわけですけど、『27時間テレビ』ってそういう「内なるドラマ」がないと、うまくいかないんです。ドキュメンタリー性というか。僕は当時『お台場明石城』しか担当してなくて「内なるドラマ」という材料は不足してました。でも結局、任されてしまって焦ってた時に、あのライブドアの問題が出てきたんです。

――2005年、あの騒動の年の『27時間テレビ』の総合演出を担ったんですね!

小松 それで「ドラマの要素」はこれしかないと思って、「ライブドアと徹底抗戦するフジテレビ」というコンセプトで行くことにしたんです。テーマは「テレビはハートで作るもの」。要は、金じゃねえっていうことです。ただ、そういう熱い思いをストレートに出しては『27時間テレビ』じゃなくなってしまう。そこで代弁者としてお出まし頂いたのが鶴瓶さんだったんです。結果、鶴瓶さんを主役にした壮大なコントになった。忘れられない仕事です。

■NHK『チコちゃんに叱られる!』で岡村隆史を起用した理由

――そこから約11年の「沈黙」を経て、“演出家・小松純也”が『ドキュメンタル』で復活したわけですが、小松さんの最近のテレビでの仕事についても聞かせてください。まずNHKの『チコちゃんに叱られる!』。小松作品とは全く知らなくて、後からびっくりしました。パネラーのひとりが岡村さんですね。

小松 岡村さんとちゃんとお仕事するのは初めてですね。正確に言うと、『27時間テレビ』の時や『ENGEIグランドスラム』の立ち上げはやってたんでご挨拶程度はあったんですけど。

――なぜ岡村さんを起用しようと?

小松 やっぱり全体的にかわいらしい番組にしたかったんです。できれば子供たちにも見てもらいたい番組ですし。岡村さんと「チコちゃん」というキャラクターの組み合わせが、キャッチーな空気を生んでくれるんじゃないかと。岡村さんの独特な優しい感じや、かわいらしい感じが、端的に言うと、映像的にすごく見える感じがしたんです。

――チコちゃんの声を木村祐一さんにしたのは?

小松 鶴瓶さんと香取慎吾くんが出演していた『平成日本のよふけ』という番組の「赤さん」というキャラクターの声を木村祐一さんにやっていただいたんですけど、憎たらしい5歳の、でもかわいい子を演じるのは、実は木村祐一さんが一番上手なんじゃないかと僕は思うんです。それでお願いしたら、本当にハマりましたね。

――いわゆる情報番組みたいなものを面白く見せるのは難しいと思いますけど、そういう意味で工夫した点は?

小松 実は番組で扱う「雑学」って、もう何周もしてるんですよね。要はプレゼンテーションの仕方で、包み紙を上手にデザインすることで、それがキャッチーにもなるし、つまらなくもなる。視聴者の体感の仕方のデザインを変える。そういうことに実は結構こだわりがあります。『チコちゃん』の場合は特に、「気づき」ですね。「人と別れるときに、なぜ手を振るの?」というような、意表を突かれる質問と、その答えへの驚きというか。『トリビアの泉』の「へえ」とはまたちょっと違う、もうちょっと「あ、そういえば、自分はボーっと生きてたな」って思わせる気づき。その切り口から情報を探っていくところが、一個新しいところかなと思います。そして何より、かわいい女の子がNHKで「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って罵倒するっていうのを実は個人的には見たかったんです(笑)。

■『笑う犬』が終わる頃、NHKにコントをレクチャーした

――小松さんがNHKの番組をやるというのは初めてですか?

小松 NHKは2つ目ですね。その前にさまぁ〜ずさんと『魅惑のソノタ』という番組を、特番で3回ぐらい。まだちょっとレギュラーになれてないので悔しいんですけど。

――NHKでやるにあたって民放と違う部分ってありますか?

小松 もちろん当たり前のルールはありますよね。商品を紹介しないようにという気づかいとか。でも他は全くないです。民放と同じようにやってます。それをNHKさんも喜んでくださっているようですね、それが新鮮みたいで。

――NHKといえば、『サラリーマンNEO』の吉田(照幸)さんが、番組を立ちあげる前に小松さんに相談したという話を聞いたことがあります。

小松 NHKに『プロジェクトX』とか『プロフェッショナル』とか立ち上げた有吉(伸人)さんという方がいるんですけど、僕が芝居(劇団そとばこまち)をやっていた時に、有吉さんの演出助手をやってたんです。その人が当時、番組開発部門のチーフみたいな役割をやっていて、今度コント番組をやるから、コントのやり方をちょっとレクチャーしてあげてくれって言われて、来たのが吉田くんだったんです。ちょうど『笑う犬』が終わる頃だったんですけど、そこで作家をされていたコントのスペシャリストの内村宏幸さんを紹介したり。コントの撮り方も「まず台本を作って、でも、台本どおりにやらないほうがいいから、フェイクの台本を作るんですよ」とか。「スタジオに『たまり』っていうのを作ってやってるんですよ」とかレクチャーしました。

――「たまり」というのは?

小松 スタジオの中にテーブルを2つくっつけ合わせて、そこに出演者がたまる席ですね。楽屋に戻らず、ずっとその空間を共有しているということが結構大事で。番組の一体感を作ることにもなるし、出たり入ったりすると緊張感がなくなってしまう。それで、撮りも段取りから細かく、ドライをやって、カメリハやって、本番をやる。「この段階では演者さんには本気でやらせないほうがいいですよ」とか、そういうようなこともアドバイスしました。

■NHKのほうがコントの命脈が続く可能性があるかな、と

――結構具体的にノウハウを教えたんですね。秘密にしたい方法論とかもあったんじゃないですか?

小松 いや、もうフジテレビがコント番組を編成することは難しいだろうと、当時思ってたんです。だから、フジテレビのコント作りのノウハウをフジテレビだけのものにしても仕方ないと。

――ノウハウの流出を危惧するより、「コント番組の灯を消さない」という思いのほうが強かったんですね。

小松 そんな大した使命感じゃないですけど、多少はありましたね。もちろんフジテレビには僕の後輩たちもいるし、コント番組やってほしいって思ってますよ。でも民放よりはNHKのほうがコントの命脈が続く可能性があるかな、と肌感覚で思いましたから。

――NHKのほうが可能性があるというのは?

小松 これは勝手な思い込みで、NHKの人に言ったら怒ると思いますけど、視聴率とはあまり関係なくできるんじゃないか、ということですね。つまり、視聴率の取り方のノウハウ的なもので考えると、コント番組というのはそれに全くかみ合わないんです。

――コント番組は視聴率を取りに行く姿勢とは相容れないんですか?

小松 コントって集中して見ないといけない。フリを見逃したら当然ながら笑えないじゃないですか。だから視聴者に集中を強いるんですよね。それって、特に最近の視聴習慣とは合わない。今はむしろ、断片的に見ても何となく面白いもののほうが好まれる。だから、家族団らんしながら見るテレビって、変な話、面白くないほうがいいんですよ。

――ああ、なるほど。

小松 見てるテレビが面白くて、話しかけてくる家族に生返事してたら怒るでしょ。そういう経験おありになりません?

――よくあります!(笑)

小松 だからつまんないほうが、番組としては一家団らん、家族のためになるのかな、とすら思う。そういう割り切りで番組を作っている人もいるんじゃないかな。

――小松さんはこれからも、見る人が集中して楽しむような、それこそ『ドキュメンタル』のような番組を作り続けていきたいほうですか?

小松 そうですね。前のめりに見ていただけるものを作っていきたいです。『ドキュメンタル』のような有料配信というのはこの先どうなっていくか、僕も正直分からないんですけど、シチュエーションコントのような作り込んだものを見ていただく土俵にはなりうるかなと。もちろん「テレビとの競合」という問題をテレビマンとしてどう考えるのかということもありますが、制作者にとっては新しいウィンドウだと思います。それが開かれているなら、後輩たちがそこでも活躍できるような土俵を開拓していく。それが僕の仕事だし、やれることだと思っています。

■「フジテレビ的」なるものが叩かれやすい時代

――今、フジテレビがかなり苦しい立場になっています。この現状をどう思われていますか?

小松 僕らはよかった時期にフジテレビに入って、いっぺんダメになって、またよくなったプロセスを体感してます。だから、またいい時代が来ることだってあるだろうとは思ってます。現に能力がある人間もいっぱいいますし。ただ、そのためには、やっぱりフジテレビ自体がある意味変わるべき時が来たのかなとは思います。「フジテレビ的」という言い方は嫌いと申し上げましたけど、僕は後輩たちに「フジテレビらしさはあなたらしさなんだ」っていうのをずっと言い続けてきたんです。自分らしいものをきちんと作る。そういう主張をする。その結果、ノリに統一感が出てきて、それを世の中の人が「フジテレビ的」と呼ぶようになる。今思われている「フジテレビ的」なるものが叩かれやすい時代になっていることはよく分かるんですけどね。

――「フジテレビ的」という言葉で連想するのは、たとえばバラエティ番組でも制作側が表に出てくるような「内輪感」でしょうか。

小松 横澤さん、三宅(恵介)さんたちが作った『いいとも!』、『ひょうきん族』や、石田(弘)さん、港(浩一)さんの『みなさんのおかげです』のようなノリですよね。でも当時だって、作り手側の個性はてんでバラバラで、『なるほど! ザ・ワールド』の王東順さん、『ものまね王座』の木村忠寛さん、『夜ヒット』『どっきり』『水泳大会』の疋田拓さん、井上信悟さんだっていた。そのバラバラさというのがタイムテーブルで言えば強さにつながっていたと思うんです。今はこういう状況だけど、個人のポテンシャルがきちんと出せる状況をマネジメント側が作ってあげれば大丈夫だと思うんです。ただ、この時代の空気の変化というのは変えにくいものがあるかもしれませんが。

――それは、シリアスな時代になっちゃったということですか?

小松 そうですね。「平時のフジテレビ」「平和を愛するフジテレビ」って僕はよく言うんです。やっぱり世の中の楽しいものを自分たちの目で見つけて、それを広げていくということがフジテレビの方法論なんですよ。「楽しくなければテレビじゃない」って昔のフジテレビのキャッチコピーですけど、基本的な思考回路がハッピーなんですよね。それを個人レベルが好き勝手にやって、結果うまくいく。それが受け入れられる時代じゃなくなった。

■日本テレビにあって、フジテレビにないもの

――逆に今、日本テレビがすごく強いですけど、その要因って何だと思いますか?

小松 勝手な想像ですが戦略的、ということに尽きると思います。日テレってある意味、上意下達がすごくはっきりしていて、数字が悪けりゃ飛ばされる。そういう組織だと聞きます。厳しく人材を育成して、制作者が持つべきストイックさとかが保たれるようにしていますよね。ずいぶん前から「先輩に挑め」というノリで企画募集もしている。番組をやる目的とか、意味とか、組織づくりとか、そこら辺の筋道が理詰めにちゃんとしている。ナチュラルではなくて人工的なものの強さが出ているかなと思います。

――フジテレビにはない文化なんですか?

小松 フジテレビはそういう意味で言うとカオスです。ただ、カオスには人工的なものを超える想像できないようなものが生まれる可能性はある。あくまで僕の主観ですが、フジテレビの基本的な感覚、姿勢というのは、自分たちのしていることは所詮「人の営み」なんだ、という割り切りのような気がします。例えば、フジテレビは編成にも制作的な機能があって番組を作る。当然制作も作る。そうすると、編成と制作がライバル心を持って、番組をぶつけ合う。競争心がうまく作用すればヒットが生まれる。モチベーションもクオリティーに大きく関わる。「人の営み」だからという理論です。関係制作会社もライバル同士の位置で沢山ある

 でも今は、クリエイティビティがどうとかっていう人の能力に賭けるよりも、マーケティング的な考え方で数字を狙っていくのが主流です。そうせざるを得ない時代ということもあって、日テレさんだけじゃなく全局その方向にあります。悪い言い方をすれば対象におもねっていくやり方です。ただ、マーケティング的に一番強いものって、結局「新しいもの」だと僕は信じたい。世代を問わず、新鮮に見えるものが作れれば、それが実はどの世代にも受け入れられるんじゃないかと。だから、お年寄りターゲットに健康番組をやるのもいいとは思うけど、僕らはできれば「新しいもの」を見つけていくほうをやって行きたい。そもそも健康の番組を作るモチベーションはなかなか高まらないんでね。といいながら、食べ物の番組なんか絶対やらないと思ってたのにやってるんですけど。

■『トリビアの泉』が生まれたとき、『人生最高レストラン』が生まれたとき

――TBSで放送している『人生最高レストラン』ですね。

小松 はい。食べ物の「話をする番組」っていうのはいっぺんやってみたくて、ずっと温めていた企画なんですよ。テレビに限らないかもしれませんが、企画って飲み屋の会話で盛り上がるものが当たるって言われますよね。「ひょうきんディレクターズ」の時代だったら六本木のクラブでホステスさんと盛り上がった企画をやってたんだろうし、居酒屋で友達と「あれってこうなんだってよ」「へえ」っていう会話を目指して当たったのが『トリビアの泉』。で、飯食ってみんなでワーワー言ってる時に「あそこのあれうまかった」っていう話もたいてい盛り上がりますよね。それを企画にしたのが『人生最高レストラン』です。

――グルメ番組なのに食べないっていう設定が新しい。

小松 だって、スタジオで出されてる飯を「うまい」って言ったって、普通「ホントか?」って思いますもんね。それよりは話だけを聞いて、心地の良さそうなお店の空間で出来上がったばかりの料理をきれいに撮ったほうがいいと。いまだに「なんで食わねえんだ」って言われますけどね。「食ったらまずそうに見えるから食わないんだ」って言い返してます(笑)。

■日本人に向けたスローテレビって何か、考えてみたい

――他に新しくやってみたいことってありますか?

小松 「本当に世界一強い男を決める」っていうのをやりたいんですよね(笑)。

――世界一強い男?

小松 元特殊部隊とかデルタフォースとかそういう人たちを集めてワールドワイドにサバイバルゲームをやってみたい。以前、『27時間テレビ』で自衛隊vs米軍の運動会っていうのをやったんですよ。戦後60年を迎えた2005年に、昔は戦火を交えていた人たちが、今こういう平和な戦いさえできるようになったことを表現しようって。それで日米「棒倒し」をやろうと自衛隊の方面総監だった人に相談したら「死人が出ます」と止められて(笑)。「申し上げておきますが、われわれは絶対負けることを許されないのです」って言うんですよ。仕方がないから、日米双方入り交じった紅組・白組を編成して「運動会」をやってもらったんですけどね。ちょっとフラフラした企画になっちゃった。「ぶつかるんだったら本気なんです。それしかないんです」って本気で言われたのが忘れられなくて、それでサバイバルゲームを映像エンターテインメントにしてみたいな、と思ってるんです。

――壮大ですね!

小松 あとはさっき言いましたけど、家庭の会話の邪魔にならない番組を「ちゃんと作る」っていうのもやってみたい。ノルウェーでたき火を映しただけの番組が視聴率20パーセント取って話題になりましたけど、日本で同じことをしてもダメだと思うんです。じゃあ日本人に向けたスローテレビって何なんだ、ということを真剣に考えてみたい。なんせブランクが長かったんで、やりたいことはいっぱいあるんですよ。

こまつ・じゅんや/1967年生まれ。京都大学在学中に「劇団そとばこまち」に所属、放送作家としても活動した。90年フジテレビ入社。バラエティ番組制作に携わり続け、『ダウンタウンのごっつええ感じ』『笑う犬の生活』で90年代のコント番組を牽引した。関わった番組は他に『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』『トリビアの泉』『IPPONグランプリ』『ほんまでっか!?TV』など多数。現在は共同テレビジョン第2制作部部長として、『ドキュメンタル』『人生最高レストラン』『チコちゃんに叱られる!』など多様な番組をプロデュース、演出している。

(てれびのスキマ)

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