「俳句の力は目測力」 中曽根康弘×金子兜太 俳句レジェンド対談【前編】

「俳句の力は目測力」 中曽根康弘×金子兜太 俳句レジェンド対談【前編】

(c)文藝春秋

2018年に100歳を迎える中曽根康弘元首相、99歳を迎える俳人・金子兜太さんが2009年に『文藝春秋』で行った「俳句対談」。実は中曽根さんは句集を出しているほどの“俳句好き”。レジェンド同士の初対談です。

■お久しぶりです。20年ぶりですね

金子 中曽根さん、ご無沙汰しております。お元気そうですね。

中曽根 実は先ほどまでテレビでWBCの決勝を観てましてね、韓国との競り合いで興奮して頭が真っ赤になっちゃって(笑)。金子さんと俳句のことを話すには半日ぐらい頭を冷やさないとダメだと思いまして、深呼吸をうんとしたんですよ。

金子 いや本当に、世界一になってめでたいことでした。中曽根さんにお目にかかるのは実に20年ぶりなんです。と言っても私はSPと大勢の女性に囲まれているところに一目会っただけですから憶えていらっしゃらないだろうけど。

中曽根 さて、どの時だろう。

金子 俳人の久保田月鈴子(げつれいし)が主宰していた俳誌「富士ばら」のパーティです。

中曽根 ああ、久保田君か。彼は旧制静岡高校での1年上の先輩で、私が俳句を作るきっかけになった男です。私は日本独特の短詩である俳句にもともと興味を持っておったもんだから、自然と親しくなりました。

■心の簾(すだれ)のなかを風が通るような感じ

金子 私は大正8(1919)年生まれで今年の9月で90になりますが、中曽根さんは私の1つ上。去年は卒寿を記念して『中曽根康弘句集2008』を出されたほどの俳人でもいらっしゃる。旧制高校時代から俳句はされていたんですか。

中曽根 何句か作りましたが、やはり高等学校時代は運動したり、遊んだりが忙しくて俳句には入り込みませんでした。ただ久保田君が俳句を詠んだのを目にして何か、心の簾(すだれ)のなかを風が通るような感じがしていました。俳句自体に敬意がありましたね。

金子 私は父が金子伊昔紅(いせきこう)という俳人でもあったのですが、俳句を始めるのは旧制水戸高校時代。水戸高校俳句会へ入って「白梅や老子無心の旅に住む」なんて作りました。

■牛久沼でひねった中曽根康弘、はじめての一句

中曽根 私が本格的に俳句を始めたのは東大卒業の年だったか、高等文官試験(国家公務員試験)に受かってのんびりした頃。久保田君ともう1人の友人と3人で水郷の牛久沼へ遊びに行って、俳句でも詠もうということになった。帰りに上野駅の食堂で披露しあったら幸いに私の句が1番いいと言われたんです。「秋鮒の影追ひ追ひて船つきぬ」という1句。

金子 鮒を追っかけているうちに船が着いたと。この「追ひ追ひて」がいいなあ。

中曽根 月鈴子に煽(おだて)られて俳句に入っていったというわけですよ(笑)。特に結社などには入らず、芭蕉を読んだり、あの頃新しかった水原秋桜子や山口誓子、種田山頭火を読んでは月鈴子と議論をしていました。

■お互い戦時中に詠んでいたマンゴーの句

金子 句集にも大学時代のものが何句かありますね。昭和13年、ヒットラーユーゲント来日の夏、軽井沢でドイツ人の子供と遊んだときの句「嶺を越す夏雲一つ甲羅干し」。これは感心しました。堂々とした景色の中で1人裸になって日光浴している。対照が面白いな。

中曽根 ありがたいなあ、そうおっしゃっていただくと。

金子 月鈴子の師匠は加藤楸邨で、主観派と言うんですが、ヒューマニティが自由に出せるのが秋桜子から楸邨へ続く系列なんです。私も大学の時に楸邨の同人誌「寒雷」に投句するようになって弟子になるんですが、中曽根さんの俳句のある種の自由さに共感するのは同じ筋を感じるからでしょう。

中曽根 お互い海軍経理学校出身であるという共通点もありますね。私は大学から内務省に入って、すぐに経理学校。4ヶ月間訓練を受けて、昭和16年の8月に第一艦隊第六戦隊の旗艦「青葉」の乗組員になった。その後、11月に転勤命令が来て呉の設営隊主計長に任命され、フィリピン、インドネシアのほうへ南下していったんです。金子さんはどちらでしたか。

金子 私は昭和19年に経理学校を卒業して南洋はトラック島の第四海軍施設部に行きました。

中曽根 「犬は海を少年はマンゴーの森を見る」はこの時期のものですか。

金子 原住民のカナカ族の少年を詠んでいます。中曽根さんも台湾で「マンゴーの花の間(あひ)より編隊機」という句を詠んでますね。戦闘も体験されたのですか。

中曽根 はい。ボルネオ島のバリクパパンで敵前上陸の時、我々の船団がオランダとイギリスの駆逐艦から襲撃を受けて、私が乗っていた「台東丸」という船の前後左右が轟沈された。船団の中に敵が入り込んできたものだからこちらは攻撃ができない。向こうは魚雷や大砲を発射してきて私の船にも火がついた。「第4ハッチがやられた」というので飛び込んでいって懐中電灯で照らすと、手足をもがれて唸っている工員や壁に張り付いたもげた手が見えた。

■ふたりの戦後の「歩き方」に違いを与えた戦争体験

金子 部隊はどんな人員だったんですか。

中曽根 徴用の工員が2000人ほどでしたか。三文文士もおれば医者の出来損ないもおれば、不良少年もいる混成部隊でした。中でも私がかわいがっていた古田という班長がいたんです。昔で言えば博徒の親分みたいな、頬に傷のある刑余者でしたが、いろんな者がいる部隊を指揮するにはこの男が使えると思って班長に任命していたんです。その古田が第4ハッチでやられておぶわれている。「古田しっかりしろっ!」と言ったら「隊長、すまねえ」。その一言を置いて死んでいった。10数人を亡くし、私たちは海岸で遺体を荼毘に付しました。

 私は古田のことも含めてそういう経験を何度もしたものですから、日本の庶民、大衆がいかに愛国心が強く、国を心配していたのかということを胸に刻みました。その思いは私の背骨のように政治家としての支えとなりました。よく「中曽根は国家主義者だ、右翼だ」なんて言われましたが、それは当たり前のことなんでね。戦争体験で国家というものが自分の体の中に入っていったということなんです。

金子 そのときの1句が「友を焼く鉄板を担ぐ夏の浜」ですね。私は中曽根さんほど強烈な体験はしていない。トラック島は私が赴く直前に米軍から空爆を受けてすでに焦土と化していたから。だから年中受け身の戦いばかりして、爆弾を落されていました。

 私は戦後引揚げのときに「水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る」と作りました。受け身で死んでいったトラック島の仲間たちを思うとどうしても戦争反対の気持ちになりましたし、国を思うという中曽根さんのような強い気持ちにはならなかったんですね。それが戦後の中曽根さんと私の歩き方の違いになっていくんでしょうが。

■巡洋艦の上で書いた「古池や蛙飛び込む水の音」論

金子 ところで中曽根さん、巡洋艦の甲板で「芭蕉論」を書いたっていうのは本当ですか。

中曽根 ええ、昭和16年8月、「青葉」に乗って土佐湾沖で訓練をしておったときに、いつ戦争になるか分からんので何か書き残しておこうと。

金子 どんな論だったんですか。

中曽根 有名な「古池や蛙飛び込む水の音」についてなんです。この俳句には「幽玄静寂」という解釈が主流です。蛙が飛び込んで、静寂を破った、そんな静かな世界だとみんなとっている。しかし、蛙が池に飛び込んで水の音がするというのは春が来る大自然の躍動、生命の躍動の世界なのだ、と。そんなことを書きました。

金子 ああ、それはいいな。今はだんだんそういう解釈になってきているんです。戦前、高浜虚子も、蛙は春の季語で交尾期。元気のいい蛙の季節なのだ、と書いています。中曽根説と似ています。

中曽根 私も青春時代ですから血が通って燃えています。だから静かに捉えるだけでは満足できなかった(笑)。

金子 いい話だなあ。戦争中に侘(わび)とか閑寂ではないという解釈がすでにあったというのは非常に面白い。その原稿は残っているんですか。

中曽根 内務省の大先輩で私を採ってくれた町村金五さんに手紙と一緒に送った文章ですから、私の手元にはもうないんですよ。

金子 うーん、もったいねえなあ。見つかったら「文藝春秋」に載せたらいい。

■初当選で一句「この花を母にそへたきあやめかな」

金子 戦後は内務省に戻った後、政界に打って出ますね。どんな心境だったのですか。

中曽根 内務省ではGHQのアイケルバーガー中将の司令部との連絡官をやっておったけども、連中は我々役人の言うことは全然相手にしないんです。アメリカを相手にするには人民の背景がなきゃダメだと。それで国会議員になろうと思ったんです。ちょうど公職追放令が出て、私の選挙区に空きが出た。もちろん相手も子分を出しますから選挙で戦いましたが、戦争から帰ってきた青年将校のほうが魅力があったようで、当選できました。

金子 初当選の句「この花を母にそへたきあやめかな」。これはやはり初当選の喜びを母に伝えたいというお気持ちだったのですか。

中曽根 そうです。亡くなった母に供えたいと。この選挙で私を応援してくれたお母さん方、ご婦人たちに自分の心境を示すものとしてこの句を披露した。それを機に中曽根後援会の婦人部隊が「あやめ会」という名になり、以後実に強力な部隊となりました。俳句の力を思い知りました(笑)。

金子 「そへたき」という言葉には「捧げる」といった言葉が持たないやさしさがありますね。中曽根俳句には自ずからそういう言葉が出てくる。俳句を作るときは変に字引きを引いたりして言葉を探すようなことはなさらないでしょう。

中曽根 ほとんどしません。最初に浮かぶ言葉がいいことが多いですね。

■政界の俳句名人・大野伴睦「観音の慈顔尊し春の雨」

金子 季語の使い方も自然ですね。私は俳壇の中でも季語にこだわらない側なんですが、中曽根さんは季語にこだわらずに、しかし自然と自分の体の中にある季語を出しているような気がします。その点も共感を覚えます。

中曽根 俳句のもとが情感に触れて言葉として湧き出るんですよ。それが野暮な言葉であったり、粗雑な言葉であったのを頭の中で直して、整えて外へ出す。これが私の俳句作法でしょうかね。

金子 政治家でも俳句をする方が結構います。私も随分読んだけど中曽根さんのように一種の内面の力というかな、言霊をつかむ力を感じた人はなかなかいない。その点、大野伴睦さんの句風に似ているところがあるかもしれませんね。

中曽根 大野さんは保守本流を鳩山一郎さんと形作ろうとした戦前派で自民党の副総裁も務められました。「観音の慈顔尊し春の雨」なども自然にできた感じの句ですね。

金子 文藝春秋の句会にもよく顔を出していたと聞きますが、句碑もたくさんあるんです。全国に20くらいあるんじゃないですか。中曽根さんが引かれた「観音」の句碑は鎌倉の長谷寺にあります。俳号もありまして伴睦をもじった「万木」。私の記憶で、いささかあいまいなんですが「大空を仰いでいたるあぐらかな」なんていう無季の句も平気で作っていたと聞いています。真偽は別として、いかにもこの人らしい句だと思うんですよ。お世辞に聞こえてしまうかもしれませんが、やっぱり言霊に対する力を持つ方でないと、政治家としても一流になれないんじゃないでしょうか。

■自分と対象との距離を測り合う「目測力」こそ俳句の力

中曽根 政治家は演説や国会答弁で自分の思っていることを簡明かつ印象的な言葉でスパッと言わなければならない。俳句をやっていると、その感覚は非常に磨かれますね。  私はよく宰相に必要な4つの要素として目測力、結合力、説得力、国際性を挙げているんですが、特に結合力というのは俳句をやっていることで身につきました。

金子 目測というのも自分と対象との距離を測り合うことですから、俳句的な姿勢と言えるかもしれませんね。

中曽根 総理大臣ともなると外交の決断をしたり、法案の提出によって事態がどういう運命を辿り、転がされ、どんな障害が予想されて終りはどうなるか、ということを目測しなければなりません。その感覚を磨いておくことが必要なのです。

◆ 後編 につづく

写真=近藤俊哉/文藝春秋

(「文藝春秋」編集部)

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