将棋のプロを目指して……沖縄出身の知花賢さんが18歳で異例の奨励会入りした理由

将棋のプロを目指して……沖縄出身の知花賢さんが18歳で異例の奨励会入りした理由

沖縄県出身者初の棋士を目指していた知花賢さん

 トッププロの対局とは別に、注目を集める将棋の対局がある。主要大会で好成績を挙げたアマチュアが、プロ公式戦に挑む「プロアマ戦」だ。

 タイトル序列1位の竜王戦にもアマ枠があり、今期は6人のアマが出場している。昨年、東西対決で“アゲアゲさん”こと折田翔吾さんを破って全国支部名人に輝いた知花賢さん(33)もその1人。初戦では高野秀行六段に勝って、次は2月15日に青野照市九段戦を控えている。

 知花さんは沖縄県那覇市で育ち、高校卒業後に上京し18歳11か月で奨励会に3級入会。年齢制限ギリギリの26歳の誕生日に三段昇段を決め、三段リーグを5期戦って退会したという変わった経歴を持つ。そんな知花さんに、奨励会時代や将棋講師として生計を立てる日々について聞いてみた。

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◆ ◆ ◆

■竜王戦の持ち時間は5時間

――竜王戦6組では高野六段に勝利しました。奨励会三段時代に加古川青流と新人王戦、アマになってからは朝日杯でプロ公式戦を経験していますが、いずれも持ち時間は短い棋戦です。持ち時間5時間の竜王戦は未経験でやりにくくなかったでしょうか。

知花 いえ、1時間とか短い持ち時間ですと、緊張して頭が働かないうちに終わってしまうような気がして、自分としてはやりにくいです。5時間は初めてでとても楽しみでしたし、勝ちたいと思っていましたね。

――1時間しか使わずに勝ちましたが……。

知花 相手の持ち時間も考えているし、1時間の持ち時間とは全然違います。後でもっと考えたいときには時間がたくさん残っているという心の余裕も大きいですね。

■将棋は強いほうが勝つと思っている

――高野六段との対局に向けてどんな準備をしましたか?

知花 前日は練習しようと、都名人戦の予選に御徒町将棋センターに行きました。賞金大会として有名で、強い方が参加するのです。初戦で、元奨励会三段の方と当たって負け。たった1局で終わってしまい、別の奨励会時代の知り合いとランチして帰りました。気を取り直して、家で勉強しました。

 高野六段が今期好調なのは知っていて、どうして好調の先生と当たるんだと少し思いましたね。得意戦法が矢倉のようなので、矢倉の研究をしました。でも、当日、振り駒で自分が先手になって。あれ、相手が矢倉にできるかどうか、こちらに選択権があるのではと。矢倉を教わるつもりが、逃げて角換わりに。いや、全然対策できてないですね。

――先後どちらの場合も考えて入念な準備をするタイプではない?

知花 相手の対策はあまりしないです。将棋は強いほうが勝つと思っていて、自分が強くなればいいと思っていました。奨励会時代というか、入会前からずっとそうです。準備不足でひどい将棋を指して、反省したこともあるのですが……。

――次戦、青野九段戦に向けては?

知花 青野九段は優しい先生で、記録係をしていて終電がなくなったときに夜食代をいただいたことがありました。お世話になった先生に教えてもらえるのは楽しみです。

■「大丈夫なんて言わなければよかった」と後悔

――退会後アマになってからプロ公式戦は3勝2敗です。折田アマのようにプロ編入試験を目指す考えはありますか?

知花 もっとプロの棋戦で勝てたら考えるかもしれません。プロアマ戦のように、下の立場の者が上に挑戦して勝つということには憧れを持っています。

――1年半前の朝日杯では、大橋貴洸四段(当時)に勝って注目されましたね。知花さんは関東在住なのに関西のブロックに入りました。

知花 連盟から「大阪対局でも大丈夫か」と連絡がきて、「どちらでも大丈夫です」と返信しました。そうしたら当時勝率2位の大橋四段と当たることになり、「大丈夫なんて言わなければ良かった」と後悔しました(笑)。1週間前には新しいスーツを買って気合いを入れ、大橋四段得意の角換わりを勉強しようと棋書も買いました。前日に藤井聡太七段と八代弥六段(当時)の新人王戦の中継があり、それを見ながら角換わりの勉強ができたのも良かったです。

 今回の竜王戦・高野六段戦のときも新しいスーツで、前日は藤井七段の朝日杯があって、中継を見て勉強しました。スーツと前日の藤井七段の対局は幸運を呼んでいるのかもしれません。

 大橋四段戦勝利の夜には、AbemaTVで藤井七段のフィッシャールールの早指し戦が放送されて見ていました。自分が考えた手が次々当たり、その日は1日冴えていました。教室の生徒さんも喜んでくれたのですが、小学生の強い子には「意外だった」と言われ、先生を舐めるなと思いました。

――主要アマ大会で全国優勝すると得られる三段リーグ編入試験の権利は、昨年支部名人戦で優勝して獲得しました。そのときは編入試験を受けませんでしたが、迷ったりしませんでしたか?

知花 ……権利があったんですね。気が付きませんでした。

■本格的に将棋に興味を持ったのは中学から

――話は戻って、子どもの頃のことを聞かせてください。奨励会に入ったのが18歳と遅いですが、将棋を始めたのも遅かったのですか?

知花 小学校2年くらいの誕生日に将棋セットを買ってもらったのが、将棋を知った最初だったと思います。家族が将棋好きだったわけでもなく、戦法も詰みも分からないまま、玉を取るゲームだと思っていました。

 小学校3年のときに友達に誘われて、少年野球のチームに入ってからは、野球中心の毎日に。強いチームで、首里地区大会、那覇地区大会、沖縄県大会と勝ち抜いて九州大会に出場したりしました。もちろん練習はハードで、土日は朝8時から夜は7時くらいまで練習漬け。

 本格的に将棋に興味を持ったのは中学に入ってから。新しくできた友達が将棋好きで、電話帳で将棋道場を探してくれ、一緒に行ったのが初めての道場でした。道場初段のおじさんに六枚落ちで指してもらい、「6級くらい」と言われました。それが将棋の魅力にはまった最初です。

――それからは、道場通いを始めたのですか?

知花 それが、中学でも野球部に入っていて、やはり強豪校でしたからヘトヘトになるまで練習する毎日でした。せっかく将棋を好きになったのに、月に1回くらいしか道場に行けませんでしたね。野球の試合でコールド勝ちすると早く帰れて、道場に行けるのが楽しみでした。野球への情熱は冷めて、かわりに将棋に気持ちが移っているのは感じました。

 部活引退の中3の夏からは、みんなが受験勉強する中、将棋道場に通って思う存分将棋をしました。高校に入る頃には初段になっていました。

■高1で将棋の全国大会ベスト8に

――高校では本格的に将棋を?

知花 高校でも野球部に入ってしまって。でも、将棋のせいか、野球に必要な目は悪くなるし、道場のタバコの煙で鍛えてきた体力も落ちた感じがしました。高1の夏前に、道場で知り合った人に勧められて、初めて学生の大会、高校竜王戦の県予選に出ました。野球と違って、県大会だというのに自分を含めて5人だけ。自分が初段であとの4人は三段の総当たり戦で、優勝して福岡で行われた全国大会に行きました。そしてベスト8に入りました。

――高校の全国大会で上位に入る子は、たいていは中学から全国大会に出ていますから、急激に力をつけたのですね。

知花 そうですね。自信になって、将棋の才能があるのではないかと思いましたね。競技人口も少ないし、野球より上に行きやすいかもしれないと。そして、野球をやめる決心をしました。部員みんなの前で、やめますと挨拶をして退部。野球への情熱は冷めていたはずなのに、野球部に再入部する夢を見たりしました。

 高校将棋の全国大会には何度も行き、最後、高3の高校竜王戦では全国3位に入り、将棋の強豪大学からスカウトもされたのですよ。

■「知花ならプロになれる」

――その大学に行こうとは思わなかったのですか?

知花 大学に行くための勉強をして来なかったし、中学の時の先生に「勉強したいことがないのに、大学に行っても意味がない」と言われたことが心に残っていて、行こうとは思いませんでした。進学実績になるからか、高校の先生からは行くようにかなり勧められましたけれど(笑)。高校を卒業したら、どうするか何も考えてなかったんです。

――奨励会に入ることにしたのはどうしてですか?

知花 高校3年間で強くなって、一般の大会でも優勝して県代表になり、沖縄ではトップクラスになっていました。そんな私の面倒を見てくれる人もいて、車で道場や大会に送り迎えしてくれました。沖縄は交通の便が良くないので、ありがたかった。徹夜で将棋を指して、そのまま大会に行くこともありましたね。

 その人が、沖縄県出身者で初めて奨励会三段になり、年齢制限で退会して戻ってきたばかりの城間春樹さんと引き合わせてくれました。高校2年か3年の時です。城間さんとはたくさん指し、最初のうちはずいぶん負けました。その城間さんが「短い期間で環境も良くないのに、よくここまで強くなったね」と褒めてくれ、「知花ならプロになれる」と言ってくれました。他にも奨励会受験を勧めてくれる人がいて、将棋連盟の沖縄県支部連合会の当時の会長さんが、所司和晴七段を紹介してくれることになりました。高校を卒業して1週間で上京しました。

■奨励会には小中学生で入るという“常識”を知らなかった

――沖縄にいた頃は将棋が強くなる環境に恵まれてなかったのでしょうか?

知花 道場にもたくさんお客さんがいるわけではなく、同じ人とずっと指していることが多かったです。その中で相手の長所を吸収していく感じ。プロ棋士もいないから指導を受ける機会もありません。教室もなかったので、道場にあったNHK将棋講座のテキストで戦法を覚えたりしました。でも、そのとき自分より強い人と指して教えてもらうこともたくさんできたし、良い人が周りにいて環境に恵まれていたと思います。

 知花さんから、高校を卒業する直前に「全国レーティング選手権沖縄県予選」で優勝したときの、地元紙に掲載された観戦記を見せてもらった。奨励会を3級受験する予定であることが紹介され「才能は高い評価を受けているから、合格を信じて疑わない」「沖縄県内の大会に参加するのも最後かもしれない。プロ入りしてそうなってほしい」など、沖縄の将棋関係者から応援されていたことが分かる文章が並んでいた

――18歳で奨励会に入るのは遅すぎると言われなかったですか?

知花 それが言われなかったんです。沖縄には、小学生から将棋漬けで奨励会に入るなんて子はいませんでしたから、奨励会には小中学生で入るのが当たり前という“常識”を知らなかったんですね。自分としては、将棋が好きなので、大学とか専門学校の代わりに奨励会に入るような感覚でした。

■最初は沖縄時代の知り合いと5人の共同生活

――親御さんに反対されませんでしたか?

知花 両親は1歳のときに離婚しました。母とは離れ、父の側に引き取られました。その父は仕事をしないで家に帰らないことも多く、進路について相談する相手ではなかったんです。祖父母と叔母に育てられたのですが、勝手に東京に出てきた感じです。祖母は心配して電話してきたし、よく食べ物を東京に送ってくれました。叔母も、最初のうちは仕送りをしてくれました。

――生活に困りませんでしたか?

知花 最初は1Kロフト付きの部屋で沖縄時代の知り合いと5人の共同生活でした。高校時代のバイトで貯めたお金はすぐになくなってしまい、所司先生の紹介で佐倉市の将棋道場でアルバイトをして食いつないでいました。その道場の席主さんは、沖縄から1人で出てきた私のことを心配し、世話を焼いてくれました。そして家賃も取らずに居候させてくれる方を紹介してくれたのです。将棋好きのその方の家で、1年くらいお世話になり、少しは貯金もできてから一人暮らしを始めました。

写真=山元茂樹/文藝春秋
撮影協力= ボードゲームカフェ「チャレンジ4」

「情熱を持ち続けるのは難しい」棋士を目指す奨励会で感じた”プロになれる人との差” へ続く

(宮田 聖子)

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