M-1でブレイク すゑひろがりずが語る原点「『29歳やし、もう解散や』からの狂言風漫才」

M-1でブレイク すゑひろがりずが語る原点「『29歳やし、もう解散や』からの狂言風漫才」

すゑひろがりずの南條庄助さん(左、ツッコミ&小鼓担当)と三島達矢さん(ボケ&扇子担当)

M-1神回の舞台裏 すゑひろがりずが目撃 「ミルクボーイは待ち時間もずっと練習してた」 から続く

 史上最高と言われる2019年のM-1。何が神回を作ったのか。出演した漫才師たちへの連続インタビューで解き明かしていく。

 一風変わった雅やかな雰囲気で大会を盛り上げた「すゑひろがりず」。彼らはいかに狂言風漫才に辿り着いたのか? そして大舞台を経験した今思うこととは?(全3回の3回目/ #1 、 #2 へ)

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■「全員がすゑひろがりずの決勝はないと思ってた」

――そもそも、すゑひろがりずに関しては、M-1では圧倒的に不利だと思っていました。和装に小鼓となると、M-1のような本寸法の漫才コンテストでは、どうしてもイロモノに見られがちじゃないですか。正直なところ、よく決勝の舞台に選ばれたなと。

南條 それは僕らも思いました。そこを打ち破りたいと思いつつやってはいましたけど。

――決勝進出者の発表のとき、お2人は最後の9組目に呼ばれたんですよね。8組目までに自分の名前が呼ばれなかったときは?

南條 まあ、そうやろな、と。もうないと思ってました。ほんとに。

三島 和牛さん、アインシュタインさんもまだ呼ばれていなかったので、どちらかだろうと。

――それだけに名前を呼ばれたときはびっくりされましたか。

南條 びっくりですよ! どこからか、えっ? って声が上がってましたから(笑)。

三島 あそこにいた全員が、すゑひろがりずはないと思ってたと思うんで。

■M-1に漂う“テツandトモ”トラウマ

――鳴り物を使う決勝進出者は2002年、第2回大会に出場したテツandトモ以来でした。そのテツandトモは、当時、審査員を務めていた立川談志に「お前らはここに出てくるやつじゃないよ。もういいよ」と、ある意味で、場違いだと宣告された。そのトラウマが今もM−1にはあると思うんです。

三島 あの時のシーンは過ぎりましたね。直系のお弟子さんである(立川)志らく師匠が審査員にいらっしゃいましたからね。でも、志らく師匠も92点で、まあよかったみたいな感じだったので安堵しました。

――先ほどイロモノのように見られると言いましたが、じつは、漫才のいちルーツと言われる江戸時代に流行した三河万歳は、お2人のような形だったわけですよね。和装で、小鼓と扇子を持って、祝いの席でお祝いの言葉を唱えるという。じつは邪道どころか、王道と言ってもいい。

南條 のちに調べて知ったことなんですけどね。やり始めたときは、そんなことまったく考えていなかったので。

――すゑひろがりずは、もともとトリオだったのが、11年に1人が抜けて現在の2人になった。

■「29歳やし、もう解散や」からの「狂言風クリスマス」

南條 あの頃は、暗黒時代ですよ。2人で再出発した時、もう29歳でしたから。ラストチャンスやと思ってたのに2人になってもうまくいかず、「もう解散や」ってなって、劇場のオーディション受けるとき、じゃあ、最後やし、ちょっと変わったネタでもやるかみたいな雰囲気になったんです。それで、ノリでやった「狂言風クリスマス」というのがけっこうウケて。そのときたまたま一緒に出たミルクボーイの駒場(孝)さんからも「自分ら、それ本ネタにしたほうが良いで」って言われて。そこから寿命を延長、延長、延長してきたみたいな感じなんです。

――狂言風の漫才にたどり着いたのは、何かきっかけがあったんですか。

南條 何もないです。ライブの日がクリスマスやったんです。で、クリスマスのショートコントやろうかみたいなん言ったときに、ポッと。狂言クリスマスってどやみたいな。

三島 南條は最初から狂言っぽい言い回しがうまかったんです。いよ〜みたいな。

南條 適当にやったら、それがすごいウケて。オーディションにも受かって、2人ですぐに着物を買いに行きました。

■小鼓ポンッは「サッカーのPKみたいなもん」

三島 小鼓を買ったのは、その1年後ぐらいですかね。

南條 アマゾンで買ったんですけど、これ、なかなかいい音が鳴らないんで、めっちゃ練習しました。

――(試しに記者も叩かせてもらうが、音がまったく響かず)あっ、難しい。音が割れちゃいますね。

南條 マジで難しいんですよ。これ、絶対、書いといてください。

――みんな簡単に鳴るものだと思ってますよ。

南條 そうでしょ。ネタの後で、ポンッていい音を出すの、じつは高等技術なんです。最初、「すゑひろがりずと申します」って自己紹介した後にポンッって鳴らすんですけど、一発目のポンがいちばん緊張する。そこで外したら、いきなり変な感じになりますから。M−1決勝で登場のときに階段を下りながら叩いたのも、じつは、自己紹介に入る前に、試しに叩いておきたかったというのもあるんです。

――サッカーのPKみたいなもんなんですね。練習ならいくらでも入れられるけど、いざ試合になると緊張から外すこともあるという。

南條 ほんま、それですわ。

――準決勝、決勝で、すゑひろがりずは合コンのネタを披露しましたが、3回戦、準々決勝は違うネタでした。合コンネタは準決勝まで温存しておいたのですか。

南條 いや、合コンのネタは、いちばんやり慣れてはいたのですが、けっこう動きのあるネタでマイクから離れちゃうんで、使うのを控えてたんです。

三島 細かい話なんですけど、準々決勝会場のニューピアホール(竹芝)は、けっこう広くて、センターマイクに声をちゃんと入れないと客席に伝わらないと思ったんです。なので、ニューピアホール用に動きの少ないネタを一つ作っていて、それで準々決勝を突破できたんです。

南條 今年の目標は、準決勝進出だったんです。なので、そこでひとまず目標を達成できた。それで、さて、次のネタ、どうしようかなと。そうしたら、周りの人に、合コンのネタがあるやんみたいに言われて。ただ、準決勝もニューピアホールだったので、マイクからあんまり離れないよう、ニューピア仕様に仕上げ直したんです。結果的に、それが当たりました。

■「嫁さんには14年分、恩返しせなあかん」

――ちょっと話は変わりますが、お2人とも結婚されているんですよね。

南條 そうなんです。

――決勝に進出したことで、2人ともバイトを辞め、今は芸人としてのお仕事に専念できる環境が整ったと聞いております。奥様はさぞかし喜んでいらしたでしょうね。

三島 ほんと喜んでましたよ。

南條 僕は嫁さんとは芸人になる前から付き合っていて、14年間、頼り切りだったんで。これから14年分、恩返しせなあかんとは思ってるんですよ。

――『M−1アナザーストーリー』(朝日放送)の最後のシーンで、ミルクボーイの駒場さんが、奥様に、両親が大喜びしている動画を見せてもらって号泣するシーンがあったじゃないですか。今回出場したコンビには大なり小なり、同じような物語があったんでしょうね。

南條 あのシーンは芸人は全員、泣いたんじゃないですか。

三島 売れているごく一部の芸人を除いて、全員、あれなんですよ。

( 【初回】 すゑひろがりずが振り返るM-1「かまいたちさん、和牛さんの後は僕らに行かせてと思えたワケ」 へ)

写真=山元茂樹/文藝春秋

すゑひろがりず/三島達也(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。大阪NSC28期の同期生。

別々のコンビを経て2011年に結成。14年、東京に活動拠点を移す。14、15年にキングオブコントで準決勝進出。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、芸風に合っていなかったため、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。2016年、2018年にM-1準々決勝進出。2019年初のM-1決勝で8位に。

(中村 計)

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