簡単な希望を与えてしまったら嘘になる。それでも人は夢を見る──「作家と90分」彩瀬まる(後篇)

簡単な希望を与えてしまったら嘘になる。それでも人は夢を見る──「作家と90分」彩瀬まる(後篇)

彩瀬まるさん ©鈴木七絵/文藝春秋

( 前篇 より続く)

■女性が産卵するのが当たり前の世界で、卵を産まないということ

――短編集 『くちなし』 の中の最後の「山の同窓会」では、たいていの女性は産卵するのが当たり前で、なかには身体的特徴から産まずに乳母になる人もいる、という世界の話。3回産卵を果たした女性は力尽きて死ぬといわれるなか、3回目の産卵を迎えた女性が多数いる同窓会に、まだ一度も産んでいない主人公が顔を出します。周囲は彼女を奇異の目で見るんですよね。

彩瀬 これは、自分が同窓会に行った後だったんです。30代ってそれぞれの人生がかなり分かれていく時期で、なかには「なんとなく今までも違和感を持っていたけれど、どうやら自分は恋愛をしたり家庭を持ったりといった、ステレオタイプな幸福には向いていない性質らしい」と自覚しはじめる人も出てくる。20代の頃だと「周りも結婚しているし結婚しなくちゃいけない気がするけれど、なんか違うぞ」という迷いがあったのが、30代くらいの同窓会になるとみんな、それぞれの人生に慣れてきている感じもありました。そういうことがあって、出てきた話でした。

――主人公は自分がこの先どう生きるか分からずにいる。

彩瀬 しかも自分の意思で決められるわけでもない、という。自分の意思で決められないことを書こうとしていた気がします。今、私の夫は男性だし、今まで恋をしてきた相手はたまたま男性なんですけれど、それは私がどこかの時点で決めたことではないので。「花虫」を書いている時も、自分の意志で選択できることと、自分の意志で選択したわけではないけれども、ずっと付き合わなきゃいけないことってあるなという感覚でした。それが連作の後半になるにつれて浮上してきたように思います。

■同窓会に来ない人も、違う場所で生きている

――これは同窓会に出席した人たちの話だけでなく、後半にすっかり姿を変えた男性の同窓生、ニワくんという人も登場しますよね。

彩瀬 同窓会のシーンは、みんな薄ぼんやり粒がそろっている感じじゃないですか。そのコミュニティの中で自分をどう活かすかという視点だったので、コミュニティから全然外れたところで人生を昇華する人を書きたかったんです。

 現実でも、同窓会に行っても来ない人もいるし、その人たちはまた全然違うところで生きている。ただ単純に全然違う人生を生きている人がいるということを出したくて、ニワくんを書きました。

――ああ、確かに前半では主人公はコミュニティから外れているのかなと感じさせるけれど、ニワくんが登場することによって、さらにその外側にいる人も存在すると感じさせますよね。

彩瀬 分かりやすい共通項でくくった中に自分もいると思うと、安易な安心を得られるというか。学生時代って分かりやすい共通項が出現する前だったから、みんな同じ教室にいたわけですよね。それで可能な限り人の話を聞こうとしたり、聞いたり言ったりできなくて傷ついたりしていた。学生時代の、そういう個人の性質を超えて枠で囲うというのは暴力的なことであり、その後それぞれの道を行って別れ別れにならざるをえなくなる。でも、どこかでお互いの違いを認識しながら同窓会ができたらいいな、という望みもありました。

■皮膚と毛穴と毛の関係は植物に似ている

――2010年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞したデビュー短篇 「花に眩む」(電子書籍あり) も人の体に植物が生える世界の話でした。少し前、その頃はうまく書けなかったものを『くちなし』で書けた、とおっしゃってましたよね。

彩瀬 私は書く時に自分が感じたことや見たものを核として使うことにしているから、現実から離れないでいるのかなと思います。「花に眩む」は、身体に植物が生えることで「老い」を表現したかったんです。自分の老いが明らかに目に見える世界ということですよね。他人の老いも見えて、「もうすぐこの人死ぬな」とか分かる世界で人はどんなふうに生きるんだろうということを書いてみたかったんですけれど、たぶん、頭が追いつかなかったんです。だからちょっと曖昧な恋愛話で終わってしまった。たしかどこかの時点で、皮膚と毛穴と毛の関係を植物っぽいなと思った時期があったんですよね。草が生えているのと似た構造だなと思って、そこから人間の体を土だと見なす視点が私の中にありますね。

――そういえば、植物が登場する作品が多いですね。今回のゴーヤなどもそうですが、 『桜の下で待っている』 も桜だけでなく各章で印象的な花は出てくるし、『骨を彩る』も最後のイチョウのイメージが強い。初の小説単行本の 『あのひとは蜘蛛を潰せない』 (13年刊/のち新潮文庫)も、ベランダの外のサザンカが強烈な印象に残っているし……。

彩瀬 植物が好きなんですよね、たぶん。ただ、きれいなものというより、獰猛なものであるとか、主人公とはまったく関係なく生えているものというイメージで使っていることが多い気がします。あまり耽美的なイメージでは使っていないですね。

■グロテスクなのにどこかに美しさがある

――そうですね、彩瀬さんの描写は時にグロテスクだったりしますよね。でもグロテスクなのにどこか美しさがある。

彩瀬 ありがとうございます。美しさにこだわりを持って書いているわけではないんですが、もしも私が小説の描写に美しさを宿せているとしたら、それは昔から読んできた川上弘美さんや、辺見庸さんや、浅田次郎さんたちという、文章を作るうえで私のベースとなった方たちの描写が美しかったから、そこで学ばせていただいたのかなと思います。それと、私もそうなんですけれど、残酷でひどいことを読んだ時に、ちょっと興奮しません(笑)? そういう時の高揚が、美しいもの、鮮やかなものを見たような印象になるんじゃないかなと思います。

――本作で描かれるディスコミュニケーションもそうですが、彩瀬さんはままならないものをテーマに描きながらも、決して絶望のどん底に突き落とすような書き方はしませんよね。かといって、簡単な希望も与えない。

彩瀬 簡単な希望を与えてしまったら、だいたい嘘になりますよね、こういうテーマって。ただ、それでもクラスの中で一番遠い立ち位置だった人と、いつか傷つけあわずにお茶が飲める日を夢想するじゃないですか。一番職場で仲が悪かった人とも、だいぶ時間も経ったし、今ならちょっとくらいあの頃よりましな会話ができるのかなって。そういう夢は見ますし。

――ほう。それで実際お茶してみて、「やっぱりあの人のことは嫌いだ」という経験はありませんか(笑)。

彩瀬 あります、あります(笑)。でも「嫌い」って、そこまで傷つかないというか。相手との違いが明確になって、「あ、この人とは離れたほうがいいんだ」と理解できた時って、なんだかすごくすっきりします。逆に関係性の整理ができていないと、「この人とうまくいかないのは、もしかしたら私が悪いの?」などと思ってしまって、すごく嫌な思いをします。そういう気持ちの整理がつくといい、ってことなのかな。大人になったらお互いに触れたくない人には触れず、触れるべきところは触れられるようになると信じて大きくなるけれど、まあ、できないですよね(笑)。そういう嫌なこともひっくるめて、完全な断絶ではなくて、そこそこみんな大人として連帯できたらいいね、と思っているのかもしれません。

■書く前にはまったく答えがわからなかった『やがて海へと届く』

――これまで書いてきた作品はどれも大切なものだと思いますが、これは転機になった、これが書けたことは大きかった、と思うものはありますか。

彩瀬  『やがて海へと届く』 (16年講談社刊)かな。やっぱりあれは難しかったんですよね。

――3年前の震災以降行方不明になり、おそらく被災したと思われる親友を想う女性のパートと、ひたすら歩く女性が出てくる幻想的なパートから成る物語ですよね。彩瀬さんは3・11の時にたまたま福島を旅行中で被災されていて、その体験は 『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』 (12年新潮社刊)にも書かれていますが、その体験を通して感じたことが反映されていますよね。

彩瀬 あれは主人公がはじめに持っていた、死者に対する申し訳なさや、主人公が抱えている問題に対して、ひとつの答えがある話ではなかったんです。亡くなった死者の旅のほうも、どうすれば無念ではないのか、決して答えが出るものではなかった。書く前にはまったく答えが分からないものが、書くことを通して、一定の着地点が見えたというか。大きすぎるテーマを背負いながら書きましたが、ちゃんと最終的に小説になったということがよかった。そうか、そういうものなんだと分かったというか。お話を書くことでそれまで分からなかった領域が分かるようになるというか。

――今後はどのようなものを書きますか。

彩瀬 リアルなものを書いている時の書き方と、『くちなし』のような別のレールに乗っている時の書き方とが、この先どこかで交わるんじゃないのかなと思っていて。『やがて海へと届く』(16年講談社刊)の時に、リアルなことしか起こらない世界と、死者のものと思われる、幻想的な視点とが交互になっていましたよね。あれも何か分断されたものだったけれど、何か、もうちょっといくと、うまく混ぜる方法が分かってくるんじゃないかなと思っています。そうしたらはじめて私の世界観というか、文体が確立するんじゃないかなと思っていて。どういう形かは分からないんですけれども、完全にふたつの別々の書き方、というものにしておきたくなくて、今模索しています。

■「共存できない他者」をもっと掘り下げていきたい

――これまでは 『骨を彩る』 、 『神様のケーキを頬ばるまで』 、 『桜の下で待っている』 、 『朝が来るまでそばにいる』 (16年新潮社刊)など短篇集が多かったと思いますが、今後は。

彩瀬 これから先、長篇ばかり出す予定なんです。もう息切れしていて(笑)。夏の初めにKADOKAWAさんから長篇が出ます。これは『あのひとは蜘蛛を潰せない』と傾向は近いです。あれは母親という共存できない他者と最終的に距離を置くことで自分を持ち直す話ですけれど、その共存できない他者ってなんだろうという部分を、もう少し掘っていった感じです。肉親であるからこその期待を愛情と混同するとか、その人に会うと悲しい思いをするのに、その人に何かを求める、みたいな状態について書きました。

 今は「小説推理」さんで連載をしています。これはコミカルなものになります。その後、河出書房新社さんで中篇を書いて、これは肌から植物が生えます(笑)。その後「小説新潮」さんで長篇の連載があって。

 ひとつひとつ、「あ、うまく出来たぞ」みたいな気持ちよさがあるのは短篇なんですよね。短篇って短距離走みたいなものじゃないですか。私はもともと短距離走のほうが得意なんです。でも長篇を書いて、「しんどい、しんどい、しんどい、しんどい……」って思っていても、中盤を過ぎたあたりで、「これは短篇では辿り着かなかった領域だ」っていうのが見えることがあるんですよね、物語の進行とか深度について。だから短篇のほうが好きだけれども、しんどいけど長篇もたまにやらなきゃ、って思っています。

■読者からの質問

◆これまでにスランプってありましたか? また、そういう時はどうやって切り抜けましたか?(10代・女性)

彩瀬 だいたいいつもスランプです。もうどうしようと思いながら書いています。でもずーっと考えていてもなにも出ないので、そういう時は気になっている本を読むとか、映画を観るとか、歩くとかします。1回、手を放すことが大事な気がします。

◆こんにちは。 彩瀬まるさんのアクセントが分からないので教えてください! 友達に彩瀬まるさんの話をするときに、正しいアクセントが分からず、もやもやとしてしまいます。 ちなみに、僕は倖田來未さんと同じアクセントかなと思っています(なかなか思いつかなくてやっと出てきたのが倖田來未さんでした……)。(20代・男性)

彩瀬 倖田來未(発音を確かめる)。倖田來未……? どんなイントネーションでもいいんですけれど、「彩瀬丸」みたいに、舟の名前っぽく読むことはしないでいただけましたら。

◆3歳の娘がいるのですが、子供も寝ていざ読書しよう!と思ってもなかなか頭を読書モードに切り替えできません。小さいお子さんがいらっしゃる彩瀬さんは、どうやって頭を小説モードに切り替えてらっしゃいますか? (20代・女性)

彩瀬 締切に追われている時は、子どもが寝たら否応なく、“さあ書かなきゃまずい!”と仕事モードになるんです。家事はなるべく娘が起きている間にやってしまいます。一緒に踊っているふりをしながら洗濯物を干したり、踊ってるふりして追い立てて掃除機をかけたり。娘が寝たら、コーヒーを淹れるなどして、仕事ないし本を読む時間だと完全に切り替えています。飲み物とか、チョコレートなど、自分を甘やかすものをひとつ用意しておくのはどうでしょうか。

◆彩瀬先生の繊細な文体が大好きです。ファンタジー要素のあるお話でも凄く現実味を帯びていて、それでいて仄暗く、惚れ惚れします。 ファンタジー要素のあるお話を現実チックに書くコツ、もしくは気を付けていることなどがありましたら、教えてください!(10代・女性)

彩瀬 ファンタジー要素を現実的に書くよりも、現実の話をファンタジーチックに書くという意識のほうがいいですよ。現実に自分が感じた喜怒哀楽だったり、現実社会で自分が見つけた奇妙さを、より?き出しにするような形でファンタジーにするといいと思います。

◆自分以外の小説作品で、何が一番好きですか? また好きな作家さんは誰ですか? (30代・女性)

彩瀬 一番、一番。一番はその時によって変わったりしますよね(悩)。 『黒猫フーディーニの生活と意見』 という、新潮社の古い海外小説があるんです。猫が人間に飼われていて、犬と同居しながらいろんなことを考えたり感じたりする話です。それが、現実のやるせないものに対しての向き合い方が、すごく腑に落ちる小説で。同居している犬が具合が悪くなって病院に行く時に、その猫は「僕は病院が嫌いだ。でも今は僕もケージに入ってやる」といって、一緒に病院についていく準備をするんですよ。でも飼い主たちはそれどころじゃないし、犬だけ運んでいく。「どうして僕を連れていかないんだ、僕はあいつの頭の上に載って、あいつが具合悪くて落ち込んでいるなら、毛並みをなめてあげなきゃいけないんだ」と主張するんですけれど。

 私は日々の生活の中で、母親が病気で亡くなった時とか、何もできない無力さについて考えることがあったんですけれど、この本を読んで、この猫が正しい、って。何もできないけれど、何か自分はその人の傍らにいるべきだって確信することは、すごいんだなって、この本を昔読んで衝撃を受けて。それで、自分にとってすごく大事だった本というと、これが頭に浮かびます。

 好きな作家さんは、昔から、浅田次郎さん、川上弘美さん。

◆物語は、いつどのような時に作られているのですか? またご自身の体験を元に書かれているストーリーは? (30代・女性)

彩瀬 物語は、日常生活の中でなんとなく面白いものを見たなとか、あれが気になるな、というものを憶えていて。それで仕事の依頼や、編集さんとの打ち合わせがあると、「今の依頼だとあれはいけるな」みたいに思いますね。頭の中に無意識のうちにストックを作っておいて、相談や打ち合わせの中でこうしよう、と作っていくことが多いです。

 自分の体験については、シーンの細部に自分の体験を使うことは多いです。
 
◆小説家になっていなければ、どのような職業に就きたかったですか? 小説家になったきっかけは? (40代・女性)

彩瀬 もともと私は小売業からの転職組として、自分が望んで作家になったので、他の職業になりたかったという夢はないかなあ。作家になっていなかったら、たぶん元の仕事みたいなことを続けていて、新人賞に応募をしていたかもしれないし。昔、ゲームクリエイターになりたいと思ったこともありましたが、あれも一種、物語を作る仕事ですよね。でも今自分が作家として褒めてもらえている部分は、あの分野では生かせないなという予感があるので、単純な夢としてもみられなくなりました(笑)。

 中学の時に美術部に入ったら私よりも全然うまい人がいて、永遠に勝てないと思った時に別のことで人に勝てるものをと思って小説を書き始めたら、案外まわりが面白がって読んでくれたんです。あの中2の時が一番輝いていました(笑)。大学3年生の時に投稿生活を始めたんです。はじめて書いた中篇がすばる文学賞の3次までひっかかって、いけるかもと思って、その後も書いて応募していきました。

◆子供の頃、彩瀬さんはどのようなお子さんでしたか? (20代・女性)

彩瀬 気が強くて傲慢なタイプの子でした。身体が出来上がるのも早くて、運動もわりと得意で、優しいタイプではなかったです、たぶん。5歳から7歳がアフリカのスーダンで、7歳から9歳がアメリカのサンフランシスコだったんです。日本人がほとんどまわりにいない環境で、流ちょうに喋れるわけでもない英語で友達を作ってやっていかなきゃいけなくて。喧嘩とかが起こった時に、口が達者じゃないから、端的にガッと主張しなきゃ伝わらないという小学生時代を送ったので、気が強かったですね。

◆『くちなし』ではフェティシズムを爆発させたとおっしゃっていましたが、彩瀬さんにとってのフェチズムの魅力はなんですか。(30代・女性)

彩瀬 うーん、うまく説明できないけれど好きなものってあるじゃないですか、きっと。そのうまく説明できない部分を書くのが楽しいような気がします。そのフェティシズムを持っていない人が、それを読んだ時に「あ、これなかなかいいかも」と思ってくれるなど、他の人が新たな性癖に目覚めると、いいことをしたような気がします(笑)。

彩瀬まる(あやせ・まる)

1986年千葉県生まれ。2010年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、デビュー。著書に『あの人は蜘蛛を潰せない』『骨を彩る』『桜の下で待っている』『朝が来るまでそばにいる』など。ノンフィクション作品として、東日本大震災に遭遇した時のことを描いた『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』がある。

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※「作家と90分」彩瀬まる(前篇)──「愛なんて言葉がなければよかった」見たことのない景色に震える短篇集『くちなし』──から続く  bunshun.jp/articles/-/6366

(瀧井 朝世)

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