サラバ!――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

サラバ!――読書間奏文 藤崎彩織(SEKAI NO OWARI)

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 母がなにか本を貸してと言うので、私は部屋の本棚をぐるりと一周見上げて考えた。さて、どれを貸そう。

 私の部屋に本がたくさんあることを知っている母は、家にくると時々本を借りていくようになった。こんなふうに私のおすすめを聞いてくることもある。

 少し考えて、私は西加奈子さんの本を何冊か選んだ。

 西加奈子さんの小説の中には、よく関西人の家族が登場する。

『円卓』に出てくる家族も、『漁港の肉子ちゃん』に出てくる肉子ちゃんも関西人だ。

 そして私の両親も、大阪生まれ大阪育ちの生粋の関西人なのだ。

 とりわけ私が好きな小説『サラバ!』の中にも、天真爛漫な関西の母親が登場する。母が『サラバ!』を読む姿を想像して、私はつい笑ってしまった。『サラバ!』では、母親がクリスマスプレゼントの為に娘の欲しいものを聞こうと苦心するシーンがある。しかし頑なに「サンタさんにしか言わない」と繰り返す娘にしびれを切らして、母はつい、

「サンタはおらん!」

 と、娘の前で叫んでしまうのだ。

「サンタさんはいないのよ」

 でもなく、

「サンタさんは来ないのよ」

 でもなく、

「サンタはおらん!」

 と母は言う。

 そこまで言わんでもええやろ! と思わず私も関西弁で突っ込んでしまいたくなるシーンだ。

 標準語の「いない」に比べて、ぐっと雑で突き放したような響き。それでいて、なんだかぷっと笑ってしまう暖かさのある関西弁の「おらん」。

 西加奈子さんの本を母が読んだら、まるで自分を鏡で見ているような気分になるかもしれない。

「また随分と分厚い小説やなあ」

「きっと気にいると思うよ」

 母は家から持ってきたお惣菜を入れていた紙袋に『サラバ!』の上下巻を入れて部屋を出ていった。

?

 音楽スタジオも併設しているセカオワハウスと実家は車で二十分ほどの距離にあるので、母はご飯を持ってよく家に来てくれる。その日も味噌漬けにした魚や筑前煮、小松菜と油揚げの煮物を持ってきて、味噌汁まで作ってくれた。

 絶対に二人しか食べないと分かっていても、母はいつも五人前くらいの料理を作って持ってくる。突然の来訪があっても、

「お腹空いてへん? ご飯食べる?」

 と誰にでも聞ける状態にしておかないと落ち着かないというのが母の性分らしい。関西人というのはみんな鞄に飴やお菓子を入れては、隣にいる知らない子供にまで配ろうとしたりするような所がある。

 母に本を貸してからも、まだ仕事が残っていた。新曲の為にピアノのフレーズを幾つか作ってしまわなければいけない。私は電気ストーブをつけて、キーボードにパソコンをつないだ。部屋が暖まっても、鍵盤はひんやりと冷たい。

 私はピアノの音を録音しては消し、消しては録音することを繰り返した。長時間ヘッドフォンをしていると、耳が圧迫されて熱を持っていく。

 ようやく三つ程のフレーズが出来てメンバーにデータを送信している頃、時刻は既に深夜一時を過ぎていた。

 さあ、そろそろ終わりにしよう。

 ふう、と一呼吸してみても、頭はまだ冴えていた。一度何かを始めると私の頭はなかなか休憩モードにならないので、温かい飲み物でも飲んでからベッドに入ろうと思い、ゆっくりとリビングへの階段を降りていった。

 すると、数人の声がリビングから聞こえてきた。

「ウワーーー!」

「一人になったら殺されちゃうよー!」

 声から察するに、どうやら深瀬が友人を呼んでホラー映画を見ているらしかった。深瀬はよく家に友達を呼ぶので、リビングに行ったら色んな人がいる、ということは珍しいことではない。

 リビングの扉をゆっくりと開けると、電気が消されていて部屋は暗かった。数人の顔がテレビの明かりに照らされて白く光っている。

 ぼんやりと浮かび上がる怯えた表情。数人の顔、顔……その中に、なんと母の顔があった。

「イヤーー! そっちに行ったらあかんて! やめときて!」

 深瀬と深瀬の友人の中に、何故かひとり六十歳になる母が混じっている。

 彼らと同じように絨毯の上に座り、彼らと同じように胸にクッションを抱え、じっと食い入るように画面を見つめている。

 お母さん……?

 呆然としていると母は私の姿を見つけ、

「あら、まだ起きてたん?」

 と、けろりとした顔で言った。

 力が抜ける。お母さん、こっちのセリフやで……。

 母はホラー映画を最後まで見てから、深瀬の友人と互いに感想を言いあい、満足そうに実家に帰っていった。

 関西人はフレンドリーだとよく言われる。確かにそうだ。でも、母のこのパワフルなフレンドリーさには、長く一緒に過ごしてきた今でも驚いてしまう。

?

 二週間後、仕事を終えて帰宅すると再び母がキッチンにいた。母はキッチンで、持ってきた林檎を山もり剥いていた。

「この前借りた本読んだんやけど、面白かったわあ。でも『サラバ!』に出てくるお姉ちゃん、サオリの子供の時にそっくりやったよ」

「ええ? そうかなぁ……」

 母は何度も「ほんまにそっくりで笑ったわ」と言った。両親とも関西人だけれど、私は二人のような関西人ではないと思う。

 父のことを

「私のお父さんはやっぱり関西人だ」

 と思ったのは、中学一年生の頃だった。

 駅前にある小さな中華屋に行って、家族で外食をした夜のこと。

 食事を終えて店の外に出ると頬に当たる風が冷たく、私はマフラーをきゅっと締め直しながら家族と並んで帰路についた。閑静な住宅街の中を歩いていると、どこかから犬の鳴き声がする。

 家のそばにあるコンビニが眩しいほどに光っていた。父がアイスでも買って帰ろうと言うので、灯りの方へと歩いていく。

 そこで私はハッとした。

 コンビニの前には、学校一恐れられているヤンキーの鮫島先輩がいたのだ。

 鮫島先輩は足を開き地面にしゃがんだスタイル、所謂うんこ座りという体勢で、煙草を睨みつけるように目を細めながら、真っ白な煙を吐き出していた。

 うわ、目を合わせないようにしよう……。私はさりげなく目線を逸らした。

 少しでも気配を消したくて、足音が立たないように靴のかかとをほんの少し上げて歩いた。目をつけられている訳ではないけれど、それでも怖い。

 もし顔を覚えられてしまったら、何をされるかわからない。

 しかし私のささやかな努力は一瞬で無駄になった。

「にいちゃん、寒ないんか」

 父が鮫島先輩のことを突然にいちゃんと呼んだ。

 私は驚いて言葉を失ってしまった。に、にいちゃん……?

 何故だ。話したことも会ったこともないはずの父が、何故そんな呼称で先輩を呼ぶのだ。

 ちらりと視線を向けると、確かに先輩は薄着で寒そうだった。先輩は白い煙を吐きながら

「寒いっすね」

 と父に返事をしていた。

 私は不安になって、急かすように父のニットの袖を掴んだ。寒ないんか、寒いっすね。それだけ聞くと、まるで俵万智さんの有名な短歌のような温かいやり取りにも思える。でも、相手は問題児の鮫島先輩と、ただ思ったことを口にしているだけの父。そんな心温まるストーリーになる訳がない。

 そんな娘の気も知らず、父は喋り続ける。

「そやろ、もう冷えるからはよ家帰らんと風邪引くで」

「そうなんすけど、帰りたくないんすよ」

「そうかあ。まあ若いうちは色々あるやろなあ。でももうちょっとあったかい格好せななんぼなんでもその格好は寒いで」

「そうすね」

「体気いつけや」

 会話はそこで終わった。張り詰めていた空気が溶けて、ぶわっと体に血が巡っていく。

 父は何事もなかったように店内に入り、アイスのショーケースに向かっていった。右手にスーパーカップを持ち、左手にチョコモナカを持ちながらう〜んと首を傾けてどちらにしようか悩んでいる父を見ながら、私は思った。

 ああそうだ。私の父は関西人だった。

?

 関西人は、思ったことをすぐに口にする傾向があるように思う。一口に関西人と言っても色んな人がいるのは勿論だが、東京の人と比べると、頭と口が直結しているというか、ううんと悩んでいる時間が短いというか、とにかく思ったことをすぐ口にしているように見えるのだ。

 父は長蛇の列を見れば、

「みなさん、何を待ってはりますのん?」

 と見知らぬ人に声をかけ、黒塗りの車がずらっと並んでいるのを見れば、

「何でこんな小さな駅にヤクザがおるんやろ」

 とヤクザにも聞こえかねない音量で呑気に声に出してしまう。

 その度に私は驚き慌て、肝を冷やし、そして最後にはいつも気の抜けたため息を出してしまうのだった。

?

 私がバンドでデビューすると伝えた時もそうだった。

 お母さんお父さん、私のバンドのCDが出ることになったの。色んな店頭に並ぶんだよ。もしかしたらラジオやテレビで私の曲がかかるかもしれないんだよ。

 私が興奮気味に伝えると、父は喜びと驚きが混じったような顔でえええ〜と何度も言い、母はほんまに頑張ってたから良かったなあと目尻をぬぐった。

 でも、一呼吸置いてから急に真面目な顔をした父が口を開いたのだ。

「しかし、俺のディーエヌエーのどこかにそんな才能があったんやろか……?」

 するとそれを聞いた母がすかさず、

「何言うてんねん、あんたちゃうわ!」

 と言うのだった。

?

 ああ、力が抜ける。

 私の両親は、まるで西加奈子さんの小説に出てくる家族みたいなのだ。

(藤崎 彩織(SEKAI NO OWARI))

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