「習うより慣れろ」 オリックス場内アナウンサーのオープン戦回顧録

「習うより慣れろ」 オリックス場内アナウンサーのオープン戦回顧録

オリックスの元スタジアムアナウンサー・堀江良信

 オープン戦が始まり、いよいよペナントレースへの期待膨らむ3月です。プロ野球選手は、秋のキャンプ→自主トレ→春のキャンプを経てオープン戦に突入しています。実戦の感覚を保つためのトレーニングを欠かしませんよね。

 一方、球場の場内アナウンサーはというと、シーズンが終われば実戦から遠ざかります。暖かい沖縄でキャンプをしなければならない理由もなく、オープン戦が感覚を取り戻すためのトレーニングの場となるわけですが、チームにとって、戦力を見極めるための大事な舞台であるオープン戦は、選手の交代が頻繁に、しかも複雑な形で同時に行われたりします。また、新戦力も登場するため、慣れない名前に翻弄されること度々です(交代を告げる球審も、慣れない名前に戸惑う場面があったりします)。

 と言いながらも、プレーを止めるわけにはいきません。場内アナウンサーにとってはレギュラーシーズンよりヘビーな状況で業務を行うことになるわけで、この時期はまさにハードトレーニング。

 私は、オリックス・バファローズで9年間、スタジアムアナウンサーを担当させていただきましたが、最初の頃のオープン戦は恐々と臨んでいたのを覚えています。

■誰にでもある“最初”

 デビューしたのは、球団が合併し「オリックス・バファローズ」として新たなスタートを切った2005年でした。スタジアムでしゃべる仕事は、Jリーグの京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)で7シーズン担当していましたが、野球は中継リポーターなどの経験はあったものの、場内アナウンスは未知の世界。

 イメージしか持ち合わせていない私は、研修のため訪れたスカイマークスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)のオープン戦で、球団の担当職員の女性から「じゃあ、スタメンの発表やってみますか」といきなり言われ、驚きながら恐る恐るやってみて、ホッとしたのも束の間。「今度は、試合中のアナウンスもやってみましょうー」……ってアナタ。ニコニコしながら何ちゅう無茶振りを。

 こんな感じで研修がスタートしました。そう、「習うより慣れろ」。なかなかのスパルタです。オリックスの選手紹介といえば、ファーストネームから読む形が伝統。それを意識しながら、試合の流れを追いながら、やったことのないアナウンスを懸命に、形にしようとしました。

 しかし、コールのタイミングやリズムがつかめない。イメージはあっても、練習して臨んでいても、現場での本番で、自分というフィルターを通った時にうまく表現できないのです。思い切りも足りませんし、勢いのあるコールなんてとてもとても……。非常に歯がゆい思いをしました。

 初めてのアナウンスがたどたどしかったのは誰の耳で聴いても明白で、球場を訪れていたファンの皆さんには違和感を与えてしまったらしく、対戦相手のマリーンズサポーターからは試合のあと「がんばれ、がんばれ、DJ〜♪」と、暖かい洗礼を受けました。今では微笑ましくも思えますが、恥ずかしい記憶ですよね。

 ホームのスタジアムなのに、ブースの席が、マイクの前が、自分の居場所になるまで、試合の流れを掴むまで、なかなか落ち着いて仕事ができない。そんな状況で開幕を迎えたものです。でも、バファローズファンの皆さんは暖かかったなぁ。「ゆっくり見守ろう」そんな感じで構えて下さったと思います。おかげで9年という長きにわたり、のびのびとした環境の中で喋り続けることができたのではないかと思います。本当に楽しい日々を過ごさせていただきました。ファンの皆さんには心から感謝です。

■オリックス球団の「アナウンス」の系譜

 今年、オリックス・バファローズのスタジアムには、新人のアナウンサーが登場します。神戸佑輔(かんべ・ゆうすけ)さん。

“スタジアムDJ”という名称がこの国のスポーツシーンに出現した、初代のDJ KIMURAさんから数えて5代目です。2代目の谷口廣明さんは「ボールパークナビゲーター」。3代目の私は「スタジアムアナウンサー」。あとを受けた平野智一さんは「スタジアムMC」。そして神戸さんには“ボイス・ナビゲーター”という名称が授けられました。変遷を辿っていくと、球団が場内アナウンスをどのように位置づけ、表現したいのか……というメッセージ性も伝わってきそうですね。

 ファンの皆さま、デビューを控えた期待の新戦力を、戦う同志として温かい眼差しで見守ってあげて下さい。そして、バファローズの選手と同じようにご声援をよろしくお願い致します。

(堀江 良信)

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