松井秀喜氏を苦笑させた「横浜のマシンガン打線による12-13x大逆転劇」

松井秀喜氏を苦笑させた「横浜のマシンガン打線による12-13x大逆転劇」

38年ぶりのセ・リーグ優勝を決め、谷繁元信捕手と跳び上がって喜ぶ“ハマの大魔神”佐々木主浩投手 ©時事通信社

 1998年、プロ野球の横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一となった。引き金を引いたら止まらない「マシンガン打線」で相手をハチの巣にし、球史に足跡を残した。抑えの切り札「ハマの大魔神」こと佐々木主浩投手の最優秀選手賞(MVP)選出も、打ちまくってリードを奪う試合展開だからこそ可能だった。

 試合開催のない今、伝説となった1998年の横浜を象徴する一戦を振り返る。7月15日、横浜スタジアムでの巨人戦は、結果を知っていても繰り返し見たくなるプロ野球の「神回」である。

■ノーサインで打ちまくる

 試合は巨人の圧倒的な攻撃で始まった。清原和博の3ランなど3回表までに7得点で、マウンドには桑田真澄。当時巨人の3番を打ち、現在米国でヤンキース傘下のマイナー選手を指導する松井秀喜氏は、試合を振り返り「横浜の打線が強いのは分かっていた。横浜スタジアムではいつも点を取られている印象だった。といっても、あの時は7対0。一息ついていた」と語る。

 流れが変わったのは横浜が6点を追う4回だった。先頭から駒田徳広、佐伯貴弘、谷繁元信の3連打で満塁とし、万永貴司、代打荒井幸雄、石井琢朗、波留敏夫が4連続適時打。7者連続安打で5点を奪って6−7とした。

 7回には松井の本塁打などで巨人に2点を追加された。だがその裏、鈴木尚典の中越え本塁打と駒田、佐伯の連続二塁打、代打中根仁の左越え二塁打で3点を奪い、ついに9−9と追いついた。桑田はもちろん、7回までに投げた巨人の5投手全員に計15安打を浴びせた。

■都市伝説じゃなかった「ノーサイン」

 ひたすら打ちまくる。それが“戦術”だった。当時、横浜のヘッドコーチとして権藤博監督を支えた山下大輔氏は述懐する。

「権藤さんは、攻撃では本当に何もサインを出さなかった。野手には1年間で一度もバントのサインを出していない」

 横浜のノーサインは当時から奔放なチームカラーを示す例えとして知られていた。ファンは都市伝説のようなものと受け止めていたかもしれないが、本当にノーサインだったのだ。山下氏は「選手はノーサインで走った。ノーサインだから打者はいい球が来れば打つ。相手から見たら、エンドランを決められたという感覚だろうが、あの年はエンドランのサインも一度も出していない。そういう野球で日本一になった。権藤さんの采配は1シーズンぶれなかった」と明かす。

■「ボーク」打ち直しで同点弾

 巨人はフリーエージェント(FA)制度が導入された1990年代に落合博満、広沢克己、清原らを獲得し、常に強力打線を看板にしてきた。ただ1998年は特別な年だった。松井氏が「唯一ライバルとして意識した」という高橋由伸の入団である。

 慶応大からドラフト1位で入団した高橋は、初球からフルスイングする積極打法で1年目に打率3割、19本塁打。1998年に初の本塁打王となった松井とともに、その後の巨人の核となった。その高橋が横浜に強烈な一撃を加えた。

 8回、松井、清原の連打で1死一、二塁だった。高橋は右越えに勝ち越しの3点本塁打を打ち込んだ。一塁に向かいながら叫び声を上げ、両こぶしを握って「プロでは初めて」というガッツポーズをつくった。松井氏が「(高橋)ヨシノブの3ランで、ほとんどの選手は勝てると思ったのではないか」と語る一打だった。

■“おまけ”の打席でホームラン

 だが、これがとどめにはならなかった。8回裏、横浜は巨人の抑え槙原寛己に対し、1死から鈴木尚の二塁打とボビー・ローズの中前打ですぐに1点を返した。その後2死一塁となり、佐伯は2球目を打って右飛に。反撃はここまでと思われた。

 マウンドを降りかけた槙原の足を止めたのは、審判員の「ボーク」のコールだった。2死二塁となり、佐伯が再び打席に入る。サービス精神旺盛で、ファンにはお調子者のイメージがあったが、山下氏は「佐伯はああいう場面でわりと冷静になれる選手だった。それが勝負強さにつながっていた」と語る。“おまけ”の打席で球を見極め、フルカウントからのフォークボールを右翼席にたたき込んだ。一塁ベンチのチームメートに顔を向けて飛び跳ねる佐伯の姿に、スタジアムは最高潮に達した。12−12だ。

 松井氏は「タラレバになってしまうが」と前置きして続ける。

「あそこがゼロならば、すんなり終わっていた。(あの場面で)ホームランが出るのはすごい」

■貯金ゼロからの尋常じゃない盛り返し

 横浜の神がかった勢いは、試合前からあったと言ってもいい。7月12日に帯広で行われた中日戦では、9回に6点差を追いつき、延長12回、日没コールドゲーム引き分け。移動日を挟んで14日は、巨人に8−7でサヨナラ勝ち。そして迎えたのがこの一戦だった。

 実は5月後半に勢いを失いかけていた。山下氏は「5月だというのに早くもゴールを意識してベイスターズらしくない戦いぶりになっていた」と話す。貯金が底をつき始めた6月2日からの巨人戦で「一度貯金をチャラにするくらいの気持ちで、一からやろう」と選手に話したという。6月7日に貯金ゼロとなったが、そこからの盛り返し方が尋常ではなかった。

■「不思議な力を感じた」

 9回、今度は巨人に“打ち直し”のドラマがあった。2死一、二塁、清原の三塁ファウルグラウンドへの飛球を万永が目測を誤って取り損ねた。佐伯の本塁打の残像があるうちのプレー。巨人ファンが、今度は清原の番だと沸いた。だが仕切り直しで、五十嵐英樹が外角低めへの渾身の1球を投げ、清原を空振り三振に打ち取った。

 9回裏、先頭の万永の左前打で、ファンのサヨナラ勝ちへの期待が確信に変わったように歓声は高まった。最後は波留が2死二塁で、センター松井の頭上を越える一打を放った。「前進守備だった自分の上を越えてちょうどアンツーカーのあたりに落ちた。あれは今でも覚えている」と松井氏は振り返る。両チーム20安打ずつの打撃戦は13−12、横浜のサヨナラ勝ちで終わった。

 山下氏は権藤監督と球場を離れる際に、松井氏に偶然出会ったことが忘れられないという。4打数4安打2四球で、リーグ一番乗りの20号本塁打を放った巨人の主砲は、権藤監督に「勘弁してくださいよ」と言って苦笑したのだという。山下氏は「巨人は清原、松井に高橋が加わった超強力チーム。これでもかというくらい選手がそろっている。その巨人に対してあの打撃戦ができた。野村さん(故・野村克也氏)は勝ちに不思議の勝ちありと言ったが、あの試合はまさに不思議な力を感じた」と話す。

 普段大げさな物言いをしない権藤監督は、試合後に「もののけに憑かれたような試合だった」と話し、新聞各紙が取り上げた。横浜は6月を13勝6敗、7月を12勝5敗1分で駆け抜け、優勝に向けて突っ走った。

■非常事態に思うこと

 22年前の激戦を語った松井氏は、現在ニューヨークを拠点に活動する。本来ならマイナーリーグの3Aと2Aが開幕し、ペンシルベニア州やニュージャージー州でコーチとして忙しく動き回っているころだ。だが今季は新型コロナウィルス感染症の影響で開幕のめどが立たない。ニューヨーク州の感染による死者は4月16日現在1万2000人超で、それに加えて4000人以上の未検査の感染死が出ているとニューヨーク市は発表した。

「今は野球どころでない。私もほとんど家から出ていない」と松井氏は話す。「野球を心待ちにしている方はたくさんいるでしょうけど、優先順位がある。まず野球ができる環境になるまで、みんなで頑張るしかない。我慢して待つしかない」

 山下氏はBCリーグの新設球団、、神奈川フューチャードリームスのゼネラルマネジャー(GM)として1年目に臨んでいるが、シーズン開催は未定だ。「こんな形で全面的にスポーツが行われなくなるのは、戦争以外では初めてなのでは」とあらためて脅威を感じている。チームが集合できないときに強く思うのは「ソーシャルディスタンスと言われる、人と人との距離を物理的に置かなくてはいけない時だからこそ、心のつながりだけは近くありたい」ということだ。「試合が再開されたら、ファンが心のつながりを感じられるようなチームを送り出したい。それがGMとしての務め」と決意を口にする。

(神田 洋)

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