23歳でB級1組 スピード昇級の近藤誠也七段が語る「以前はビッグマウスでした」

23歳でB級1組 スピード昇級の近藤誠也七段が語る「以前はビッグマウスでした」

千葉県出身の近藤誠也七段

 A〜C級2組の5クラスに分かれ年間を通して戦う順位戦。その頂点のA級には10人が在籍し、リーグ戦でトップの成績を収めた棋士は名人への挑戦権を獲得する。どのクラスにいるかは棋士の格を示す目安にもなる。その昇級枠は小さく、連続で昇級するのは至難の業だ。

 この順位戦を参加4期で3回とスピート昇級したのが、今期上から2番目のB級1組に上がった近藤誠也七段。まだ23歳の期待の若手棋士だ。近藤七段に、劇的な逆転昇級が決まった夜のこと、天才少年と言われた子ども時代、奨励会時代、そして棋士に求められる「努力と才能」について聞いてみた。

◆ ◆ ◆

■優勢で時間もあったときにパパッと指してしまった

――昇級と七段昇段おめでとうございます。B級1組への連続昇級は話題になりました。他棋戦に比べて勝率が良いですし、順位戦が得意なのに理由はありますか?

近藤 4期でここまで来られたのは完璧に近いと思っています。一手一手時間を使って考えられるので、持ち時間が長いほうが得意。終盤に時間を残そうと意識して指しています。順位戦は内容の良い将棋が多く、勝った将棋は時間に余裕を持って指せたと思います。

――9回戦で競争相手の横山泰明七段との直接対決に負けて2敗目。「将棋世界」5月号に掲載された「昇級者喜びの声」では、「この敗戦で昇級を諦めていた」と書いていますね。そのあと2連勝して昇級したわけですが、どう気持ちを立て直したのでしょう?

近藤 横山七段戦は時間の使い方がちぐはぐで、優勢で時間もあったときにパパッと指してしまった。その読みに誤算があって時間を使わざるを得なくなり、先に自分が1分将棋になって崩れて逆転負け。前期(C級1組の2期目)で1敗した西尾(明)七段戦のときも同じような負け方で、順位戦のまずいパターンでした。順位も上の競争相手に1勝分の差をつけられ、他力(自分が勝っても、相手が負けない限り昇級できない状況。このときは、近藤七段が残り2戦を連勝した上に、横山七段が連敗しない限り昇級はできなかった)になってしまいました。

 負けてから中継担当記者の方と駅まで一緒に帰ったときに「順位戦は厳しいので、来週の竜王戦を頑張りますよ」なんて話しました。他にも対局があったので、順位戦よりそっちに切り替えた感じです。10回戦で自分は勝ち、横山七段は負けでしたが、依然として不利な状況なのは変わらない(最終11回戦で近藤七段勝ち、横山七段負けの場合のみ昇級)。周囲からも自分の昇級については何も言われませんでしたし、そんなに気にしていませんでした。

■欲を言えば、他力ではなく自力で昇級したかった

――では、最終局も昇級の可能性について考えなかったのでしょうか。

近藤 横山七段とは最終局、部屋が違いました。いつもなら昼食休憩時に他の盤面を見て回ったりするのですが、その日はあえて見に行きませんでした。他力の場合は相手のことは考えず自分の対局に集中すべきですから。その日は内容の良い将棋で中田(宏樹)八段に勝つことができました。

 同じ部屋の対局が終わっていなかったので、東京将棋会館3階の記者室に移動して感想戦。でも、記者の人は少なくて昇級はダメだったのだろうと思って、終了後、帰ろうとしました。そうしたら、「昇級の目があるから待機してくれ」と記者の方に止められました。

――そのときは、まだ横山七段の対局は終わってなかったんですね。

近藤 そうです。そうして初めて横山七段の将棋をネット越しに見ました。記者の方にどうなっているか聞いたら「二転三転して大熱戦ですが、北浜(健介)八段が良さそうです」。確かに北浜八段が優勢。そうしているうちに、4階の対局室から記者の方が何人も降りてきて「おめでとうございます」と。自分の対局を終えた後というのもあって、ぼう然というか何も考えられなかったです。そして、30分ほど昇級についてインタビューを受けました。でも、欲を言えば、他力ではなく自力で昇級したかったです。

■順位戦の後はいつも食欲がすごくて(笑)

――その後はどうされましたか? かなり遅い時間になったと思いますが。

近藤 取材が終わったのは深夜の1時ごろで、すごくお腹が空いていました。順位戦の後はいつも食欲がすごくて(笑)、ラーメンとか食べるんです。その日は「おめでとう」とメールをくれた青嶋さん(未来五段)と合流してお寿司屋さんに行きました。おいしかったです。確か自分がB2に上がった時も、青嶋さんと夜食を食べに行きましたね。夜食は、仲の良い棋士がいれば一緒に食べることが多いです。

――そういう時の支払いは割り勘で?

近藤 そのときは昇級した僕が払いました。

――6時に夕食休憩があっても、若いしお腹は空きますよね。対局中の食事にこだわりはありますか?

近藤 昼夜休憩がある対局では、昼はしっかり、夜は手軽に麺類が多いです。以前は、ふじもとの「ひれかつ定食」が勝負めしでしたが、最近は鳩やぐらとか紫金飯店とか、気分によって頼むメニュ―は変えています。

■「近藤君は本当にビッグマウスだね」と言われたことも

――これまでのインタビューでは「20代のうちにA級」が目標とおっしゃっています。23歳でB級1組に上がったので、この目標を上方修正してもいいように思います。ご本人としてはどうなのでしょうか。

近藤 さすがにB1は強い方が多く、1期抜けとは言えません。早くA級に上がれたらいいけれど、目標設定は変わらずです。

――謙虚ですね。あまり大きな目標は口にしないですか?

近藤 そんなことはなくて、以前はビッグマウスでした。C2に初参加したときは順位も下なのに上がる気満々で「頭一つ違う」なんて言っていました。梶浦さん(宏孝五段)と仲が良く、その師匠の鈴木大介先生(九段)にも研究会や食事に連れて行っていただいたり、お世話になっています。鈴木先生に「近藤君は本当にビッグマウスだね」と言われたこともあります。奨励会時代は、プロでもないのに「この将棋はプロ的には大差ですね」なんて言って、周りにあきれられていました(笑)。

 最近は落ち着いてきたとか大人になったとか言われます。クラスも上がったので……。

■師匠は自由にのびのびというような方針

――失礼ながら、大人になったという評判は聞いたことがあります(笑)。スピーチや挨拶もしっかりされている。でも、棋士は企業のように新人研修はないですよね。どのように大人の振る舞いを身に付けたのでしょうか。

近藤 スピーチはプロになったとたん機会が増えました。もちろん事前にシミュレーションして、内容を頭にしっかり入れてから話します。師匠(所司和晴七段)は自由にのびのびというような方針で、うるさく言われたりはしませんし、特に誰に教わったということはありません。社会人として最低限のことはできないといけないと自覚した感じです。

――すっかり板についているように感じます。では、子どもの頃のことを教えてください。最初に将棋を教えてくれたのはおじい様と聞きました。

近藤 そうですね。5歳の時に近所に住む祖父が、はさみ将棋から教えてくれました。はさみ将棋で勝つようになり、本将棋も指すようになって将棋の楽しさにハマっていきました。祖父はアマチュア初段くらいです。

――おじい様に教わるだけでなく、将棋教室にも通ったのでしょうか?

近藤 ちょうど近所の公共施設で将棋教室をやっていて、そこで普及指導員の先生に教えてもらいました。小学生になってから、その指導員の方に所司先生の道場を紹介してもらい、そこにも行くようになりました。それより近い、家から3駅の別の道場も紹介してもらい、平日も1人で通うようになりました。道場に行くのが楽しみで、学校から帰ったらすぐ道場に行けるように玄関にカバンを置いていました。

■恩師は「何万人に1人の才能だと思いました」

 近藤誠也七段は1996年7月生まれ、千葉県八千代市で育った。近藤少年が初めて出会った将棋指導者は、千葉県八千代市の公共施設で20年以上将棋教室を開いている浅井幹彦普及指導員だ。

 浅井さんが振り返る。

「近藤君は5歳でお母さんに連れられて教室に通い始めました。最初は金と銀の動きが少し怪しかったけれど、すぐに目を見張るスピードで上達して、何万人に1人の才能だと思いました。私の教え子には、アマで活躍した子や、他に奨励会に入った子もいますが、近藤君はレベルが違った。私の指導では物足りないだろうと所司和晴七段の道場を紹介しました」

 めきめきと力をつけた近藤少年は小学校2年で小学生名人戦千葉県代表、小学校4年でJTこども大会(東京)準優勝と小学館学年誌杯優勝、小学校5年で小学生名人戦全国準優勝などメジャー子ども大会で活躍。千葉県内はもちろん、全国に名を知られていた。所司七段の弟子となり、4年生で初めて奨励会を受験して不合格となったものの、2007年8月の奨励会試験に5年生で合格する。四段昇段は2015年10月、19歳のときだった。

■子ども大会では準優勝が多かった

――子ども大会でもかなり活躍されています。思い出はありますか?

近藤 準優勝が多かったですね。JTこども大会は高学年の部の決勝に進出。袴を着てステージに上がり、プロ公式戦の前に対局しました。でも6年生だった長谷部さん(浩平四段)に負けてしまいました。

 小学生名人戦も5年生のときに全国ベスト4に残ってNHKスタジオで対局することになり、家族も親戚も応援に来ました。ベスト4には6年生だった佐々木大地さん(五段)と古森さん(悠太五段)もいました。準決勝で佐々木さんに勝って、決勝では4年生に逆転負け(その優勝者はプロになっていない)で悔しい思いをしました。長崎県代表だった佐々木さんは関東に引っ越して、僕の後に奨励会に入ってきたので、話すようになりました。まだ小学生のときだったか、僕の家に遊びに来てくれたこともありました。

――佐々木大地五段とは奨励会に入る前に知り合ったのですね。子どものときから将棋に打ち込むには親御さんの応援もあったと思います。ご両親は将棋について「もっと頑張れ」とか言うようなことはあったのでしょうか?

近藤 両親は、東京や埼玉など県外の大会にもよく連れて行ってくれ、応援してくれました。2人とも将棋については、何を言うこともなく放っておいてくれました。奨励会で伸び悩んだときは心配していたかもしれません。

■「将棋のプロ棋士になりたい♪」と歌った

――将棋の他の習い事の経験は?

近藤 スイミングには通っていました。比較的長く続けたのは書道で、小4から中1まで習いました。これは今、色紙や扇子を書くのに役立っています。

――プロ棋士を目指そうと思ったのはいつ頃なのでしょう?

近藤 自分の記憶では小3くらい、母の話ではもっと前です。1〜2年生のときの参観日で、将来の夢を替え歌にして歌うという音楽の授業があり、僕が「将棋のプロ棋士になりたい♪」と歌ったのを、母が後ろで見ていたそうです。奨励会は自分で受けたいと言ったような気がします。幼かったのでよく覚えていません。

――自分で覚えていないくらいの年齢で、もうプロ棋士になろうと思っていたわけですね。道場に通って実戦中心で強くなったのでしょうか?

近藤 そうですね。土日は全部、大会か道場で過ごしました。所司先生には飛車落ちや角落ちで習いましたし、同じ千葉で兄弟子の石井さん(健太郎五段)とも道場で出会い、教えてもらったりもしました。環境は良かったです。奨励会に入る前から将棋倶楽部24でネット将棋も始めました。

――将棋倶楽部24でレーティングはどれくらいでしたか?

近藤 奨励会5級のときに2900くらいで、周りの奨励会員から(それで5級なのは)おかしいと言われていました。一時期3000を超えていたこともあります。

■羽生先生には指摘したことはないです

――奨励会員同士で24で指すこともあるのですか? ニコニコ生放送の解説では、関西奨励会員だった千田翔太七段と指していたことがあると話されていました。

近藤 奨励会員やプロのハンドルネームは、すぐに有名になって誰だか噂になります。僕のハンドルネームも知られていたと思います。阿部光瑠(六段)さん(と噂されるハンドルネーム)ともよく指しました。でも、実際に会ってその話はしたことはありません。

――奨励会員の役目に記録係があります。記録係をしたときの思い出を教えてください。

近藤 自分が三段のときは、優先的に記録する対局を選べたんです。強い方の記録を取りたいと羽生先生(善治九段)、そして居飛車のお手本になるような将棋を指される郷田先生(真隆九段)の記録をよくとりました。羽生先生の感想戦を間近で聞いて、読みの量がすごいなと圧倒されました。

――奨励会員が感想戦で、この手はどうですかと指摘することもあるそうですね。

近藤 僕も指摘したことはあります。「それは読んでなかった」と言われたり、その手が良かったこともありました。ただ、なかなか言いにくいものですし、特に羽生先生には指摘したことはないです。読みがすごいので、はね返されちゃいますよ。

■才能は7か8割だと思います

――奨励会は幼くして入って、ずっと努力しなければいけない世界ですが、辛くなったり逃げたくなったりすることもあると思います。ゲームとか別のことにハマったり、将棋に集中していなかったことはありますか?

近藤 最低限必要な勉強はいつも続けてきたと思うし、ずっと将棋が好きでやっています。奨励会に入ったことを後悔したことはありません。だけど、三段リーグで自分より勉強している人はたくさんいたようにも思います。

――誰よりも勉強したわけではないのに、どうして四段に上がれたと思いますか?

近藤 三段リーグって厳しいじゃないですか。うーん。厳しい言い方になってしまうけれど、やはり才能は大きいのかなと。

――今、才能の話が出たのでお聞きします。プロになるのに必要な才能と努力の割合はどれくらいだと思いますか? 渡辺明三冠は「才能7対努力3」とおっしゃっていましたが……。

近藤 自分も才能7か8だと思います。どちらかと言えば、自分は才能型だと思っています。

■奨励会時代によくしてもらった棋士は

――才能型というのは納得します。奨励会時代によくしてもらった棋士はいますか?

近藤 飯島(栄治)七段には、奨励会級位者のときから今も教わっています。仲の良い山本博志四段(当時級位者)とその師匠の小倉(久史)七段、そして飯島七段の研究会に「もう1人奨励会員を」と僕が入ったのがきっかけで、VS(1対1で指す)でも教わるようになりました。飯島七段は相がかりが得意戦法で、僕も三段リーグ時代は相がかりが得意になりました。三段リーグ時代は佐藤康光九段の研究会に入れてもらったこともあって、声をかけてもらえるのは嬉しいです。

――では、(写真がファンに公開されたことがある)棋士の扇子や色紙、木村一基王位の掛け軸が飾ってある飯島七段の研究会用のお部屋に……?

近藤 はい。あの部屋に何百回とお邪魔しました。扇子とかコレクションがありました。

■勝った時にもっと勉強したくなる

――対局の前日と翌日の過ごし方を教えてください。

近藤 前日は図書館に行って新聞の観戦記を読むことが好きです。自分が勝ち進んでいる棋戦の観戦記を中心に。(新型コロナウイルスの影響で)図書館が休みになってしまい残念です。

 勝った翌日は早く目が覚めるので、指した将棋を振り返ります。ソフトで解析もかけます。負けると昼まで寝ていることが多いかも……。悔しくて、すぐ振り返る気になりません。3日経ってやっと解析をかけることもあります。勝った時にもっと勉強したくなるタイプで、負けるとやる気が出ないというか。甘いかもしれません。そこは昔から変わってないです。

――負けてお酒を飲んじゃったりは?

近藤 それはないです(笑)。お酒は好きではないので。

写真=山元茂樹/文藝春秋

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藤井聡太の順位戦19連勝を阻止した棋士・近藤誠也は「徹底的に準備しました」 へ続く

(宮田 聖子)

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