「イクラちゃんが禁断のセリフを…」 “永遠の24歳”サザエさんが50年間飽きられない理由

「イクラちゃんが禁断のセリフを…」 “永遠の24歳”サザエさんが50年間飽きられない理由

1969年の放送スタートから昨年で50周年を迎えた。同じく球団設立50周年となったヤクルトスワローズとコラボし、神宮球場でサザエさんスペシャルDAYが開催された(昨年8月13日)。始球式を終え笑顔を見せるサザエさん

 フジテレビ系のアニメ『サザエさん』(日曜夕方6時30分)が、きょう5月17日より当面のあいだ、過去の回の再放送となる。新型コロナウイルス感染拡大の影響にともない、アニメの制作を継続するのが困難な状況ゆえの対処だ。『サザエさん』ではいまから45年前、1975年の2月2日から3月2日にかけても、第1次石油危機の影響で再放送に切り替えられたことがあった。石油危機が起こったのは1973年10月だから、1年以上経って影響が出たことになる。ついでにいえば、1975年4月からは、毎週火曜の夜7時に「まんが名作劇場」と冠して『サザエさん』の再放送の枠が設けられ、97年11月までじつに22年も続いた。日曜の本放送とは違うオープニングとエンディングのテーマ曲とあわせて覚えている人も多いのではないだろうか。

 アニメ版『サザエさん』の作品世界は、声優の交代こそあれ、1969年10月の放送スタート以来、ずっと変わりがない印象がある。しかし、実際には、これまでにたびたび登場人物が入れ替わるなど変化もあったし、番組に新風を吹き込むような企画も組まれてきた。最近でいえば、昨年、放送開始50周年を記念して、サザエさんと同じ“あさひが丘の町”に住む家族を一般から募集し、アニメのなかに実名で登場するという企画が行なわれ、25組の家族が選ばれている(※1)。このゴールデンウィーク前の4月26日の放送でも、サザエたちが動物園に行く話で、募集で選ばれた1家族が登場した。

■隣人も三河屋も交代した「サザエさんの大転換」を知っていますか?

 歴史をさかのぼれば、『サザエさん』は1985年、大きな転換を経験している。この年、作品のなかでは登場人物の退出と加入が繰り返された。3月31日の放送では、サザエさん一家(磯野家)の隣りに1978年以来住んでいた画家の浜さん一家が引っ越していき、また、酒屋の三河屋でご用聞きをしていた三平さんが結婚のため故郷の山形に戻ることになった。

 浜さん一家の引っ越しは奥さんの病気療養のためで、サザエたちは最後の思い出にと、浜さんたちの引っ越し先である伊豆を旅行している。旅行にはサザエのいとこのノリスケ一家も同行し、じつは彼も転勤のため家族で名古屋に引っ越すことが明かされた。もっとも、ノリスケたちはその3ヵ月後、6月16日の放送で早くもあさひが丘に戻ってくる。続いて7月7日の放送では、三河屋の三平さんに替わり、現在までご用聞きを務める三郎さんが初登場。翌々週にはさらに、磯野家の隣りに新たに小説家の伊佐坂先生一家が引っ越してくる。ちなみに伊佐坂先生は、すでに放送2年目の1970年にも隣人として登場しているが、現在とはまったく違うキャラクターとして描かれていた。

■「帰るぅ」イクラちゃんがしゃべった驚きの回

 ノリスケ一家が転勤から戻ってきた回では、筆者がいまだに忘れられない衝撃的なできごとがあった。ノリスケと妻タイコの息子であるイクラちゃんが、いままでチャーンとかバブーとかハーイぐらいしか言えなかったのに、いきなり言葉を口にしたのだ。同回の冒頭では、磯野家にカセットテープが送られてきて、再生してみると、ノリスケから名古屋から戻るとのメッセージがあり、それに続いて子供の声で「帰るぅ」と入っていた。カツオたちはてっきりノリスケがいたずらで入れたのだろうと思いきや、いざ帰ってきたイクラちゃんと会うと、本当にしゃべれるようになっていたので驚くのだった。ただ、イクラちゃんはしばらくすると、また元どおりになっている。

 アニメ版『サザエさん』ではこれ以前、1974年12月1日の放送で、それまでタイコに抱っこされていたイクラちゃんが歩くようになった。ここで変更された設定は現在にいたるまで引き継がれている。長谷川町子の原作漫画では赤ちゃんのままだったイクラちゃんを歩かせるという展開は、当時のプロデューサーの松本美樹が脚本家の雪室俊一に提案して実現したものだ。登場人物が歳をとらない『サザエさん』では禁じ手ともいうべき設定変更だが、イクラちゃんが歩けるようになったおかげで、タラちゃんとのやりとりも増え、話に幅が出たのだから、結果的に大成功だったといえる。この先例からすれば、イクラちゃんがしゃべり出してもおかしくなかったとはいえ、さすがにキャラクターに合わないと判断されたのか、こちらは結局“なかったこと”にされてしまった。

■原作の4コマの「2年間ルール」とは?

 ちなみに、原作では名前のなかったノリスケたちの子供にイクラと名づけたのも雪室俊一である。『サザエさん』では番組開始以来、この雪室と辻真先、城山昇の3人が大半の脚本を書いてきた。広告代理店の宣弘社から制作に参加していた松本美樹は、彼らの個性を活かしながら、当初、ドタバタ調だった『サザエさん』を現在のようなホームドラマ路線へと導いていった。しかし1985年に宣弘社が制作から降り、松本もプロデューサーを退く。同時に、脚本の3人も一旦降板した。

 こうした一連の体制の転換に、アニメを制作するエイケンは社運を賭けていたという。このとき、新たにフジテレビからプロデューサーに就いた久保田榮一が最初に手がけた仕事も、脚本家探しだった(余談ながら、まだ駆け出しだった脚本家の三谷幸喜が、『サザエさん』で4本のストーリーを執筆したのも1985年である)。エイケン側のプロデューサーとなった毛内節夫によれば、この転換に際し集められた脚本家はみんな『サザエさん』の世界を書くのが初めてだっただけに、軌道に乗せるまで10年はかかったという。この間、演出の村山修が脚本も手がけるようになり、雪室たち旧来の作家陣も復帰してくれたおかげでだいぶよくなったとも、毛内は語っている(※2)。

 こうして『サザエさん』は番組が始まって以来最大の転換期を乗り切り、さらに放送回数を重ねていった。その後、作品の世界観にこそ大きな変化はないものの、さまざまな面でリニューアルが繰り返された。2013年には、それまでセル画が使われてきたアニメ制作が、完全デジタル化されている。また、各話で原作の4コマ漫画が使われていることに変わりはないものの(初期には原作を一切使わない回もあったらしいが)、一度放送に使用した原作は2年間は使わないルールになっている。同じ話も、間隔を空けることで新鮮な気持ちで見てもらうための工夫だ。これもまた長続きする理由なのだろう。

■サザエさんに「パソコンや携帯電話が登場した回」

『サザエさん』には、お茶の間で家族がちゃぶ台を囲んでの食事、あるいはブラウン管テレビや黒電話など、すでに日本の大半の家庭からは失われたものも描かれている。そのため、いまや「昭和の家族の話」と勘違いしている人も少なくない。しかし、プロデューサーやスタッフたちに言わせると、『サザエさん』の設定はあくまで「現代」なのだ。エイケンの現在のプロデューサーである田中洋一は、《昭和的な雰囲気のサザエさん一家やご近所さんたちがこの現代にいて、そこで生まれるドラマを描くという認識で話を作っています》と語っている(※2)。田中によれば、一度、間違い探しの企画でテレビを液晶に変えてみたところ、いきなり画面が殺風景になり、温かみが失せてしまったように感じたという。ここから田中は、テレビや電話などのアイテムはとりあえずそのままにして、今後、観ている人に完全に受け入れられなくなったときにでも変更を検討しようと思ったとか。

 じつは『サザエさん』ではこれまでに、伊佐坂先生がパソコンでの執筆に挑戦したり、波平が近所の人から携帯電話を借りたりと、新しいツールもたびたび登場してきた。前出の田中プロデューサーは《現代の最先端ではなく、その後ろ端にギリギリしがみついているくらいの現代》と表現しているが(※2)、言い得て妙である。新しいものをまったく描かないのも不自然だし、かといっていきなり作中の風景やアイテムをすべて変えてしまっては、あののんびりとした世界を壊しかねない。『サザエさん』でこれまで行なわれてきたリニューアルは、作品の世界観を変えず、支え続けていくためのものだったともいえる。

 残念ながら、先述のとおり『サザエさん』はコロナ禍にともない新作の制作が中断されてしまったが、そこで半世紀にわたって描かれてきた家族の何気ない日常とは、考えてみれば、ウイルスの感染拡大が収まったあとに私たちの望む“未来”ともいえないだろうか。収束までにはおそらくまだしばらくかかるだろうが、今回の再放送に、いずれ来るべき未来の姿を見出しつつ、この危機を乗り切りたい。

※1 「50周年スペシャル企画<あなたの一家が『サザエさん』に登場!>出演家族が決定!」(フジテレビ公式サイト、2019年6月2日)
※2 『アニメ『サザエさん』放送50周年記念ブック サザエさんヒストリーブック1969-2019』(扶桑社、2019年)

(近藤 正高)

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