松尾諭「拾われた男」 #36「お家へ帰ろう」

松尾諭「拾われた男」 #36「お家へ帰ろう」

©松尾諭

 翌朝、早くに起きて、荷物をまとめ、部屋の掃除をして、もうひと眠りしようかと考えながらベッドに横になっていると、ホストの学生がシカゴから帰ってきたので、ちょうど今から出るところだったと鍵を返した。

 大荷物だったが、兄が病院を出る昼過ぎまで時間は有り余るほどあったし、天気も良かったので病院まで歩いた。病室に入ると兄は眠っていたので、起こさないように荷物を置いて病院内のカフェで朝食をとってから、病院内をうろうろしたりして時間を潰したが、潰しきれなかったので病室に戻った。

 病室に戻ると兄は起きていた。テレビがついていたが、天井を見つめていた。

「おはよう」

 こちらに気付いた兄は、優しい声で言った。アメリカで再会してからの兄の口調はいつも優しかった。日本にいた時は無愛想でぶっきらぼうだったので、その優しい口調には最後まで慣れなかった。

「やっと帰れるな」

「……うん」

 固い表情で応えた兄は、どこか緊張しているように見えた。

「どうしたん?」

「帰ったらお父さんに怒られるかな」

「怒らへんよ、帰ってくるの楽しみにしてるよ」

「ほんまに?」

「ほんま」

 そんなやりとりをしばらくした。思えば兄と話す事を避けていたので、こんなに話す事はなかった。それで長年の疑問をぶつけてみた。

「なんでアメリカに来たん?」

 応えるまで随分間があって

「……なんでやろうな。なんかやりたい事みつかる思ったんやろな」

 いつの頃からか、意識せぬままずっと追いかけてきた背中がもう目の前にはないことを突然気付かされたようで、胸が強く痛んだ。

「そっか」

 そう言ったまま長い沈黙がつづいた。

■看護師の間で人気者だった兄

 会話もないまま観るでもないテレビを見ていると、ウッディとゲイルが見送りにやってきた。二人は強く再会を約束し、冗談を交えながら兄を励ましたが、兄の表情は硬かった。二人に遅れること三十分ほどで、ワインショップの新装開店準備で忙しいジョンも見送りに駆けつけた。ジョンは先に来た二人と違い、兄の手を握り、少ない言葉で励まし勇気づけ、兄も無言でそれに応えているようだった。ジョンのその様はまるで兄の兄貴分のように見えたが、彼が兄より三つ下、つまり同い年だと気がついて妙な感じがした。

 しばらくして看護師たちが十人以上大挙して訪れた。彼女たちは皆明るく大きな声で兄に声をかけ、病室にはまるでパーティーのような明るい空気が満ちた。そうこうするうちに日本に付き添いで同行してくれる屈強な男性看護師たちが兄の迎えにやってきてパーティーは終わった。彼らは一足先に空港へ向かうべく、兄をストレッチャーに乗せて病室を後にした。皆それに、まるで応援団のように声を出して兄を見送った。

 改めて看護師たちに感謝を伝えると、兄が悪魔と呼ぶ彼女らは兄の身を案じ、回復を祈ってくれた。そして、兄のジョークは最高で看護師の間で人気者だったと口々に言った。また弟の知らない兄がいた。

■“ブラザー”と抱き合い涙した

 駐車場に降り、仕事の為にカラマズーに戻るジョンとゲイルを見送った。ジョンは多くを語る人ではなかったが、兄の事を事務所に連絡してくれたことに始まり、その他多くの事に時間を惜しまず行動してくれた。ゲイルは何を喋っているのかわからない事が多かったが、いくつもの資格をもつ彼は、事務的な手続きなどで尽力してくれた。兄にも、その弟にまでも家族のような情を注いでくれた二人の、人柄こそ違えど、同じように強く優しい表情に別れが急に悲しくなって涙が溢れた。ジョンは笑って強くハグしてくれた。ウッディはそれにもらい泣きしていた。

 二人と別れて、ウッディの車へと乗り込んだ。空港までの一時間の間、泣くのを我慢して口数が少なかった。同じく涙もろいウッディも同様に見えた。

 空港に着き、ウッディは手荷物検査場まで見送りにきてくれた。そこに至ってはもう言葉は必要なく、抱き合い涙を流した。ウッディには感謝してもしきれないほど世話になり、最も親交を深めた人だった。この旅のいつからかウッディとは互いにブラザーと呼び合うようになっていた。たしかに彼はそれまでに会った誰よりも兄弟と呼ぶにふさわしい男だった。ひとしきり泣いて、互いに名残を惜しみに惜しんで検査場へと入った。

 出発ゲートには、山本さんとトムが待っていた。山本さんは兄と看護師たちの特別搭乗の手続きに立ち会ってくれ、兄は無事に搭乗したと教えてくれた。カラマズーの友人たち同様に世話になった二人と固い握手をして別れた。

「何か問題があれば遠慮なく連絡ください」

 と山本さんは言い

「映画の事、何か情報あったら教えてください」

 とトムは言い

「ポスター楽しみにしてます」

 と彼は付け加えた。

■「こんなええ席、高かったやろ」

 機内へ入ると、ビジネスクラスの立派な個室のような座席に兄が横たわっていた。

「こんなええ席、高かったやろ」

 確かに高かったが、半分は両親が負担してくれた事を伝えた上で

「半分はそのうち返してや」

 と皮肉と激励のつもりで言うと

「難しいな」

 兄は真顔でそう答えた。

 滑走路から飛び上った機体が安定すると、それまで肩に乗っていたものがふっと軽くなり、少し優しい気持ちになって、出会った人たち、特にカラマズーの人々、兄の友人たちの事を思い返した。自慢でもなければ尊敬をするような兄でもなかったが、彼が素晴らしい人達から慕われていた事だけは素直に評価できたし、兄のおかげで彼らと出会うことができた事に感謝した。旅を振り返って少しいい気分になり、その先の事は考えないようにしながら眠りについた。

 何度も寝ては覚め寝ては覚めしながら、途中機内食で何かが違う日本食を食べた以外は飛行時間のほとんどを眠って過ごし、無事に日本に着いた。降り立ったのは中部国際空港で、そこから両親が住む滋賀県の病院まで救急車で兄を搬送する手はずになっていた。山本さんの尽力もあって、兄と看護師二人も滞りなく入国審査を通過し、救急車と両親の待つ空港の駐車場へと向かった。
 

■両親との再会

「日本着いたで」

 そう声をかけたが、兄からは返事はなかったので、駐車場までの少し遠い道のりを看護師二人と名古屋の説明などをしながら歩いた。聞けば二人は兄を救急車に乗せて、二時間後のデトロイト行きの飛行機に乗るので観光は次の機会だと笑った。

 渡り廊下を渡り、立体駐車場を一階まで降りると、エレベーターの脇で父と母は路傍の地蔵のように並んで立っていた。

「ただいま」

 二人はストレッチャーに横たわる兄が視界に入ると解き放たれたように駆け寄った。母は予想した通り「あー」と泣き声を出しながら兄にすがりついたが、意外にもその横で父も泣いていた。しかも顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

 片麻痺のせいでわかりにくかったが、兄は泣きながら

「ごめんなさい」

 と繰り返した。

 母はむせび泣き兄の名前と

「あー」

 とを何度も交互に連呼した。

 父は涙を流しながら

「よう帰ってきた、よう帰ってきた」

 と兄の手を握った。

 泣く父の姿を見て堪えきれなくなった。父が泣いているところも、こんな親子像を目の当たりにするのも初めてで、その様子に少し戸惑いながら泣いた。

 日米の看護師たちが親子の再会に気を遣いながら兄を救急車へと運ぶと、父はこちらに向き直り涙を拭きながら

「ありがとうな、ありがとうな」

 と繰り返した。さらに兄が救急車に載せられ、アメリカから来た二人の看護師に礼を言って書類にサインをしているところを見て、息子がアメリカ人と英語で話しているのが余程意外だったのか、キョトンとしながら

「すごいな」

 と褒められた。父の車に乗り滋賀の病院に向かう車中も、ずっと褒められたり感謝されたりだったので、それまでの人生、父から感謝される事も褒められる事もほとんど記憶になかったので、むず痒かったがすこし嬉しかった。

 病院に着き、手続き云々を済ませて、両親に後を任せた。兄は泣きつかれたのか安心したのか、深く眠っているようだった。両親からは一生分の感謝をされ、兄はやはり家族の一員だったのだと、どこか他人事のように感じた。

「あとは知らんで」

 と三割くらいの本心を混ぜた冗談を残して東京へと戻った。

■「日本の米は美味しいな」

 家の玄関を開けると、娘が涙ながらに出迎えてくた。妻も涙目で、無事に帰還したことと、遠い地での労をねぎらってくれた。家の匂い、妻の匂い、娘の匂いを吸い込むと体から溶けるように力が抜けていき、その晩は泥のように眠った。

 兄の容態は母から毎日のように報告があり、回復傾向にはあるが、脳と肝臓の状態は決して良くはないので手術を何度か受ける必要があるとの事だった。母はその報告のたびに孫にも会いたいと言い、妻と娘も兄に会いたいと言うので、滋賀まで家族で見舞いに行った。

 ちょうど食事をしていた兄は、帰国してから十日も経ってはいなかったが、ひと目でわかるほどに回復していて、顔や腕にも肉がつき、血行もよく、表情も豊かで声に張りがあった。アメリカにいるときには病院食にほとんど手を付けなかった兄は別人のように飯を食っていた。

「よう食べるで」

 ほとんど兄につきっきりだという母は言った。

「お母さんに甘えすぎや」

 父はどこか不満をのぞかせながら言った。

「日本の米は美味しいな」

 兄は笑顔で言った。

 母に甘えて食事を旨そうに食べ、義理の兄として妻とにこやかに話し、伯父さんらしく娘の相手をする、幸せそうな兄を見て感じたのは苛立ちだった。その場に長くいたくはなくて、適当な言い訳を言って帰る事にした。

 それから兄に会いに行くことはなかった。一度テレビ電話をしたような気もするがあまり覚えていない。ただカラマズーの友人たちへは、兄の近況を送ったり、彼らからのメッセージを母づてに伝えたりはした。兄は数回の手術をうけながらも、気力と体力は取り戻しつつあったようだったが、リハビリには手こずっており、退院の目処も立たず、兄の先行きに関しては、なんとかなるだろうと、考える事を避けたままに四ヶ月が経った。

 その日は、大森駅前でドラマの撮影をしていた。太陽がギラギラ照りつける中、エアコンの効いたロケバスの中で待ち時間を過ごしていると、電話が震えた。発信者は父だった。車を降りて電話に応えると、父は無言だったので予感がし、しばらくして話しだした父の震える声を聞いて確信した。兄が死んだ。

 前夜、いつものようにごく普通に眠りにつき、兄は再び旅立ってしまった。

つづく

(松尾 諭)

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