25年前のドラマ『愛していると言ってくれ』に夢中になってしまうのは、やっぱり“トヨエツ”のせいかもしれない

25年前のドラマ『愛していると言ってくれ』に夢中になってしまうのは、やっぱり“トヨエツ”のせいかもしれない

常盤貴子と豊川悦司 ©?AFLO

「愛していると言ってくれ 2020年 特別版」(TBS日曜午後2時〜)が人気である。

 女優を目指す水野紘子(常盤貴子)と聴覚障害をもつ画家・榊晃次(豊川悦司)の恋は、25年も昔、1995年の作品ながら、今見てもまったく色褪せていない。今回、新たに撮った常盤と豊川のリモート対談(リモート同窓会)を加え「特別編」と銘打った再放送は、当時の豊川と常盤の目の覚めるような美しさと純粋さが視聴者を虜にし、SNSを中心に盛り上がりを見せた。6月21日(日)にいよいよ最終回を迎える。

 25年前の本放送では、前半は20%前後だった視聴率が、中盤以降にグイグイと延びて、最終回は28.1%と高視聴率となった(ビデオリサーチ調べ 関東地区)。その勢いはいまだと「逃げ恥」や「恋つづ」みたいなものであろうか。それだけ紘子と晃次の恋のゆくえに目が離せない。

 では、なぜ「愛していると言ってくれ」の恋は、多くの人を夢中にさせるのか。

■理想的な主人公の悲劇性がドラマをより魅力的にした

「愛していると言ってくれ」の人気、最大の要因は、榊晃次を演じた豊川悦司の圧倒的な魅力である。高身長、端正な顔、演技が巧いと三拍子そろっていた。見た目と演技、どちらも兼ね備えている人はなかなかいないものだが、豊川はその稀有な俳優であった。しゅっとしたモデルのようなスタイルの良さで、第1話の初登場場面ではスーツを着こなし、その後は、大評判になる白シャツ、チノパン、サンダルが晃次のアイコンのようになる。かっちりしたスタイルもラフなスタイルも似合う。 

 ヒロインの恋の相手にこの上なく理想的な豊川演じる晃次は、聴覚障害者で耳が聞こえず、声を出すこともできない。それによって、恋人たちの想いはうまく届かず、恋は順風満帆にはいかない。しかし、その悲劇性がドラマを牽引するのだ。

 実は、この聴覚障害は当初、紘子の設定だったが、豊川自らが「逆にできないか」と提案したのだという。その時、彼の手のひらの大きさと美しさが魅力的で、プロデューサー・貴島誠一郎と脚本家の北川悦吏子が急遽設定を逆にすることを決定し、それが功を奏した。

■数々の胸を打つシーンが生まれた理由

 たしかに、豊川が手話する手指の繊細さは指によるコンテンポラリーダンスのようで、ドラマの格調を高める。彼の瞳の強さ、手話を芸術的に操る仕草、風をまといさっそうと歩く姿など卓越した存在感は障害者を描いたドラマへの偏見を払拭した。彼の圧倒的な魅力は、障害があることはマイナスではなく、人それぞれの違いに過ぎないというプラスに転じて見せたのである。むしろ、紘子のほうが、精神的に未成熟であり、何かとわいわい騒ぎ場をかき回す。第1話で、紘子が他所様の家のリンゴをもぎ取ろうとする行為はよく考えたらあかんだろう。そんな紘子を晃次はその大きな手のひらで包み込んでしまう。

 見た目だけでなく、俳優としてのものづくりに携わる感性の鋭敏さを豊川は発揮し、この設定以外にも演技プランなどを提案して、脚本家や演出家と話し合っていたという。見た目だけではなく、作品を理解し、役を深めていくことを当たり前に行っていたからこそ、数々の胸を打つ場面が誕生したのだろう。

■「愛している」と言ってほしいのに……!「もどかしさメガ盛り」の展開

 豊川自らが申し出た、“声が出せない”という設定は、この人の声が聞きたいという欲望を駆動させた。

 見た目×実力、パーフェクトな榊晃次のただひとつの欠落――。それは声である。こんなにも素敵な彼の声がドラマではなかなか披露されない。こころの声として出てくることになるが、第1話では一切、彼はしゃべらない。でも、ある瞬間――。その不意打ちにやられる(仕掛けの妙)。そしてドラマは、愛する人の生の声を聞きたい、タイトルどおり「愛している」と言ってほしいという気持ちがどんどん高まっていく。視聴者も、豊川悦司の声を熱望するのである。

 恋愛ドラマにはもどかしさは必須だ。親の反対だとか、相手が妻帯者だとか、年齢が離れているとか、余命わずかとか、何かしら障害があるからこそ愛は燃えるもので、「愛していると言ってくれ」は恋人たちに言葉が聞こえないという最大のもどかしさが常に横たわっているうえ、晃次の義妹(矢田亜希子)、離婚によって晃次を捨てた実母(吉行和子)、晃次の元カノ(麻生祐未)、紘子を見守る幼馴染(岡田浩暉)と次々に恋路を阻む人たちが現れて、もどかしさメガ盛り。紘子と晃次の心はグラングラン揺さぶられる。ここまでメリハリの効いた展開は、いまだと、韓国ドラマくらいでしかお目にかかれない気がするが、連ドラの醍醐味ってこれなんだなと「愛していると言ってくれ」を視ているとしみじみ思う。

 シンプルなストーリー、障害を用意して、盛り上げるところはあざといくらい盛り上げる。クライマックスは毎回、ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」でダメ押し。もう完璧である。

■花火を使って手話……“キュンとするシーンたち”

 ただ、その分、ちょっとした台詞や小道具、ひとつひとつのディテールには凝る。

 例えば、紘子の所属している劇団の稽古風景などは、へ〜こんなふうに稽古しているんだあと興味深いし、ファックスで手紙のやりとりをしたり、背中に文字を書いたりするコミュニケーションはキュンとする。暗くなったら手話が見えなくておしゃべりできないから、花火を使って手話するなんてもう、ひれ伏したくなる。電車の使い方もニクイ。電車が紘子と晃次の間をシャッターする光景はなんとも甘酸っぱい! 大きな手のひらでおにぎりを握る豊川悦司の場面はよくぞ用意してくれました!

■コロナ時代に突き刺さる「愛してる」じゃなくて「愛している」

 誰かを大切に思って、その気持をまるごと直送したい。受け止めたいと思う気持ちが、何かに阻まれてもどかしい。この状況は、新型コロナウイルスで人と会えなくなったことに近い気がする。会えるようになっても密を避けないといけないというような状態で、会話するにもものすごく距離を取らないとならない。私たちはいま、紘子と晃次のもどかしさを奇しくも少しだけ体感している。物理的な障害を乗り越えて、心をどうしたら伝えることができるだろう。

「愛してる」じゃなくて「愛している」という「い」が入っているところもポイント。ちょっと古風というか丁寧で、今こそ、愛に真摯でありたいと襟を正させてくれる。

(木俣 冬)

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