嗚呼悩ましき横浜の外国人枠。そこで振り返りたい1987年の“PLL問題”

嗚呼悩ましき横浜の外国人枠。そこで振り返りたい1987年の“PLL問題”

カルロス・ポンセ ©文藝春秋

 開幕以来の外国人選手起用法問題はラミレス監督にとって嬉しい悲鳴ではなかろうか。開幕2戦目にピープルズが6回1失点のナイスピッチ。でも開幕戦で1回を抑えたパットンはルール上その試合に投げられない。今季は特例で外国人出場選手登録数が増えて5人になったものの、筒香の穴を埋めるべく獲得し、オープン戦&練習試合で打ちまくったオースティンは外せない。ロペスにソトも当然不可欠。つまり野手3人をベンチに入れることで、起用できる投手は1試合につき1人に限られてしまうからだ。

 その2戦目、8回にリリーフ陣が崩れ逆転負けを喫した訳だが、タラレバに意味なしとわかっていても「ここでパットンとエスコバーが使えていれば……」とファンは恨み節のひとつも言いたくなるというもの。エスコバーは故障もあり開幕一軍枠を外れたけど、6月24日現在イースタン3試合中2試合に登板して無失点。おそらく普通に上で投げられる状態だろう。そして昨年の雪辱に燃えるパットン将軍も気合いが入っている。もうホントに3投手ともベンチに入れたい。何とももどかしい。

 開幕シリーズは右肘の張りでベンチスタートだったオースティンは、23日中日戦で4打数4安打の大爆発。全部コンパクトに振り抜いての単打ってのが泣けてくるし、ランナーになれば積極的に塁を狙う激走ぶり(走塁死2つはご愛敬)。極めつけは3点リードの9回1死一、二塁からのライト守備。遠藤のライナー性の打球に果敢にダイビングキャッチを試みたのだ。

 この場面、二塁走者阿部は打球の行方を見極めてスタートを切る。オースティンが普通に打球を追えば阿部も最初からヒットと判断して迷わず本塁を狙うが、オースティンが全力で飛び込んだことで一瞬躊躇したのだ。惜しくもキャッチはならずとも、すぐに立ち上がりナイス返球。中継プレーで阿部の本塁突入を見事阻止した。今季初登板の守護神ヤスアキを、そしてチームを救ったビッグプレーだった。全身からあふれ出すフォア・ザ・チーム魂。とにかくケガだけはしないよう祈るばかりである。

 支配下外国人が6人いて、スタメンから野手3人を外せず投手の起用法に頭を悩ませるなんて昔を思うと夢のような話。牛込惟浩さんという高い眼力を持つ渉外担当のおかげで古くはボイヤーにシピン、ミヤーンにポンセにパチョレック、シーツにローズにブラッグスと名助っ人を獲得してきたホエールズとベイスターズだけど、なかには「何やってんのよ?」となったズンドコ劇もちょいちょい起こっている。個人的に印象深いのが1987年の「PLL問題」だ。

■外国人枠で不本意な思いをさせられた助っ人

 語感は似ているけど93年に阪神で勃発したPKO問題(一軍外国人枠2人の中でパチョレック、郭李、オマリーの誰を起用するか問題。前年国連の平和維持活動PKOに日本が協力するか否かで大論争が起こりそれになぞらえられた)とはちと違う。ポンセ(P)、ローマン(L)、レスカーノ(L)という当時の大洋ホエールズの外国人起用法問題である。もっとも、当時は誰もそんな呼び方はしなかったけど。

 先にも触れた通り、昔の外国人枠は今よりも限られていた。81〜93年は支配下登録3人で一軍枠2人。94〜95年は一軍枠が投手か野手を1人含む形で3人となり、96年からは支配下登録の制限が撤廃された。現在のように一軍枠が投手、野手合わせて4人になったのは2002年以降である。

 85年に先発で8勝を挙げながら、守護神サンチェ加入のあおりで翌年はほぼ二軍で過ごし退団した巨人のカムストック。初年度の87年は一軍に上がれず、2年目に38本塁打を放つも翌年以降はデストラーデとの競争に敗れ二軍生活を余儀なくされた西武のバークレオなど、この時代外国人枠のおかげで気の毒な目に遭った助っ人は多い。そして87年の大洋ではダグラス・ローマン外野手が不本意な思いをさせられることとなる。

 ローマンは前年86年にカルロス・ポンセと共に入団した。いきなり打率.322、27本塁打、105打点を挙げたポンセには敵わずとも、ローマンも打率.291、14本塁打、75打点と十分合格点。ライトの守備もうまかったし、14盗塁をマークしてスーパーカートリオや18盗塁のポンセと共に「大洋は1〜5番まで全員走れる」なんて言われたもの。聖書を読むことが趣味という生真面目さは佇まいにもプレーにも表れていた。応援歌の原曲は『ハイ・ホー』。現在のベイスターズ外国人投手用テーマはローマンから始まっている。

■ひと月に2人の外国人選手を失う前代未聞の事態

 しかし翌年就任した古葉竹識監督はローマンを評価しなかった。さらにオープン戦で不振だったこともあり、球団は開幕直前の4月1日に3人目の外国人としてシクスト・レスカーノの獲得を発表する。レスカーノはメジャー通算148本塁打とアメリカではローマンより格上だが、86年は夫人の病気もあって1年間プレーしていない。ショックを受けたローマンは翌2日以降のオープン戦を欠場。これに対して古葉監督は「やる気があるのかどうか。今は開幕戦で起用するつもりはない」(5日付神奈川新聞より)と厳しいコメントを残し、ローマンはレスカーノ入団前にもかかわらずファーム行きを命じられた。当然、四番を打つポンセは外せるはずもない。

 ♪打て 打て 打てよローマン のフレーズ込みでローマンが好きだった筆者は子供ながらに「そりゃないよ」と思った。その後入団したレスカーノが4月20日のデビュー戦で4打数3安打を放つなどそこそこ打っても心は晴れなかった。素人目に見ても守備の動きは緩慢だし長打も出ない。5月9日の巨人戦で2本塁打を放ったのは流石だったが、それから全くヒットが出ずついに22打席連続無安打。そして17日には「140キロの球が打てず自信をなくした」「体が思うようについていかない」とレスカーノは突如現役を引退してしまうのである。

 誰もが呆気にとられた退団劇。のちに阪神・グリーンウェルが「神のお告げ」で7試合に出ただけであっさり引退した事件はあまりにも有名だが、大洋ファンはその10年前に同様の事態に遭遇しているのだ。

 ならば、ようやくローマンの出番……と思いきやそうは問屋が卸さない。プライドを傷つけられたローマンは5月3日付で「ホエールズのために役立てず残念です」(4日付神奈川新聞より)と退団。とっくにいなくなっていたのだから。でもローマンは最後まで尊厳を失わなかった。その証拠に4月のローマンの二軍成績は22打数10安打で打率.454。ファームとはいえちゃんと数字を残していたのだ。かくして、大洋はひと月に2人の外国人選手を失う前代未聞の事態に直面したのである。今思うと“レスカーノショック”は古葉大洋のつまづきの第一歩だった。

 ラミレスが監督を務めていることもあり、現在のベイスターズではまずこんなチグハグな事態は起こらないだろう。24日の中日戦でも野手3人が揃ってヒットを放ちパットンは1回1/3を危なげなく抑えた。あとは「オトコハダマッテナゲルダケ」のエスコバーが上でビシビシ抑えるのを待つばかりである。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2020」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/38514 でHITボタンを押してください。

(黒田 創)

関連記事(外部サイト)