明石家さんま65歳に 5億円の借金「さんまはオモロなくなった」30年前“最大のピンチ”とは

明石家さんま、7月1日で65歳に 8億5000万円で新居購入もバブル崩壊で5億円借金の過去

記事まとめ

  • 7月1日、65歳を迎えた明石家さんまの歩みを、25歳から10年おきに振り返ってみる
  • 1980年、25歳当時には芸能界入りの動機を「ええ女と寝たい」と語っていたさんま
  • 大竹しのぶとの結婚や離婚、5億円借金を乗り越え、65歳現在も"お笑い怪獣"ぶりは健在

明石家さんま65歳に 5億円の借金「さんまはオモロなくなった」30年前“最大のピンチ”とは

明石家さんま65歳に 5億円の借金「さんまはオモロなくなった」30年前“最大のピンチ”とは

7月1日に65歳の誕生日を迎えた明石家さんま(写真は1985年撮影) ©文藝春秋

 きょう7月1日は明石家さんまの誕生日である。1955年生まれの彼は、今年で65歳を迎えた。5年ほど前、還暦を迎える前後には引退説もささやかれたが、いまも変わらず第一線で活躍し、“お笑い怪獣”ぶりは健在だ。高校卒業後、上方落語の笑福亭松之助に入門したのが1974年。ここでは、今年で芸歴46年目に入ったさんまの歩みを、25歳から10年おきに振り返ってみたい。

■「ええ女と寝たい」25歳のさんまが語ったこと(1980〜81年)

 さんまが25歳になったのは1980年、ブレイク直前というなかでだった。すでに関西ではMBSテレビの若者向け番組『ヤングおー!おー!』、同局のラジオ番組『ヤングタウン』(『ヤンタン』)に出演し、女子中高生からアイドル的人気を集めていた。拠点はまだ大阪だったが、東京でも前年10月よりニッポン放送のラジオ番組『オールナイトニッポン』第2部のパーソナリティーを務め、この年の10月からは堺正章主演のドラマ『天皇の料理番』に出演するなど、その名は徐々に全国区になりつつあった。彼が芸能界に入ったときに立てた目標は、『ヤングおー!おー!』『ヤンタン』『オールナイトニッポン』への出演と、堺正章と大原麗子との共演だったというから、25歳にしてそれをほぼ達成したことになる。

 1980年には旬の人物にスポットを当てるフジテレビの『スター千一夜』にも登場、1週間密着取材を受け、ファンに追われる様子を撮ろうとしたものの、なぜかあまり人が集まらなかった。スタッフには「いつもは人、集まるんですけど」と言い訳したとか(※1)。このときディレクターを務めた三宅恵介とは、翌1981年にスタートした『オレたちひょうきん族』で再び一緒になる。この『ひょうきん族』で、ビートたけし演じるタケちゃんマンの敵役・ブラックデビルに扮したのを機にさんまはブレイクを果たす。それにともない拠点も東京へと移した。

 このころ、芸能レポーターの梨元勝との対談で芸能界に入った動機を訊かれたさんまは、《いやァ、ぼくはね、ええ女が欲しいからね、この商売に入ったんですよ。別に、金とか名誉やなしに、ええ女と寝たいがために、ね(笑)》と答えている(※2)。ハングリー精神のかけらも見せないところが、当時の芸人としては新しかったのではないか。同じ対談では、芸能人とは絶対に結婚しないと言っていた彼だが、それは8年後に翻されることになる。

■「さんまは面白くなくなった」35歳の“曲がり角”(1990〜91年)

 さんまは1988年、33歳にしてかねてより交際していた女優の大竹しのぶと結婚する。じつは、サッカー好きの彼はワールドカップの前に結婚して、新婚旅行で見に行くのが夢だった。35歳になる1990年にはイタリアでW杯が開催される予定で、本来ならこの年に結婚していたはずだったという。それが2年早まったのは、大竹に亡き前夫との息子がおり、結婚するなら息子が小さければ小さいほうがいいと思ったからだ(※3)。たしかに子供も幼いうちのほうが母の再婚相手となるさんまにも懐きやすいだろう。結婚の翌年、1989年には大竹とのあいだに娘のIMALUも生まれた。結局、新婚旅行とはならなかったが、イタリアW杯には夫婦で見に行っている。35歳の誕生日の前日、1990年6月30日には、ローマでイタリア対アイルランド戦を観戦した(※4)。

 いま振り返ると、お笑いタレントのさんまにとって、35歳前後のこの時期は大きな曲がり角だったといえる。前年の1989年10月には『ひょうきん族』が終了、これを機に子育てに専念するため仕事をセーブするようになり、テレビのレギュラーは『笑っていいとも!』『さんまのまんま』『あっぱれさんま大先生』の3本に絞られ、ゴールデンタイムの番組はなくなった。松田聖子や沢口靖子と共演した映画『どっちもどっち』の製作発表では、プライベートに関する質問への回答を拒否し、報道陣の不評を買う。バラエティ番組でも、大竹をネタにすると本人に怒られるので、おのずと話題にしないようになった。ここからさんまは毒気を失い、面白くなくなったとの評判が強まる。各種の人気タレントランキングでも、それまで数年連続で1位だったのが軒並み転落した。家庭での幸福が必ずしも仕事でのそれにつながらないあたり、お笑いという商売の因果なところだろう。

■5億円の借金「死ぬか、しゃべるか」

 子煩悩で、すっかりマイホームパパのイメージがついたさんまは、35歳最後の日、1991年6月30日にはマンションから都内に新築した一戸建てに転居する。9億円とも10億円ともいわれた豪邸だが、実際には8億5000万円で購入したという。しかしそれから1年あまりで大竹と離婚、家は売りに出される。バブル崩壊直後とあってなかなか買い手がつかず、結局、3億5000万円で売却され、5億円もの借金が残った。その返済のため、さんまは引き受けられるだけの仕事をこなす道を選ぶ。のちにテレビ番組で当時の心境を振り返って、《5億(円)って借金すると諦められるねん》、《金額が大きすぎて、もう『死ぬ』か『しゃべる』か。すごい楽だった》と語っている(※5)。ただ、完済するまでの数年間には、声が出なくなる夢を何度も見たという。そんなふうに瀬戸際に追い込まれながらも、そこから脱却すべくさんまは再び多くのレギュラー番組を持つようになり、人気を挽回していく。

■“ひな壇”で視聴率20%連発 45歳の境地(2000〜01年)

 離婚する直前、1992年4月には『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)、離婚後の1994年には『恋のから騒ぎ』、1997年には現在も続く『踊る!さんま御殿!!』(以上2本とも日本テレビ系)がスタートし、いずれも視聴率20%を超える人気番組となった。これらはさんまが進行役で大勢の出演者を相手にトークを回していく、いわゆるひな壇番組で、これ以降、この形式の番組が増える契機となった。そこへ45歳になる前年、1999年にはフジテレビで『明石家マンション物語』が始まる。これは前出の三宅恵介の企画で、当時ほとんどなくなっていたコント番組の復活をもくろんだものだった。さんまは1992年より自らのプロデュースで舞台『今回もコントだけ』を毎年1回開催していた。演出を手がけていた三宅はこれをテレビに持ってきたいと思ったという(※1)。こうして始まった『明石家マンション物語』からは「ダァメダァメ」「意味ないじゃ〜ん」といった流行語も生まれた。

 45歳になった2000年には、戦時中の中国を舞台とした芝居『七人ぐらいの兵士』にも主演する。前年に主演ドラマ『甘い生活。』で共演した生瀬勝久と、番組の打ち上げで、一緒に舞台をやろうと口約束したのがその発端だという。出演のほか脚本も手がけた生瀬は公演に際し、死生観をテーマにしていると語り、さんまについて次のように語った。

《さんまさんの死生観が特殊なんですよ。あるとき、さんまさんが“おれは90歳までしゃべり続ける。90歳でべらべらしゃべってるおじいさんは面白いだろう”と言ったんですね。“おれは死ぬ気がしない”と言うんです。そういうことが言えるのは自信なんでしょうけど、多分、死ぬかもしれないとは思ってるんですよ。でも、死ぬまで生きるという、生きる塊みたいな感じがして、えらい人やなあと思ったんです》(※6)

 莫大な借金を抱え、「死ぬ」か「しゃべる」かの二択を迫られて後者を選んださんまは、しゃべりまくった末に、ある種の境地にたどり着いたのかもしれない。

■鬼滅の刃、リモート収録……65歳さんまが第一線で戦える理由

 さんまは50歳をすぎても安定した人気を保った。55歳になっていた2011年3月には『恋のから騒ぎ』が17年半で終了したとはいえ、『さんまのまんま』『からくりTV』『さんま御殿』はなおも続いた。2009年には、さまざまな研究者・評論家を集めてさんまとトークを繰り広げる『ホンマでっか!?TV』がフジテレビの深夜枠でスタート、翌年にはゴールデンタイムに昇格している。地上波テレビの完全デジタル化移行を目前にしたこのころ、若い世代を中心に視聴者のテレビ離れもささやかれていたが、『ほんまでっか!?TV』は2011年に入ってから平均視聴率15%を記録する健闘ぶりを示す。

 2014年には『からくりTV』が終了し、『さんまのまんま』も2016年にレギュラー放送を終えるが、一方で2015年には『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)が始まり、還暦をすぎてもなおさんまは多くのレギュラーを抱え続けた。元妻の大竹しのぶとは近年、たびたびテレビやラジオで共演し、夫婦漫才のようなやりとりを繰り広げている。今年1月から2月まで上演されたさんま主演の舞台『七転抜刀!戸塚宿』は、大竹も観劇、このとき舞台上でさんまがアドリブで彼女をネタにしたところ、大竹は思わず舞台に駆け上がって彼の頭をコツンと叩いた。観客はこのハプニングに大喜びしたことだろう。

 このコロナ禍にあってバラエティ番組も総集編やリモート収録でしのぐなか、さんまはほかの出演者がリモート出演になっても必ずスタジオで収録にのぞんだという。あるテレビ局関係者は、《さんまさんがスタジオにいる安心感から、慣れないリモート収録が成り立っているという部分は大いにありますよ》とコメントした(※7)。

 以前から後輩芸人への対抗心を隠さず、彼らの好きなマンガやアニメのチェックにも余念のないさんまだが、最近では『鬼滅の刃』にハマっていると伝えられる。先月も、大阪での仕事から帰京する新幹線の車内で、さんまが『鬼滅の刃』のキャラ・禰豆子の柄のマスクをしている写真が、後輩芸人の次長課長・井上聡のInstagramに掲載されていた(マスクはさんまの手製だという)。こうした趣味からも、後輩たちとまだ同じ土俵で戦おうという姿勢がうかがえる。その気構えがあるかぎり、今後もさんまは第一線で活躍し続けるに違いない。

※1 『日経エンタテインメント!』2000年7月号
※2 『週刊明星』1980年10月5日号
※3 『JUNON』1990年6月号
※4 『週刊文春』1990年8月2日号
※5 「sanspo.com」2016年1月11日配信
※6 『レプリーク』2000年9月号
※7 「文春オンライン」2020年5月27日配信

(近藤 正高)

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