月収1200万円「ピークを知る男」小島よしお 「そんなの関係ねぇ!」の呪いが解けた時

月収1200万円「ピークを知る男」小島よしお 「そんなの関係ねぇ!」の呪いが解けた時

小島よしおさん

小島よしお 地道に生かせた「早大教育学部卒」と、裸になれない「YouTubeの難しさ」 から続く

 これまでに何度も「再ブレイク」と言われてきた、ピン芸人・小島よしおさん。2007年には、高い身体能力を活かしたリズムネタ「そんなの関係ねぇ!」で一世を風靡した。仕事が少しずつ減っていくと「一発屋」と揶揄されて迷走した時期もあったが、試行錯誤の末、子ども向けライブなどを精力的に行い、着実にファン層を広げている。東京メトロによる「オフピークプロジェクト」で、「揉みくちゃにされて、毎日大変でした」と語る小島さんが、無理しすぎないで活躍できる場所を見つけるまでの軌跡を聞いた。(全2回の2回目/ #1 から続く)

■「素人とは違う」変なプロ意識

――小島さんは1980年生まれ。早稲田大学教育学部在学中に、お笑いサークル「WAGE」の一員として活動していたんですよね。深夜番組で「WAGE」のコント、よく見てました。

小島 それはけっこうなお笑い好きですね。WAGEに入ってお笑いの大会に出たら、芸能事務所にスカウトされたんです。5人組のグループで深夜番組にも出ていました。そのせいもあってか、学生の頃から「素人とは違う」みたいな変なプロ意識もあった気がします。授業中は割と静かにしていて。

 そういえば、ちょうど広末涼子さんが前の年に同じ学部に入学していて、授業が一緒になったこともありました。

■早稲田で広末涼子に話しかけた日

――広末さんの早稲田大学入学と中退をめぐって大きなニュースになりましたよね。マスコミや野次馬が集まって大騒ぎされている状況ではなかったんですか?

小島 僕が入学した頃には、広末さんは普通に学生生活を送っていたと思います。まったくお近づきにはなれませんでしたけど、一度だけ隣に座って、広末さんのことを知らない体で「お名前、何ていうんですか?」みたいな感じで話しかけたことがあるんですよ。WAGEのコントライブのチラシを渡しました。一応受け取ってくれたんですけど、ライブに来たことはないんじゃないですかね……。

――アハハ。本格的に芸能活動を始めてから、広末さんに会ったことはありますか?

小島 それがないんですよ。ドラマの記者会見をインタビュアーとしてレポートする仕事があったんですけど、他のメディアも大勢来ているのに、なぜか僕が行くと広末さんだけいないという。その頃の僕は裸でグイグイ行っていたので、話が通じる奴じゃないと思われて、周りの大人たちがうまいこと遠ざけていたのかもしれないですね。ソーシャルディスタンスを先取りしてました(笑)。

■真面目な性格で、意識して“狂人”に

――切ないですね……。デビューから1年ほどで「そんなの関係ねぇ!」が大ヒットした2007年頃のことは、どんな風に記憶していますか?

小島 寝坊癖のせいで単位が取れず大学は2留しているんですけど、WAGEの仕事がだんだんと減っていき、事務所もクビになって、方向性の違いからグループも解散。大学卒業のタイミングですべてを失ったんですよね。卒業しても先行きが見えず、しんどかった。

 知り合いのツテでサンミュージックに所属して、ピン芸人になってから「そんなの関係ねぇ!」のネタをやりだした頃、テレビのオーディションにも受かるようになりました。それがブレイクにつながってからは、本当に忙しかったです。あの頃は「狂人になろう」と思って、かなり異常な生活を送っていた。自分で言うのも恥ずかしいんですけど、もともと真面目な性格なので意識して狂人にならないと自分を変えられないと思っていたんです。たとえば、先輩の誘いは絶対に断らず、無茶ぶりにも全部対応する……みたいな毎日です。生活を変えるために家賃6万円の笹塚から、23万円の富ヶ谷に引っ越したり、芸能人がたくさん住んでいる中目黒に引っ越したりして、なかなか落ち着きませんでしたね。

■「一発屋」「すぐ消える」に抗う日々

――狂人時代は、なかなかハードそうな日々ですね。

小島 ピーク時は仕事が詰め込まれていて、仕事が終わっても先輩に誘われたら必ず飲み会に顔を出して、ヘトヘトになって1日が終わる。ひとりになる時間も少なかったし、とにかく余裕がありませんでした。仕事もたくさんあって「そんなの関係ねぇ!」の着ボイスも売れて。

――最高年収ってどれくらいだったか聞いてもいいでしょうか。

小島 年収ってあんまりわかんないんですけど、月収の最高額が1200万円でした。

――ものすごいですね。

小島 今思えば、テレビの収録中も「笑いをとらなきゃ」ということに躍起になって、周りが全然見えていませんでした。自分さえ目立てればいい、という意識で仕事をしていたので空回ってばかりです。ブレイクしている時期でさえも「すぐに消える芸人」とか「一発屋」とか言われてしまって、その言葉に抗うためだけに頑張っていたような気がします。

■単独ライブでウケなくなった危機感

――ブレイク後、子ども向けの仕事が増えていったきっかけを教えてください。

小島 大きなきっかけは、2008年頃から単独ライブでまったくウケなくなったことですね。仕事も減りはじめていて、僕と同じようにリズムネタで人気を集める新人も出てきて、このままではマズいと感じていました。裸をやめて服を着てみたり、次の方向性を模索していた頃に、先輩芸人の東京ダイナマイト・松田大輔さんが「子ども向けにネタやイベントをやってみたら?」とアドバイスしてくれたんです。

 さっそくやってみようと取りかかったはいいものの、それまで子ども向けのイベントをしたことがなかったし、周りにやっている芸人もいなかったので、試行錯誤の期間が5〜6年続きましたね。舞台が暗転すると子どもが怖がって泣き出してしまったり、夜の時間帯だと誰も来てくれなかったり。時間はかかりましたけど、ビビる大木さんやさかなクンをはじめ、ネタを褒めてもらう機会が多かったので途中で諦めずに続けることができました。

■レギュラー、露出が多ければ「幸せ」?

――小島さんは、東京メトロによる混雑時間帯前後の時差出勤・通学をPRする広告に「ピークを知る男」として登場していて、粋な人選だなあと。

小島 動画でも「揉みくちゃにされて、毎日大変でした」「あの時もあの時で幸せだったと思うんですけど、今のほうが幸せかなあ…」と答えているのですが、昔と今とでは「幸せ」の基準が変わったように思います。昔は、テレビの露出量、レギュラー番組の本数など、仕事量が多ければ幸せだと思っていましたが、今は仕事だけじゃなくて「休みの日も大切にしたい」と考えるようになりました。時には長めの休みをとって奥さんと旅行をしたり。まあ、そう考えるようになったのは結婚してからですね。

「ピークを知る男」の反響も大きくて、ダンディ(坂野)さんとは、撮影は別々の時間帯だったんですけど、「若くてハンサムね。」とツイートしてくれていました(笑)。LINEでも「あれ良かったよ」と感想を送ってくれて、僕の仕事をよく見てくれているんですよね。本当にダンディな先輩です。

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 ただ、ひとつ不思議なことがあって……。ダンディさんは歌がお好きなので、これからYouTubeチャンネルを開設する予定で、この自粛期間中に打ち込みを教わって自作の曲をつくったそうなんですよね。その歌が、なぜか僕のことをテーマにした「そんなの関係ねぇ!」というフレーズが出てくる歌らしいです。

■ピークの時期がずれている「一発会」

――それはすごいですね(笑)。2015年にはいわゆる「一発屋芸人」と言われてきた面々による「一発会」が発足、第1回にはレギュラー、クールポコ、ゆってぃ、天津・木村、コウメ太夫、レイザーラモンHG、スギちゃん、テツandトモ、ダンディ坂野、髭男爵という多彩なメンバーが集まったとか。今でも定期的に集まっているんですか?

小島 コロナの影響もあって、最後に集まったのは昨年の12月くらいですかね。一発会はお互いの活動を報告して、褒めたたえる優しさあふれる会です(笑)。それぞれピークの時期がズレているからか、ライバル視することもなく、朗らかな関係を築いていますね。

「一発屋」って「一回出て消える」というネガティブなイメージが強いと思うんですけど、僕は一発屋をブランド化したいんです。一発当てたあとにテレビの露出が減っても別の場所で活躍できるというモデルケースを作っていきたい。たとえば、髭男爵のひぐちさんはワインのスペシャリスト、僕だったら子ども向けのイベントみたいな感じで、ステージを変えていくのがこれからの一発屋だと思っています。アンティーク的な付加価値もつけていきたいです。

――小島さんは、他者からのアドバイスも受け入れてフットワーク軽く動けるというか、そのうえ一貫してすごく謙虚ですよね。

小島 これまで僕は、人のアドバイスを受け入れたほうがうまくいくことが多かったんですよね。もともと確固たる信念があるわけでもないので、言うことを聞くしかないというか(笑)。一度提案されたことは、何でもトライするようにしています。

 たしかに、フットワークの軽さは自分の長所だと思います。常に自分の考えがブレているからこそ、周りの人のアドバイスは真摯に受け止めて実行してます。

■志村けんさんからの同じギャグを「やり続けろよ」

――その一方で、デビュー当時から海パン一丁の裸芸は変わらずに続けていますよね。

小島 「裸で続けたほうが面白いんじゃない?」っていうアドバイスは色々な先輩からもらいました。これは、タカアンドトシのタカさんの話だったと思うんですけど、志村けんさんに、「欧米か!」の次のギャグが思いつかなくて相談したところ、「『欧米か!』をやり続けろよ」「俺だって、『変なおじさん』と『バカ殿』しかないんだ」というアドバイスをもらったと。

■「そんなの関係ねぇ!」の呪いが解けた時

小島 それを聞いた直後は、すんなり受け入れられない気持ちもあったんですよ。「そんなの関係ねぇ!」を一時期ちょっとやめているというか、特にブレイク直後の2008年から2009年頃は迷っていて、「そんなの関係ねぇ!」を超える新しいネタをつくろうと考えている期間があったんです。でもうまくいかなかった。子ども向けのライブをやり始めた頃と同じ時期に、踏ん切りがつきましたね。持っているものをしっかり大事にするやり方もあるのかなと思って、今でも裸芸はライブを中心に続けています。

――ある意味、呪いが解けたといいますか。

小島 はい。考え方を変えたら気が楽になったし、生きやすくなりました。何より、当時も今も子ども向けに活動している芸人さんはあまりいないので、競争しないでいられるこの状況が性に合ってるなあと思います。そもそも僕は競争力が弱い人間なんですよ……。だから芸能界の雑草として生きていこうと。

――雑草ですか?

小島 以前、『 雑草はなぜそこに生えているのか 』(ちくまプリマー新書)という本を読んでいたら、雑草はどこでも生える強い植物だと思われがちだけど、じつは弱くて競争力がないからほかの植物が生えない場所を選んでいる、ということが書かれていたんです。この本に巡り合ったときに「これ自分のことだ!」と、衝撃を受けました。もし今後、子ども向けにネタをする芸人さんが増えたら、また新天地を探すかもしれません(笑)。

■50までは裸で頑張りたい

――2020年の今年、小島さんは不惑の40歳を迎えます。今後の展望について教えてください。

小島 早いもので、もう40なんですよね。直近では、「 おっぱっぴー小学校 」のコンテンツを増やしたいですね。最近あたらしく、「 ピーヤの休日【ピーヤTV】 」というチャンネルも作ったところで、鬼ごっこやかくれんぼの新ルールを提案する“遊び”に特化した動画を展開していく予定です。今後イベントができる状況になっていったら、全国を回って課外授業がしたい! あと最低50になるくらいまでは、裸で頑張りたいなっていう気持ちがあります。逆に言うと、50が限界かなとも思います。今はまだ、イチローと同じ感覚ですね(笑)。

取材・構成=清談社
写真=山元茂樹/文藝春秋

こじま・よしお/タレント、お笑い芸人。1980年生まれ、沖縄県出身。2007年、「そんなの関係ねえ!」がブレイク。同年の「流行語大賞」にノミネートされる。早稲田大学卒の経歴を生かし、クイズ番組やバラエティだけでなく、子ども向けライブ、YouTube(「 小島よしおのおっぱっぴーチャンネル 」、「 ピーヤの休日【ピーヤTV】 」)からも発信を続けている。

(小島 よしお)

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