次々と舎弟が去っていく……「愚連隊の帝王」はなぜ厄介者扱いされるようになったのか

次々と舎弟が去っていく……「愚連隊の帝王」はなぜ厄介者扱いされるようになったのか

若き日の加納貢

 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは―― 著作「 潜入ルポ ヤクザの修羅場 」(文春新書)から一部を抜粋する。

 筆者が、かつてヤクザからも一目置かれていた伝説のアウトロー・加納貢との付き合いを述懐する。

◇◇◇

■自称・加納の女

 すべてが嘘だったわけではない。

 かっこよくいえば、「愚連隊の帝王」加納貢の本質は自由と反骨精神にあった。人生をファンタジーに昇華できたのもそのおかげである。だが、この理想が綺麗事すぎて、すこぶるたちが悪い。というか、青くさい。あまりに理想主義的で、現実を生きていく力がないのだ。

 特定の女を作らず、家庭を持たなかったのも、加納が束縛を嫌ったからだった。言い換えれば、加納は責任を持ちたくなかった。実際、彼は生涯独身を通し、家族を持たずに死んだ。にもかかわらず、我が家に来ると『渡る世間は鬼ばかり』を欠かさず観ていた。家族を捨て、家族を持たなかった加納が、家族内のゴタゴタをテーマにしたホームドラマにはまっていたのは、不思議な光景だった。

■過去の女性関係を探る

 ネタにつまって加納の女関係を調べようとしたことがある。手伝ってくれたのはボタンヌのママだった。ママは以前加納とつき合っていた女性――P子さんを紹介してくれると言ってくれた。約束を取り付けてボタンヌに出かけると、なぜか加納が店に来ていた。邪魔をしにきたのは明白だった。

 加納に聞こえないようママに耳打ちした。

「P子さんが来る日にちをずらせませんか?」

「なんで?」

「だって加納さんがいれば、ほんとの話なんてしないでしょう」

「じゃあどうするの?」

「今日のところは加納さんを騙します」

「私にはちゃんと人間の底が見えるのよ。何十年新宿で商売してると思うの。あんたは小悪党ほどもいかない。そんなことしても加納さんには通じない。さっさとトイレいって鏡をみてごらんなさい。ぎゃっ、はっ、ほっ」

 ママは空手なのか、少林寺拳法なのかわからぬ仕草で私をどやしつけ、今度は加納の横に座った。

「あらみっちゃん、今日はジュース? ちょっとは売り上げに貢献してくれないかしら。ほら、ボタンとれてる。脱ぎなさい。うちは店がボタンなんだから。ぎゃっ、はっ、ほっ」

「ああ……」

 加納は言われるまま上着を脱いだ。

「鈴木君! トイレ、早くGO!」

 トイレに行っている間、ママは加納を説得してくれていた。加納は頑強に女関係を調べられるのは困る、と渋ったらしい。私がトイレを出ても話が付かなかったようで、ママは片目をつぶり、片手をあげてちょっと待て! のポーズをしたあと、カモン! と人差し指をクイクイさせた。

「あんた、寿司買っといで!」

 戻ってくるとおかあさんは、「ずっとお願いしたんだけど駄目だった」と肩を落とした。結局P子さんには会えずじまいだった。

■女性とは一線を引き続けた

 あとあと、加納には女と付き合う、という感覚が欠落していることがわかった。パートナーなど不必要だし、気が向いたときに食事をしたり、映画を見たり、ときにセックスするだけでいいのだ。相手も加納同様、割り切った女ならよかった。だが、たいていの場合は女が一方的に熱を上げ、そうなると、加納は女との一切の連絡を絶ってしまう。高価なプレゼントを持参し、加納の気をひこうとすれば逆効果で、女からの貢ぎ物はすべて舎弟に与えた。最初の頃はめげない女でも、自分が思いを込めて選び、プレゼントしたマフラーやシャツ、コートや帽子を、加納の周りの舎弟が身につけているのを目にすると、さすがに気落ちしたらしい。P子さんは、その当人である。

 だから加納にとって、売春宿ほど居心地のいい場所はなかった。「自称・加納の女」は新宿の青線のあちこちにいたし、実際、こうした場所で加納と夜をともにした女は数え切れないほどいる。だが、ここでも相手がちょっとでも加納を束縛しようとすると、加納は冷淡なまでに女を突き放した。周囲の人間がいくら可哀相と同情しても、まったく耳を貸さず、そのうち女が諦めて加納のもとを去っていくまで、その冷たい態度は変わらない。

■編集部に届くラブレター

 ときには編集部に女性からのラブレターが届けられた。「今日、生き別れて20年近くになる父から電話がありました。仕事もなく、する気もなく、『お金貸してくれ』って、なんだか情けなく悲しくなりました。加納さんがもし私のお父さんだったら、26歳にもなる私にこれからなにをして食べていけとおっしゃって下さいますか? 自分の人生だから自分できめなくてはいけないですよね。父としてアドバイス下さい。

 この前、インターネットをみていたら、『12月28日に加納さんとパチンコ屋で会って握手していただいた。凄く幸せだった』という男性がいらっしゃいました。私もパチンコ屋に行けば加納さんに会えるんでしょうか?

 昔、6000円が全財産だったとき、全部負けて泣きながら、もうパチンコはやめようって決めてから本気でやったことはありません。

 加納さんはなにしてる時が一番楽しいですか? 私は柄にもなく、小さいときからやっている日本舞踊を見たりしてる時が楽しいです。いつか発表会のある時は見に来て下さいね。今度、加納さんの人生のうちのほんの10分だけでもいいから会って下さい。私の夢は加納さんにお会いできることです。どんな女性が好きですか? 教えて下さい。加納さんの好きなタイプに近づけるよう努力したいです。もう4月も終わりです。今日も雨でした。

 手紙、きちんと届けばいいんですけど……。幼稚な文面と乱筆お許し下さい。身勝手な手紙を書かせて下さってありがとうございました」(Sさんからの手紙を一部抜粋)

 大抵20歳代で、最年少は20歳だった。年に10通は来ていただろう、こうしたラブレターを読むと胸が痛んだ。

 嘘をついていることに対し良心がとがめる上、加納はそうした手紙を読もうともしないのだ。この手紙はさすがに読んでもらった。もっと露骨な求愛のメッセージが多かった。

「捨てておいてくれ」

 さすがにそれもできず、何通か「加納さんは忙しいのでお会いできませんが喜んでいました」と適当に返事をした。なかにはストーカーめいた女性もいて、「加納さんに会わせてください」と編集部に押しかけてくるときもあった。

■離れていく舎弟たち

 自由を大義名分にした漂泊者の哲学は、加納の作ったグループにも当てはまる。

 愚連隊には親分・子分という疑似血縁制度がない。兄・舎弟のそれ、しかも口約束だけが唯一の絆だ。しかし舎弟が喧嘩になっても、加納は一切助太刀をしない。これではまったくグループの意味がないだろう。

 また、せっかく新宿の暴力社会でも有数のスターになったというのに、加納は舎弟たちに一切、ゆすりたかりをさせなかった。自分は金持ちだからそれでもいい。暴力団から差し出された和解金を蹴ることもできるし、かっこよく人助けをして、謝礼を受け取らなくても生きていける。しかし、加納が舎弟たちに生活費を与えていたわけではない。自然、彼らは加納の目の及ばない部分で悪さをする。それが露呈したときだけ、加納は烈火のごとく怒った。霞を食って生きろと命令されるようなもので、舎弟たちはどんどん加納の元から離れていった。

■加納貢が暴力社会で輝けた理由

 が、戦後の一時期、たしかに彼の愚連隊はあった。それはなぜか?

 矛盾が成立したのは、暴力社会の競合者であるヤクザ組織が弱かったからだ。ライバル不在のため、まとまりのない集団は外見を取り繕うことができたのだろう。「当時は事務所なんかない。定期的に集まるなんてこともない。朝起きて、なじみの喫茶店でコーヒーを飲んで、玉突きにいく。夕方になれば飲みに行って、それで終わりだ」(加納の舎弟H氏の談話)

 当事者たちにきくと、その生活はいまはやりのニートのようなものだったのではないか、とさえ思う。ここに加納の犯した大きな罪がある。漂泊の人生を送りたいなら、他人を巻き込んではならない。女に対しては首尾一貫していたくせに、男に対しては「自分のもとにいればなんとかなる」という幻想を植え付け、それを否定しなかった。霞を食って生きて行けるのは、加納しかいないというのに……。

■責任を負うことを嫌い続ける

 舎弟たちは加納を敬愛しながら、同時に憎んでいたふうだった。だいぶ後になってからだが、加納は毎月一度、10日に新宿某所で定期的な集まりを開くようになった。大抵、10人から20人くらいの人間が集まり、現役の暴力団も時折顔をみせた。メンバーはいつも決まっていたが、ときどき昔の舎弟たちがこの集まりにやってくることがある。

 あるとき、偶然、10人近くの舎弟たちが集まった。ひょんなことから舎弟たちが、ののしり合い、口げんかをしはじめた。加納はそれをまったく止めず、ただ自分の席に座っていた。加納のグループにはなんのまとまりもなかった。場は気まずい空気が漂い、せっかく顔を見せた舎弟たちは二度とその場に現れなくなった。

 雑誌ではこれを「権威を嫌った加納の平等主義」とか、「加納はすべての人間が平等と思っている」と美辞麗句に変換する。が、それはとても実情に合った表現とはいえない。責任は持ちたくないが、チヤホヤされるのが気持ちよかったのかもしれない。まだ暴走族のリーダーのほうがまともである。

■愚連隊の帝王はいつしか厄介者扱いされるように

 時間が経つにつれ、1人、2人と人間が離れていった。年老いた加納は財産を失い、これといった使い道もなかった。行動を共にしていれば、延々と青年のような理想論を聞かされ、おまけに飲み食いの金がかかる。こんな厄介者にくっついていても、なんらメリットなどないだろう。

 月一開かれる懇親会のパーティーに来る人間たちは、みな加納に恩があった。断れない理由はそれぞれだが、たとえば過去、加納からかなりの金を借りたメンツだ。そんな昔なじみに加え、ごく最近加納を知ってその過去に憧れた人間たちもやってきた。上っ面の、短時間の付き合いなら、神話に触れられ相応の満足感はあったろう。とにかく外面だけはいい。金もないのに気前もいい。

■支払いはいつもライター任せ

 亡くなる2、3年前、毎月行っている懇親会を、軽井沢のホテルでやろうという話が持ち上がったときのことだ。会費制とはいっても、私が加納の分まで負担することは分かっていたから反対した。軽井沢には加納の女友達がいて、どうしても彼女に会いたいと懇願され、渋々承諾した。現地に加納を送って行く役目は、当然私が仰せつかった。

 ホテルにチェックインすると、これまた当然のように加納と同室になった。私の仏頂面などお構いなしで、他のメンバーは高原の休日を満喫していた。食事に出かけ、その帰りにスナックでカラオケを歌おうと盛り上がった。私は抜け出してホテルに帰ろうとした。決まっている。その勘定は私に回ってくるからだ。

「お前どこ行ってるんだよ」

 車に乗っていたら、電話がかかってきた。

「みんな探してるぞ。勝手なことをするんじゃない」

「勝手に行動してなにが悪いんですか? 愚連隊は自由なんでしょ」

「がたがた言わず、すぐ戻って来い」

 渋々、Uターンした。帰り際、やはり勘定は加納持ち、すなわち私持ちだった。

■老いゆく愚連隊の帝王

 ホテルに戻って加納を先に風呂へ入れた。愚痴はベッドでゆっくり聞いてもらえばいい。すると浴室から何度も「バッシャーン」という水を打ったような音が聞こえてきた。湯船に浸かった加納が起き上がれず、何度もバスタブでひっくり返っていた。

「ここは滑るなぁ。死ぬかと思ったぜ」

 老いた加納の様子をみて、愚痴を言う気が失せた。ベッドに転がると、加納は大いびきをかいて寝てしまった。窓を開けて静まり返った森を眺めながらビールを飲んだ。運転手役の私は、部屋に入るまで酒が飲めない。

 子供のように丸まって寝ている加納の体は想像以上に華奢になっていた。複雑な感情がこみ上げて来て、涙がこぼれた。精神的・金銭的な負担を強いられ、悲しかったわけではない。なんだかんだ文句はいっても、それは納得ずくである。孤独な老人が惨めだったわけでもなかった。ただ、加納の姿を見ていると泣けてくる。楽しく酔っぱらい、他の部屋で寝ている人間たちは、こうした加納の姿を知らない。

かっこいい理想を口走り、最後まで貫いた“堕ちたヒーロー”の孤独な最期 へ続く

(鈴木 智彦)

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