大阪府某所……ヤクザが開帳する博奕の現場に潜入取材した!

暴力団のシノギの1つ博奕の現場に潜入取材 完全な閉鎖空間で、録音も撮影も禁止

記事まとめ

  • 大阪府某所、暴力団が開帳する博奕の現場に鈴木智彦氏が潜入取材した
  • 関西では博奕場を「盆中」、関東では盆中と言わず「賭場」というそう
  • 賭場は厳しい摘発を受け、古典的スタイルの盆中はほぼ壊滅したという

大阪府某所……ヤクザが開帳する博奕の現場に潜入取材した!

大阪府某所……ヤクザが開帳する博奕の現場に潜入取材した!

©iStock.com

 新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所を構え、長年ヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――。暴力団のシノギの一つである「博奕」について、著作「 潜入ルポ ヤクザの修羅場 」(文春新書)から一部を抜粋する。

◇◇◇

■盆中に潜り込む

 大阪府某所……。

 住宅街にある倉庫のような建物は静まり返っており、倒産した工場のようにも見えた。防寒着を着込みニット帽を被った中年男が2人、入口の脇のパイプ椅子に座っていた。午後8時過ぎ、隣接する繁華街は賑やかでも、わずか5分ほど歩いたここには、ほとんど通行人がいない。振り返るとシキ張り――見張り役の組員が道路の辻ごとに立っていて、周囲に目を光らせていた。気づかなかったことを反省した。浮かれすぎては取材にならない。

 深呼吸して、「○○親分から紹介された者ですが……」と伝えた。

 シキ張りの組員は寒さでこわばった顔のままドアをノックし、中から鋼鉄製のドアが開けられた。

「今日は冷えますね」

 話しかけてもニコリともしない。

 中に入ると殺風景な通路が5メートルほど続き、また頑丈なドアがあった。それを開けるとようやく玄関で、四畳半ほどの広さがあり、大きめの靴箱にぎっしり靴が並んでいた。スニーカーを脱いで下足番の若い組員に渡す。サンダル、パンプス、革靴、運動靴……靴箱の中身には統一感がなかった。

 玄関にもパイプ椅子と灰皿が置かれ、3人の下足番が待機していた。客の履き物を管理するのは、見た目以上に大事な役割とされる。靴の渡し間違いで殺人事件になったこともあるし、万が一の際はここが警察との最終防衛線となるからだ。自分たちが逮捕され懲役となっても、体を張って客たちを逃がさねばならない。

■博奕の現場は完全な閉鎖空間

 若い衆の後ろについて板張りの廊下を歩く。やはり世間話をする雰囲気ではなかった。廊下の窓は表から板を打ち付けられ、完全に遮蔽されていた。途中で折れ曲がり、分岐し、20メートルほどあっただろう。編集者時代から交流を重ね、カメラ持参で潜入するまでほぼ4年。長く折れ曲がった廊下以上に、この取材に至る道のりは長かった。原稿料の大半を先行投資し、大阪に拠点を持った甲斐はあった。短期的には赤字でも、暴力団取材をする身にとっては大きな収穫だ。暴力団社会の変化は早い。シノギでも抗争でも、いま取材しなければ、なくなってしまうかもしれない。

■当然ながら取材は歓迎されていない

 廊下の突き当たりにはまた扉があって、建物の内部は迷路のようだった。ようやく狭い応接室に通された。ソファーでは幹部たち4人がテレビを観ながら談笑していた。

「お世話になります」

 幹部たちは顔をしかめた。

「あのな、雑誌に載せるのはもちろんやけど、今日見たことは全部なかったことにしてもらう。はっきり言うとくが、余計なことされたらシャレにならんで」

 怒鳴られているわけではないが、歓迎されてもいない。

 口ひげを蓄えた他の幹部が続ける。

「客がいる間、撮影は一切禁止や。もめ事になるさかい博奕が終わったあと、模擬戦をするまでカメラを取り出すのもあかん。録音も駄目や。盆中をうろちょろされても困る」

 くどいほど何度も釘を刺される。直立不動で「はい。分かりました」と繰り返した。学校の職員室で説教されているような気分だ。

 一通り注意を受けると、反対側にある別の出入り口を行くよう指示された。

 再び長い廊下を抜けると、そこは盆中だった。

「勝負!」

 威勢のいい声が聞こえる。ようやく来た。感無量だ。

■関西では盆中、関東では賭場

 盆中とは博奕場のことである。ヤクザの分類に“博徒系”というカテゴリーが残っているのは、かつて盆中がヤクザの主要なシノギだった名残だ。ボンクラ――鈍く見通しのきかない様は、盆に暗いというヤクザの符丁から一般に普及している。関東では盆中と言わず賭場という。完全に違法な博奕場であることは同じでも、ゲームの種類は違っており、西日本は本引き、東日本ではバッタ巻きが行われる。本引きは一から六までの目を当てる博奕で、胴元と客がその場の金を取り合う。バッタ巻きは丁半博奕のようなもので、客同士に金の奪い合いをさせるから、胴元が損をすることはない。主催者にとって本引きはリスクが高い。そのぶん、駆け引きの妙があって、勝負にはドラマ性がある。

■現在まで受け継がれる博奕によるシノギ

 いまも博徒系組織は多いが、賭場は厳しい摘発を受け、古典的スタイルの盆中はほぼ壊滅した。野球賭博になったり、バカラハウスに変化したが、規模はずいぶん縮小しているだろう。今のミナミはオンラインカジノが全盛である。昭和40年代、賭場の摘発が非現行となるまでが博徒の全盛期だった。大きな都市や温泉街には常設の盆中があって、それらは常盆と呼ばれていた。

 常盆に対し、客を手配して行う大きな博奕を“オオガイ”という。由来や表記がはっきりしないのでカタカナで書くしかない。祭りや興行にも、オオガイがつきものだった。相撲の巡業などがあると、その前日、花興行と呼ばれるオオガイが公然と行われていた。

■東映ヤクザ映画の世界

 この日、私が潜入したのもオオガイで、客たちは古参の親分ばかりだった。顔見知りも数人いた。「なんでここにいるんだ?」

「見学させてもらえることになりまして」

「そうか。ガサがあったら一言も口をきくな。世間話もいかん。お前みたいな素人を引っかけるのは簡単だからな」

 この脅しは冗談ではなかったろう。

 警察にとってオオガイの摘発は点数も評価も高い。常盆は明らかな常設賭博でタチが悪いはずだが、客が自分の意志で勝手にやってくると解釈されるため、そう悪質ではないと判断されるのだ。あちこち声を掛け、わざわざ賭客を集めて行う博奕は、なんともけしからん組織犯罪というわけである。実際、有名人を一網打尽に出来る上、裁判で争うこともなく、確実に刑務所に送れる。

 実利的かつ、日本的なロジックによって、ある意味、オオガイは覚せい剤取引以上のタブーとされる。また、非合法収益にも税金が掛けられるようになったため、盆中が摘発されると巨額の追徴金が課せられる。博徒の取材は摘発に直結するため、かなり神経を使わねばならない。博徒小説の第一人者だった青山光二でさえ、盆中に潜入したさい、「いったいどこか分からない場所に案内された」と、とぼけた。取り締まりが緩い時代でもそうなのだから、いまはもっとデリケートである。

 客の証言で2年以上も前のオオガイが検挙された例もあって、こうして書けるのは時効を過ぎ、主催者だった親分が死んだからだ。

「まぁ座って。初めてやろ?」

 緊張して立ち尽くす私に、主催者の親分が声を掛けてくれた。

「失礼します。お邪魔します」

■聞こえるのは札を切る音

 座っている親分たちにいちいち頭を下げながら、入口から一番奥の隅に正座した。10畳ほどの日本間のふすまが取り払われ、横長に?げられた二つの部屋は、畳の真ん中に幅1メートルほどの白布が敷かれていた。白布の手前には20人弱の張り手がいた。

 無音ではないが、静かだった。それぞれが札を切る音がはっきり聞こえる。

 反対側、壁を背にした中央に胴師が座っていた。その左右には各2人、合計4人の合力がいて、瞬時にレート計算を行い、金をつけ引きする。胴師も合力も、みな黒いダボシャツの上下を着ていて、かつて大流行した東映ヤクザ映画のワンシーンそのままだった。ダボシャツにはポケットがない。イカサマをしないという意思表示のため、これが博徒の正式なユニフォームなのだ。

■どんな博奕が行われているのか

 ここで行われていたのは本引きの中でも手本引きという種類で、ルールは前述の通り、一から六までの数字を当てるという簡単なものだ。胴師は一から六まで、合計6枚の札――コテンを持ち、後ろ手にしてそのうちから1枚を選び出し、張り手はその目を当てる。

 当時、すでに本引きは廃れ、サイコロを使って目を決める賽本引きが主流となっていた。サイコロを振るだけだから勝負が早く、すべては偶然だから技量は関係なく、そのため敷居が低い。いまなら手本引きの取材は不可能だろう。許可が出ないのではない。もう行われていないのだ。手本引きが出来るほど上手に札をくくれる人間は、ある世代以上の人間に限られている。もう10年も経てば手本引きは消滅する。

 最近、手本引きの札が販売中止となった。かつて関西地方を中心に、どのおもちゃ屋、たばこ屋でも気軽に買えたのだが、この数年であっという間に姿を消した。任天堂や大石天狗堂といったメーカーが販売を取りやめたのは、単に需要がないからだろう。

「勝負行きまっせ」1回で1000万円近く動いたヤクザによる博奕の実態とは へ続く

(鈴木 智彦)

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