僕らはずっと、高橋由伸を失ったままなのか

僕らはずっと、高橋由伸を失ったままなのか

現役時代の高橋由伸 ©文藝春秋

 去年の夏、自分の企画したCMに高橋由伸元監督にでてもらった。ノンアルコールビールの夏のコマーシャルだ。ゴクッと飲んだあと海をみつめるその横顔に、「さあ、自由だ。」というコピーを書いた。もちろん商品の名前から生まれたコピーだったけれど、ひとりのファンとして、いろんな思いを一緒にしてきた偉大な選手のことをぐるぐる考えて言葉を選んだ。設定は、水平線のむこう、未来を睨む男。時代を拓く強い意思をもつ男。けれどカメラ越しに見るその横顔はどうにも穏やかなものだった。

■僕たちはずっと高橋由伸を失ったままだった

 撮影はまだペナントレースが始まる前だった。聞きたいことは山ほどある。言いたいことも山ほどある。川上憲伸から打った由伸、亀井、小笠原の3連発のこと。中日戦のあの激突のこと。開幕先頭打者初球ホームランの興奮。吉川尚輝みたいな選手をファンはどれだけ待っていたか。岡本和真の才能はどこまでいくのか。今年はどこが優勝しそうか。監督時代にとっていたあのメモには何を書いていたのか。野球の話をいっぱいしたかった。けれどいざ現場でいっしょになるとなかなか言葉がでてこない。きっと聞けばなんでも話してくれる、そんな柔らかな空気でいてくれるのに。

「野球をはじめてから、
 はじめての夏休みなんで
 どう過ごせばいいかまだわからなくて」

 高橋由伸はメイキングカメラのインタビューにそう言って笑う。

 2015年の突然の引退と監督就任。僕らは気持ちの整理がつかないまま、高橋由伸を失った。不本意にシーズンが終わった寂しさがさらに憂鬱を重くする。打率3割を超える代打の切り札を引退させる球団が憎くすらあった。それを受け入れてしまう選手に無力感を覚えた。監督になったユニフォーム姿の高橋由伸を見ていても、その喪失感は埋まらなかった。チームが低迷していたからかもしれない。希望の欠片を探すのにも疲れた。

 それからずっと僕たちは高橋由伸を失ったままだった。去年の阿部慎之助の引退は美しかった。神宮最終戦でまさかのヤクルト小川監督の申告敬遠に僕は外野席で悲鳴をあげた。ありえない。野球を見せてくれよ。そう叫びながらそれでも心は満たされていた。その瞬間に立ち会えているという喜びがベースにあるからだろう。由伸のファンフェスタの引退セレモニー、あれは野球じゃない。最後の打席を、最後の打席としてみたかった。空振りでもいい。敬遠でもいい。もしかして打つんじゃないか。原だってそう言えば引退試合でホームランを打ってるじゃないか。先発が打ち込まれるとベンチのなかでメモをとる高橋由伸は、もう高橋由伸じゃなかった。僕たちはずっと高橋由伸を失ったままだった。撮影現場で穏やかに微笑む高橋由伸も、やっぱり僕の高橋由伸じゃなかった。それが無邪気な会話を躊躇させた。

■監督という打席に、代打として立ったのだ

「野球をはじめてから、
 はじめての夏休みなんで
 どう過ごせばいいかまだわからなくて」

 ところが、この言葉を聞いた瞬間に僕のなかにあったわだかまりが嘘みたいに消えていくのがわかった。それからゆっくり心の底の方から温かい気持ちがにじみでてくる。悲劇の天才なんて僕らが勝手にそう言っているだけで、きっと本人は日々を信念をもって歩き続けてきただけなんだろう。すべてを受け入れて前に進んできただけなんだろう。僕たちはその背中に勝手にたくさんの物語を押しつけていただけなんだ。このひとは今も変わらずに黙々と道を歩いているのだ。僕たちは彼を天才と呼んで、そこに悲劇なんて言葉を安易につけて、その言葉の檻に彼を閉じ込めようとした。

 すべてにおいて2番がいい。何かひとつずば抜けたものを手に入れようとして他を犠牲にするくらいなら、全部2番がいい。そうすれば自分を見失わずにいられる。高橋由伸が選手時代にそう語ったことがある。当時は物足りない発言だと思ったが、今あらためてその言葉を見ると、大事なのは自分を見失わないこと、のほうだとわかる。他人が思い描く高橋由伸を追うとそれは自分ではなくなる。そんなことを思っていたのかもしれない。あらゆる技術のバランスのとれた集積こそが自分という選手としての生命線で、外からの声を牽制するための言葉だったのかもしれない。悲劇の天才を演じるために打席に立つのではない、ただ野球をするために打席に立つのだ。ときに王子様と揶揄されても高橋由伸はそのスタンスを最後まで変えなかった。わかった。監督という打席に、代打として立ったのだ。ただ野球をするために。

 高橋由伸の打球は本当に美しかった。今、無観客の試合や5000人限定の試合を観ていると打球音が球場に響く。それはそれでとても楽しいのだが、僕らが何度も見上げたあの放物線はいったいどんな音がしたんだろう。岡本のようなガン!という音とも違う、亀井や尚輝のようなカンッ!という音とも違うはずだ。最短距離でバットをボールに向けて振り抜くあの美しいスイングはいったいどんな音をさせただろう。きっと短く硬い破裂音だ。無駄のない音だ。きっとボールが歓ぶ音だ。あるいはバットに乗って運ばれるその音は意外にも柔らかな音だろうか。

実況「高橋選手の打球音はどの選手とも違いますねぇ」

解説「力みのないスイングがこういう音をさせるんですね」

実況「それにしても美しい放物線でした」

 実況はきっとゲームの展開よりも先に打球の話をするだろう。高橋由伸の打球は間違いなく他とは違う特別なものだ。あの放物線は心を踊らせる。長い長い放物線を描いて、僕のなかの高橋由伸の打球はようやくスタンドではねた。

 撮影がすべて終わったあと、高橋由伸とみんなで握手をした。それは撮影後の儀式のようなものだけれど、僕だけは両手で、強く握って、胸のなかで大きく、「ありがとうございました」と言った。高橋由伸選手、おつかれさまでした。

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(高崎 卓馬)

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