「産もうと。結婚なんてしなくてもいいからって」時代のミューズ・小林麻美が37歳で親友ユーミンにも芸能界にも別れを告げた理由

「産もうと。結婚なんてしなくてもいいからって」時代のミューズ・小林麻美が37歳で親友ユーミンにも芸能界にも別れを告げた理由

杉山拓也/文藝春秋 

 4年前、25年ぶりにモデル活動を再開した小林麻美さん。小林さんはなぜ人気絶頂期に突然引退し、なぜ復活したのか。その激動の人生と、「幸福論」に岡村ちゃんが迫った。

◆ ◆ ◆

小林 私の長いキャリアでも文藝春秋社に来たのは初めて。ほかの出版社はすごくあるのに、ここだけは(笑)。なんかドキッとするじゃないですか、後ろめたいことなんてな〜んにもないのに(笑)。

岡村 この対談は「幸福」について聞くものなのでご安心ください。

小林 良かった(笑)。

岡村 以前、別の雑誌で『結婚への道』という対談連載をやっていたんですが、これはその発展系で。僕、結婚したことがないんですよ。

小林 ゼロ?

岡村 ゼロです。だからこそ、なぜみんな結婚するのかを知りたかった。結婚した人、離婚した人、1人で生きている人、同性愛の人、いろんな人の話を聞いたんです。

小林 結論は??

岡村 当たり前ですが、結婚=幸せの形ではないんだなと。だから、ますます結婚がわからなくなりました(笑)。ただ、お子さんがいらっしゃる方のほとんどが、「とにかく子供だ」と。子育てを通して得がたい経験ができるのがいい、それが幸せであるとおっしゃって。

小林 その通りだと思います。子育ては最高。私もそう。子供の存在はすごく大きかった。

■18歳で歌手デビュー。でも売れなかった

岡村 小林さんのオーラル・バイオグラフィー(『 小林麻美 第二幕 』)を読みました。60〜80年代の東京のカルチャーが六本木のレストラン「キャンティ」を中心に描かれていて興味深かったです。

小林 ありがとうございます。

岡村 小林さんは、高校生の頃に芸能界に入られましたが、スカウトされたのがキッカケだったと。

小林 そう。それが15ぐらいの頃。で、仕事を始めたのが17。いくつかCMをやって、18で歌手デビューするんですが、売れなくてやめて。ハタチ前ぐらいからモデルをやるようになって。そこでようやく開花した、そんな感じかな。

岡村 資生堂やパルコのCMで一世を風靡して、ファッションアイコンになって、ドラマや映画でも女優として活躍して。そして、30代後半で所属事務所社長だった15歳年上の田邊昭知さんと結婚された。以後25年ですか、表舞台に出ることは一切なかった。本にも書いてありましたけど、田邊さんと出会わなければ、いろんな恋愛をして「大女優」になる道もあったのかもしれない、と(笑)。

小林 そんな、「大女優」は言い過ぎ(笑)。10代の頃の私は結構奔放だったんです。だからもし、20代の初めに主人と出会わなければ、奔放なまま年を重ねたでしょうし、そのほうが女優としては大成したのかもしれないなって、そういう意味。ただ、いまも自分の中にはそういうファクターはあると思う。奔放というところは。

■25年間、遮断された世界で暮らしていました

岡村 でも、「そうじゃない人生」を選ばれました。

小林 結果的に。それは、彼に言われたからではなく、自分が「そうしよう」って決めたんです。「この人で貫き通す」と決心してこの生活に入ったので。そこはずっとブレなかった。とにかく、子育てがホントに楽しかった。いまはもう息子も独立しましたが、子育てを必死にやっていたあの頃がいちばん幸せだったと思うほど。

岡村 本でもそうおっしゃってますね。「最高の25年間だった」と。

小林 もちろん、子供が病気になったとか、言うことを聞かないとか、みなさんそうですが、大変だったこともあるんです。でも、振り返れば、なんて贅沢な時間だったんだろうって。主人には本当に感謝しているんです。子供のことだけを考え、子供の生活を第一にするのを許してくれましたから。

岡村 しかし、まるで消えてしまうように家庭に入られたでしょ。僕らからすれば、人気絶頂で突然いなくなっちゃって、なぜ? っていう感じだったんです。

小林 やっぱり、何かを得るためには何かを捨てなければいけなかった、私は。実際、そうだったし、結果、それで良かった。あと、子供が生まれたとき、主人に言われたんです。「子供はおもちゃじゃないし、ファッションの道具じゃないんだぞ」って。そんなことはこれっぽっちも思ってない! って思いましたけど、でも、どこかでそういう気持ちはゼロではなかったのかもしれない。

 だから、そこからはもう何も考えず、子供のことだけ。変な言い方ですが、25年間、遮断された世界で暮らしていたんです。芸能界の友達とも一切連絡を断って。自ら望んでそうしたんです。子供の学校の友達とか、ママ友とか、そういう人にしか会わなかった。会いたいという気持ちも起こらなかったなあ。

岡村 大親友のユーミン(松任谷由実)さんとも連絡を取らなくなってしまったそうですね。

小林 彼女は音楽界のスーパースター、私は主婦。住む世界が違い過ぎると思ったんです。私はもう連絡してはいけないなって。

■子育て以外に興味がわかなかった日々

岡村 だけど、ご主人は芸能界のど真ん中にいる。まったく関わらないわけにもいかないでしょ?

小林 一切ないんです。彼の会社にも行ったことがありませんし。息子もそう。仕事の関係者とは交わることがないんです。

岡村 へえ〜!

小林 だから余計、そういった世界からは隔離されていたというか。息子の学校とママ友と近所のスーパーと私の実家、それが自分のテリトリーでずっと生きてきた。でもそれがとっても楽しかった。

岡村 奔放だったとおっしゃいましたが、もともと少女時代から好奇心が旺盛で。スパイダースやタイガースといったGSが大好きで、追っかけをしたり、米軍基地へ遊びに行ってはいろんな人と交流して。映画やファッション、音楽が大好きだったそうですね。

小林 そう。大好き。

岡村 子育て期間中も、音楽を聴いたり映画を観たり、カルチャーに触れることはしていました?

小林 まったくないんです。流行った音楽も知らなければ、テレビで流行ったドラマも知らない。子供と一緒に観る番組しか観ないんです。だから、後で知ったんです。こういうのがあったんだあって。まるでエアポケットのようにその時代がない。恥ずかしいほど何も知らない生活でした。

岡村 とはいえ、少しは自分の時間もあるでしょ? そういうときは自由なんじゃないですか? 好きなロックを聴くとか。

小林 全然。子育て以外に興味がわかなかったんでしょうね。だから、その反動で、最近は、再発されたロックのCDをクルマでガンガン聴いてるんです(笑)。

岡村 よく、バリバリ働いていた人が突然子育てに入ると、「本当の私はこれじゃない!」って思うことも多いと聞きますけれど。

小林 私は、37で子供を産んでるんです。それまで、好きに暮らしましたし、仕事でもプライベートでも海外にもよく行きました。やり尽くしたとまでは言いませんが、ある程度のことはできたのかなって。だから、その後も仕事を続けたい、という気持ちはなかったのかな……。うん、なかった。だから子育て中心の生活に切り替えることがつらくなかったんです。

■アンニュイというより楽しい方なのに

岡村 小林さんの子供時代は結構孤独だったそうですね。

小林 そうなんです。

岡村 お父さんは外に恋人がいて帰って来ない、お母さんは美容師として忙しく働いていて。小林さんの「子供中心」は、そういう家庭環境も影響していますか?

小林 反面教師かもしれませんね。子供より自分の人生を謳歌する親だったので、私はいつも1人でした。でも、それが心の傷になったということではないんです。1人だったからこそ自由奔放でいられたし、そこで培ったものもすごく多かった。放っておいてくれてありがとうって感謝してるんです、いまとなっては(笑)。

 だけど、学校から帰ったら母には家にいてほしかったし、土日は父と一緒にどこかへ行きたかった。お小遣いなんていらないから、そういう生活をするのが夢だった。

岡村 しかも、10代の頃は病気がちで入退院を繰り返されていた。そういった部分も人格形成に影響を与えたと思いますか?

小林 でしょうね、振り返れば。

岡村 というのも、小林さんって、どこか陰があるんです。今回、お会いするので小林さんが出ていらした80年代のCM集を改めて観たんですが、憂いのある表情が多いんです。アンニュイというか。

 そもそも「アンニュイ」という言葉は、小林さんのイメージとともに流行りましたし、ユーミンさんが作詞した「雨音はショパンの調べ」も小林さんの憂いのある歌声とともに大ヒットした。こうしてお会いしてみると、とってもサッパリした楽しい方なのに(笑)。

小林 せっかちなんです、私。大田区大森の下町育ちなんで(笑)。

岡村 江戸っ子ですよね。

小林 結局、暗いイメージで、と注文される仕事が多かったからなんですが、根がそうだから、というのは多分にあるでしょうね。15、16の多感な頃は、ずっと病院で過ごしていましたし。悪い病気だといわれ、もしかしたら死んでしまうのかもしれないと思いながら。

 しかも、両親は自分のことに忙しい。母は毎日来ましたが、父はまったく。病院でも1人。そのときの心の形成が、後々の仕事に「役立った」のかなって(笑)。

■退廃の美に惹かれ恋愛では父性を求めた

岡村 何の病気だったんですか?

小林 最初は神経性の胃潰瘍。それから骨髄炎という足の骨の病気になって。で、その治療が原因で肝炎になってしまった。院内感染。

岡村 それは大変だ。

小林 ある種の死生観がそこでつくられました。だから、10代のときに惹かれた映画や音楽って、暗くて陰のあるものばっかり。ルキノ・ビスコンティの耽美的な映画とかにすごく惹かれたし。

岡村 『ベニスに死す』的な世界観ですよね。独特の色気がある。

小林 そう。滅びゆくものの美しさ。退廃の美学。そういった趣味嗜好っていまも変わらないんです。最近観た映画で『コールド・ウォー あの歌、2つの心』っていうポーランドの映画があるんですが、めちゃくちゃ暗い。人生の中でも1位2位を争う暗さ(笑)。でも、すごく好き。そういう系統のものがピピッと琴線に触れるんです。探知犬みたいに「あ!」って。

 だから、岡村さんの音楽もそう(笑)。送っていただいたアルバムを聴いたんですが、聴いた途端、めっちゃ好きになりました。

岡村 ホントですか!

小林 私、踊り出しちゃったもの(笑)。突然狂ったように踊り始めたから犬がビックリしちゃって。すっごくカッコ良かった。すっごくセクシー。GOOD!(笑)

岡村 それはうれしい!

小林 ジミ・ヘンドリックスとかプリンスとか、ちょっと危ない香りのする人が大好きなんです、私。MIYAVIさんとかね。若かったら私もタトゥー入れちゃうかも! ってぐらい(笑)。

岡村 ははははは(笑)。

小林 そういうタチなんです。

岡村 本によれば、そんなお父さんへの愛憎入り交じる思いが、ご自身の恋愛観をつくったのかもしれないと。やっぱり恋愛では父性を求める感じでしたか?

小林 それはあったと思う。だから結局、ファザコンですよね。

■完璧に自分のものにはならない、だからこそ憧れる

岡村 包容力のある人が好き?

小林 包容力……。たぶん、逆だと思うんですよ(笑)。ただ、強い人が好きというのはありました。

岡村 付き合ってきた人の傾向はだいたい似ているんですか?

小林 ハタチで主人と知り合ったので他をよく知らないんです。10代の頃は奔放でしたけど、10代の恋愛だから、同級生の子と楽しく遊んでいただけ。でもやっぱり、ちょっと陰のある人が好きだったかな。

 いちばん最初のボーイフレンドはドイツと日本のハーフ。お父さんが日本に亡命してきた人で、なんともいえない独特の暗さを纏ってた。ロックを聴くようになったのも彼の影響。男の人の影響を受けやすいんです、私(笑)。

岡村 「染まるタイプ」ですよね。

小林 染まります(笑)。

岡村 極道の奥さんになったらいい「姐さん」になれるかもって。

小林 そういうところは昔女優だったのでね(笑)。やっぱり、退廃の美学じゃないけど、ちょっと陰があったり悪かったり、ミステリアスだったり、どこかつかみきれない人に惹かれてしまう。だからきっと、私のことを大好きって言ってくれて、一生幸せにしてあげるよ、なんて言われたりしたら、「ああ、じゃあもういいです」ってなるのかも(笑)。

 追っても追っても完璧に自分のものにはならない、だからこそ憧れるんでしょうね。そう思う。でも、恋ってそういうものじゃないですか?

岡村 ありますよね。

小林 ね? そんな感じでしょ。簡単に振り向かれちゃうとね。

岡村 その根本は、やはりお父さんが「自分のものにはならない」存在だったからなんでしょうね。

小林 うちは本妻で、「二号さん」じゃない。でも、「パパは今度いつ来るの?」っていう感じだった。だからこそ余計に追いかけたし、好きだったんだと思う。

岡村 じゃあ、恋をすると、積極的にアタックするのではなく?

小林 待ちます。ずっと待ってる。

■産もうと。結婚なんてしなくてもいいって

岡村 田邊さんとは結婚まですごく長くお付き合いをされましたよね。十何年も。なかなか難しいと思うんです、そんなに待つのは。

小林 やっぱり、小さい頃から「待つ」ことが苦じゃなかった。母もなんだかんだいって、最後まで離婚をせずに父を送ったわけですし。なんだろう、自分でもよくわからないんですが、好きだったから「待った」んだと思うんです。「戻るに戻れない」というのもあったのかもしれないけれど。

岡村 本にもありましたね。結局、彼を超える人が出て来なかったと。すごく魅力的な方なんですね。

小林 魅力的です。非常にモテる人ですし。ただね、「私、待ってます」ということでもなかったと思うんです。気がついたら、「え、私、もう35じゃん?」というのが正しいと思う。ただ、32ぐらいのときは、この先どうなっちゃうんだろうというのは思ってた。その頃は若かったし、結婚に夢もあったし。幸せな家庭を築きたいという夢がありましたから。

岡村 それは伝えていたんですか? 結婚したいということは?

小林 いえ、彼は、自分の人生に結婚はないと言っていたし、私も、結婚だけが愛の形だとは思ってなかった。ただ、子供はほしかった。女性にはタイムリミットがあるし、私の頃は37でも「超高齢出産」といわれた時代。30代半ばになると、子供がほしいと思いつめた時期もあって。

 でも、あるとき達観したんです。結婚する1年ぐらい前だったかな、子供のいない人生でいいじゃないって。ふと、自分の中で決心したんです。クルマを運転しながら。そうしたら、その後、思いがけず、子供ができて。これはもうぜったいに産もうと。結婚なんてしなくてもいいからって。

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続きは発売中の『 週刊文春WOMAN 2020夏号 』でご覧ください。

こばやしあさみ/1953年東京都生まれ。17歳でデビュー。84年「雨音はショパンの調べ」が大ヒット。91年極秘出産と結婚を発表し引退。2016年芸能界復帰。延江浩著の評伝『 小林麻美 第二幕 』(朝日新聞出版)が刊行されたばかり。8月中旬に、自身がセレクトするお洋服、アクセサリー等を紹介するオンラインストアをオープン。

おかむらやすゆき/1965年兵庫県生まれ。音楽家。86年デビュー。4年ぶりの新作アルバム『 操 』が4月1日に発売。

文=辛島いづみ
写真=杉山拓也/文藝春秋?

(「週刊文春WOMAN」編集部/週刊文春WOMAN 2020夏号)

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