石橋はYouTube、木梨はアートで大成功…“レギュラーゼロ”とんねるずは本当に嫌われている?

石橋はYouTube、木梨はアートで大成功…“レギュラーゼロ”とんねるずは本当に嫌われている?

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武 ©文藝春秋

 とんねるずは特異な芸人である。いまだに根強いファンが大勢いる一方で、アンチも多い。特に石橋貴明の方の評判は悪く「偉そう」「高圧的だ」などと思われていて、「嫌いな芸人」のアンケート調査では常に上位に入っている。

 一方、相方の木梨憲武は評判が良く、おしゃれで自由奔放で感じがいいイメージが定着している。どちらも既存の芸人の型にはまらない活動を展開している。

 2018年に『とんねるずのみなさんのおかげでした』が終了して、とんねるずのコンビとしてのレギュラー番組はゼロになってしまった。一時は「これでとんねるずも終わりか」などと噂されたが、実際にはそうはならなかった。

■石橋のYouTubeチャンネルは130万人が登録

 木梨は1人で朝のラジオ番組を担当するかたわら、ソロで音楽活動を始めて、さまざまな有名アーティストの協力を得て楽曲を制作した。最近では、ハイヒールのリンゴと即席コンビを組んで『笑点』でネタを披露することも発表した。

 一方の石橋も、盟友であるテレビディレクターのマッコイ斉藤の協力で、YouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」を始動した。これが瞬く間に話題になり、登録者数は9月19日現在で130万人を記録している。

 石橋のYouTubeチャンネルは往年のファンだけではなく若い世代にも支持されているという。豊富な知識を生かした野球解説や、長年の友人である清原和博との薬物に関する赤裸々なトークなど、ここでしか見られない石橋の個性を生かしたコンテンツが揃っている。

■「芸人」の枠に収まらない“永遠の素人”

 そんなとんねるずが何者であるのかというのがわかりづらくなっているのは、今が芸人全盛の時代だからだ。お笑い養成所を卒業した大量の若者が「芸人」を名乗り、漫才やコントを演じたり、トークの腕を磨いたりする。芸人を名乗った時点で先輩・後輩の上下関係の序列に組み込まれる。その枠の中で芸人同士の独自の「ノリ」が生まれ、それがテレビやライブにおける芸人の一般的なイメージを形作っている。

 とんねるずはその枠に当てはまらない規格外の存在である。「芸人」という言葉の本来の意味は「芸を持つプロフェッショナル」のことだろう。しかし、とんねるずはデビュー当時から自分たちが「素人」であることを売りにしてきた。素人を名乗る若者がハッタリを武器にして成り上がっていくというのが、とんねるずが歩んできた道のりである。

■なぜ2人はテレビの世界に飛び込んだのか?

 石橋は高校生の頃から、素人参加のお笑い番組に出場して爆笑をさらうスーパー素人だった。その過程で圧倒的な実績を残して「俺は日本一面白い素人だ」という自信を持った。

 そして、高校卒業後にホテルに就職してホテルマンになった。石橋とのコンビで素人参加番組に出たこともあった同級生の木梨も、高校卒業後に自動車会社に就職した。この時点では、石橋は自分が芸人を目指すなどとは考えていなかった。

 だが、就職した石橋のもとに『お笑いスター誕生!!』という当時人気だったお笑いオーディション番組の誘いが来た。コンビでそこに出た彼らは、並み居るプロの芸人の中で、5週目まで勝ち抜くという実績を残した。その後、再挑戦で10週勝ち抜きを果たしチャンピオンになった。

 この過程で彼らは人気者になり、大手企業の森永製菓からCM出演の依頼が来た。そこからあれよあれよという間に彼らはスターへの階段を駆け上がっていくことになった。

 芸人としての弟子入りも下積み修業も経験していない彼らは、「素人」の意識のままでテレビの世界に殴り込みをかけた。とんねるずはフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』に出て、無軌道に暴れ回った。スタジオの観覧席にいる観客を煽って、客席に飛び込んだ。あらゆる場所で暴走しまくり、それを自分たちの芸風にしていった。

■“歌手と芸人”の垣根もぶち壊した

 当時の彼らの売りは、自分たちがただの素人であること、低学歴で貧乏であることだった。持たざる者であった彼らが開き直ってそれを武器にして暴走することで、同世代の若者から熱狂的に支持された。

 彼らの向こう見ずな暴走がどんどんエスカレートしていくのに伴って、彼ら自身が芸能界の中で祭り上げられていった。彼らはスターのふりをして偉そうに振る舞っているうちに、本物のスターになってしまった。

 芸人であるにもかかわらず、歌手としても人気を博していった。1985年にリリースした『雨の西麻布』はオリコン最高5位、『ザ・ベストテン』最高2位の大ヒットを記録。多数の歌番組に出演して、そこでも相変わらずの暴れっぷりを見せた。

 当時、歌手と芸人の間にははっきりした区別があった。素人を名乗る芸人が歌番組の世界に割って入り、きらびやかなアイドルやアーティストと肩を並べるのは異様な光景だった。

 とんねるずは素人のままでスターになった。そんな彼らは芸がないことを芸にした最初の芸人だった。若手芸人は『M-1グランプリ』や『キングオブコント』で活躍して、芸が認められたら初めて世に出ることができる、という今の時代の芸人とは感覚が違う。「芸人なら芸がないといけない」というセオリーを覆したのが彼らの新しさだった。

■「このノリで、僕ら行く自信ありますね」

 若手時代の石橋は、ジャーナリストの筑紫哲也との対談で以下のように話していた。

〈筑紫 だいたいとんねるず人気は、もうこの秋で終わるんじゃないかという声があるんだけどね。

?

石橋 それは、自分たちでは大丈夫だと思いますね。なぜかというと、僕らはまったく芸を持っていないところでスタートしたから、いまさらうんぬんされても、出すものないですし。最初から出してないです。だからまったくこのノリで、僕ら行く自信ありますね。

?

(新人類の旗手たち 筑紫哲也の若者探検 とんねるず??『朝日ジャーナル』1985年9月20日号)〉

 とんねるずはその後も、テレビを自分たちの遊び場と位置づけて、芸人・歌手・俳優としてさまざまな活動を展開していった。それを成り立たせたのは、とんねるずの頭脳である石橋の冷静なセルフプロデュース能力だった。

 石橋は事務所の社長として、自分たちがどうやって生き残っていくのか、常に冷静に戦略を立てていた。その甲斐あって彼らは後ろ盾のない個人事務所所属でありながら、異例の長期政権を築いた。

 そんな彼らの勢いに陰りが見えたのは、彼ら自身の地位が上がり、権力者側になってしまったからだ。持たざる者として意地を張るために見せていた高圧的な態度が、裏目に出て嫌われるようになってしまった。

■「日本一面白い素人」がようやくYouTubeにたどり着いた

 でも、彼らがやっていることは、本質的には若手の頃から何も変わっていない。場をかき乱し、セオリーを破壊して、見たことのない景色を見せる。やっていること自体はずっと一貫している。だからこそ、多くの根強いファンがずっとついているのだろう。

 新しい遊び場を求めて石橋がYouTubeに進出したのも当然の流れだ。YouTubeは地上波テレビよりも制約が少なく、とんねるずの芸風には向いている。昨今では芸人のYouTube進出が活発になっているが、石橋がそれを始めるというのは、そんな世の風潮とは別の意味合いがある。芸人が新たにYouTubeを始めたというよりも、「日本一面白い素人」がようやくYouTubeにたどり着いた、という表現の方がふさわしい。

 YouTubeはプロとアマチュアの境い目のない世界だ。究極の素人である石橋がそこに来たというのは、ある意味で原点回帰であるとも言える。高校の部室で仲間の部員たちを笑わせていたかつての「スーパー素人」が、今ではYouTubeで同じことをやっているのだ。

(ラリー遠田)

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