父はヤクザ、母は自死…「機能不全家族でした」顔色ばかり窺っていた高知東生の幼少期

高知東生、自伝で告白「父はヤクザで母は自死」 2016年に覚醒剤と大麻所持容疑で逮捕

記事まとめ

  • 自伝『 生き直す 』を9月に発売した高知東生が、自らの壮絶な過去を明かした
  • 「父は中井啓一という土佐の有名な侠客で、母はその愛人だった」と語った高知
  • 明徳義塾高校卒業の目前、母が自死、20歳で上京し、はじめて覚醒剤に手を出したという

父はヤクザ、母は自死…「機能不全家族でした」顔色ばかり窺っていた高知東生の幼少期

父はヤクザ、母は自死…「機能不全家族でした」顔色ばかり窺っていた高知東生の幼少期

高知東生さん

「今、すっごい楽よ。本を書いて全部さらけ出したから隠しごとがないでしょ。こんなに楽なのか〜って感じよね」

 我々を出迎えてくれた高知東生さんは開口一番、晴れ晴れとした顔で言った。 

 2016年6月に覚醒剤と大麻所持容疑で逮捕されたことをきっかけに薬物依存症の回復プログラムに取り組んでいる高知さんは現在、依存症全般の啓蒙活動に取り組む日々だ。

 また、暴力団の組長の息子として成長し、高校生の時にはその愛人でもあった母が謎の自殺でこの世を去るなど、壮絶な過去を背負ってきたことを9月に発売した自伝『 生き直す 』の中ではじめて明かした。

「痛みすぎて封印していた」という高知さんの生きづらさについて聞いた。(全2回中の第1回/ 第2回 を読む)

◆◆◆

■気前のいい「美人のおばちゃん」が、実は母親だった

「僕は小学校高学年までずっと祖母に育てられてきて、両親はいないと言い聞かせられて育ったんです。

 家には祖母の息子、つまり僕の叔父にあたる家族も一緒に暮らしていて、いつも肩身が狭かった。学校では親がいないことでいじめられたこともありましたが、やられたらやり返すような子どもだったので、今度はそれを聞きつけた叔父に叱られて家から締め出されたりして。自分には居場所がないとずっと感じていました」

 何かに期待しても叶うことはなく、「僕が悪い子だからいけないんだ」と自分を責めた。一生懸命育ててくれている祖母の手前もあって寂しさを隠し、愛されたいと願う気持ちは決して口に出さなかった。

 しかし、そんな状況が小学5年生のときに一変する。きまぐれに祖母を訪ねてやって来ていた気前のいい「美人のおばちゃん」が、実の母親だったことが判明。高知さんはやっと実母と暮らせることになるが、思い描いていた母親像とは大きくかけ離れていた。

「母親がいたことがわかって嬉しかったけど、実際一緒に住んでみたら、もう逃げ出したいくらい最低な大人でした。

 テーブルの上にお金だけ置いて2、3日は平気で家を空けるし、夜中に酔っ払って帰ってきたと思ったら『タバコ買ってこい!』と命令する。とにかく毎日、酒臭い。

 さらに一緒に暮らし始めてしばらくした後、いきなりキャバレーに連れて行かれたと思ったら、そこにいる男の客を紹介されて、『この人がお父さんよ』と言われました。

 その人は中井啓一という土佐の有名な侠客で、母は愛人だったんです。もうめちゃくちゃですよ。後に彼も本当の父でなかったことがわかるのですが、正直、ここで捨てられてしまったら、今度はどこに行かされて、そこでなにを言われるのかという恐怖が常にありました。だから子どもの頃は一生懸命、周りの大人の顔色を見て、自分の居場所を探していました」

 寂しさを心の奥底に秘め、生き抜くために病んだ大人たちの間でいい子に振る舞う。幼い子どもが取らざるを得なかった“生存戦略”に胸がひどく痛む。高知さんは生まれてからずっと家のなかに安らげる場所がなく、「機能不全家族の中で育った」と振り返る。

■母の死、手元に残ったのは一枚の写真だけ

 中学からは全寮制の中高一貫校・明徳義塾に進学するも、高校卒業の目前、母が突然、自ら命を絶つ。理由はいまだにわからない。母と息子の暮らしは通算してわずか2年ほどで終わりを告げた。形見のほとんどはいつのまにか叔父たちの手に渡り、高知さんのもとには一枚の写真だけが残った。

「任侠の世界で育ったことや、お袋が自殺したことは全部、自分にとっては恥だったんです。だからそのことに触れようとも思わなかったし、ずっと避けてきた。しかも “中井啓一の息子”として育ってきたのに本当の父ではなかったことも母が死んだタイミングでわかって。自分のせいではないとはいえ、周りに嘘をついているような罪悪感も抱えることになりました。

 50も過ぎて薬物で捕まったことがきっかけで過去を振り返ってはじめて、自分の生育環境の異常さが理解できました。こうして自分が恥だと思っていたことを明かすことで人の役に立つなら、それは価値になる。だから今辛い思いを抱えている人には誰かにさらけ出してほしいなと思うけど、人って、愛しているからこそ嘘もつくし、言わないこともある。難しいですよね」

■覚醒剤に手を出した理由は、「認められたかったから」

 荒れた青春時代を送った高知さんは20歳で上京し、はじめて覚醒剤に手を出した。理由は「他人から認められたかったから」だった。

「高級車に乗って、デカい家に住んで、うまいもん食べて、理想の女性を手に入れる。そんな成り上がり根性だけで高知の山奥から東京に出てきました。バブルという時代性もあったでしょう。AVプロダクションの社長業に乗り出し、20代の早いうちにすべてコンプリートできたんです。一晩で700万円を使ったこともありました。

 そんな僕が上京直後、ツテで入り込んだディスコのVIPルームで覚醒剤を回しているところに居合わせました。

 日本で一番流行っているディスコのVIPルーム。大企業の御曹司や有名大学の学生といったきらびやかなメンツ。そんな彼らがいかにもトレンディな感じでクスリを楽しんでいる……。彼らの、その場の一員になりたいと強烈に思いました。

■「やったことあるか?」と聞かれて

『やったことあるか?』『あります!』

 食らいつくために嘘の返事をしました。他の人がやっている姿を一生懸命盗み見して、“炙り”をやりました。でもやっぱり下手だったみたいで、『お前、焦がしてんじゃねーか! もったいないねえ』と怒られて。

 でも目的は薬物をやりたかったんじゃなくて、仲間に認めてほしくて、その場の一員になりたくてやったんです」

 依存症になる人は弱い人間なのだろうか。薬物に手を出したのは、高知さんの甘さやゆるみだけが原因なのだろうか。

 壮絶な家庭環境に加え、1964年生まれの高知さんの世代は、根性論や精神論がまかり通っていた時代でもある。明徳義塾の野球部に所属していた高知さんは、コーチから「練習中に水を飲むやつは根性なしだからレギュラーにはなれない」と言われ、真夏のグラウンドでバタバタと熱中症で倒れていく部員たちを何度も見たという。

 社会で受けたストレスを家庭で癒やすこともできず、その痛みに気づかないフリをして全速力で走り続ければ、心身が悲鳴を上げるのは当然ではないだろうか。

■俺にとって今年は遅い遅い成人式

 高知さんはマトリ(麻薬取締官)に逮捕されたとき、「ありがとうございます」と御礼を口にしたという。それは、辛かったレースからやっと降りられる、そう思って心底安心し、口をついて出たように思えてならない。

「薬物で捕まるまで、母をずっと恨んでいました。でも回復プログラムで過去を洗い直して思ったのは、育て方はわからなかったのかもしれないけど、お袋なりに俺に対して愛情を注いでくれていたんじゃないかなってことでした。

 子どもは親を変えられないけど、俺は一枚だけ残ったお袋の写真を今でもずっと手離すことなく持っている。それが事実ですよね。同じ一枚の写真でも、歳を重ねていくと、全然違った景色が見えるものなんだなって改めて感じています。

 この9月で4年の執行猶予も明けました。俺にとって今年は本当に遅い遅い成人式だと思ってるんです」

 依存症の治療はがんなどといった病気のように、一定期間再発がなければ寛解、といったものではない。“止め続ける”ことを努力し、“回復し続ける”ことが、依存症にとっては大切なのだと言う。

 第2回では、相次ぐ酒や薬物をめぐる芸能人の逮捕や、依存症報道のあり方について話を聞く。

(続きを読む「 『ビクッとする。フラッシュバックも』覚せい剤で逮捕の高知東生が今、マスコミに思うこと 」)

撮影=深野未季/文藝春秋

「ビクッとする。フラッシュバックも」覚せい剤で逮捕の高知東生が今、マスコミに思うこと へ続く

(小泉 なつみ)

関連記事(外部サイト)