「福島初の韓国エステをやれ」“郡山の風俗王”は「夜の街」で何を学んだか?《繁忙期は1日200人》

「郡山の風俗王」伊藤守氏、波乱の半生 年商7億円の風俗グループを一代で築く

記事まとめ

  • 年商7億の風俗グループを一代で築き、「郡山の風俗王」と呼ばれた伊藤守氏
  • 東日本大震災後、東京電力の賠償金巡る詐欺に引っ掛かり組織は崩壊
  • 今は規模を縮小し、雑居ビルの一室でピンサロ「写楽」1軒だけを営んでいる

「福島初の韓国エステをやれ」“郡山の風俗王”は「夜の街」で何を学んだか?《繁忙期は1日200人》

「福島初の韓国エステをやれ」“郡山の風俗王”は「夜の街」で何を学んだか?《繁忙期は1日200人》

自身が刊行していた雑誌を手にインタビューに答える“郡山の風俗王”伊藤守氏(著者撮影)

“夜の店”が人口比率で日本一と言われた東北有数の繁華街、福島県郡山市。東日本大震災前には、キャバクラやデリヘルなど500店あまりがひしめき合っていたという。

 この街に“郡山の風俗王”と呼ばれた一人の男がいた。男はキャバクラ・ヘルス・デリヘルなど最盛期には36店舗を擁す「風俗店グループ」を築きあげたが、コロナ禍のいま古びた雑居ビルの一室でピンサロ1軒だけを細々と営んでいる。

 バブル崩壊、震災、警察やヤクザとの攻防……今日に至るまでの“風俗王”の波乱の半生を、ベストセラー『 売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ 』の著者、高木瑞穂氏が紐解いていく。(全2回の1回目。 後編 を読む)

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■“郡山の風俗王”と呼ばれた男

 2019年1月、福島県郡山市を舞台に、ある詐欺グループが、東京電力が補償する賠償金9億3千万円を不正受給した事件が明るみに出た。東電福島第一原発事故の賠償金は、総額約9兆円以上にのぼる。その天文学的な賠償金の一部を巧妙に騙し取った。

 その手口は、会社社長やスナックのママらをターゲットに、決算書を改竄して震災前の売り上げを増やし、事故による減少分を多く申告するというものだ。詐欺師はノウハウ指南の見返りとして、賠償金から高額の手数料を得る。

「東電からは複数回にわたり6億円が銀行口座に振り込まれた。手数料を引いても、手元には2億円以上のカネが残りました」

 昨年出版した東電賠償詐欺の内幕を描いた『 黒い賠償 』(彩図社)の流れで続けていた詐欺被害者取材を通じて知り合った、風俗店経営者・伊藤守は言う。

 カネを手にした数ヶ月後の2018年6月、伊藤の元に東電の代理人の弁護士から「通知書」と題したA4判3枚の書面が内容証明郵便で届いた。偽造された決算書を使って賠償金を受け取ったとして全額返還を求める内容だった。

 伊藤はすぐに賠償金の申請を頼んだ男らに対し、支払った手数料約3億2千万円の返還を求めて提訴した。が、うち数人の行方が分からず訴えを取り下げざるを得ないなど後の祭りだった。

 そして伊藤は東電から賠償金約6億円の返金を求め民事訴訟を起こされた。コロナ禍のなか、いまも係争中である。

 かつて“夜の店”が人口比率で日本一と言われた東北有数の繁華街・郡山も現在では凋落。震災前は駅前繁華街と朝日町を中心にキャバクラやデリヘルなどが500店ほどあったが、その数は関連業種まで含めると半数近くまで落ち込んだ。

 震災前の最盛期に伊藤は、この地で居酒屋・キャバクラ・ヘルス・デリヘル・レンタルルーム・風俗案内所など36店舗を経営。年商7億の風俗グループを一代で築く。

 地元警察から“郡山の風俗王”の愛称で呼ばれ、夜の郡山では知らぬ者はいないほどの地位を得ていたものの、件の震災賠償詐欺に引っかかり組織は崩壊。いまは規模を縮小して古びた雑居ビルの一室で、ピンサロ「写楽」1軒だけを細々と営んでいる。

「けれども私は、東電にはある意味で助けられているんだよね。騙されたにせよ結局、カネが入って急場を凌げたでしょう。実は迂闊にも賠償話に手を出してしまった2年前は、震災後の復興特需が落ち着き、ちょうど会社の売り上げが3割ほど落ち込んだ時期でした。

 その直後に東電から返還要求されて、その時は頭を抱えたけど、2年が過ぎて新型コロナで震災以上の打撃を食らった。もし、あのまま250人の従業員を抱えていたら、私はもちろんみんなも路頭に迷わせていたかもしれないと思うんです」

 僕は主に性風俗関連の事件を取材するライターだ。そんな伊藤の話に耳を傾けるうち、次第に興味は伊藤の半生へと移ったのである。

■「やはりヒトを売らなくては。それもオンナを」

「風俗業界に入ったのは意外に遅くて、46歳。いろんな事業で失敗し、完全に無収入になってしまった。それで郡山の自宅を出るしかなくて。それで記憶を辿り、知り合いだった福島市内のピンサロの社長を訪ねたら、運良く拾って貰えたんです」

 伊藤は郡山で生まれた。東京の私立大学を卒業し、食品メーカーに就職。30歳手前になると営業課長になり、100人余りの女性営業部員を束ね、将来を有望視されるなど順風満帆の社会人生活を送っていたが、起業を思い立ち7年勤めた会社を退職する。

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 引き金は、25歳の伊藤を突如として襲った胃癌だった。幸い手術は成功し、カラダは快復したが、医者から「5年生きられれば……」と余命宣告までされたと話す。

「〈たった一人の自分をほんとにいかさなかったら、人間生まれてきた甲斐がないではないか〉。ガン克服後、たまたま私の尊敬する専務が黒板にこう書いたわけ。そのとき、自分の人生は一度きりしかないと悟ったんです」

 もちろん、開業資金もなければ具体的なビジネスプランもない。とりあえず保険会社に2年勤め、退職後はその代理店として独立するが鳴かず飛ばず。当時はそれと並行して、ワープロの代理店から下着の訪問販売、便利屋、家を担保に原資を作りヤミ金まがいの車を担保とした高利貸しまで、カネになれば何でも手を出した。

 しかし、全てが失敗。利幅が大きく唯一、順調だった金貸しも、奥さんや子供の前で脅しながら返済を迫るのが肌に合わず足を洗った。

 そのとき、「モノを右から左に売っていてもダメだ。やはりヒトを売らなくては。それもオンナを」と悟ったという。それは、かつて食品会社の営業所で、100人の女性部員を束ねていた経験からだった。

■繁忙期には1日200人のオンナを回した

 伊藤の読みどおり、オンナを使ったコンパニオンの派遣業は、かつてないほど大当たりする。組織はあれよあれよという間に拡大し、10年後、東北最大規模にまで膨れ上がった。

「便利屋をしていたなかで、福島中央テレビが主催する輸入家具の展示即売会に売り子を派遣して欲しいという依頼があり、コンパニオンと称して売り子を40、50人募集し、定期的に派遣するようになりました。

 不思議なもので、軌道に乗るとドライブインのウェイトレスや旅館やホテルの仲居さんを派遣する依頼も舞い込んできた。そうこうしてるうちに、今度は取引先の旅館から『コンパニオンも何とかならないか』と相談が。それで輸入博の女のコふたりを磐梯熱海の老舗旅館に飛ばしたら、その旅館のオーナーの口コミで他からもコンパニオンの依頼が来るようになっちゃって。

 週末は1日100人。繁忙期には1日200人のオンナを回したこともありました。那須・東山・飯坂・磐梯熱海……郡山からマイクロバス2台、ワゴン車5台で送り届けた。もう毎日戦争ですよ。年商は3億5千万。この10年間は1日も休めなかった」

 女の子を日当1万で派遣し、半分の5千円が伊藤の実入り。派遣先がないコンパニオンは、郡山に開いたキャバクラ3店舗で雇用し有効活用した。常に現金1千万円入りのアタッシュケースを持ち、時には裏カジノで500万を一晩で使う。ギャンブルにハマったこの時期は半年で5千万ほど溶かし、カネは底を尽きかけた。

 なーに、また稼げばいいや。仕事は多少下降気味だったものの、幸いまだまだ多忙に変わりない。と、素人経営で突き進んで来た伊藤のところに突然、ありがちな刺客がやってきた。

■バブルが崩壊し、43歳で無収入に

「直後に仙台国税局に入られたの。とりあえず『なんで来たんですか?』って聞いたわけ。そしたら『お宅が東北で一番(儲かっている)。だから一番先に来た』って。あの時代にコンパニオン業で年商3億越えなんてなかったの。他はみんな何千万レベルだったわけ。

 これまで自分の好き勝手に仕事して遊んでの繰り返しだったでしょ。税金に無頓着で、節税なんて考えもしなかった。入られて初めてわかったよ、税務署って怖いんだなって」

 税金に無頓着だった代わりに、脱税という悪事を働く頭もない。幸い、追徴課税は800万ほどで済んだ。

 が、同時に思いもしない未曾有の経済危機が訪れたことが運の尽きだった。

「その頃ちょうど“バブル”が弾けた。実は競合他社とコンパニオンの組合を作り、私はその会長でした。飲食店組合や理容組合と同じで県に認定された組合です。認知されるには『組合を作った方がいい』と取引先の旅館のオーナーさんに言われ、先々を読んでのことだったのに、会長という立場上、他社から仕事を奪うような新規開拓の営業が出来ずに身動きが取れなくなってしまったんです」

 伊藤は悩んだ。バブル崩壊で売り上げは下がっている。その打開策であるはずの新規営業もままならない。

 もちろん、いまのままでも十分、暮らしてはいける。惰性で続けて状況の変化を待つのもアリなのか。

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 そして伊藤は腹を括る。

「最終的には将来性がないと判断しました。それにもうやりたくなかった。あくまで下請けだから、連日、旅館ホテルに頭下げっぱなし。やれオンナが来ない、やれ人数が足りないとクレームの嵐。ずっと溜まって膨らみ続けていた怒りの風船が、バブルと同時に割れちゃったの」

 伊藤は年商3億円のコンパニオン事業を後進に譲り、自分は無収入になる道を選んだ。忘れもしないバブル崩壊直後の1993年、43歳の時だった。

■「ピンサロじゃなく福島初の韓国エステをやれ」

 伊藤が風俗の道に入るのは、その3年後。当時の妻にも捨てられ、郡山から出るしかなくなり、コンパニオンの派遣業時代に知り合った福島市内のピンサロ『キャンパス7』の社長を訪ねたのがきっかけだ。

 ピンサロはおろかフーゾクですら遊んだことがなかった伊藤だが、過去にコンパニオンの派遣業でボロ儲けした経験から、地方の店舗型風俗店などたかがしれていると考えていた。

「ところが30席ほどある店内は満席で、さらにあぶれた客が雑居ビルの階段の踊り場まで並んでいたんだよね。聞けば1日の売り上げが180万。こっちは200人の女のコを回して繁忙期でも1日200万でしょ。それが毎日毎日続いてるっていうんだから。

 そのとき、驚いたのと同時に、なぜか私もできるなって勝手に思っちゃった。なにせ女のコの扱いだけは自信があった。100人の女性部員を束ねていた時代からずっとやってきたわけだから」

 もちろんオンナを集めるルートなどない。あるのは妙な自信だけだった。

「すると社長が、『ピンサロじゃなく福島初の韓国エステをやれ』って言うの。エステといってももちろん、マッサージだけでなく手で射精を補助する手コキ・サービス付きの店舗型風俗店。それを韓国人女性でやるんだ、と」

 ワケも分からず見切り発車し、福島市周囲にある飲食店や自衛隊駐屯地にオープンを知らせるチラシ持参で挨拶に回り、繁華街の至るところにステカン(捨て看板)を建てた。

 資金の500万は社長がポンと出してくれた。これをタネ銭に福島駅からほど近い古びたマンションの一室に間仕切りして、5部屋を用意。程なく集まった韓国人女性5人は、社長の知り合いヅテで福島中から引っ張った。

 下準備のおかげか、毎日50人以上の客が押し寄せる。システムは60分1万円で、半分は店の実入りになるが、社長から借りた500万を返済するまで給与はギリギリ生活できるだけだった。寝床は店の隣に借りたもう一部屋でエステ嬢たちと雑魚寝。この生活を続けながらカネを貯め、1年後には独立する、ハズだった。

「伊藤さん、そろそろヤメようか」

 思いもかけぬ社長の言葉で3ヶ月後、店を急遽畳むことになった。

「このまま続けたらパクられるかもしれない。こういう店は、パッと稼いでパッと逃げるのが正解だから」

■「捕まってもいいや、くらいの気持ちがあった」

 社長は、警察の内偵を鑑みると3ヶ月がリミットだと説明した。

「いま考えれば名義人、単なるパクられ要員だった。違法ですからね、無許可で営業しているのにヌキがあるんだから。当時の私はそれが分からなくて、毎日飯代くらいしか貰えていなかったところ、やっと3ヶ月目からマトモな給与を取れる段取りをしていた矢先の出来事だったから。もちろん社長は身を案じてくれてのことなんだろうけど、私としては捕まってもいいや、くらいの気持ちがあったから、それはもう悔しくて、悔しくて」

 この一件で、伊藤は意気消沈して社長の元を去り、福島市から郡山に戻ることになった。

(文中敬称略、 後編 に続く)

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(高木 瑞穂/Webオリジナル(特集班))

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