及川光博51歳に 「どれだけ明るく振る舞っても寂しげ」と言われた“ミッチー”が行き交う現実と虚構

及川光博51歳に 「どれだけ明るく振る舞っても寂しげ」と言われた“ミッチー”が行き交う現実と虚構

©?時事通信社

 先月、高視聴率のうちに最終回を迎えたドラマ『半沢直樹』第2シリーズ。シリーズの途中、コロナ禍の影響により第7話の撮影が間に合わず、放送が1週延期され、代わって主演の堺雅人ら出演陣がトークを繰り広げる生特番が組まれた。

■ミッチーの演じる“妖精っぽい”渡真利

 その番組中、ドラマで渡真利(とまり)忍という人物を演じる及川光博が、「渡真利はじつは半沢にしか見えない妖精なのではないか」というネットでの噂を紹介していた。言われてみると、大学からの同期である主人公・半沢のため、危険も顧みず銀行内で情報収集に動き回る渡真利は、たしかにどこか非現実的な存在で妖精っぽい。それに濃厚なキャラクターがひしめき合う『半沢』ワールドにあって、スマートでおしゃれな渡真利は、一服の清涼剤ともいうべき存在であった。

 及川自身も、7年前の『半沢』の第1シリーズが終わった直後に、《悪役として過剰に演じる役でもなかったし、妻の花ちゃん(上戸彩)とは別の意味で半沢のパートナーでしたから、過剰な個性はむしろマイナスになる。うまく隙間を狙っていこう、と思っていました》と、渡真利の演技プランを明かしている(※1)。もっとも、それがかえって怪しまれたのか、周囲からは放送中ずっと「最後、裏切るんでしょ?」と言われ続けていたという。

■ミュージシャンとしての及川光博

 きょう10月24日に51歳の誕生日を迎えた及川は、『半沢』のほか『白い巨塔』『相棒』など数々の人気ドラマに出演し、俳優としての活躍が目立つとはいえ、もともとはミュージシャンとして世に出て、現在も曲を出し続けている。今年は残念ながら中止になってしまったが、デビュー以来毎年、全国ツアーも開催してきた。

 いま振り返れば、及川の登場はなかなかに衝撃的だった。26歳だった1996年、シングル「モラリティー」でメジャーデビューし、1stアルバム『理想論』のジャケットではセミヌードを披露。自らを「ミッチー」「王子」、ファンのことを「ベイベー」と呼び、コンサートやテレビの音楽番組にはフリフリの衣装で出演した。肝心の曲でも、「“死んでもいい”と思えちゃうくらいのトキメキをボクに下さい」(1stシングルのカップリング曲「死んでもいい」)などと照れなく歌い上げてみせたりと、その突き抜けっぷりは注目されるに十分だった。

■音楽を続けるための戦略的な「王子」だったが……

 これらはすべて及川が自ら狙ってのことだった。「王子」というキャラクターも、リスペクトするミュージシャン・プリンスのイメージを土台に、テレビに出やすい状況をつくるため仕立てたものだ。後年のインタビューでは《目立たなければ3年で契約が切れてしまう。戦略的にデビューしましたし、大好きな音楽を続けるためにあらゆる工夫をしてきました》と明かしている(※2)。彼は学生時代よりバンド活動や俳優養成所通いを続ける一方で、小さなイベント会社で一介のアルバイトにもかかわらず数々の企画を発案し、正社員をしのぐほどの手腕を発揮していたという。それだけにセルフプロデュースはお手の物であった。

 ただ、こうして練り上げたイメージを、多くの人々は額面通りに受け取ってしまった。デビュー当初は、自分の意図するところがそのままの形では伝わっていないと気づくたび、及川は愕然としたという。こうした状況もやがて割り切って捉えるようになり、《ブラウン管の中や雑誌、いろいろなメディアの上で僕はイメージ化されているし、商品として扱われている。それは結局、第三者の目や感性を通したものでしかないということを、いまでは当然だと思って、ある意味で諦めています。でも、「諦める」の語源は「明らかに見極める」ということなので、悪いことではないと思う。むきになって摩耗することのほうがネガティブでしょう。それよりも、伝わる人には伝わると信じていたほうが、精神的に健康になれるんです》と冷静に分析もしていた(※3)。

 それでもなお本人のなかでは釈然としない部分はあっただろう。テレビでもバラエティタレント的に扱われることが増え、悩んでいたところ、絶妙のタイミングでドラマの仕事が来る。こうして1998年にドラマ『WITH LOVE』に出演して以来、しだいに俳優としての仕事が増えていった。同年には脱「王子」宣言もしている。

■筒美京平は「君はどれだけ明るく振る舞っても、寂しげだから」

 俳優の仕事を通じて、他人とものをつくることの楽しさを覚えるようになった。現場では監督の仕事ぶりから、作品の全体像を捉えてつくるということを学んだという。この間しばらくアルバムをリリースしない時期があったが、俳優業の充実は音楽活動への本格復帰にもつながった。それまで曲も自作してきたのが、このころから他人とも積極的にコラボレーションしていくようになる。きっかけとなったのは2000年、シングル「パズルの欠片」で作曲家の筒美京平と組んだことだ。及川は洋楽好きとはいえ、世代的にルーツはやはり歌謡曲であり、そのなかでも筒美メロディは頭のなかに刷り込まれていた。

 筒美が曲を書いてくれると決まったとき、及川は沖田浩之の「E気持」のような、華やかな曲になるのかと思っていた。しかし、上がってきたのは独特の陰影のあるメロディだった。及川によれば、筒美は対等に話し合うなかで、「低音域をちょっと生かそうよ」とか「君はどれだけ明るく振る舞っても、寂しげだから」などと、自分でも気づかなかったところまで見抜いてくれたという(※4)。楽曲もそのうえでつくられたものであった。この曲に及川が詞をつけ、80年代のニュー・ロマンティック調にアレンジして完成させた。筒美からはその後、約2年半ぶりのオリジナルアルバム『聖域〜サンクチュアリ〜』(2001年)にも「パズルの欠片」のほか2曲提供を受けている。

■清志郎から学んだ「人が楽しむ姿が見たい」という姿勢

 2002年に「ミツキヨ」というユニットを組んだ忌野清志郎との出会いも大きかった。若いころは「なめられたくない」と虚勢を張っていたところもあり、影響を受けた文学や哲学の要素を何とかファンクミュージックやロックに載せて伝えようとしていた。しかし清志郎との出会いを機に、お客さんが笑顔になってくれるものをつくりたいと意識が変わっていったという(※5)。

 インタビューで「ミュージシャンと俳優、どちらが本業?」と訊かれるたび、及川は、自分のスタンスはエンターテイナーだと答えてきた。《「なぜそこまでエンターテインメントに、人生を捧げるのか?」その理由は、「人が楽しむ姿が見たいから」》と彼が語るその姿勢は(※5)、まさに清志郎から学んだものだろう。

■今後は中年の哀愁を漂わせる路線も?

 俳優としてシリアスな役もこなしながら、コンサートではデビュー時から変わらず「ミッチー」という“着ぐるみ”を身にまとい、歌って踊れるエンターテイナーとして振る舞う。週刊誌で『機動戦士ガンダム』のキャラクター、ガルマ・ザビの軍服に身を包んで登場したこともあったが(※6)、当時すでに40代半ばだったにもかかわらず、まるで違和感がなかった。現実と虚構のあいだを自由に行き交い、シリアスからコメディまで幅広くこなせることこそ、及川の真骨頂だ。

 そんな彼は、すでに7年前の時点で、これからミッチーが老いていく姿を演出するべく、ひとつの腹案を描いていた。モデルとしたのは、ハリウッドの二枚目スター、ヒュー・グラントが40代後半で主演した『ラブソングができるまで』(2007年)という映画だ。《ポップアイドルだった男が、20年経っておっさんになった。カラオケ1曲歌うだけでハーハー息切れしながら、デパートの屋上で営業している。でも、実は才能があって最後は名曲を発表する》その物語に、及川は《お、これミッチーにぴったりじゃん!》と思ったという(※1)。

 筒美京平が「君はどれだけ明るく振る舞っても、寂しげだから」と見抜いたところに円熟味を加え、今後は中年の哀愁を漂わせる路線もあるのか。そんなミッチーも見てみたい気がする。

※1 『週刊現代』2013年11月16日号
※2 『現代思想』2016年8月臨時増刊号
※3 『婦人公論』2001年9月7日号
※4 『ミッチーcast 【1996-2015】〜及川光博 20th Anniversary Edition』(ジョイフルタウン、2015年)
※5 『an・an』2015年4月8日号
※6 『週刊朝日』2016年5月27日号

(近藤 正高)

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