鮎川まどかにドキドキ……『きまぐれオレンジ☆ロード』まつもと泉先生に実写化を持ち込んだ思い出

鮎川まどかにドキドキ……『きまぐれオレンジ☆ロード』まつもと泉先生に実写化を持ち込んだ思い出

まつもと泉さん

 80年代に人気を博した大ヒットコミック『きまぐれオレンジ☆ロード』の作者で漫画家のまつもと泉さんが10月6日に亡くなった。享年61と、早逝の感は拭えない。

『きまぐれオレンジ☆ロード』はテレビアニメ化もされてヒットしたが、じつはまつもと先生は、中・長編はこのタイトルと『せさみ☆すとりーと』の2作で、他は短編が多い、寡作の人でもあった。

■“オシャレな漫画”として一世を風靡、そのルーツは

 まつもとさんは富山県高岡市のご出身。同郷には『ドラえもん』(’69年)、『エスパー魔美』(’77年)の藤子・F・不二雄先生がおり、『怪物くん』(’65年)や『笑ゥ(黒ィ)せぇるすまん』(’69年)で知られる藤子不二雄A先生はお隣の氷見市ご出身だったりする。まつもとさんはもともとロックミュージシャンを目指して上京。スコアが読めずにその道を断念した経緯があり、音楽志向がとても強く、そのセンスが作品に反映されたこともヒットの要因だろう。とにかく『ストップ!! ひばりくん!』(’81年)などで有名な江口寿史作品と並んで“オシャレな漫画”として「週刊少年ジャンプ」(集英社)誌上で一世を風靡した。まつもとさん自身も、影響を受けた作家の名前に江口先生を挙げられており、ほどなくお二人は公私ともに懇意の仲となったそうだ。

■鮎川まどかに春日くるみ……作中のヒロイン達にドキドキさせられた

 単なる思い出話になってしまうが、筆者は原作以上にテレビアニメ版の『きまぐれオレンジ☆ロード』が大好きで、当時βで全話録画した。『巨人の星』(’68年)の星飛雄馬から『機動戦士ガンダム』(’79年)のアムロ・レイを演じて声優としての幅を拡げていった古谷徹さんが、超能力者の主人公・春日恭介を演じ、アムロとはまたひと味違う“ナイーブな異能の少年”を好演された。原作にもあるエピソードで、ひょんなことから催眠術にかかった恭介が、ヒロイン(というかもうひとりの主人公)で恋心を抱く美少女・鮎川まどか(声・鶴ひろみ)にいつになく積極的に迫り、あわや……という展開などに毎回ドキドキしてしまったものだ。

 アニメーションでキャラクターデザインを担当した高田明美さんは、やはりアニメ版の『機動警察パトレイバー』シリーズ(’88年)のキャラクターデザイナーとしても知られており、高田さんがポスター等で描かれた鮎川まどかのヴィジュアルは、まつもとさんの絵とはまた異なる魅力に溢れていて、『オレンジ☆ロード』を思い出す際、決まって脳裏をよぎる。

 恭介には双子の妹があり、末妹のくるみを演じた本多知恵子さんは、プライベートもくるみちゃんのような、ちゃっかり屋さんっぽい素敵な方で、このくるみ役を自分の分身のように非常に大切にされていた。その本多さんも、鶴ひろみさんももう、この世にいないと思うとまた、悲しくなってくる。まつもとさんといい、どうしてこう……と、思っても仕方のないことをつい考えてしまう。

■『オレンジ☆ロード』の実写企画を持ち込んだ思い出

 じつは筆者は、『オレンジ☆ロード』の実写化企画をまつもとさんにご相談したことがあり、知人の編集担当の紹介でご自宅まで伺った。まつもとさんは、春日恭介を思わせる繊細そうな方で、時折はにかむように浮かべる笑顔が素敵だった。もちろんご自宅は洋風のオシャレなたたずまいで、よくある漫画家特有のゴシャゴシャ感などは微塵もなかった。

 お会いした際もそうだったが、幼少期の交通事故が原因で患った持病で、体調は芳しくなさそうだった。このご病気(脳脊髄液減少症)でさぞやご苦労されたことと思う。結局、肝心の鮎川まどか役が見つからずに企画は流れてしまったのだが、映画が万が一、いろいろな意味で“失敗”してしまったときのことを考えると、これはこれで良かったのかもしれない。今にして思えば、鮎川まどかは原作と、アニメの鶴さんの声のまどかが“最高”なのだから。

■アニメ化、放送途中での休載……堀越プロデューサーが見た、まつもと泉

 アニメ『オレンジ☆ロード』のプロデューサーで、元日本テレビ社員の堀越徹さんは「当時の[週刊少年ジャンプ]の編集方針は“友情・努力・勝利”でしたが、『オレンジ☆ロード』はおよそ[ジャンプ]らしくない恋愛マンガでした。私は原作のファンでしたので、ぜひテレビアニメ化したいと集英社さんにお願いしました。念願かなってアニメ化権をいただき、内容については私たちに任せてくださいました。1話完結ですので、話を増やしたり、他のエピソードとくっつけたり、思い切った展開もありましたが、先生はいつも温かく見守ってくださいました」と、当時を振り返る。

 まつもとさんは放送終了後も、シリーズ構成の寺田憲史さんや、高田明美さんともお仕事をし、堀越さんもみなさんと何度か食事をともにされたという。「先生のご両親もアニメ化を大変喜んでくださいました。先生にとって思い出深いアニメだったと信じています。毎年、心のこもった年賀状をいただいていました」とのことなので、実際このアニメ化は原作者としても会心の作だったようだ。

 だが、放送途中で連載は2度目の休載を迎えることに。アニメの人気が上がってきた時期だったので、堀越さんも「これはえらいことになった……」と、真っ暗な気持ちになったという。「当時、先生のご病気は医学的に証明されていませんでした。誰もが“漫画家さんは怠け者”だと思っていたのです」という堀越さんの言葉は重い。15年ほど前、まつもとさんから堀越さんへ、自身の病名が判明し、現在療養中で、日テレのニュース取材も入っているとの報告のお電話があったという。「怠け者だなんて、大変失礼だったと、深く反省しました」という堀越さんの慚愧の念は、周囲の理解なき中で孤独な闘病を続ける患者の方、すべてに向けられた懺悔だろう。

「訃報は集英社の知人から聞きました。ご葬儀はご家族のみで執り行うとのこと。お別れできなかったことが残念です。『オレンジ☆ロード』は私にとって忘れられない作品です。まつもと先生とご一緒できたことを神様に感謝しています」と、堀越さんは締め括られた。

 訃報につきものの月並みな言葉ではあるが、作品は永遠に不滅だ。まつもと先生の新作が読めなくなったことは残念だが、今ある作品を繰り返し読んで思い出すことも人の世では大切なことだと思う。

 まつもと先生、ありがとうございました。作品を繰り返し読み返して、先生の想いを後世に伝えていきます。

(岩佐 陽一)

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