理不尽な罵倒、プライベートでも…過激女芸人モリマン・モリ夫が「東京のテレビは無理だな」と悟ったワケ

理不尽な罵倒、プライベートでも…過激女芸人モリマン・モリ夫が「東京のテレビは無理だな」と悟ったワケ

©榎本麻美/文藝春秋

90年代を駆け抜けた女芸人モリマン・モリ夫が語る「なぜ過激な下ネタで勝負したのか」 から続く

 テレビも見ない、漫才もコントもわからないモリ夫に急にひらけた「東京」と「芸人」の道。追い詰められた結果の下ネタはウケにウケ、女性芸人モリマンはテレビに引っ張りだことなった。

 しかしそこで待っていたのは、「成功」とは程遠い、壮絶な嫌がらせの日々。女芸人だから売れ、女芸人だからイジメられる。「尖った若手の時代」に突入した90年代バラエティーの中で、モリマンは“女神”だったのか、“スケープゴート”だったのか。 (全3回中の2回/ 1回目 から読む)

◆ ◆ ◆

■番組で陰毛を出した日、母親から留守電が

??北海道に帰られてから、お笑いのスタンスは変わりましたか??

モリ夫 いや、変わってるんですよ、これが。ちょっと大人になっちゃったんですよ。生き残るために丸くなってしまったんです。?

??そうなんですね(笑)?

モリ夫 ローカルはどぎついのを必要としませんし。情報番組でいかにいいコメントを言うかなので、すごく優しくなっちゃってるんですよ。?

??もともと優しい方なんじゃないですか。?

モリ夫 優しいとは思います。昔は無理してたんだなとも思いますもん。

 番組で陰毛を出して、その日、携帯の電源を切ってたんですけど、電源を入れたら、母親から留守電が入ってました。私「華奈」って言うんですけど、「華奈ちゃん、見たよ。お母さん、ノイローゼになりそう」って入ってて。お母さん、ほんとやめます、そういうの、と思って。?

??お母さん……。?

モリ夫 かわいいんです、うちのお母さん。そこからそういうことは本当にやめようと。とにかくそれまで仕事を断るということをしなかったので、断っても別にいいかと踏ん切りがつきました。?

??一番忙しい時は、どんなスケジュールでしたか??

モリ夫 そうですね。家帰ってくるのが暗いうち、シャワーだけ浴びて、何日分かの服をぶん投げて、またバババッと違う服を入れて、暗いうちにまた家を出るっていうのがずっと続いてました。

??今自分が何の仕事をやっているか分からなくなりそうですよね。?

モリ夫 分からないです。今自分がどこにいるのかも分からなかった。ロケ車に乗っててカーッと寝て、目が覚めて「なんだこれ、テレビの人がいる。夢だ。いや、現実だ」みたいなこととか。?

■笑いが起きてるのに、先輩が「うわ、さむっ」と

??周囲から「急に売れやがって」みたいな、嫉妬は??

モリ夫 ありました。舞台上のいじめもありましたし。?

??お客さんがいるところで??

モリ夫 そう。ボケて、バッと笑いが起きてるのに、権力ある先輩が「うわ、さむっ」。そう言われたら、みんな「これ笑ったらセンスないと思われる」みたいな感じで、シュッとなる。ああ、意地悪だな〜、みたいな。

 でも、芸人たちが飲み会で「なんであんなやつらが売れてんだよ」って私らのことを言ってた時、極楽(とんぼ)の加藤さんが「おいっ、俺の同郷の悪口言うんじゃねえ!」って止めてくれたというのを他から聞いて、メチャクチャうれしかったんですけど。?

??小樽の狂犬が! ?

モリ夫 狂犬が吠えてくれました(笑)。?

??他の芸人さんにとっては、自分たちはくすぶっているのに、寝る間もないぐらい色んなテレビにモリマンさんは出て。そうなると「女だからだろ」とか「下ネタやるからだろ」とか、そういう攻撃をされそうですね。?

モリ夫 その言われ方はしましたね。ストレスでしたね、ほんとに。???

■「東京のテレビは無理だな」と思った理由

??モリ夫さんが「もう東京のテレビは無理だな」と思った、一番の要因はなんですか。?

モリ夫 別に「このテレビが嫌だ」とか、そういうわけではなかった。日々の忙しさと、ほんとストレスですね。お酒飲んでると、横で知らない人が「古今東西つまんない芸人、モリマン」とかやり始めるの。どこ行っても嫌な目に遭っていた。

 お金さえあれば、そんなバカみたいな客のいるところに行かなくていいんでしょうけど。あの頃はすべてがうまく回ってない状態でした。?

??「番組の打ち上げの席で服を取られた」というエピソードをテレビで話されているのを聞いた時、本当にちょっと目の前が真っ暗になるような感覚に襲われました。?

モリ夫 そんなの日常茶飯事でしたもん。メチャクチャやられてました。それ、裸にされて、掘りごたつの中に入れられた話でしょ? 裸で、足で踏まれて。そういうひどいことをする先輩は一部でしたけど、でも、先輩の言うことは絶対っていう、そういう時代でした。

 あの番組の中では「つらかったです」って感じで話しましたけど、私的には「こうやって喜んでいるなら、まあいいか」ぐらいの気持ちでした。楽ですから。「ボケろ」とか「モノマネやれ」とか無茶ぶりされて、みんなの前で「さぶっ」って言われるよりは、ここで裸で寝そべってるほうが楽だよなって。?

??……。?

モリ夫 しかもオゴってくれないのが腹立つんですよ、そこまでやっておいて(笑)。当時はまだ先輩が後輩にオゴるっていうルールも一般的ではなかった。私たち、基本あんまり誘われることはなかったんですけど、たまにクソみたいな先輩が誘ってきては、ただ悪口聞かされて割り勘とかね。つらかったです。

 スタッフも意地悪かったんで。いい現場もあるんですけど、なんでこんな威張ってくるの?みたいな。怒られたりもしますし。そうなると、仕事が正直好きになれないです。?

■一番忙しかった時期に起きた事件

??スタッフもなんですね。?

モリ夫 マックスで忙しかった時、それこそ美容室に行く時間もなくて、私クイックみたいなところに行ったんですよね。あの、10分で切ってくれるところ。そこで「サイドを3センチぐらい切って、トップを1センチぐらい切ってください」ってお願いして、バッと顔を上げたら、逆やられてて。ピエロみたいに、サイドが長くてトップが短くなってた。

「これ、何ですか?」「こうしろって言われたので」「いや、変だと思いません?」「変です」。どうにもならないと思って、結局「坊主にしてください」と。?

 いつも帽子をかぶってるので、まあ何とかなるかなって。で、楽屋の長テーブルで漫画読んでたら、社員がバーンと入ってきたんですよ。

 私の対面に座って「髪切ったんか」「はい」「帽子取ってみ」「はい」「なんで坊主やねん」……で、今の話をしたら、すごい力でテーブルを私に向かって押し付けてきたんですよ。「髪形で笑い取れると思うなよ」って凄みながら。?

??え、え???

モリ夫 だから、理由言ったじゃないですか。しかも、この時代誰が坊主で笑うのよ……。日常茶飯事でしたよ、そんなの。意味分かんない。?

??山田邦子さんもカツラで髪がボロボロになって坊主にしたとおっしゃってましたけど、モリ夫さんもそんなことが。理不尽な目に遭うことも多かったりして、いっそ男だったらもっと楽だったのに、と思ったりしませんでしたか。?

モリ夫 うーん……でも、私が男だったら売れなかったと思うんですよ。女でああいうことをやったから売れたと思うんですよね。

 当時なんてチンコ出す芸人いっぱい居たんで。出しゃいいみたいなライブ。チンコだらけのライブ。?

??困ったら出すみたいな。?

モリ夫 はい。今じゃできないライブ。あれはちょっと面白かったですけどね。?

 あと、私がやられやすいんですよね。向こうはもしかしたらいじってるつもりぐらいの感覚かもしれないけど、それに対してのリアクションを私はちゃんと取るから。

 そこを楽しんでいたような気がします、今思えば。普通に不貞腐れたり泣いたりする子は相手にしないじゃないですか。面白くない、見ててつらいだけだから。だから、泣いてやればよかったんですけどね。私、泣くのだけは絶対嫌だと思っていたので。?

■90年代は「なんでもあり」だったけど、お金は……

??この特集の初回にご登場いただいた山田邦子さんのお話を聞くと、少々辛いことがあっても「お給料が両手に紙袋いっぱいの札束」だったら、耐えられたんだろうなあとも思うんですよ。?

モリ夫 絶対そうですよね。心の中で「フフ……ガチャガチャ言ってるやつはいるけど、私は億万長者だから」って思いますもんね。ないですもん、そこまで。バブルがはじけた後なので。?

??そういう意味でも90年代のバラエティーってちょっと独特というか、結構嫌なこともやらなきゃいけないけど、そんなにお金をもらえるわけでもない。?

モリ夫 そうなんですよ。だからこそそこで耐えていた方たちは本当にすごいなと思いますよ。私は逃げ組だと思っているので。?

 パワハラとかセクハラとかモラハラとか、そんなの当たり前でしたからね。生まれてきたタイミングが悪かったのかなと思うけど、でも、あの時代だからあそこまで行けたんだなとも思う。昭和だったら私たちのネタでは出してもらえないでしょうし。今はもっとダメだし。ちょうどいい時代。

 苦しかったですけど、結果悪くはなかったなとは思ってるんです。過去のことは。?

■『ボキャブラ』の仲間とギャラを発表し合ったら

??当時の芸人界はどういう空気でしたか??

モリ夫 何だろう。でも……残る人ってもう決まってたような気がしますけどね。数だけはたくさんいたけど、残る人は決まってた。私もあのままいたところで残っていたかは分からないけど、ただ、必要枠ではあったかなとは思う。痛い熱い言う女も必要だった。90年代はほんと独特ですね。?

??『ボキャブラ』はどうでしたか。若手のスターをたくさん輩出した番組でしたが。?

モリ夫 ほんとすごかったです。私たちになんでこんなキャーキャー言える?というぐらいの熱があった。

 他事務所の方でね、「自転車を買いに行こうと思ったら途中に外車のショールームがあって、ベンツを買っちゃった」とか話してる。こっちは同じ番組に出てても自転車も買えないよ、みたいな。?

??格差ですね……。?

モリ夫 事務所によって全然違うなと思いました。当時、ネプチューンさんとかオセロとかと「今、ぶっちゃけギャラいくらもらってる?」っていう話になって、「モリマン一番仕事あるから最後にしよう」ってなったんですよ。みんなのギャラ聞いてたら、私らどんどん白目になってきて。1桁違いましたもんね。

??大トリで言わなきゃいけないのに。?

モリ夫 みんな分かってたでしょ、っていう話ですけど(笑)。?

■「やる気あります」感は出してましたけど

??でも確かに、当時『ボキャブラ』に出ていた女性芸人というと、モリマンさんとパイレーツさんのイメージが強いですね。女性芸人同士の関係はどうでしたか??

モリ夫 うーん、そうですねぇ。吉本にいた女性芸人の先輩方はみんな仲良くしてくれてました。次々やめちゃいましたけど。

 他事務所がちょっと嫌でしたね。同じ楽屋になったら、すごい業界くささを出してくる。マウントっていうんですか、でっかい声で「この間誰それと飲んだ」っていう自慢話を私に聞かせてくる。それはちょっとキモかったですね。?

??ちょっと恐怖に感じていたのかもしれないですよね。モリマンさんにはそういう野心みたいなものがないじゃないですか。つかみどころがないというか。?

モリ夫 何でしょうね。一応は「やる気あります」感出してましたけどね。ただ「トップに立とう」は絶対なかったんで。今、上沼恵美子さんを見てても、「やっぱりこうはなれないよな」と思ってしまう。そんな技術はないんです。?

■過激レースは「陰毛」で終わった

??一度テレビで過激なことをすると、さらに過激なことを求められる……みたいな怖さはありましたか??

モリ夫 でも、一応陰毛で終わりましたね。さすがに。あれは『ここがヘンだよ日本人』だったんですけど、あれで過激レースは終わりました。?

??陰毛がゴールなんだ〜。?

モリ夫 陰毛はゴールですよね。なんだ、陰毛がゴールって(笑)。どんなマラソンだ。?

??分かりやすい(笑) ?

モリ夫 でもホント、陰毛がゴール。それ以上やったら、またちょっと違うものになっちゃいますね。どうにも笑えないと思うんです。?

 母親はそういうのをすごく嫌がりましたけど、逆に父親は何をやっても喜ぶ人で。昔、『FOCUS』に載った、私がケツだして警察に中指立ててる変な写真をちゃんとスクラップしてましたもん、お父さん。?

??(笑) ?

モリ夫 一回ライブを見に来てるんですよ、ひっそり。新聞にライブの告知が載ったらしく、札幌から急に見に来た。「あ、絶対父さんだ」と思ったんだけど、その日も陰毛を出すネタで、しょうがないから出したんです。

 ネタの後の「先輩に悩みを聞いてもらおう」みたいなコーナーで、ゲストが久本雅美さん、ハイヒールさんで。

 そこで久本さんに「今、父親が見にきて、私、陰毛出しちゃったんですけど、どうすればいいですか?」って聞いたら「ええねん、ええねん。そんなの気にしたらあかん」って。「わしもおっぱい出して客席練り歩いてて親戚おったことあるわ」って。

 その久本さんの声が響いたみたいで、その後楽しくお父さんとお酒飲めました(笑)。?

【続きを読む】 「周囲は『顔が優しくなった』と。でも…」過激女芸人・モリ夫の東京での“唯一の心残り”

写真=榎本麻美/文藝春秋

「周囲は『顔が優しくなった』と。でも…」過激女芸人・モリ夫の東京での“唯一の心残り” へ続く

(西澤 千央)

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