「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので…」“糟糠の妻”を捨てたGLAY・TERUの結婚観

「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので…」“糟糠の妻”を捨てたGLAY・TERUの結婚観

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GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは から続く

 日本を代表するミュージシャンとして名を馳せ始めたタイミングで、デビュー前から支えてくれた妻と別れたGLAY・TERU。その一年後にはPUFFY・大貫亜美との再婚が報じられ、世間には非難の声が轟いた。しかし、糟糠の妻と別れたのは、彼がただ薄情だったり、地位に奢ったりしたからなのだろうか。

 ここでは細田昌志氏の著書『 ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか? 』を引用し、TERUの人生を振り返りながら、彼の心に隠された結婚観に迫る。

◇◇◇

■家族を捨てて大貫亜美を選んだ理由

 大貫亜美がいくら思いのほか美女であるとはいえ、TERUが、いくら芸能人との結婚願望を持っていたかもしれないとはいえ、それだけの理由で、苦労を共にした美しい良妻と、可愛い盛りの子供を、あっさり捨てられるものだろうか。

 ここで挙げた、

「芸能人同士のカップルを、願望として抱いたこと」

「同じく有名芸能人である彼女に選ばれたこと」

 確かにこれらは、新たな自分とその人生に踏み出す原動力としては、大きいのかもしれない。しかし、それだけでもないような気がしないでもない。

 あくまでも原動力でしかなく、「決定打」というわけではなかったとしたら、他にどういった理由が考えられるのか。

 TERUに断腸の決断をさせた強い理由と背景はなかったのか。TERUを衝き動かしたものは何か。

 結論を急がず、今一度、考察を加えたい。

■似た者同士だった二人

 持ち前の甘いマスクで、TERUは少年時代から相当モテていたらしい。

 気さくな父、明るい母、三歳上の姉、四歳下の妹という五人家族の長男として、すくすく育ったTERUは、時折女の子に間違われるほどの甘いマスクを持ちながら、原辰徳に憧れ毎日白球を追う野球少年だった。

 さらに、家族全員、歌が大好きという家風もあってか、小四のとき町内ののど自慢大会に出場し、近藤真彦の『スニーカーぶるーす』を歌い三位に輝いている。列記しながら思うことだが一番モテるタイプだと思う。

 モテ度は中学、高校に進学してさらに深化する。

「丸刈りにしたくない」

 という至極真っ当な理由で、野球部からサッカー部に転向する。それと並行してバンド活動を始めると、ライブハウスに女子生徒が殺到した。また、学校の廊下をTERUが歩くと女子生徒の声が響き渡り、卒業式ともなると、引きちぎられるように学ランのボタンが消えたという。

 少年時代にモテていた男性は、成人してからも女性に対する免疫が高いといわれる。あまつさえ、姉と妹に挟まれた長男である。TERUにとって異性とは特別な存在ではなかったはずだ。

 筆者がこれまで見てきた中でいうと、この手の男性は少々の女性との関わりで、のぼせ上がることはほとんどない。むしろ、女性に対しシビアな目線を持ち続けることのできるタイプである。

 つまり、恋愛において、騎虎の勢いで突き進むことのない、冷静なタイプだと思われる。

■洗練されたセンスを持っていた大貫亜美

 一方の大貫亜美にも触れておきたい。1973年、町田市生まれ。カントリーミュージックをこよなく愛する音楽好きのホテルマンの父親と、明朗闊達なスポーツウーマンの母親との間で、すくすくと育った彼女は、小四のときに聴いたマイケル・ジャクソンをきっかけに、本格的に洋楽への嗜好が高まったという。

〈「生まれたときからカントリーが流れているような家だったんで、音楽的環境には恵まれていましたね」

 という亜美。彼女の洗練された音楽感覚、ファッションセンス、そして彼女が醸し出すちょっとトンでる雰囲気は、間違いなく彼女の両親から受け継いだものだ。(『Puffy亜美&由美のいい感じ伝説』Puffy同窓会一同著/千早書房刊)〉

 そして、中学からは、剣道部に入部。副キャプテンとして、区の大会で優勝を飾ってもいる。

〈 明るく楽しいユーモアで、常に笑いを振りまいていた亜美。彼女の周りには、自然と仲間が集まっていった。

 中学3年になるころには、中山中学校で亜美の存在を知らない生徒はいない、というほど、彼女は有名人になっていた。(『Puffy亜美&由美のいい感じ伝説』Puffy同窓会一同著/千早書房刊)〉

 高校に入学してからは、キャビンアテンダントを目指す傍ら、バンド活動に熱中する。アマチュアバンドを結成し、学校の人気者として注目を集めた。高三の終わりには「ソニーSDオーディション」に合格する。

 ここからソニーの養成所に入って、デビューに向けてレッスンを受けることになるのだが、亜美以外のメンバーは次々と脱落している。たった一人残された亜美は、

「女の子がもう一人いたら、もっと可能性が広がるでしょうね」

 と関係者に洩らしたという。当事者ながら、他人事な発言がおかしいのだが、この一言で、同じくオーディションに合格した吉村由美と引き合わされるのだ。

■TERUと大貫亜美の類似性

 そして、プロデューサーである奥田民生の友人で、アメリカのロックバンド、ジェリーフィッシュの元ドラマー、アンディー・スターマーの命名で、「PUFFY」と名付けられた。

「パフのようにふわふわした存在で、女の子にとって必需品」

 といった意味が込められているらしい。

 ここまで、TERUと大貫亜美、二人の足跡を追ってみて、ふと、あることに気がついた。

 子供の頃や、学生時代の遍歴、友人との関わり、音楽との関わり、そして、バンド活動に至るまで、TERUと大貫亜美は比較的似た者同士だったのではないか。そもそも、姿形や趣味、嗜好、経済観念など、共通するものが多いほど男女は付き合う確率が高いといわれる。

 TERUと亜美の経済観念までは判然としないのだが、少なくとも、育った環境、歩んだ軌跡、趣味嗜好、持ち前のキャラクターは、共通している部分が多いように映る。容貌さえどこか似ているような気がしないでもない。

■マッチング原理

 それは、心理学において、

「マッチング原理」

 という。類似性の法則のことだ。

「似た者夫婦」

 という言葉があるが、あれは偶然ではないという論拠のもととなった法則である。

 家族社会学者である永田夏来の『生涯未婚時代』(イースト・プレス)によれば、女性が男性を選択する際、出自や学歴などよりよい条件を求める「上昇婚」志向がよく語られがちだが、実際には戦後日本は一貫して「同類婚」志向であることがデータから判っている。

「ジョギングサークルに属している男女は、そのまま交際に発展しやすい」

 という話を、先日、筆者は耳にしたばかりだが、まさに、この法則が適用されている事例の一つといっていいかもしれない。カップルでデモ行進に参加したり、何年もマルチ商法にはまっている夫婦も同様である。

 しかし、類似性だけで結婚まで至るとは思えない。さらなる要因が加わるのだ。

■同業者を求める「パートナー志向」

 一人の若者がいるとする。

 若者は、家族はおろか、恋人も、親しい友人さえもいない孤独な生活を送っている。

 そんな彼に、職場の先輩が話しかけてきた。

「今度の休みの日、君と同じ年齢くらいの男女の集まりがあるんだけど来ないか?」

 休日は家で寝ているか、一人でぶらぶらするくらいしかすることのない彼は、暇つぶしだと思ってその誘いに乗った。

 指定された場所へ行くと、自分と同じように、孤独な生活を送る若者がたくさんいた。

「孤独なのは自分だけじゃなかった」

 嬉しくなった若者は、翌週もその集まりに行った。友達もできた。翌々週も行った。友達はもっと増えた。なんでも話せる親友もできた。

 そのうち、気になる女性も現れた。

 何度か顔を合わせているうちに、彼女と親しくなって交際が始まった。そして、その女性と連れだって集まりに一緒に顔を出すようにもなる。

 程なくして、彼らは結婚し家庭を持つようになった。そして、かつての自分たちと同じように、孤独な日々を過ごす若者を見つけると、集まりに来ないかと熱心に誘った。

 これは、どこかの国の寓話でもなければ、特別な事例をあげているわけでもない。ある宗教団体は、高度経済成長期の昭和30年代に、集団就職で地方から都会に出て来た若者を対象に、この方法で信者の数を増やしたという。

 孤独な環境で、似たような状況に置かれた者同士が親しくなるのは、決して珍しい話ではない。無人島に仲間がいたという感動が、そのまま、愛情へと昇華するのである。

 芸能界という無人島に迷い込み、自分を見失いかけたときに、育った環境や趣味、価値観などが共通する異性と出会った。同じ1996年に大ブレイクをはたしているのも大きい。同志とも戦友ともつかぬ感情をお互いに抱いても不思議はない。それこそが、TERUと大貫亜美を結びつけた。その要因も無視できないのでないか。

 さらに、二人が結びつく決定的な要因がこれに加わる。

 同業者特有の通弊である、

「パートナー志向」

 である。

「パートナーも同じ仕事に携わってほしい」

「パートナーには自分の仕事の理解者であってほしい」

「それによってプライベートな空間でも、仕事と近接な関係を築いていたい」

 という、パートナーに求める条件こそがまさにそれだ。俳優、芸人、作家、教師、医師、弁護士、政治家も同業で結婚する事例が近年増えている。中でも音楽家は、その志向がことに強いのかもしれない。

 山下達郎と竹内まりや、桑田佳祐と原由子、坂本龍一と矢野顕子(その後離婚)等々、音楽という共通項のある伴侶を持ち、プライベートな空間でも常に音楽の空気を吸っている印象を周囲に抱かせることができる。ミュージシャンであるなら一度は憧れを抱くかもしれない。

■大貫亜美を“パートナー”に選んだTERU

 TERUの自意識の隙間にこれが入り込んだとしたら、もはや、その勢いを止めることはできまい。この志向が高まるとますます糟糠の妻への関心が薄れる。歯止めが利かなくなる。それによって、自分がミュージシャンであることの説得性は保たれ、音楽的な幅の広がりさえ、ファンに印象づけられるのは何物にも代えがたいことだからである。

 TERUは、アマチュアバンドの経験を持ち、アーティストとして独自の道を歩んでいる大貫亜美に、その部分を強く求めたように映る。

 余談になるが、長らく独身を貫いてきた福山雅治は、その理由として、音楽家としてのパートナー志向こそ一因ではないかと筆者は察していたが、近年になって女優の吹石一恵と結婚した。その呪縛から抜け出したか、もしくは俳優としてのアイデンティティの方が上回ったか、そのいずれかではないか。

■常人だった過去の自分では想像すらしない決断

 結婚を発表したときの、TERUのメッセージを改めて読んでみたい。

「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので、これからもお互いに刺激し合いながら、音楽の道を歩んでいきたいと思います」

 糟糠の妻を捨てた彼を批判することは容易い。

 しかし、そこに至るまで、彼は多くのことに触れ、多くのものを得て、多くのものを捨てたはずだ。

 芸能という特殊な世界で生き、僥倖もあろうが、思いもつかないほどの大きな成功を収めた彼が、それらの問題に直面したことで、常人だった過去の自分では想像すらしない決断を下した。

 それこそが、TERUをして、前妻や愛児を捨てさせてまで大貫亜美を選んだ理由ではないか。筆者はそう見ている。

(細田 昌志)

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