GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは

GLAY・TERUのPUFFY・大貫亜美との泥沼不倫と結婚について、背景を解説

記事まとめ

  • 99年にGLAY・TERUのPUFFY・大貫亜美との泥沼不倫がFRIDAYにスクープされた
  • 2人の交際は98年から始まったが、細心の注意を払って交際を隠し通していたという
  • スクープ後、TERUは大貫亜美について「今はどうしても必要な存在」と言い切っていた

GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは

GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは

『HOWEVER』で第39回日本レコード大賞・優秀作品賞を受賞したGLAYのTERU

 自身が有名になるにつれ、糟糠の妻――つまり、若い時から貧苦を分かち合い、共に老いた妻――を捨て、新しいパートナーとの人生を再スタートさせる芸能人は数知れない。それが報じられる度に世間からは批判の声が上がるが、糟糠の妻と別れるのは、彼らがただ薄情だったり、地位に奢ったりしたからなのだろうか。

 ここでは著名人の別れの背景にある事情、本当の思いを読み解いた細田昌志氏による著書『 ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか? 』より、GLAYTERUの離婚劇を引用、紹介する。

◇◇◇

■インディーズ時代から応援し続けていた妻

 一歳年下という最初の妻はもともと、インディーズ時代のGLAYのファンだった。

「彼女とはデビュー(’94年)する3年前に知り合いました。俺たちが函館の高校を卒業してすぐ東京に出てきて、まだお客さんが10人に満たないような環境でライブをやっていた頃から見にきてくれていた人です。(中略)デビュー前は、仕事とバンド活動の両立にもすごく不安だったし、挫折しそうになったこともあります。彼女はそういうとき、いつも身近にいて支えてくれた」(『FRIDAY』1997年4月4日号)

〈 TERUくんは当時から、付き合っていた恋人と一緒に住んでいたようだ。2人の生活のため厳しいハツリ屋という仕事を続け、バンド活動もしていた。

 (中略)

 私はこのとき、初めてTERUくんの恋人の存在を知った。そして彼女のことを、

 「なるほど、やっぱりTERUくんが好きになるだけの女性だわ」

 と感心した。(『私の中のGLAY』清水由貴著/コアハウス刊)〉

 1993年、TERUはその女性と結婚。翌年一児をもうけている。メジャーデビュー前とはいえ、この頃にはライブハウスにかなりの観客を動員していたGLAYだが、

「この子のためにもっと売れたい。もっと稼ぎたい」

 と、この時期のTERUがそう誓っただろうことは容易に察しがつく。それは彼に限らず、雌伏の時代に妻子を抱えた誰もが抱く、共通する決意のはずだからだ。

 そして――、その決意に応えるように、突如として運が開けていくのが面白い。

■96年に3rdアルバムが初ミリオン

 結婚したのと同じ年の1993年、X JAPANのYOSHIKIの目に留まり、GLAYはYOSHIKIが設立したエクスタシーレコードと専属契約を結ぶ。翌年その傘下のレーベル、プラチナムレコードの所属第一号アーティストとして、YOSHIKIプロデュース『RAIN』でメジャーデビューをはたす。ここからGLAYの音楽活動は順調に動き始める。

 2ndシングル『真夏の扉』をリリース。初の全国ツアーも成功。3rdシングル『彼女の“Modern…”』をリリース。この作品から、かつてBOOWYやTHE BLUE HEARTSを手掛けた音楽プロデューサー、佐久間正英との共同制作がスタートする。年末に三大都市ツアーを成功。佐久間のGLAY評は、彼らの行く末を見事に暗示している。

「GLAYは、自分たちのやりたい音楽をやっているごく普通のバンドです。やっていく中で、新しいことや今までできなかったことに挑戦している。やりたいことを曲げてまで売れたいとは考えていないんじゃないですか。コンピュータ的な曲よりも、素朴で生身なモノが求められている今の時代に、彼らの音楽やスタイルがピッタリ合っただけ(『GLAY Perfect File 完全白書』Team GLAY 編/千早書房刊)

■一気に国民的バンドにまでのぼりつめる

 1995年、1stアルバム『SPEED POP』をリリースし、オリコン8位にランクイン。次いで、6thシングル『Yes, Summerdays』が「カメリアダイアモンド」のCMタイアップ曲となる。この時期ともなると、ライブのチケットはプラチナ化している。

 そして、運命の1996年を迎える。

「ヴィクトリア」のCMタイアップ曲となった8thシングル『グロリアス』がオリコン4位。2ndアルバム『BEAT out!』がシングル、アルバム通じて初のオリコン1位を記録。ドラマ主題歌となった9thシングル『BELOVED』がオリコン3位、83万枚の大ヒット。GLAYは一躍人気バンドの仲間入りをはたす。

 さらに、その勢いは留まるところを知らない。『a boy 〜ずっと忘れない〜』がオリコン2位。3rdアルバム『BELOVED』がオリコン1位を記録した上に、なんと152万枚を売り上げ、シングル、アルバムを通じて初のミリオンセラーを記録。人気バンドどころか、一気に国民的バンドにまでのぼりつめるのだ。

■宮本浩次が語る当時のGLAY

 当時の彼らがどう見られていたかを知る、エレファントカシマシのボーカル、宮本浩次による貴重な証言がある。

「NHKの『ポップジャム』という番組でGLAYと共演したんです。僕は有頂天だったんですけど、彼らはそんなものを一気に吹き飛ばすものを持っていた。(中略)そのオーラたるや、自信たるや、風格たるやね。僕は売れるために何かやらなきゃいけないと背伸びして、がむしゃらにやってきたけど、GLAYは自分たちの好きな音楽を精一杯やって、それが認められて、ものすごく売れてるという、そんな自信とオーラが出ているように僕には見えた」(『週刊文春』2000年4月27日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)

 短期間での大ブレイクが、TERUの結婚を機に始まっていることを思えば、確かに、TERUの妻が幸運の女神になったと見えなくもない。

 この頃、下積み時代を支えた彼女がどういう心境でいたか、今では知る由もない。しかし、想像はできなくもない。

「彼を支えてよかった。本当に付いてきてよかった」

 出会ってから、食うや食わずの生活を送って来た亭主を、陰日向となって支えた妻にとって、大成功を収めたその姿は感慨深かったに違いない。子どもまで抱えていたのだ。喜びはひとしおだろう。

「これで、もう生活の不安に苛まれることはない」

 しかし、ある部分においては、こういった想いも芽生えていたかもしれない。

■愛する人が変わっていく不安

「成功してくれたのは嬉しいけど、彼が遠くに行ってしまうような気がする」

 実際、サクセスを掴んだ成功者は、その生活が一変するのはもちろん、同時に交遊関係にも変化が生じるのはよくあることだ。これまでの友人とは異なる顔触れが列なり、身なりや言葉遣い、さらには、趣味、嗜好さえも変わっていく。

「言葉を逆さまにしゃべる人たちが増えてきた。私から見れば、それは宇宙語でしかない。何をしゃべっているのかわからない。お寿司のことを『シース』と言ってみたり、わけのわからない話をしている」(『私の中のGLAY』清水由貴著/コアハウス刊)

 という、インディーズ時代のGLAYを支えたスタッフの証言にもあるように、もしかしたら、妻も似たような経験をしていたかもしれない。

 そして、変化する交遊関係の中には、当然、女性の存在も含まれる。容姿、地位、教養、これらの備わった今まで出会ったことのないタイプの女性ばかりが現れる。成功者の多くが、家庭を顧みなくなるのに十分すぎる理由がある。

 そして、96年という年は、GLAYだけではなくもう一組のアーティストにとっても運命の年となった。――PUFFYである。

大貫亜美との不倫、そして離婚と再婚

 大貫亜美、吉村由美の女性デュオからなるPUFFYは1996年、奥田民生プロデュースのデビューシングル『アジアの純真』(作詞井上陽水・作曲奥田民生)がいきなり売り上げ106万枚のミリオンヒット。2ndシングル『これが私の生きる道』はさらにそれを超える161万枚を記録、翌年春のセンバツ高校野球の入場行進曲に選ばれるなど、一躍日本の音楽シーンの中心に躍り出た。

 安室奈美恵、華原朋美、globe、hitomiなど、小室ファミリーが常にヒットチャートに名を連ねていた96年の音楽業界において、GLAYとPUFFYは、非小室派ながらミリオンヒットを連発する稀少な存在といえた。

 あくまでも、音楽業界における並び立つこの関係が、実生活でもそうなろうとは、この時点ではまだ誰も知らない。

 ちなみに、GLAYとPUFFYの初共演は、1996年8月31日放送の『ポップジャム』(NHK)で、GLAYはヒットチャート1位の『BELOVED』を、PUFFYは1stアルバム『amiyumi』収録の『とくするからだ』を歌っている。

 二度目の共演は翌97年8月30日放送の『今夜独占! 最強生放送‘97メガヒットライブ』(TBS系)まで待たねばならない。なおこの年は、12月22日放送『HEY!HEY!HEY!生のチャンプクリスマス・2時間の生放送』(フジテレビ系)と、12月26日放送『ミュージックステーションSPスーパーライブ‘97』(テレビ朝日系)のいずれもスペシャル枠での共演のみである。

 他にも大勢の歌手やミュージシャンがその場にいたことを思えば、このときの初対面で交際に発展しなかったのも至極当然のことだった。

■泥沼不倫がスクープされる

 そんな初共演から、3年後の1999年2月5日。この日発売の写真週刊誌『FRIDAY』(1999年2月19日号)は「独占スクープ告白」の見出しとともに、次のような記事をカラー3ページに渡って掲載した。

〈 6年間連れ添った糟糠の妻と子を棄ててTERU(GLAY)が大貫亜美(PUFFY)との泥沼不倫と離婚を語った。

 12月上旬のある日。午後9時過ぎ、都内港区にある瀟洒なマンションの地下駐車場から一台のフルスモークの車が現れた。『GLAY』のボーカリスト・TERU(27)の愛車である。約10分後、マンション裏手の細い路地に入ると、突如、寺の駐車場の中で車を停めた。その直後、1台のタクシーがやってきて停車。降りたのはニット帽を被った女性手には何やら大きなショルダーバッグとテレビ朝日のロゴの入った紙袋を提げている。その後、車は一方通行の道を逆走して、マンションの地下駐車場へと消えていった。〉

 なお、交際に至った経緯についてだが、交際が始まったのは1998年の春頃で、別居を始めたのとほぼ同時という。気になるそのきっかけとなった理由について、別の週刊誌はこう書く。

〈 2人の出会いは、4年前、’98年の春。音楽番組で頻繁に顔を合わせ、意気投合。その後、付き合いが始まったという。(『女性自身』2002年5月21日号)〉

 音楽番組で頻繁に顔を合わせたとあるが、1998年の春に、GLAYとPUFFYが共演したテレビ番組は、5月27日放送の『パパパパPUFFY』(テレビ朝日系)のみ。おそらく、この番組での共演が契機となって交際が始まったのは間違いないだろう。

 毎週水曜日23時15分からの30分番組で、ゲストを迎えて外を出歩いたり、ゲームで競い合ったりという二部構成。PUFFYにとって初の冠番組である(のちに45分番組となる)。

 ちなみに、この5月27日放送分の主な内容は次の通りである。

〈 香港を訪れた大貫亜美と吉村由美が、地元のテレビドラマ進出を狙う。中国の時代劇「穆桂英」に出演したい2人はプロデューサーと直接交渉。相手が2人のことを知っており、交渉はスムーズに進む。また、スタジオにはGLAYが登場。メンバー内でモデルガンがはやっているという彼らとPUFFYが射的対決を。(『ザテレビジョン』1998年5月29日号)〉

「射的対決」で意気投合したTERUと亜美はそのまま交際に発展。妻子持ちのTERUは、通い同棲のような生活に突入するのだ。

■細心の注意を払って交際を隠し通していた

 この関係がそれまで公にならなかったのは、二人が異常なまでに警戒を怠らず、細心の注意を払っていたためと、前出の『FRIDAY』は指摘する。事実、それは徹底したものであった。

〈 待ち合わせ場所に、喫茶店やレストランはけっして使わない。寺の境内や、住宅街のマンションの駐車場など、いずれも人目につきにくい真っ暗闇な場所で瞬間的に合流するのだ。車に乗っているときでも、相手の家に着くまでは後部座席に横になり、外からはツーショットの人影がまったく見えないよう心がけているのである。(『FRIDAY』1999年2月19日号)〉

 双方、当代のスターであるにもかかわらず、薄気味悪い暗闇の寺の境内で落ち合い、亜美は車に飛び乗ると同時に、後部座席に病人のように横たわり、運転席のTERUも、ドライブを楽しむ余裕は当然なく、愛の巣とも呼ぶべきマンションまで急ぎ車を走らす。

 2016年、NHK甲府放送局に所属するアナウンサーの男女が、高速道路の路肩に車を停めて、車中で事に及ぶというあられもない様子が、まさに『FRIDAY』に報じられ物議をかもしたが、奔放すぎる彼らと比較にならない、雲泥の差がある。

 二人の愛は本物だった。この頃、TERUが取材陣に話した主なことをまとめると、

「亜美の母親とは会っていること」

「弁護士を立てて、離婚の話を進めていること」

「それは、慰謝料の金額についても含まれること」

 さらに、不倫相手である亜美については、

「音楽活動を続けていく上で、今はどうしても必要な存在」

――と言い切っている。

■結婚に向けて既成事実が作られていく

 アマチュア時代からのファンで、おそらく、TERU本人に数々の助言をしてきたであろう妻の立場を慮ると、複雑な感じがしないでもない。そして、ここから外堀から内堀まで埋められるように、結婚に向けて既成事実が作られていく。それでも慎重な様子がうかがえる。

 翌2000年、TERUは妻と離婚。しかし、すぐ大貫亜美と入籍したわけではなく、まず、TERUの住む都内マンションの別の部屋に亜美と亜美の母親が引っ越している。2001年の大晦日には、札幌で行われたGLAYの年越しライブに亜美が同行。結婚は秒読みと思われた。

 そして、2002年4月29日、それぞれのホームページで次のようなメッセージが記された。

「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので、これからもお互いに刺激し合いながら、音楽の道を歩んでいきたいと思います」(TERU)

「みなさまにはご心配をお掛けしたと思いますが、自分なりに熟考を重ねた結果ですので、ご理解いただければうれしいです」(大貫亜美)

 かくして、二人は出会って6年で結婚に至っているのだ。

「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので…」“糟糠の妻”を捨てたGLAY・TERUの結婚観 へ続く

(細田 昌志)

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