橋本愛はのんを「玲奈ちゃん」と、小泉今日子はプロデューサーに…『あまちゃん』ファミリーの今

橋本愛はのんを「玲奈ちゃん」と、小泉今日子はプロデューサーに…『あまちゃん』ファミリーの今

「のん」 ©文藝春秋

 橋本愛が彼女を「玲奈ちゃん」と呼ぶことについて、新作映画『私をくいとめて』公開前の記事や放送を通してファンはいち早く気がつき、SNSを通して話題になっていた。

 2013年、二人が共演したNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』が放送されていた当時なら、それは同世代の少女同士にとって親しみをこめた当たり前の呼び方だったろう。だが二人の少女のうち一人、かつて能年玲奈という稀な本名で日本中に知られた若い女優は、事務所独立問題と改名を経て「のん」と名乗るようになり、メディアもそれに倣った。

■橋本愛が口にする「玲奈ちゃん」の意味

 当たり前のことが当たり前でなくなり、もう誰も彼女のことをかつての名で呼ぶことができなくなる中、橋本愛が当たり前のように彼女の本名、そのファーストネームを昔と変わらない親しみをこめて呼ぶことは、長い間彼女の処遇に心を痛めてきたファンにとってささやかな安らぎになった。

 橋本愛が「のん」という新しい名前を否定したり、拒否しているわけではないのはわかる。舞台挨拶では「のんさん」と「玲奈ちゃん」が混在しているし、雑誌によっては(修正された可能性があるとはいえ)「のん」と呼んでいる対談記事もある。

「のん」という名前自体は、能年玲奈自身が考えた自分の名前なのだし、フランス語なら拒絶の意志を示す単語にも通じるその名前はいかにも彼女らしいセンスで選ばれたものだ。橋本愛はその新しい名前を受け入れつつ、その向こうにある本当の彼女の名前、本当の当たり前の呼び方を忘れてはいない。

■まるで「現代の神隠し」をみているような数年間

 まるで『千と千尋』みたいだね、とファンはこの数年、彼女について話してきた。宮崎駿の代表作『千と千尋の神隠し』の中で、主人公の少女である荻野千尋は、迷い込んだ異界で湯婆婆との契約に縛られ、本当の名前を奪われ「千」と呼ばれるようになる。

 のん、かつて能年玲奈と呼ばれた女優と所属事務所の間にあった問題の詳細については、特に芸能界のインサイダーでもない筆者の立場からは控える。だが、いち視聴者として、あれほど日本中に愛されたスターがある日突然メディアから姿を消し、そのことが徐々に忘れられていく日々の流れは、ある意味で現代の神隠しを見ているような数年間だった。彼女を隠したのはもちろん神ではなく、僕たち人間の社会なのだが。

■「あまちゃん」は実質“ダブルヒロイン”だったのでは

『あまちゃん』は不思議なドラマである。公式には能年玲奈の単独主演だが、宮藤官九郎の脚本は実質、能年玲奈と橋本愛のダブルヒロインとして描かれていたと思う。能年玲奈演じる天野アキと橋本愛演じる足立ユイ、二人のキャラクターの対比の鮮明さ、月と太陽のようにお互いが互いのオルタナティブであるようなあり方は、劇中で組まれるユニット「潮騒のメモリーズ」と重ねてファンに愛された。

 ただ一人のヒロインをプリンセスに置いて観客の視線を集中させるのではなく、複数の女性キャラクターを配置することで女性の生き方に選択肢を持たせ、その選択を互いに交差させ干渉させることでドラマを生んでいく宮藤官九郎の作劇術は、二人の母親世代を描く回想でも繰り返される。

 小泉今日子演じる天野春子と、薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美は、歌唱力のない美しいアイドルと、歌唱力だけを搾取される無名の少女というオルタナティブ、女性が社会から求められる二面性を隠喩する巧みな構造で描かれた。

 小泉今日子はエッセイ『黄色いマンション 黒い猫』の中でドラマを振り返りつつ、「春子がなれなかったアイドル。私がならなかったお母さん。人生は何が起こるかわからない。どこで何を選んで今の人生に至ったかはもうわからないけれど、ほんの小さな選択によって、春子が私の人生を、私が春子の人生を送っていたのかもしれない。私が選ばなかったもうひとつの人生。だから、春子とアキ、私と能年ちゃん、二つの関係が物語を通して進行するという不思議な経験をしている」と書く。

 のんが渡辺えり主宰の舞台『私の恋人』で舞台に立った本多劇場にも、小泉今日子の名で祝いの花が飾られていた。渡辺えりは『あまちゃん』では現役の海女、今野弥生を演じている。彼女が大手メディアから「神隠し」にあった期間にも、共演者たちとのつながりは途切れることなく続いているように見える。

■小泉今日子の最後の主演映画と、現実の深い亀裂

 小泉今日子が主演した『食べる女』という映画がある。2018年に公開された、東京の都会に暮らす女性たちの群像劇、その食事へのこだわりを中心に、生きることと食べることを重ねた映画は、影のテーマとして女性の自立、文字通り「女が自分で食っていく」姿を描いている。

 前田敦子、広瀬アリス、鈴木京香という錚々たるトップ女優が並ぶ中、脚本とプロデュースを担当した筒井ともみが「主演は絶対に小泉今日子でと決めていた」と語るように、それはとても美しい、そしてとても小泉今日子らしい映画だった。

 だが同時に、その映画の美しさと、現実の東京で進んでいく生活の破壊に深い亀裂を感じたのも事実だ。映画で描かれるのは、金にものを言わせた贅沢な食材選びではなく、一人暮らしの女性の経済力で選べるささやかな食事の工夫だ。だがそうした「ほんの少しの文化的なゆとり」、「女が自分で食っていける」社会そのものが、現実の東京の中でミシミシと侵食されるような時代に僕たちは生きている。

 小泉今日子が若い頃は「当たり前の未来」と想定されていたであろう、健康で文化的な最低限度の生活を描いた美しい映画を見ながら、映画が時代遅れになったのではなく、現実が貧しく野蛮な時代に逆行しつつあることを感じずにはいられなかった。

■俳優としての活動を休止した、小泉今日子が伝えたかったこと

『食べる女』は、現時点で小泉今日子の最後の主演映画となっている。2018年に小泉今日子は日本最大の芸能事務所から独立すること、俳優としての活動は休止し、映画や舞台のプロデュースを中心にした裏方の活動にまわることを発表した。

 今年公開された『ソワレ』、村上虹郎と芋生悠の二人の演技が話題を集めた映画は、小泉今日子がアソシエイトプロデューサーとして名を連ねる、彼女が世に送り出した作品のひとつである。演技力を電話詐欺にしか使えない俳優と、貧困と虐待の中で社会から追われる少女の物語は、明らかに「表現と社会」、映画は社会に対して何ができるのかという陰のテーマを抱えていた。

 それは最後の主演作『食べる女』で「あるはずだった当たり前の社会」を女優として演じた小泉今日子が、作り手、プロデューサーとして「今ここにある現実」に真っ向から向き合った作品だった。

■「心の息の根は止まったまま」反響を呼んだ橋本愛のコメント

 小泉今日子は『ソワレ』が公開された今年の夏、8月2日号の『サンデー毎日』で、橋本愛について言及している。それは「ミニシアター・エイド」として、コロナ禍で苦境に陥るミニシアターへの寄付を呼びかけた俳優たちの中の一人、YouTubeでの橋本愛のコメントだった。


「私は昔、映画に命を助けてもらいました。身体こそ生きてはいましたが、心の息の根は止まったまま。何を食べても、誰と会っても、どうにもなりませんでした」という、息を呑むような告白から始まる2分50秒のコメントは、ここにすべてを書き写すにはスペースが足りないが、今もYouTubeで見ることができる。その動画はSNS上で大きな反響を呼び、支援への呼び水となった。

 橋本愛がインスタグラムを中心に配信するライブやファンとの応答には、フェミニズムに通じる激しい社会への違和感と、その社会に傷つく人々に対する繊細な優しさが混在している。

■『ソワレ』は確かに「100人のうちたった1人を救える作品」だった

 同じようにミニシアター支援に参加していた小泉今日子は、その動画について「自分にとってもそんな映画はあった、100人のうちたった1人を救える作品もある」とインタビューで語る。配給停止が相次ぎ、海外からも新作が止まる中、ミニシアターを中心に公開された『ソワレ』は確かにそういう作品になっていた。

 日本最大手の芸能事務所での安定を捨て、作り手として独立して作品を送り出し始めた小泉今日子は今、自分の作り出す作品で社会と戦う意志を固めているように見える。『食べる女』で女優として演じた当たり前の暮らしを取り戻すための戦い、貧困と格差、そして新たな感染症によって自分たちの世代よりはるかに困難になってしまった、能年玲奈と橋本愛の世代のための戦いに。

 かつて小泉今日子と同じ天野春子の少女時代を演じ、今はトップ女優となった有村架純が、インタビューの中で「コロナ禍における恐慌と、過去に資源を求めて起きた戦争の歴史」について語ったように、『あまちゃん』で3・11に至る現代を演じたキャストたちは、2020年の今も激しく動く歴史の中にいる。

■彼女の名前を、全て呼べる日のために

 ここからは公開中の新作映画、『あまちゃん』で入間しおりを演じた松岡茉優の初主演作『勝手にふるえてろ』で一躍その名を轟かせた大九明子監督による新作『私をくいとめて』の内容に触れる、いわゆるネタバレをお許し願いたい。すでに大手一般紙の映画評で高評価が相次いでいるように、この映画の中で主演の『のん』、能年玲奈はこれまでの『あまちゃん』、天野アキのイメージを大きく超える多彩な演技の幅を見せている。?

 能年玲奈を古くから知る人には当然のことだが、兵庫県出身である彼女は『あまちゃん』で天野アキという役に出会うまでは、あの独特の東北的ニュアンスのある話し方をしていなかった。天野アキの演技は宮藤官九郎の優れた脚本に、まだ十代の能年玲奈が直感的に肉付けをして作り上げた人物像で、日本中を魅了したそのキャラクターのデザインは、彼女の女優としてのクリエイティビティを示すものだ。?

 ただ一作で彼女を国民的女優に押し上げた天野アキというキャラクターは、能年玲奈の代名詞となり、大衆が彼女に求めるものとも重なった。『あまちゃん』の放送が終了した後も、天野アキの面影、話し方はまるで役が憑依したように能年玲奈の話し方や仕草の中に残り続けた。優れた俳優はよく「役を演じるのではなく、役を生きるのだ」という表現をするが、そのレトリックを越えて、天野アキは役を終えたあとも能年玲奈とともに生きているように見えた。?

 それは新作映画『私をくいとめて』の中で(ネタバレになるが)主人公が自分の頭の中に作り出した幻の相談役Aのあり方と重なって見えた。もしかしたら天野アキは、『私をくいとめて』の相談役Aが主人公を助けるように、この長い神隠しの期間を通じて能年玲奈と共に歩き、生きてきたのではないか。?


 主人公が相談役Aからの自立を描く新作映画は、同時にのん、能年玲奈が天野アキという守護人格から親離れ、役離れしていくプロセスを見ているようにも思えた。それはむろん、アニメ映画『この世界の片隅に』や、舞台『私の恋人』、映画『星屑の町』といった作品たちを通じて彼女の中で少しずつ進んできたプロセスの結実の瞬間なのだろう。

 橋本愛は今はまだ、彼女の本当の名前を半分だけ呼んだ。でもいつか、映画と作品と社会をめぐる長い戦いのあとで、『千と千尋』の美しい結末のように、誰もが自分の本当の名前を名乗り、自分が本当は何者であったのかを静かに語り始める日が来る。橋本愛とのん、能年玲奈が久々に共演する新作映画は、その未来を照らしているように思えた。?

(CDB)

関連記事(外部サイト)