伝説のホスト ローランドが明かす「女の子と話せなかった新人時代」を支えた“劣等感と反骨心”

伝説のホスト ローランドが明かす「女の子と話せなかった新人時代」を支えた“劣等感と反骨心”

©山元茂樹/文藝春秋

「コンプレックスの塊でした」“天才サッカー少年”だったローランドが歌舞伎町に飛び込んだ本当の理由 から続く

 1992年、東京都八王子市で生まれたローランドは、かつては“無敵”のサッカー少年だった。周囲から「天才」「絶対にプロになれる」と言われながら育ち、中学ではJリーグの下部組織のチームに所属。その後は名門・帝京高校に入学した。だが、そこでの毎日はこれまで築いてきた自信を失い続ける、非情な日々だった。それでも高校3年間、全てをサッカーに捧げて打ち込んだローランドだったが、結局プロから声がかかることはなかった。

「自分の身の丈を全部知ってしまった時の絶望感と劣等感とコンプレックス」を抱えながら、ローランドは両親や先生の薦めで大学に進学。しかし、入学式の日に「ここは俺の居場所じゃない」と感じ、退学届を提出して、ホストの道に進むことを決意する。

 高校まで女子なんてほとんど見たこともなかったというローランドは、そこからいかにしてホスト界の頂点にまで登りつめたのか。自伝的漫画『 ローランド・ゼロ 』(宝島社)を刊行した彼に、“歌舞伎町に飛び込んでからの10年間”について聞いた。(全2回の2回目/ 前編から続く )

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 サッカーボールばかりを追いかけていた18歳の男子が、推薦で入学した大学を早々に辞め、ホストという業界でゼロからスタートする。親も友達も誰もが大反対した。それを押し切り、退路を断って新宿歌舞伎町のホストクラブに入店した初日、ローランドは自己紹介で「歴史を塗り替える伝説のホストになる」と告げ、大顰蹙を買った。だが本人は大真面目だったという。

「最初の店で辞めてしまおうかという思いが、チラッとでも脳裏に浮かばなかったかと言えば、嘘になります。でも俺は辞めなかったですね」。ホストの世界は、たくさんの新人がやってきては、すぐ去っていく。ローランドもまた、ホスト修行としてトイレ掃除をし、酒やトークを覚え、自分のできなさを思い知らされる夜を重ねる日々を送った。指名がつかなければ大した売り上げが立たないため、収入にはつながらず、会社の狭い寮で男ばかりの集団生活を続ける長い下積み時代を過ごした。

 それでも逃げ出さなかったのは、一度全力で夢を追って挫折した、あの経験があったからだという。「何もかも捧げて、それで叶わなかったとき、僕の中には壮絶な悔しさと劣等感と反骨心が残った。確かに一つ目の夢は叶わなかったけれど、その劣等感とか反骨心って、二つ目の夢を追いかけるときに、自分にとってめちゃくちゃ燃料になったんですよ。

 ホスト時代、嫌な先輩がいたり売れない期間が長かったりもしたから、普通だったら辞めてるなって、今自分でも思う。でも、あれだけの屈辱を味わって、またここで諦めるのかっていう気持ちがあったから、続けられたんです」

■「女の子と話せないどころか目も見られない」

 とはいえ、初めの頃はホストとして全然使い物にならなかったという。「そもそも、アスリートとしてストイックに運動ばかりしていたから、女の子とロクに話した経験もないわけです。店でフロアに出てテーブルについても、女の子と話せないどころか目も見られない。一番最初についた女の子のことは忘れられないな」

 初めて接客した女性は、ローランドと口すらきいてくれなかった。「他のホストと彼女との会話の蚊帳の外にやられて、ただ天井を見上げてやり過ごして。今の僕からは想像もできないですけれど(笑)」

 人生を変えたくて歌舞伎町へ入ったのに、伝説のホストになるどころか、女の子とまともな会話すらできない。「このままではいたくない」と焦ったローランドは、古本屋へ向かった。そしてなけなしの収入の中から自己啓発本をはじめ様々な本を読み漁り、ファッションやカルチャーに至るまで、一心不乱に学んだ。そうしてトークのスキルを磨いたのだ。

■20歳にして代表取締役に就任

 その効果はすぐに現れた。1ヶ月もすると女の子の存在にも慣れ、「調子どう」と軽口も自然に言えるようになった。共学校でモテ続けた男なら感覚的にできるようなことも、「それこそ『このタイミングでスキンシップだな』とか、知識を取り入れて科学的にアプローチするわけですよ(笑)」。そうやって、ローランドのホストとしてのスタイルは確立されていった。

 ただ、他の従業員とはあまりうまく行かなかったという。「だって僕は『伝説のホストになりたい』なんて初日に言ってしまう、生意気な新人だったわけで。小さい店だったから他のホストとの温度差がすごくて、僕から見たら適当に仕事をしているような、プロ意識の低い先輩に媚を売る気にはなれなかったんですよね」

 サッカーで培ったストイックさと、サッカーを失って手に入れた反骨心。その二つを原動力に変えたローランドは、本当の意味で“無敵”だった。彼はあっという間にナンバーワンになり、20歳にして代表取締役に就任した。

 翌年には歌舞伎町史上最高額で大型有名店へ移籍。そこでも月間6000万円という、店舗での個人売上最高額を記録して、名実ともに歌舞伎町ナンバーワンホストになるのだ。

■大雪の成人式で八王子に“凱旋”

 初めてナンバーワンをとり、自身の店のオーナーとなった直後の年明け、ローランドは成人式で地元・八王子へ“凱旋”した。

「地元のみんなにもサッカーでプロになるって啖呵を切って、15で八王子を離れて寮に入ったわけじゃないですか。田舎のコミュニティは狭いから、あいつはプロを目指しているらしいぞとすぐに広まって。その中で結局プロになれず、レギュラーにもなれず失意のどん底にいて、凄い劣等感で合わせる顔もなかったわけです。それを変えたくて歌舞伎町に行って、遂には一番を取れた。だから、やっぱり自分のコンプレックスや劣等感というのをここで晴らしたい、みたいな気持ちはすごくあったんですよ」

 地元の成人式は、特に“男の子”には重大な意味があったと語る。「八王子っていい意味でも悪い意味でもタフでハングリーな街で、男が成功することに対しての憧れがすごくあるんですね。成人式では、もう人生の晴れ舞台と言わんばかりの髪型したりとか、その日のために命かけて車を改造したりとか。10年もして振り返ったら、本当にバカだなって思うかもしれないですけど、特に男の子はね、そこでしっかりカッコよく帰れるかって、一種のステータスなわけですよ」

 成人式の日、天気は大雪だった。「その日のことはすごく覚えていますね。白いスーツを着て行って、白のハットかぶって、財布に100万円かなんか入れて。いま考えたら、ほんとやめとけよお前、恥ずかしいからさ、って止めるかもしれないですけど。でもあのときがあったから、また少し自分のことを肯定できたというか、みんなにも証明できて。でも一番は、自分自身に証明したかったんだと思うんです」

「歌舞伎町行って、ナンバーワン取ったぜ」と語るローランドの姿と100万円の入った財布に、周りは驚き「やっぱりすげえな」という言葉をかけてくれた。

「浅はかかもしれませんが、そういう言葉が聞きたくて頑張ってたんで、うれしかったですよね。このリアクションが欲しかったんだと。その言葉の一つ一つが自分を肯定してくれる要素になって。友達に地元のヒーローで、ずっとサッカーを一緒にプレーしていた、選手としても凄く優れたやつがいて、そいつの背中を追いかけて自分自身もやってきたんで、彼には特に『違う道かもしれないけど、俺もしっかりやってるぜ』というのは見せたかった。みんなが向けてくれた視線とか、かけてくれた言葉だったりとか、今でも鮮明に覚えてます。自分にとっては忘れられない日ですね」

 成人式の日の自分を振り返りながら、ローランドは苦笑した。「今ならやめとけよ、恥ずかしいぜって言えます。でもそれは、あの時の劣等感やコンプレックスが徐々になくなってきて、自分自身を認められているからだと思うんですよ。もちろん今でも直したいコンプレックスはありますけど、人前で『僕はコンプレックスの塊なんですよ』って言える時点で、昔より少しは前に進めているのかなと」

■DeNA山ア康晃との“約束”

 帝京高校時代に3年間同じクラスだったという、横浜DeNAベイスターズの山ア康晃投手とは今も一緒に食事に行くなど、仲がいい。山アは高校3年時にプロ志望届を提出したが、ドラフトでは指名漏れとなり、亜細亜大へ進学後にプロとなった。

「僕も彼も高校時代、どちらかと言うと栄光の3年間ではなく、悔しい思いをしたことが多い3年間で、日の目を見ずに生きてきた側だった。よく二人で、いつか見返してやりたいよなという話もしてましたし。やってる競技は違えど、山アはアスリートとして見ても、すごく才能があるプレーヤーだと感じてたんで、彼が野球部で上手くいかなくてもうやめようかと悩んでいた時に、俺はサッカーの才能ないかもしれないけど、お前は絶対に続けたほうがいいぞと言葉をかけたんです。

 別にそれだけが理由ではないと思うんですけど、結局、野球を続けてくれたんで、すごく僕はうれしかったんですよ。いまの彼の活躍を見ると、彼自身がものすごい努力したのもそうですけど、たぶんあの3年間で彼の中でもすごい反骨心が培われたんじゃないかなって」

 ローランドと山アは高校時代、同じ思いを共有していたのだ。「俺たちは天才たちに引け目を感じて、彼らの陰に隠れて悔しい思いをしてきたんですけど、そんなことで人生あきらめられるかよっていうところはあって。漠然と天才たちに対しての反骨心だったりとか、見とけよっていう思い。俺はサッカー向いてないのもわかるし、たぶんプロにはなれないから違う道へ行くけど、絶対見返してやるから、お互い高みで会おうぜみたいな話をして。だから今こうしてね、お互い分野は違えど、しっかり人様から認められているという現状が、すごく僕はうれしい。あいつの活躍が刺激になって励まされているし、いい関係です」

■「無駄な努力はない」と今なら言える

 プロになれなかった自分を嘆き、一時は努力なんか報われないと呪ったこともあった。だがローランドは若者に向けて「今だったら、無駄な努力はないと断言できます」と言い切る。

「あのときに努力したことは直接サッカーへは結びつかなかったけれど、巡り巡って、反骨心という燃料に形を変えて僕を支えてくれた。だから努力は無駄じゃなかった。僕は昔から才能はあると言われていたから、もし中途半端な努力しかしていなかったら『もうちょっと頑張ってたらプロになれてたな』とか、そういうことを言うカッコ悪い人間で終わってたと思うんです。でも、全力出しきってなれなかったんだから、もう自分に才能がないということも理解できましたし」

■ローランドが考える“成功者”とは?

 そう語るローランドの声に、少しずつ熱がこもりはじめた。「おばけと一緒で、夢も未練があったら成仏できずに出てくる。努力不足だと、悪霊のように中途半端にずっと現れて、煙たがられて、怖がられる。でも、全力で頑張りきることができていたら、それが成功するしないにかかわらず、夢は成仏するわけじゃないですか。それなら、成仏できるように頑張れよと。そうしたら努力は全然無駄にならない、っていうのは伝えていきたい」

 人のルールには染まらない。だが、好きなものはリスペクトし、そのルールの中で常識に挑戦していく、というスタンスだ。

「たとえばサッカーでも、僕は絶対にパスやシュートをしてはいけないというときでも、自分が違うと思ったら違う判断をしていました。それはホストでも一緒で、たとえば酒を飲むのがホストの常識だとされていても、僕はそれは違うと思っていたからノンアルコールで通した。でも、よくよく考えたら成功者って何かしらルール違反をしている人間なんですよね。人を傷つけるルール違反はもちろんよくないけれど、自分が正しいと思ったなら、仮に常識から外れたことでもやってみる勇気は必要なんじゃないのかな」

 一方で、世間のローランドへのイメージが一人歩きしているのも感じている。「僕、メディアに出続けることにそこまで興味がないんですよ。でもやっぱり目の前に喜んでくれる人たちがいると、人前に出た瞬間、絶対にこの人たちを喜ばせたいなってスイッチが入るんですよ。すると、出たからにはしっかり楽しませてから帰ろうとか、すごくストイックに考えていますね」

■「ローランドはあくまで凡人」

 華やかなだけの男じゃない。この“ローランド”という器用な自己演出は、彼の意外なほど不器用で泥臭い努力の積み重ねの上に築き上げられてきた、ということなのだろう。

「そんな誇れるような、大した人間じゃないです、本当にもう。それっぽく見せるのは得意なんですけど、自分を掘り下げてみるとけっこう適当なんで。ただ僕は言葉に対してのアプローチはかなり完璧主義で、そこは自信がある。心からいいものを作りたいし、いい言葉を言いたいんです」

「俺か、俺以外か。」などの彼らしい名フレーズも、「本当の天才は短い言葉で人の心を掴める」というローランドの信条から、本人が常に頭の中で言葉と取り組む過程で生み出したものだという。

 最後に、ローランドは「日本中の“何者かになりたいけれど何者でもない凡人たち”の代表になりたい」と語った。

「僕自身、天才に劣等感を持つ普通の人間だったんですよ。現に挫折してすごく屈辱を味わった。かといって歌を歌えるわけじゃないですし、ダンスができるわけでもない。そんな自分が成功している背中をみんなに見せられたら、なんか俺でもいけんじゃんって思ってもらえるじゃないですか。今回『ローランド・ゼロ』という漫画で半生を振り返ってもらったときに、一緒に天才たちをぎゃふんといわしてやろうぜ、っていう思いが自分を奮い立たせてくれていたのを思い出しました。ローランドはあくまで凡人。その凡人代表としてこれからも頑張っていきたいなと思います」

 そう言うと、ローランドは非凡な風体で微笑した。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

(河崎 環)

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