「えっ、あの選手も…?」2020年に引退を発表した“10人の名プレイヤー”たち

「えっ、あの選手も…?」2020年に引退を発表した“10人の名プレイヤー”たち

内田篤人(2015年撮影) ©文藝春秋

 新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、2020年はスポーツの世界もかつてない逆境に立たされた。プロ野球やJリーグをはじめ、スポーツの試合は軒並み中止・延期を余儀なくされ、シーズン再開後も無観客試合や観客数の大幅な制限といった対応が求められることになった。

 日本中のスタジアムが静寂に包まれるなか、3月下旬には東京オリンピックの1年延期も決定。そんな2020年にも、日本中のファンを熱狂させてきた数多くの“名プレイヤー”たちが現役引退を発表した。惜しまれながらも第一線を退く選手たちを振り返りたい。

■【サッカー:内田篤人】

 サッカー日本代表の右サイドバックとして、2014年のワールドカップ(ブラジル大会)では全試合でスタメンフル出場を果たした内田篤人。ドイツ・ブンデスリーガでは度重なる怪我に苦しみつつも、主にシャルケの中心選手として活躍。2018年には古巣・鹿島アントラーズに復帰し、再び日本のファンを沸かせた。

 しかし、2015年に手術した右膝の故障が完全に癒えることはなく、今年8月20日にクラブを通して引退を発表。直後の23日に行われたガンバ大阪戦が現役ラストマッチとなった。試合後のセレモニーでは言葉を詰まらせながら、「日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさも、すべて僕の財産です」とスピーチ。最後は「また会いましょう」との言葉で締め、14年半の現役生活に終止符を打った。

■【サッカー:中村憲剛】

 18年間、川崎フロンターレひと筋でプレーしてきた元日本代表・中村憲剛は11月1日、今シーズン限りでの引退を発表した。前日の10月31日は自身の誕生日で、FC東京戦での“40歳バースデーゴール”を決めたばかりだった。

 12月21日には、ホームの等々力陸上競技場で引退セレモニーが開かれ、長男からの手紙に涙を浮かべるシーンも。「なんでもない大学生を拾ってくれたフロンターレに感謝しかありません」「本当に最高のプロサッカー選手生活でした」とスピーチすると、会場の外では花火が打ち上げられた。

■【野球:藤川球児】

 中村憲剛と同じく40歳になった今年、プロ野球の世界で引退を決意したのは藤川球児だ。1998年のドラフト1位で高知商業高校から阪神タイガースに入団した藤川は、“火の玉ストレート”を武器に、セットアッパーや守護神として活躍。メジャー挑戦後は四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスを経て、阪神タイガースに復帰した。

 NPBでは17年間の現役生活を過ごし、通算782試合に登板。243セーブ、163ホールド、通算防御率は2.08を記録した。11月10日の巨人戦終了後には阪神甲子園球場で引退セレモニーが行われ、ライバルだった松坂大輔、上原浩治、清原和博への思いを語った。「僕の投げる火の玉ストレートには、甲子園球場のライトスタンドの大応援団の皆様、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いがすべて詰まっています」「親父、お母さん、名前を『球児』にしてくれてありがとう」とスピーチすると、笑顔でスタジアムを去った。

■【野球:岩隈久志】

 1999年に大阪近鉄バファローズからドラフト5位指名を受け、プロ野球人生をスタートさせた岩隈久志。2004年にはエースとして最多勝と最優秀投手のタイトルを獲得する活躍を見せた。同年のプロ野球再編後には東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。大阪近鉄バファローズ最後の開幕投手、そして東北楽天ゴールデンイーグルス最初の開幕投手になった。

 2009年の第2回WBCでは松坂大輔、ダルビッシュ有とともに“先発3本柱”の一角を担い、決勝の韓国戦でも好投を見せた。メジャー挑戦後はシーズン2桁勝利を3度マーク。2019年からはNPBに復帰し読売ジャイアンツに入団するも、右肩の怪我を克服できず、2年間一軍登板ができないまま、今年10月19日に引退を発表した。日米通算170勝をあげた球界のエースは会見で「いずれは野球の伝道師であれるような存在でいたい」と語った。

■【ラグビー:五郎丸歩】

 2015年のラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカ代表を34-32で撃破した“ブライトンの奇跡”。その立役者である五郎丸歩も、今年引退を決意した。プレースキック前のルーティン“五郎丸ポーズ”は大きな話題を呼び、大会後には一躍「日本ラグビー界の顔」に。昨年、日本で開かれたラグビーワールドカップ2019では代表入りはならなかったものの、ラグビー人気を盛り上げるため、スタジアム内外で精力的に活動を続けた。

 そんな五郎丸も12月9日、年明けのトップリーグ開幕を前に、今季限りで引退することを発表。会見では「35歳で引退すると決めていた」と語った。来年1月16日から開幕する2021 年シーズンで、その勇姿は見納めとなる。

■【バドミントン:高橋礼華】

 東京オリンピックの1年延期を受け、現役引退を決意した選手もいる。2016年のリオデジャネイロオリンピック(バドミントン・女子ダブルス)で金メダルを獲得した高橋礼華もその一人だ。松友美佐紀とともに、日本バドミントン史上初めてとなる、オリンピックでの金メダルを手にした2人は“タカマツ”ペアとして人気に。2連覇がかかる東京オリンピックへの出場を目指していたが、今年8月に現役引退を発表した。

 会見では引退を決意した理由として、昨年から思うような結果が出せなかったことをあげつつも、「あと1年、自分の気持ちと体が持つのかなという気持ちもあった」と、涙ぐみながらオリンピック延期後の率直な思いを明かした。4年前にリオデジャネイロで金メダルを獲得した日と同じ、8月19日に行われた引退会見には松友美佐紀も出席し、「心から感謝の気持ちでいっぱい」と言葉を贈った。

■【バレーボール:新鍋理沙】

 女子バレーボールの日本代表として活躍した新鍋理沙も、東京オリンピックの延期を引退理由として挙げている。2012年のロンドンオリンピックでは、全日本女子としては28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2017年のアジアバレーボール選手権ではMVPを獲得し、日本を10年ぶりの優勝に導いた。

 しかし、東京オリンピックを目指す代表メンバーにも選出され、国際大会でのさらなる活躍が期待されていた今年、突如として引退を発表。6月29日に行われた会見では、怪我をしていた右手の指を4月に手術していたことを明かし、「私の中では東京オリンピックを終えたところで引退することを決めていました」「(オリンピック延期を受けて)絶望というか……私にとっての1年は、本当にとても長く感じました」と語った。今後の活動については「バレーボールの素晴らしさを伝えていくことができたらいいなと思っています」と、明るく口にした。

■【大相撲:琴奨菊】

 36歳で関取最年長だった元大関・琴奨菊は11月15日に引退会見を開き、度重なる怪我との闘いの末、「体が言うことを聞かず、終わりかなと思って決断しました」と語った。2011年の9月場所で12勝3敗の成績を残して大関に昇進し、2016年1月場所では鶴竜・白鵬・日馬富士の3横綱を破って初優勝。しかしそれからわずか1年後、2017年の1月場所を5勝10敗で終えると、大関から陥落した。

 現役最後の一番となった11月13日の千代ノ皇戦では、取り組み前に大きく上体を反らす「琴バウアー」を3年ぶりに披露。幕内在位は歴代7位の92場所、幕内勝利数は歴代6位の718勝。数々の記録を残した琴奨菊は、今後は指導者として相撲界に貢献したいと語った。

■【テニス:マリア・シャラポワ】

 女子テニスのシングルス元世界1位のマリア・シャラポワは、2月26日に雑誌へ寄稿した手記の中で引退を表明。4大大会を全て制する「生涯グランドスラム」を達成し、“妖精”とも称されたシャラポワだったが、2016年にはドーピング違反で出場停止処分を受けていた。

 17年に復帰するも、以降は怪我に悩まされ、4大大会での成績は2018年の全仏オープンで記録した準々決勝進出が最高だった。シャラポワは引退を決意したきっかけとして、1月26日にヘリコプターの墜落事故で友人、コービー・ブライアントが急死したことを挙げ、「人生にはもっと大切なことがあるんじゃないかと気づいた」とも語っている。元女王の引退は、世界中で大きく報じられた。

■【競馬:アーモンドアイ】

 今年はターフの女王も惜しまれつつ引退した。日本馬として歴代最多の芝G1レース9勝、獲得賞金も歴代1位の19億円超えを記録した最強牝馬・アーモンドアイだ。ロードカナロアを父に、フサイチパンドラを母に持つアーモンドアイは、デビューからわずか6戦で牝馬三冠を達成。3歳にしてジャパンカップも制し、その勝ちタイム2分20秒6は2400メートルの世界レコードだった。

 5歳になった今年、天皇賞(秋)の勝利で芝G1レース8勝目をマークし、テイエムオペラオーやディープインパクトなどが持っていたそれまでの最高記録「7勝」を更新。そして11月29日に引退レースとしてジャパンカップに出場した。同レースには、今年の無敗の三冠馬・コントレイルや、無敗の三冠牝馬・デアリングタクトも参戦。3頭の三冠達成馬が同一レースで顔を合わせるのは日本競馬史上初のことで、「最強馬決定戦」と話題になった。

 大きな盛り上がりの中、1番人気に支持されたアーモンドアイは圧巻の勝利を収め、有終の美を飾った。12月19日には中山競馬場で引退式が開かれ、多くのファンが別れを惜しんだ。

(「文春オンライン」編集部)

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