「もうここを使わなくなるんだな…」戦力外通告を受けた巨人の“第83代四番打者“がベイスターズで手に入れたもの

「もうここを使わなくなるんだな…」戦力外通告を受けた巨人の“第83代四番打者“がベイスターズで手に入れたもの

コロナ禍で揺れた2020年。プロ野球には新入団選手と退団選手が交差する季節が訪れている ©文藝春秋

「死んだ身にもかかわらず拾っていただいた。だから、できるかぎりチームに貢献したいんですよ」

 横浜DeNAベイスターズの中井大介は、実感を込め噛み締めるようにそう語った。事実、一度は生きる道を失っているだけに、その言葉には重みが感じられる。

■「余力」を残した選手にやってくる「戦力外通告」

 プロ野球界において、自ら引退を選択し、惜しまれながら去っていくことのできる人間は、ひと握りしかいない。多くの選手たちが余力を残したまま、所属球団から戦力外通告を受け、自分自身の晩節を決めなければならない。これを機会に引退する者、または別の道へと進む者がいるわけだが、多くの選手たちが野球を諦めることができず、一縷の望みを賭け12球団合同トライアウトにチャレンジをする。

 だが、それは狭き門であり、例年NPBの球団から声が掛かるのは数名しかいない。またトライアウトを経て入団したとしても、満足のいく活躍のできる選手は稀だといっていい。近年では西武を戦力外となり巨人に入団した石井義人や中日からヤクルト入りした森岡良介、ダイエー(現ソフトバンク)に拾われベストナインになった宮地克彦、巨人、DeNAと2度の戦力外を経て楽天で中継ぎとして防御率1点台を記録した久保裕也などが新天地でもうひと花咲かせている。

 トライアウトを経てDeNAに入団した中井は大活躍とはいかないまでも、チームに加わったこの2シーズン、ほぼ1軍に帯同され、なくてはならない貴重なバックアップとしてチームを支えている。

「自分がやれることは何なのか。チームに求められることは何なのか。模索しながらのスタートでしたし、今もそのことについて考えていますね」

 中井からは謙虚さがにじみ出ていた。

■球界の名門への入団「ただ必死でした」

 地元である三重県立宇治山田商業高校出身。中井は投打の要として甲子園などで活躍すると、2007年の高校生ドラフトで巨人から3位指名された。球界きっての名門への入団。じつは中井自身、プロになれるとはあまり考えておらず、自分の意思というよりも才能を見込んでいた高校の監督からプロ志望届を出すことを勧められたという。プロ野球選手になりたいと夢見る少年や学生が多いなか、中井はどこか客観的に自分のことを見つめる、淡々としたところがあった。

 思いがけず始まったプロでの生活。中井はがむしゃらに先輩たちに食らいついていった。

「最初はただ必死でしたよね。2年目に初めて1軍に上がることができ順調かなと思ったんですが、そのあとがなかなか苦しくて上手くステップアップできませんでした」

■レギュラーに手が届かなかった「巨人軍第83代四番打者」

 中井は一学年上の坂本勇人とともにヤングジャイアンツの象徴として1軍の試合に出場するようになるものの、不調やケガに見舞われ好調を維持できずレギュラーを獲得できないまま選手生活が続いた。打撃力を見込まれ2015年シーズンには第83代となる四番打者を任されるなど存在感を示すこともあったが、競争の激しい巨人でコンスタントに結果を出すことができず、中堅選手の域を出ないままついに2018年のシーズン終了後、戦力外通告を受けてしまう。

 まもなく29歳の誕生日を迎える頃であり、体はまだまだ動く。また、プライベートではこの年の春子どもが生まれていた。

■唐突な戦力外「もうここを使うことがなくなるんだ」

 当時のことを中井は次のように振り返る。

「誰でもそうだと思うのですが(戦力外通告は)唐突なことだったので、今後自分がどうしていけばいいのかわからない時期があったんです。本当、考えがまとまらず悩みました。ただ、このままじゃ前に進めないし、やっぱり自分には野球という選択肢しかないのかな、と。チャンスがあるかぎり野球を続けようと、その意思表示のためにトライアウトに参加することを決めました」

 練習は古巣の巨人の施設を借りた。高校卒業以来11年間過ごし、慣れ親しんだ場所である。高橋由伸や阿部慎之助というトップクラスの選手たちとプレーし、野球の厳しさと勝つ喜びを享受した日々が脳裏に浮かぶ。

「不思議な気持ちでしたよね。もうここを使うことがなくなるんだって……」

■迎えたトライアウト 試合後のロッカーに戻ると着信が…

 そして2018年11月13日、福岡・タマホームスタジアム筑後で12球団合同トライアウトが行われた。中井は、成瀬善久から右中間へのツーベースヒットを放つなど3打数1安打2四球とアピールに成功した。「やりきった」と中井はすべてをぶつけることができた。

 朗報はすぐに届いた。トライアウト終了後、ロッカーに戻ると、携帯電話に着信があった。見慣れない番号。通話ボタンを押すと電話口に出たのはDeNAの編成部長である進藤達哉だった。要件は、ぜひ獲得したいという旨だった。中井は、一番最初に連絡をくれたDeNAに世話になることを迷うことなく決めた。

 トライアウトにおける選手獲得は、その時点におけるチーム状況が深く関係してくるのは言うまでもない。当時DeNAとしては、層の薄かった内野の選手と勝負強い右の代打を必要としており、中井は補強ポイントと合致した。また若い選手の多いDeNAにあってキャリアのある中井は貴重な存在であり、また内外野守れるユーティリティー性はバックアップとして最高の人材だったと言える。こうして中井は求められるようにDeNAに入団した。

■人生初のピンストライプのユニフォーム「脚が長く見えていいっすね」

 翌年のキャンプ、中井は人生で初めてピンストライプのユニフォームを身にまとった。当時「変な感じですけど、ワクワクしますね。ピンストライプは脚が長く見えていいっすね」と、中井は笑顔を見せ嬉しそうに話していた。

 環境が変われば、考え方は変化する。考え方が変化すれば、行動はおのずと変わってくる。拾ってもらった恩義を感じていた中井がまず考えたのは、このチームで自分はいかに勝利に貢献できるか、である。とにかく求められることをしようと、監督やスタッフの言葉に耳を傾けた。だが、ちょっとだけ中井がイメージしていた状況とは違っていた。

「ラミレス監督をはじめ、当時キャプテンの筒香(嘉智)などたくさんの人から『野球を楽しもう』って言ってもらったんです」

■巨人と違う横浜の「風」は新鮮だった

 巨人とは異なる、若く自由な風の吹くDeNAは、中井にとって新鮮そのものだった。結果を出さなければいけないといったメンタル的に切羽詰まった状態は緩和され、ゆるやかにチームに馴染んでいった。

「僕のような立場の人間は結果を出さなければいけないのですが、このチームで過ごすことで、結果ばかりにとらわれることなくリラックスしてプレーをすることができれば、自分のいいところが出せるのかなって思えるようになったんですよ」

 中井は入団してからの2シーズン、ほぼベンチに入り、半分近くのゲームに出場し、約2割5分の打率を残している。また右の代打としてはもちろん、怪我人などが出ればセカンド、ファースト、サード、または外野を守るユーティリティー性を発揮し、打順に関してもどこに入ろうが器用に対応している。決して目立つ存在ではないが、中井がいなければチームは苦しい編成を強いられたに違いない。

「ありがたいことですね」

 今やチームの兄貴分として慕われる中井はしみじみした表情で言う。

■「失うものも、プライドもない、得るものしかない」

「トライアウトを経て入団しても、1年で終わってしまう選手も珍しくありません。だけど、今は求められて仕事ができています。ユニフォームを着られていることが自分にとっては幸せなことなんです。失うものはないというか、プライドもないし、得るものしかない。ジャイアンツ時代とは異なり、今は自分のなかに余裕ができたというか野球を楽しむといった感覚があるんです。戦力外通告を受け、ベイスターズに来たからこそ得られた感覚ですし、これからも結果も視野に入れバランスよくやっていきたいですね」

 求められることの大切さ――多くの選手にとって戦力外通告はプロ野球人生の終焉を意味するものであるが、こと中井にかぎっては、新たな野球人生の幕を開き、延いては野球観さえも変える最良のきっかけとなった。

(石塚 隆)

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