北朝鮮工作船に“防弾チョッキなし”で乗り込め…あの日、海上自衛官は死を覚悟した――2020 BEST5

北朝鮮工作船に“防弾チョッキなし”で乗り込め…あの日、海上自衛官は死を覚悟した――2020 BEST5

「第二大和丸」と書かれた北朝鮮の工作母船(海上保安庁撮影)

2020年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。国際部門の第5位は、こちら!(初公開日 2020年8月30日)。

*  *  *

〈首相と官房長官がしなければならないことですか? 拉致被害者を救出するために、何を失うことを許容するのか、具体的に申し上げれば、特殊部隊員何名の命と引き替えにするのかを決めていただければ〉

 これは自衛隊特殊部隊による拉致被害者の奪還をテーマにしたドキュメント・ノベル『 邦人奪還:自衛隊特殊部隊が動くとき 』の一節だ。元自衛隊特殊部隊員の伊藤祐靖(すけやす)氏が、現場の作戦行動の詳細から、首相官邸や霞が関など政府の動きまでを精緻にシミュレーションした同書がいま、話題になっている。

「現場のリアルを伝えることにこだわった」伊藤氏が同書を執筆したきっかけは、「能登半島沖不審船事件」(1999年)にあるという。海上自衛隊が北朝鮮工作母船と遭遇したその日、現場では一体何が起きていたのか。伊藤氏が“隊員全滅”をも覚悟したという壮絶な記憶を明かした。(全2回の2回目/ 前編から続く )

◆◆◆

1999年3月23日、伊藤氏が航海長を務める護衛艦「みょうこう」は、富山湾で北朝鮮工作員を乗せた不審船を発見。黒煙を吹き出しながら猛スピードで北上する不審船に対し、ともに追尾していた海上保安庁の巡視船は威嚇射撃を行った後、燃料不足を理由に帰投してしまった。そして、海上自衛隊創設以来初の実戦命令である「海上警備行動」が発令。北朝鮮工作員との交戦を前に、艦内はかつてない緊張に包まれた――。

■“訓練ではない射撃”が始まった

 艦長の全身から、緊張感があふれ出ていた。それはすぐに、緊張ではなく、恐怖に近い不安だということがわかった。艦長はとてつもない不安のまっただ中にいる。そして、これだけの人数に囲まれているというのに孤独を感じているのだとも思った。

 恐怖に近い不安と孤独の中で艦長は、腕を組み、まっすぐ前を見据えていた。わずかに上下する肩が呼吸の荒さを示し、艦長のドクンドクンという心臓の鼓動まで聞こえるような気がした。そのまっすぐに前を見据える目には、保身も私心も邪心もなく、ただひたすらに任務を全うしようとする強く熱いものがあった。

 自衛隊が抱える憲法との矛盾、パンドラの箱だかなんだか知らないが、俺たちは今ここで生きている。誰が何と言おうと、たった今、我々は確実に必要とされている。政府が海上警備行動を発令したのが何よりの証拠だ。憲法云々とは別に、今は俺たちにしかできないことを全力でするだけの話だ。今までの時間はこのための準備期間だったんだ。

 艦長は、目をカッと見開くと、押し殺したような低い声で戦闘号令を発した。

「戦闘、右砲戦! 同航のエコー〈E〉目標!」(このときは工作船をEと呼んだ)

 いよいよ訓練ではない射撃が開始されてしまった。

■「頼むから、当たっちまう前に止まってくれ!」

 艦長の戦闘号令に従い艦内は、驚くほどスムーズに、滞りなく、水が流れるように、何から何までうまくいった。これこそが訓練のたまものである。

 初弾は依然として34ノットで進む工作母船の後方200メートルに着弾させたが、工作母船に減速する兆候はまったく見られなかった。前方200、後方100、前方100と弾着点を工作母船に近づけていった。工作母船を木っ端みじんにしてしまうギリギリの距離まで弾着点を近づけて、何十発も警告射撃を行った。だが、工作母船は減速の兆候をまったく見せなかった。

 私の心の中の声は、「止まれ、こん外道が!」から、あれだけの至近弾を食らっても止まらない彼らに対する尊敬の念にも近い「お前ら人間じゃねえ……」になり、「止まってくれ! 頼むから、当たっちまう前に止まってくれ!」に変わっていった。

 それは本当にギリギリで、ちょっとでもどこかにミスがあれば、乗っているかもしれない拉致された日本人ごと木っ端みじんにしてしまうからである。その思いが通じたはずは絶対にないが、工作母船は突然、停止した。

 停止した瞬間に、私の頭の中は真っ白になった。

 なぜなら、停止となれば、次は立入検査をしなければならないからである。しかし、「みょうこう」は立入検査をできない。私は教育訓練係士官である。訓練計画を立てる以上、下士官たちの練度はすべて把握しているが、そういうレベルの話ではなく、一回も立入検査の訓練をしたことがないのである。

■防弾チョッキなしで工作母船に乗り込めとは……

 もともと海軍の仕事は船の沈め合いがすべてだったが、90年代から武器による抵抗が予想される船舶に乗り込んで、積み荷の検査をしようという考えが世界的に広まり始めた。海上自衛隊もその流れに乗る形で研究を開始し、各艦にその資料を配付し始めた時期だった。

 だからまだ、艦内には防弾チョッキさえも装備されていなかった。訓練さえもできる状態ではなかったのである。

 それなのにいきなり北朝鮮の工作母船に乗り込め、というのだ。

 携行する武器にいたっては、撃ったことはおろか、触ったこともない者がほとんどだった。なぜなら立入検査隊員は、1名の幹部以外すべて下士官であり、下士官は小銃の射撃訓練ならば普段から実施しているが、通常幹部が持つ拳銃は訓練したことがないからである。立入検査隊は、狭い艦内で使用することと、自衛のための武器という意味合いもあってか、携行しやすく取り回しもしやすい拳銃を持っていくことになっているのに、である。

 そんな彼らが、この真っ暗な日本海で相手の船に乗り込んで、北朝鮮の高度な軍事訓練を受けている工作員たちと銃撃戦をする。そして拉致されている最中の日本人を奪還してくる。そんなことできるはずがない。

 幸運に幸運が10回くらい重なって銃撃戦で工作員たちをねじ伏せたとしても、北朝鮮の工作母船には自爆装置が装備されている。どう考えても、立入検査隊は任務も達成できないし、確実に全滅する。

■“戦死”の可能性が現実に

「海上警備行動が発令された。総員戦闘配置につけ」という副長の艦内放送の声で、立入検査隊員たちは食堂に集まってはいた。

 ついさっきまで、「平成の世の中で、海上自衛隊の俺が戦死?」「ありえない、ありえない」と話していた彼らだが、工作母船の停止で出撃が現実味を帯びだすと、いっせいに表情がこわばった。そして、全乗員の誰もが立入検査隊を派出したくないと思っているのに、みんなテキパキと動いて、とうとうすべての準備を整えてしまった。最後に個人装備品を装着するためにいったん解散し、10分後に食堂で再集合となった。

 この時に私の直属の部下で、手旗信号要員として立入検査隊に指定されている者が私のところに来た。赤白の小旗を一本ずつ持ち、カタカナの形を表し、通信する手旗信号を、海上自衛隊は現在でも使用している。

「航海長、私の任務は手旗信号なんです。こんな暗夜にあの距離で、手旗を読めるはずがありません。私が行く意味はあるのでしょうか?」

 すがるような目つきだった。正直、私も行く意味はないと思った。だが、口をついて出た言葉は、正反対のものだった。

■「つべこべ言うな。できることをやってこい」

「つべこべ言うな。今、日本は国家として意志を示そうとしている。あの船には拉致された日本人がいる可能性が高いんだ。国家はその人を何が何でも取り返そうとしている。だから、我々が行く。国家がその意志を発揮する時、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それは我々だ。その時のために自衛官の生命は存在する。行って、できることをやってこい」

 私は、自分の人生観、死生観、職業観を、彼にぶつけた。すがるような目つきだった彼は、目を大きく見開き言った。

「ですよね! そうですよね! わかりました! 行ってきます!」

 私は、面食らった。

 ええー、「ですよね」だけ? お前、反論しないのか? それでいいのか、本当は納得なんかしてないだろ。30分後には射殺されているか溺死してるんだぞ。それで行っちゃうのか?

「行かせるというのなら、装備品を整えて、訓練をさせてから行かせるべきでしょう。何もしていないのに、行けっておかしいでしょ」

 これくらいは言って欲しかった。その議論があれば、彼が納得して行くことはなくても、彼も私も救われる気がしたからだ。いまさら遅かったが、反論をしてくるものだと安心して持論をぶつけたことを後悔した。

■『少年マガジン』を胴体につけた隊員たち

 食堂に再集合してきた立入検査隊員の表情は一変していた。胴体には防弾チョッキのつもりか、『少年マガジン』がガムテープでぐるぐる巻きにしてあり、そんな滑稽な姿の彼らだったが笑えるどころではなかった。

 むしろ彼らは美しかった。10分前とは、まったく別人になっていた。

 悲壮感のかけらもなく、清々しく、自信に満ちて、どこか余裕さえ感じさせる。

 私は、彼らに見とれてしまっていた。

 半世紀以上前に特攻隊で飛び立って行った先輩たちも、きっとこの表情で行ったに違いない。先輩たちがどんな表情で飛び立ったのかに関して何も知らなかったが、私はそんなふうにも感じた。「これが覚悟というものなのか」と納得しつつも、心の奥底では気づいていた。この表情は覚悟だけではないのだ。“わたくし”というものを捨て切った者だけができる表情なのだ。

 彼らは、短い時間のうちに出撃を覚悟し、抱いていた希望や夢をあきらめた。そして、最後の最後に残った彼らの願いは、公への奉仕だった。それは育った環境や教育によるものではなく、ごく自然に、自らを滅することに意義を感じ、奉仕を全うしようとする清々しい姿勢だ。

 だから、そんな彼らを“わたくし”のためにばかり生きているように見える政治家なんぞの命令で行かせたくないと思った。そして、彼らに「天皇陛下の御裁可(ごさいか)が降りたぞ」と言ってやりたくなった。どうしてなのだろう。“わたくし”を捨て、不断の努力で自らを律していることが誰の目にも明らかだからなのか。そもそも、なぜ「御裁可」という単語を自分が知っていたのかすらわからない。

 そしてもう一つ。私は美しい表情の彼らに見とれながら、実は、「向いていない」とも思ったのである。

 これは間違った命令だ。向いている者は他にいる。彼らは自分の死を受け入れるだけで精一杯で、任務をどうやって達成するかにまで考えが及んでいない。世の中には、「死ぬのはしょうがないとして、いかに任務を達成するかを考えよう」という連中がいる。私は知っている。この任務は、そういう特別な人生観の持ち主を選抜し、実施すべきものなのだ。

■「お世話になりました。行ってまいります」

 立入検査隊員たちは出撃のために歩み始めた。その中に先ほどの私の部下もおり、彼は私の前で立ち止まり挙手の敬礼をしてきた。

「航海長、お世話になりました。行ってまいります」

 30分後に、彼の命はない。私は何も言えず、挙手で答礼するのが精一杯だった。

 彼はふっきれたような表情で前を向き、再び歩み始めたが、5、6歩進んだところで急に振り向いた。

「航海長、あとはよろしくお願いします」

 彼らが出撃しようとしたまさにその瞬間、工作母船は突然動き出した。

 そろりそろりと動き出したかと思うと急加速し、再びフルスピードで北へ向けて進み出した。「みょうこう」も急加速し追走した。

■全滅することが確実な作戦だった

 その後、日本政府は追跡を断念、作戦中止命令が出された。結果、立入検査隊は出撃できなかった。だから今も彼らは全員生きている。しかし、彼の「あとはよろしくお願いします」という言葉は、私の中で今でも非常に大きな存在感を持っている。

 私は、任務が絶対に達成できないことも立入検査隊員が全員死亡することもわかっていた。世の中に「絶対」ということはそんなにないし、国家の意志を具現化するための軍事作戦において不可能と軽々しく口にすべきではない。だが、拳銃を触ったこともない者が、夜間、自爆装置がセットされている北朝鮮の工作母船に乗りこんで、北朝鮮の工作員と銃撃戦の末に日本人を救出してくることは絶対に不可能で、彼らが全滅することも確実だった。

 それは、私が「みょうこう」航海長で、教育訓練係士官として乗組員の練度をよくわかっていたからではなく、海上自衛隊の艦艇乗りなら誰でも知っていたことである。

 ということは、「立入検査を実施させる」という政治決定がなされる時に、現職の海上自衛官に任務達成の見積もりと生還の可能性を確認せずに決定がなされるはずがないので、現状を知っていながら可能だと言った海上自衛官がいるか、不可能という現状を理解したうえで実施させるという政治決断がなされたのか、そのどちらかなのである――。

■あの日、私は何をすべきだったのか?

 この事件をきっかけに、海上警備行動時における不審船の武装解除及び無力化を主任務とした、全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設が決定した。私はその創設準備段階から携わり、創設後は現場指揮官を務めた。

 あの日、下された命令が間違っていた、あるいは取り消すように動くべきだったということではない。しかし、いったいなぜ任務を達成できず、全滅するとわかっているのに彼らを行かすと決めたのか。なぜそれをする必要があるのか、誰がそれを決断したのか。

「これが国家の理念であり、この命令はそれを通すための国家の意思だ。だから我々は行く意義がある、行ってこい」と、私自身が上に確認してから、彼らに伝えるべきだった。そんな当たり前のことをせずに命令に愚直に従おう、従わせようとしてしまったのだ。これは、私が一生恥じていかなければならないことだと考えている。

 あの場にいた一人として、現場の自衛隊員の感情、気持ちを伝え、決断を下し命令する政治家、国には覚悟を問いたい。そのつもりで書いたのが、『 邦人奪還:自衛隊特殊部隊が動くとき 』だ。過去に執筆した自叙伝では、常に守秘義務の制約があり、核心に迫る内容を書けないことも多かった。

 今回、その壁を越えるために取ったのが、ドキュメント・ノベルという手法だ。元自衛官の私には、フィクションだからこそ訴えられることがある。ストーリーはそのためのフィクションで、ほとんどのエピソードは、私の実体験をもとに書いている。

※本稿は伊藤祐靖『 自衛隊失格 』を元に再構成しています。

(伊藤 祐靖)

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