“最高ランクのホテルでも、部屋に押し入り強盗が…” 中国人“毒婦”の故郷で過ごした「緊迫の一夜」

“最高ランクのホテルでも、部屋に押し入り強盗が…” 中国人“毒婦”の故郷で過ごした「緊迫の一夜」

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「農村部の年収は5万円以下」 夫を植物状態に陥らせた中国人妻の“来日の理由” から続く

 2006年、“中国人妻の夫殺人未遂事件”が世間を騒がせた。お見合いツアーを経て結婚した中国人妻の鈴木詩織と、親子ほども年の離れた夫、鈴木茂。その詩織がインスリン製剤を大量投与するなどして、茂が植物状態に陥ったのだ。夫の目を盗んで性風俗で働いていたことや、1000万円で整形した等との噂も影響して、センセーショナルな報道が相次いだ。そんな中、事件記者として取材を進めていた、田村建雄氏は、獄中の詩織から300ページに及ぶ手記を託される。取材の様子を『 中国人「毒婦」の告白 』から抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。 前編 を読む)

◆◆◆

■最高級ホテルでも強盗にあう危険が

 その頃には、既に深夜零時を回っていた。とりあえず私たちは何と別れホテルに戻ることにした。店を出ると何はもう一度、私に握手を求めてきた。何の汗ばんだ生暖かい掌から、必死さが伝わってきた。ようやく私の掌を離した何は、馬に何事かを囁いてから、五常市の暗い街の中に消えて行った。

 車に乗り込むやいなや馬が私にこういった。

「これから泊まるホテルは五常市では最高のホテルです。でも何さんがこういっていました。数ヶ月前、仕事でやってきた日本人ビジネスマンが宿泊していた時、深夜、強盗が押し入りナイフを突きつけて、あり金全部を強奪していったそうです。何さんは、おそらく街の中で豪勢に食事しているところを見られ、それが街の悪党たちの噂になって狙われたのでは、といっていました。そこで先生、何さんは、こうアドバイスしました。今夜は、私と運転手が1つの部屋で、田村先生は1人で泊まる予定だろうが、それでは危険なので、私が先生と同じ部屋に寝て、護ってあげてください、と。つまりボディガードをしてあげてくださいとお願いされました。真剣でした。先生がOKなら私はご一緒しますが」

 ここは中国の地方都市。治安が悪いことは中川からもさんざん聞かされていた。地元の人がそう心配するなら「郷に入れば郷に従え」を実践するのが賢明だ。

「では馬さんお願いします」と私は深々と頭を下げた。

 ホテルに戻り部屋に入るには、またあの「タイツ女」に鍵を開けてもらうしかない。「タイツ女」はまたタイツ姿のまま眠たそうに起きてきてガシャガシャと鍵を開けてくれた。

 部屋に入ると馬が「シャワーを浴びてください」という。その言葉に甘えて浴室に行くと、五常市最高のホテルだというのに壁はうっすらと黄ばみ、タオルは洗濯してあるのかどうか、少し黒ずんでいる。それにお湯を出したが、しばらくたっても温かくならない。結局私は、シャワーも断念し、馬に「僕は寝ます」と宣言し、ベッドに横になった。

 ところが馬は風呂にもベッドにも入ろうとせず、ドア付近で、ガタゴトなにかしている。見ると、部屋の片隅にあった椅子をふたつドアの前に立てかけ、その上に、備品のふた付の茶碗を乗せた。部屋はツルツルする固めのフロアなので、仮にドアが押し開けられれば茶碗が落ち、ガチャーンと厳しい音がするという寸法だ。まさに馬は義兄がいったことを真剣に受け止め、賊が入ることを想定して対策をとっていたのだ。

 話半分に聞いていた私は、ここが中国であり、ひとつ間違えば大変な事態が起きるということを、あらためて肌身で感じた。

 馬は「バリケード」が完成すると、ベッドの中でビックリしている私に向かって「先生、これで50%は大丈夫です」とニヤリと笑った。

■彼女の故郷を垣間見て帰国

 私は、その日、早朝5時に北京を出発し、ハルピンからさらに何百キロも、埃だらけ穴だらけの道を彷徨って、十分、疲れているはずだった。しかし、もしかしたら忍び込んでくるかもしれない「五常市の強盗」や、何の日に焼けて皺深く汗臭い顔、さらに鉄格子の中の詩織や今も病院のベッドに横たわっている茂に想いが飛び、なかなか寝つかれなかった。馬が「先生寝ますよ」と言って消灯し、すぐに大きな鼾をかき始めても、ヒリヒリした神経は治まらず、私は異国のホテルの暗闇に、じっと目を凝らし続けていた。

 その時の訪中では詩織の家族や子どもたち、及び両親に会うことは、日程的にも予算的にもかなわなかった。しかし馬や運転手の奮闘で、詩織の故郷の匂いを嗅ぐことができたし、義兄の何に会い、詩織から託されたお金を渡すこともできた。再び北京に戻り、さらに別の用事を済ませたあと、私が成田空港に舞い戻ったのは9月20日のことだった。

 中国から帰った翌日、私は東京拘置所に向かった。

 詩織が逮捕されてから、すでに1年7ヶ月、日数にして592日が経過している。

 実は帰国前から気になっていたことがあった。それは、私が中国から帰国する前日の9月19日が控訴審判決の日だったからだ。

■裁判は延期に

 結果はどうなったのか。

 帰国してすぐ新聞をひっくり返して見ても、インターネットを検索しても、関連する記事はどこにもない。詩織の弁護人に尋ねようとも考えたが、翌日、本人と面会する予定だったので、その時に聞くことにした。だから詩織が面会室に現れるや否や、私は「判決はどうなりましたか」と聞いた。すると詩織は心持ち明るい顔で「延期になりました」という。

「えっ!延期とは?」

「弁護士さんが、義兄の何を情状酌量のための証人として訪日させたいと裁判所に申し入れて、それが認められたのです。今、弁護士さんが義兄と連絡を取っている筈です」

 なんと私が会ってきたばかりの何が証人として法廷に立つのだという。

 期日も07年11月21日午後3時、と決まっているという。

 しかし、パスポートも持っていず、さして裕福ともいえない何が本当に日本にやってくることが出来るのだろうか。

 実際、何の来日には、さまざまな障害がある。

 ビザの問題、旅費の問題、来日期間中臨時雇いである何の職場の許可が得られるか。それより、なにより日本語も英語も話せず海外など出たこともない何が、たった一人で東京まで辿りつけるのかどうか。

■義兄の入国へ同胞が尽力

 面会後、こうした疑問を弁護士に問うと、詩織の説明とはいささか違っていた。

 確かに詩織の強い要望で、裁判所に証人申請をし、許可が出たが、実際のところ、何との連絡が取れず、全くのお手上げ状態なのだという。

「田村さん、何か方法はないですかね」と逆に相談される始末だった。

 しかし、これもなにかの縁と考え、私は、先の中国訪問でハルピンの奥地で苦楽を共にし、さんざん世話になった通訳の馬に連絡を入れ、手を貸してくれないかと頼んでみた。

 すると馬は私の依頼に驚くべき誠実さで応えてくれた。

 義兄の何にビザを取得させ、新潟への直行便があるハルピンの飛行場まで送ってくれるという。しかも何が新潟に着いてからは、日本に知り合いの中国人留学生がいるから、彼に電話で誘導させて東京のホテルに送りこむから安心して任せて欲しいという。

 願ってもない提案だが、それでは余りにも心苦しい。

「飛行機代や宿泊代は詩織がなんとかするようだが、馬さんへの謝礼はそれほど支払えないと思うよ」と言うと、馬は呵々大笑した。

「ボランティア、ボランティア!田村先生は日本で事件に巻き込まれた中国女性のために、こんな奥地まで来てくれました。だから今度は私が協力する番です。事件のことは、先生と何さんとの通訳時点でだいたい理解しました。同胞が日本で苦難に遇っているのに、知らん顔など出来ません。それに私は旅行ガイドだから、こうした事はお安い御用です」

 かくて、ビザ取得には相当苦労しながらも、英語も日本語も話せず、飛行機に乗ったこともない何は、07年11月19日の午後遅く、無事東京に到着した。

 ホテルに会いに行くと、それまでの緊張を一気に解き、例の皺だらけの顔を一層くしゃくしゃにして握手を求めてきた。そこに、何を新潟から東京のホテルまで公衆電話でのやりとりで誘導してくれた、留学生の陳(仮名)もやってきて、3人は何が土産だと持ってきたハルピンのお菓子をほおばりながら、しばし、歓談した。

 陳は、弁護士と何の、裁判の打ち合わせの通訳もする予定だというが、どうやら、それもボランティアらしい。

 馬も陳も、中国では一応ミドルクラスに入る人たちだろう。その彼らが一面識も無かった貧しい農民工のために一生懸命になっているのを見て、私はちょっと感動していた。中華民族の紐帯の強さということなのだろうか。

(田村 建雄)

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