「子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」志村けんが愛弟子に語っていた結婚観

「子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」志村けんが愛弟子に語っていた結婚観

生前の志村けんさん(左)と筆者の乾き亭げそ太郎氏(1998年、筆者提供)

「お前は俺の女か!」愛弟子が語る志村けんが夜の麻布十番で“週8”で会っていたお相手 から続く

 急逝した“笑いの王様”のプライベートの素顔とは――。昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったお笑いタレントの志村けんさん(享年70)。その志村さんの傍らに7年間365日ずっと付き添っていたのが、付き人兼ドライバーだった乾き亭げそ太郎氏(50)だ。

 現在は故郷・鹿児島でレポーターとして活躍するげそ太郎氏が、志村さんの一周忌を前に、著書『 我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと 』(集英社インターナショナル、2月26日発売)を刊行する。志村さんの知られざる私生活から笑いの哲学まで秘話が詰まった一冊から、一部を抜粋して先行公開する。(全3回の3回め/ #1 、 #2 を読む)

◆◆◆

■「世間のヤツらが高木(ブー)さんのことを…」

 思い返してみれば、志村さんは数えきれないほどたくさんのヒントを僕に与えてくれていました。

 たとえば『ドリフ大爆笑』の収録のとき、「ちょっと歩いてみろ」と突然言われたことがあります。コントのリハーサルで、通行人の役をやってみろと言われたのです。

 カメラの前を歩くのはそれが初めてだった僕は、これでもかというくらいに緊張しました。好きな人に告白するときよりも足が震えて、まともに歩けません。

「こんなに緊張するものなのか……」

 我ながら驚いたくらいです。そんな僕の様子を、志村さんはモニターで見ていました。

「緊張していたな」

「はい」

「世間のヤツらが高木(ブー)さんのことを『何もできない』とよく言ってるけど、普通に歩くのがどれだけ難しいことか。それをわかっていない連中が多いんだよな」

 僕は高木さんをすごい人だと思っていました。ですから、どうして志村さんがそんな話をしたのか、そのときはまるでわかりませんでした。

「志村さんのドリフターズ愛はやっぱりすごいんだなあ」

 と感じたくらいです。

 しかし今になって考えてみると、あれは僕への指導だったのかもしれません。カメラの前で普通に歩くのがいかに難しいか、これでよくわかっただろ? 今後ドリフのコントを見るときは俺だけじゃなく、他のメンバーがどう動いているのか、そこもよく見ておけよ――。そんなことを教えてくれたのかもしれないと思うのです。そこまでの意図がなかったとしても、僕は志村さんの言葉からそうしたヒントを掴むべきでした。

■「常識を知らないと、非常識なことはできない」

 志村さんがよく口にしていた言葉があります。

「常識を知らないと、非常識なことはできない」

 ご存じのとおり、志村さんは非常識なことをしでかすキャラクターをいろいろ演じています。たとえば「いいよなおじさん」は、映画館で隣に座っている女性の飲み物を奪い、ストローに口をつけてブクブク息を吐いたりします。

 そういう非常識なコントについて志村さんは、

「常識の範囲をすべて知っておかないと、非常識の面白さは表現できない」

 と言っていました。

 志村さんは毎朝欠かさずニュースを見ていました。スポーツ紙は全紙購読していて、忙しいときは車中に持ち込み、隅々まで目を通していました。

「誰かと話をしていて、『これ知ってる?』って言われたとき、知らなかったら話はそこで終わっちゃうよな。知っていて知らないフリをするのと、本当に知らないのはまったく違う」

 そうも言っていました。どちらもすごく納得できる話です。

■「お前は俺にいろいろ聞いてくるな」

 志村さんを見習って僕もニュースを見たり新聞を読んだりするようになったのかといえば、情けないことにそこの努力はほとんどしませんでした。

 もちろん向上心はあります。付き人の仕事をソツなくこなしているだけでは芸人修業にならないとは、重々承知していました。しかし僕の興味は、もっと直接的なことにありました。

 麻布十番『叙々苑』で志村さんと食事をしていたときのことです。

 その日、志村さんは機嫌が良く、僕はここぞとばかりにあれこれ質問をぶつけました。

「『全員集合』のあの場面では、どんなことを考えていたんですか」

「あのコントはどういうきっかけで思いついたんですか」

 そんなふうに聞いているうち、志村さんの口数がだんだん減っていきました。ふと気がつくと、明らかに不機嫌な様子です。

「お前は俺にいろいろ聞いてくるな」

 そう言われました。でも、何が不満なのかまったくわかりません。

「今、世間ではこういうことが流行っています。昨日こういう面白いニュースがありました。お前はそういう話をしろ」

■常にコントの材料を探していた志村さん

 今ならその言葉の意味はわかります。常にコントの材料を探していた志村さんは、僕にアウトプットではなくインプットを求めていたのです。僕が自分の出来事をどう語るのか、そこも見たかったのかもしれません。

 しかし、そのときは「なんで聞いちゃいけないんだよ」と不満を抱きました。毎日ほとんど24時間一緒にいるんだから、新しい情報なんてあるわけないだろ――と生意気にも拗ねていたのです。

 それでもその後は僕なりに、「これ、最近ヒットしている曲です」などとCDを渡したりしていましたが、そこには何の熱意もなく、志村さんの役に立ちたいという気持ちもありません。

「おお! この曲はいいなあ」

 などと褒められたことは一度もなく、やがて僕からの情報提供は少しずつフェードアウトしていき、最終的にゼロになりました。

■「俺が寝ている間にもっと努力してるヤツがいる」

 当時、志村さんは10日に一度くらいのペースで映画のDVDを買っていました。行き先はたいてい赤坂の駅ビルにあるショップ。毎回10本くらい買います。そして、どんなに飲んだ日でも、自宅に帰ったら1本は映画を見ていました。

「どこにコントのヒントがあるかわからないし、映像の撮り方も応用できるかもしれない」

 それが毎日映画を見ていた理由です。実際、ネタ会議にDVDを持ってきて「こういうふうに撮れないかな?」とディレクターさんに提案することもよくありました。

「飲んだあとに映画を見るなんて大変ですよね」

 あるときそう聞いたら、こんな答えが返ってきました。

「俺が寝ている間にもっと努力してるヤツがいるかもしれない。そう考えたら不安になるから、見たほうが落ち着くんだよ」

■各局ドラマのほとんどをチェック

 長年芸能界のトップにいながら努力を惜しまないのはすごい――と、僕はそのとき思いました。しかし、話はむしろ逆なのかもしれません。努力を惜しまないからこそ、ずっとトップに居続けたのかもしれないと、今は思うのです。

 志村さんは映画だけでなくドラマも熱心に見ていました。新しく連続ドラマがスタートすると、とりあえず見る。2話くらい見てつまらなかったら、もう見ない。面白かったら次回も見る。そんなふうにして各局ドラマのほとんどをチェックしていたのです。

 コントに使えるものは何かないか? 面白いことは何かないか? 志村さんは1年365日、いつも探し続けていました。すごく大切なことを、身を以て示してもらっていたのだと今ならわかります。

 しかし当時の僕は、「寝る間も惜しんですごいなあ」とか、「いつ寝ているんだろう?」くらいにしか思っていなかったのでした。

■志村流「アイデアの作り方」とは?

 志村さんはお気に入りのDVDを僕にたくさん貸してくれました。最初に貸してもらったのは、ジェリー・ルイスの『底抜け』シリーズです。

 僕はその頃、往年の海外コメディアンといえばチャップリンくらいしか知らず、何の予備知識もないまま『底抜け』シリーズを見たのですが、たしかにすごく面白かった! ジェリー・ルイスが時折見せる表情は志村さんに似ているな、とも思いました。

 志村さんが貸してくれたのは映画のDVDだけではありません。桂枝雀さんの落語、藤山寛美さんの松竹新喜劇のDVDも「面白いぞ」と貸してくれました。

 先ほど書いたとおり、志村さんは僕にインプットを求めていました。「お前は俺にいろいろ聞くな」と言われた僕は、しばらくCDなどを渡していましたが、それはフェードアウトしてしまいました。一方の志村さんは、お気に入りのDVDをどんどん貸してくれて、僕にインプットのきっかけを与えてくれたのです。

 いま振り返ってみて「本当にかわいがってくれていたのだなあ」とありがたく思うのと同時に、僕からはほとんどインプットをお返しできなかったことを、心から申し訳なく思います。

■「おもしろビデオコーナー」という発明

 流行を常にチェックしていたという話で言うと、『加トちゃんケンちゃん ごきげんテレビ』には「おもしろビデオコーナー」という人気企画がありました。視聴者が撮った面白映像を紹介して、スタジオの志村さんや加藤茶さん、ゲストのみなさんがいろいろコメントする――という今では当たり前になっているテレビ企画ですが、何を隠そうこれを発明したのは志村さんです。

 当時はまだ、ビデオカメラを持っている人はほとんどいませんでした。そこで志村さんが考えたのが「番組から視聴者にビデオカメラを貸し出して、いろいろなものを撮ってもらう」というアイデアです。

 前にも書いたとおり、『加トちゃんケンちゃん』は『全員集合』が終わった約半年後にスタートした番組です。加藤さんと2人で番組をやることが決まったとき、志村さんは悩んだそうです。一番気にしたのは、

「パワーダウンしたと思われたくない」

 ということだったそうです。ならば、どうすればパワーダウンしていないように見えるか。いろいろ考えていく中で、志村さんはその頃ちょっと流行り始めていたビデオカメラに目をつけたのです。もちろんこれは先見の明のすごさですが、流行に敏感でなければ思いつかなかったアイデアだとも思います。

■「俺は結婚したいし、子どもも欲しい」

 どんなに飲んで帰っても、必ず1本は映画を見る。音楽もたくさん聴く。毎朝ニュースをしっかり見て、新聞も隅々まで読む。なおかつ、毎週水曜日のネタ会議に向けて、コントのネタを全身全霊で考える。

 そんな毎日を送っていた志村さんにとって、女性との恋愛はどのようなものだったのでしょうか。

「志村さんって、結婚はしたくない人だったんでしょ?」

 今でもそう聞かれることがよくありますが、そんなことはありません。

「俺は結婚したいし、子どもも欲しい。親子で『バカ殿様』をやるのが夢なんだ」

 よくそう言っていたのです。ただ、志村さんが望んでいた結婚生活はちょっと特殊でした。

 寝室は夫婦別々。自分の寝室のドアには信号機をつけて、

「今日は一緒に寝たいと思ったときは青」

「1人で寝たいときは赤」

 という別居結婚が理想だと、いつも言っていたのです。

■付き合っている女性にも「俺は寝室のドアに信号機を…」

 自宅でコントと真剣に向き合う時間は、志村さんには絶対に必要だったはずです。ですから、1人の時間が欲しいという気持ちは僕にもわかります。でも、同居している女性には信号機なんて嫌だろうなあ、とも思います。

「俺は寝室のドアに信号機をつけたいんだよ」

 あるとき、志村さんはお付き合いしている女性の前でそう言って、自分が理想とする結婚生活について話し始めました。なんとなく微妙な空気になっていきましたが、なおも志村さんは言いました。

「結婚しても、俺は家にはまっすぐ帰らないで飲みに行く。まっすぐ家に帰る俺なんて、お前は嫌だろ?」

 突然振られて動揺する僕。リアクションに困って、

「まあ……飲みに行かない志村さんは、ちょっと想像できないです……」

 と小声で答えたのですが、その女性から怒りの視線がこちらに向けられている気配をひしひしと感じました。

(乾き亭 げそ太郎/Webオリジナル(特集班))

関連記事(外部サイト)