SMAP、キンキ、関ジャニ、タキツバ、山P……1位は? 近田春夫が選ぶ「ジャニーズの名曲ベスト10」

SMAP、キンキ、関ジャニ、タキツバ、山P……1位は? 近田春夫が選ぶ「ジャニーズの名曲ベスト10」

ジャニー喜多川氏の訃報を伝えるスポーツ紙 ©?共同通信社

 実はこの私。生命線がものすごくハッキリとしていてしかも長い。また、最近はすっかり耳にしなくなった“スタップ細胞”だけれども、遠くない将来、いずれ実用化される日はきっと来るに違いない。そんなこんなでこりゃ300年ぐらいは俺、イヤでも生きちゃうよというのが、酒の席などでのお得意のネタだったのだが、さすが古希ともなった今日この頃、そのあたりの“展望”にもいささか自信が持てなくなってきた。

 というのも、ここのところそう簡単には死なないだろうと思っていた先輩方が、あっけなく相次いで鬼籍に入られてしまった。

■コロナを知らずに天国に召されたジャニーさん

 更に申せば“平均寿命”まで、俺ももう10年そこそこ('08年の癌の手術から寛解する’17年までの9年の早さを思えばそれもきっとあっという間だろう)である。60代の頃にはそこまで持つことのなかった“リアリティ”がひしひしと迫ってくるようになったといえばいいのか、湧き上がってきたといえばいいのか。ともかく、人生の無常というものを実感するようになった。

 まぁ、ここから先、未来に何が起こるかはわからないから、300年生きる可能性ゼロとはいわないが……。この歳になり少しは地に足のついた考え方もできるようになってきたのかしらんね(笑)?

 閑話休題。

 ジャニーさんが87歳で亡くなられたのは一昨年のこと。あの頃我々の暮らしていた世界は今とは全く別のものだった。ジャニーさんはコロナを知らずに天国に召されたのかと思うと、何故かちょっぴり切ない気持ちにもなってくる。

 そんなことを思っているうち、ジャニーさんの姿を最初にこの目で見たときのことがよみがえってきた。

■’70年代、日劇ウエスタンカーニバルのリハに現れたジャニーさん

 ’70年代初頭、私は日劇ウエスタンカーニバルに出演することとなり、その本番の前日に出演メンバー全員が集まっての合同リハーサルというのが、日劇の「本三」(本当の3階の意)にある稽古場でおこなわれた。

 建物の裏側にある通用口から乗り込んだ、大道具も楽々と積める業務用エレベーターから降りると、そこは日劇舞台とおそらく同じ広さの、ガランとした、壁の一面には尺いっぱいの鏡という作りの板張りで、きっと普段はここで日劇ダンシングチームが、振り付けのお稽古などにいそしんでおられるのだろう。

 そこにそれこそ、当代の人気者たちが一堂に会して、演出家の前で出し物を披露するというのだから、これはなかなか滅多には見られない光景である。私は、平静を装いつつも、内心では超ワクワクしながら、音出しの順番を待っていた。

 その頃のウエスタンカーニバルはというと、興行としての勢いは既にいっときほどもなく、また台頭してきたジャニーズ事務所と看板ナベプロがシノギを削りあうという状況の時期でもあった。そんなピリピリとした力関係や微妙な背景の存在するにも関わらず、仕切っておられた構成演出の松尾准光さんの、カジュアルでニュートラルな持ち味のおかげで、「本三」の現場は、どこかのんびりした空気のなかで進行していた。

 そのせいもある。残念なことに、誰が出演者で何の曲を歌っていたのかなどの記憶は“おぼろ”なのである。

 今となって考えれば、なんだかだやはり自分の仕事のことでアタマがいっぱいだったというのもあったのだろうが……。そうしたぼんやりとした思い出のなかにも、本当に今も唯一忘れられないのが、ジャニーさんの姿なのである。

■テンプテーションズのカバー曲で「ジャニーズ案外分かってんじゃん!」

 私は舞台正面下手客席にあたる場所に控え、稽古を眺めていた。その斜め前あたりに、小柄ではあるが均整のとれた体躯の男が、姿勢良く腕組みをしながら、進行するリハーサルを凝視しているのが目に入った。と、男は突然パンパンパンと手を三つ鳴らしツカツカと舞台中央に歩み寄り、一言二言演者に注文をつけると、また何事もなかったかのように先程の場所に戻り先程のように腕を組むのだが、その一連の所作のなんとも印象深く、一体何者なのだろうと、現場にいた知り合いのナベプロのマネージャーに、あの人だーれ? と尋ねると、「馬鹿、オマエしらないのか??」と呆れられてしまったものである。

 あの頃は今と違って、そんな業界の人の顔や名前なんて、普通は知りませんよ(笑)。

 それはともかくとして“洋楽命”だった俺がジャニーズにはさほど興味や知識のなかったのも事実である。

 最初にジャニーズの音が気になったのは、オリジナル曲ではなくザ・テンプテーションズの『Happy People』のカバーだった。それこそウエスタンカーニバルなどの大団円ではお馴染みの“群舞ナンバー”となっていた楽曲だが、その“ディスコ感”が、当時の日本の歌謡音楽シーンでは大変に新鮮だった。この選曲に、生意気にも、ジャニーズ案外分かってんじゃん!と思ったものである。

■本領発揮は、やはりフォーリーブス以降

 ところで、今回編集から頂戴したテーマとは、大雑把にいってしまえば、ジャニーさんを偲んでジャニーズベストを選べ! みたいなことであったので、私も色々と考えた。そもそもジャニーさんの作品とは楽曲ではない。人(含むグループ)だろう。その認識を持つところから始めないといけない。

 先ずは原点ともなったグループ、ジャニーズであるが、今でこそ事務所関連楽曲を俯瞰した時に認められる一連の“らしさ”は、この段階では??ディスコグラフィーを紐解いてみても??まだそこまではハッキリとしたものにはなっていなかった(萌芽は感じられるにせよ)ようにも思える。ジャニー喜多川のプロデュースに於ける本領発揮は、やはりフォーリーブス以降なのかも知れない。

 とはいえ、フォーリーブスの音楽のなかにもジャニーズ時代からの伝統/DNAを感じ取ることはできる。

 洋楽カバーである。そのいわゆる、A&R(アーティスト&レパートリー)のセンスこそ、まさに一貫したジャニーさんならではのもの、といっていいだろう。例えば、The Dave Clark Five の『You Got What It Takes』(はじめての世界で)など、洋楽に精通していて初めてピックアップ可能な、日本ではそれほどヒットもしなかった楽曲で、そこにはジャニーズの『チキン・オブ・ザ・シー』などの選曲にも通底する“見識”を垣間見ることが出来るのである。先に述べた『Happy People』の件も、その流れを汲むものであること間違いない。

 フォーリーブスに話を戻すと、重要なポイントは、当初メンバーであった永田英二の年齢が低すぎ児童福祉法の関係から脱退を余儀なくされ、代わりに青山孝が加入した結果、グループの方向性が本来目指すべくものとは、微妙に様相を異にするようになったことだ。ま、そのあたりの見立てはあくまで私個人のものではあるにしても、永田英二と青山孝は、それぞれ優れた/秀でた表現者とはいえど発揮される才能にはまったく接点のない二人だったこともたしかで、もし、フォーリーブスがメンバーチェンジをせずにいたのなら、その後のジャニーズ事務所はどのような道を歩んでいたのか。

■郷ひろみと豊川誕

 同じような意味で、郷ひろみがバーニングに移籍せずジャニーズ事務所に残っていたら、どうなっていたのかというのもあるが、今となってはどちらもせんない話ではある。

 いずれにせよ郷ひろみの抜けた穴はそう簡単には埋まらない。急遽デビューさせた豊川誕の、孤児院出身が売りで薄幸な身の上を歌うというコンセプトは、いかんせん暗過ぎた。北公次も似たような出自ではあったのかも知れないが、決してそこまでディープな“闇”を感じさせるキャラクターではなかったと思う。

 豊川誕に思うのは、そういった、境遇が殊更に宣伝に利用された問題とは別に、用意された楽曲の、歌謡曲臭の漂い方の半端ではないことで、そうした音楽性は、系譜としては結局途絶えてしまったにせよ、いや、だからこそ! 『星めぐり』や『白い面影』など、ジャニーズ音楽史を語る上で、無視出来ぬ存在を誇る佳曲として、忘れる訳にはいかないだろう。

 とはいえ、事務所としてはこの豊川誕の伸び悩み以来、しばらく低空飛行が続くことになるのだが、今振り返れば『サタデーナイト』『ラストショー』のJJSに『ラブ・ショック』の川崎麻世、もろゲイリー・グリッターというかスージー・クアトロな『ジュディ・ランラン』のメッツ、そして妙に和風な内田喜郎などが印象に残る、面白い時代ではあった。ウォッチャーにはこの'70年代をこそ好む“通”も案外多い。

■’80年代、たのきんトリオの奇跡的大ブレイク

 そうして、’80年代。ご存知たのきんトリオの奇跡的ともいえる大ブレイクと共に復活(はちょっと失礼でしたかね?)を遂げるジャニーズ事務所であるが、私がジャニーさんと初めてちゃんと話をすることになるのは、実はこの時なのである。

 元々TVドラマをまったく観ない生活の故、たのきんのたの字も知らぬ俺に声をかけてくれたのはポニーキャニオンのディレクターで、学校の後輩にあたる羽島亨であった。

 羽島は、本気でアイドル歌謡命! の、人懐っこく熱い、しかも歌うのが大好きという、なかなかに濃いキャラクターの男なのだが、とにかく田原俊彦というのがものすごい上り調子の人気だといい、そのアルバムを作るので手伝って欲しいと頼まれたのである。

 それで打ち合わせをするということになると、ジャニーさんメリーさん揃い踏みで、しかも他にはスタッフは無し。お二人だけで俺ごときが仕事をしているスタジオにまで直接足を運んで来てくれたのだから、いま思えばすごい時代である。何がすごいかといって、要するに当時、事務所はそのぐらいの規模なのであったと……。

 アルバムでは、楽曲提供の他に、私はトシちゃんとおしゃべりもしている。ちょっと面白い仕上がりになっていると思うので、興味のある人は中古盤でも探してみてくださいませな。

 ジャニーさんとどのような打ち合わせをしたのかは、もうよく思い出せないのだが、踊れるものがいいといったぐらいの話で、書き上げたあとも、ダメ出しは何もなかった。全体にまだ色々なことがシステム化されておらず、どこか家内工業的なノリで作業が進行していったような気がする。まさに良き時代であった。

 そうだ。蛇足になりますが、終始ジャニーさん、私のことは「近田くん」で、残念なことに「you」は一度も出なかったです。

■“たのきん現象”からのジャニーズ進撃

 田原俊彦に続き近藤真彦と、超のつく人気者をラインナップに揃えることとなったジャニーズの進撃は、皆様もご存知の通り、この後はとどまるところを知らない。

 おそらくこの“たのきん現象”を境に、ジャニーズへの社会の認識は別物となっていった。いい換えるならば、それまでのジャニーズにつきまとっていた、妖しさというのか、どこか特殊な匂いのする芸能プロダクションといったイメージが、ここにきて払拭されたと思うのである。

 今日、ジャニーズといったとき語られるのは、おそらくはこれ以降の活動の話が中心になるのであろう。

 そうした文脈のなかで、ジャニー喜多川の天才ぶりの発揮が何より実感されるのは、先にもチラリといった人の活かし方、それに尽きる。

 適材適所というコトバがあるが、ジャニーズという塊を遠くから眺めたとき、それはまさしく“適材適所”の集大成といって決して過言ではないからだ。

 ソロに向くのかグループが合っているのか? グループではリーダーを誰にするのかといった、それぞれの役割分担の仕分けも見事に決まっているし、見た目のフォーメーションも、人数から何から、他の絵面が考えつかぬほど鉄壁だ。そしてそのすべてに於いて采配を振るっていたのがジャニー喜多川そのひとただ一人だったのであるから、氏の“特異な才能”に異論を唱えるものは、もはや居るまい。

■シブがき隊を筆頭にユニークなネーミングを施されたグループ

 もうひとつ。ジャニー喜多川にあって他にはない才能というのなら、言語感覚である。その片鱗は、既に70年代にも窺えたにせよ、勢いのついたのは『たのきんトリオ』の名が市民権を得てからだったのではないか? 以来、シブがき隊を筆頭に、デビューのグループはことごとくユニークなネーミングを施され、そしてそれはそれぞれのイメージ戦略に大いに寄与した。

 ジャニーさんのそうした独特なコトバ選びの感覚は、日系人としてアメリカで生まれ育った環境ともどこか関係している気もするが、そのようなことも含め、どなたかジャニーさんの一生を??評伝ではなく??小説にしてくれれば、貴重な日米文化論、戦後史として、ベストセラー間違いなしということになるであろう。書き手は本来なら藤島泰輔こそが適任であったとも思うのだが、叶わぬ今となっては、是非とも石原慎太郎元都知事閣下のお出ましを願いたいところではある。これは出したら絶対売れますよ!

 おっと話がそれてきた。

 なかなか本題に入れず申し訳ない。前置きはこのぐらいにして、そろそろジャニーさんのベストを選ばねば……。

■ソロなら郷ひろみ、ではグループは?

 ソロなら、それは何といっても郷ひろみに尽きる。ではグループは? これがなかなか難しいところだが、奇をてらわず選ぶとするとSMAPということになろうか。

 なのだけれど10曲全部この2組からというと、そこは無理がある。曲の良し悪しは、また基準が違うからで、うーむ……迷うね。てか、こればっかりは好き嫌いで決めるしかないことなのかも。私の場合、バラードやフォーク調の楽曲よりはビートのあるものの方が好みという、それと順不同もお許しいただくとして、郷ひろみならば、『花とみつばち』。SMAPでは『がんばりましょう』かな。そしてフォーリーブス『ブルドッグ』と、ここまでは快調に飛ばしてきたものの、例えば先にも触れた豊川誕だ。

 イントロの如何にも歌謡ショーといった風情のアレンジについつい心も踊る『星めぐり』に対するは、♪親のない子は焼かないパンを喉に詰まらせ水を飲む というヘヴィなことこの上ない歌詞の『白い面影』とは先にもチラリと触れたところである。どちらに軍配をあげるべきか悩みに悩んだ末、一般性で前者を選んだ。

■タッキー&翼の『青春アミーゴ』『夢物語』

 ここからは本当に葛藤が続きます。

『青春アミーゴ』は、♪地元じゃ負け知らず という、昭和も30年代の“地回りのあんちゃん”でも登場しそうなアナクロな景色の見える歌詞に、オーセンティックな歌謡ロックのサウンドという作りなのだが、北欧の作曲家のペンゆえなのか一味違う耳触りが、レトロな趣を感じさせながら、未だ新鮮であるのが素晴らしい。

 それにしてもいまこの歌詞を読むと“半グレ”の台頭を予言していたかとさえ思えるところが面白い。

 その修二と彰とはまた違った趣向で、デュオとしての安定した魅力を誇ったのがタッキー&翼だった。この二人の“ハモり”の、本格的な心地よさには、ジャニーズファンならずとも認めざるをえないものがあるだろう。一曲挙げるのなら『夢物語』になるのだろうか。

■クセになるKinKi Kids『硝子の少年』

 二人組ということなら、何にせよKinKi Kidsを挙げぬ訳にはいくまい。『硝子の少年』を初めて聴いたときの、山下達郎とはとても思えぬほどの一種の田舎臭さ/泥臭さも、今となってはむしろクセになってしまって、もう耳から離れない。ついつい口ずさんでしまう強い曲なのだと思う。

■芸人顔負けの逞しさとアイドルの色気を両立した関ジャニ∞

 断トツで面白いシングル揃いなのが、関ジャニ∞だ。それこそ関西芸人顔負けの逞しさとアイドルとしての色気の両立という、至難の技を楽勝でこなしてみせる、そのパフォーマーとしての実力もさることながら、おふざけからシリアスなものまで、いずれも密度の濃い仕上がりで、一曲を選ぶのに相当迷ったが、TVで観たときの、安田章大の魂! に打たれた。『友よ』でいかせてもらう。

 シブがき隊、少年隊、そして光GENJI、あるいはV6、TOKIOなどにしてもそうだが、それぞれに大ヒット曲/名曲はあるものの、今述べた関ジャニ∞ほどにはアク/クセは乏しい。無難なのである。だからこうして10曲を選ぶとなると困ってしまう。俺のアタマにパッと浮かんでくる作品は意外と少ないのだった。

■山下智久の“問題作”『change』

 そういった意味で、良くも悪くも記憶の中で埋没することのないのが山下智久である。真心ブラザーズのカバーである『サマーヌード』など、明るい曲調に暗い声質という相性の悪さ? で却って耳に残ってしまったシングルもあるが、何といっても『CHANGE』である。

 歌詞を本人が書いているのだが、そこに漂う“絶望感”は他のジャニーズの人気者たちのいる場所にはまず似合わぬシリアスなもので、とにかくジャニーズの音楽表現史上、これ以上の“問題作”はなかったといい切れる。

 それで、10曲のなかに入れることとした。

■ジャニーさん本当の「ベスト」は……

 さぁ、あとは本当の「ベスト」絶対のただ一曲だ。これを選ばねば、私も原稿を終わらす訳にはいくまい。

『恋をあげよう』ではどうか?

 単純にこの曲が好きというのが一番の理由なのだが、ただしかし、それだけではない。ジャニー喜多川の歴史を思うとき、小学生の時代からの付き合いの長さ(おそらく今となっては一番古い?)など、その関わり合いの深さには運命さえ感ぜずにいられないのが、永田英二だからだ。

 ただ楽曲は『あこがれ』ではない。私の場合、当然アップテンポが好みとなる。

 繰り返しになるが、その才能は児童福祉法の煽りを食らい一旦芽を摘まれ、そして再デビューを果たしたとき、既に時代は別の方向を向いていた。結局アイドルとしては中途半端な立ち位置に終始せざるを得ず、楽曲も決して大きなヒットとはなっていない永田英二だが、この『恋をあげよう』の歌い出しのキャッチーなことといったらたまらない。今でもまったく色褪せていない。いや、ホント。宝物を売るタイミングを見誤った。それが本当に勿体無かったなとついつい思ってしまう。

 また、鈴木邦彦の作品のなかでは、ゴールデン・カップス等GSに提供したヒット曲とは別の、軽やかな味わいを楽しめる傑作ということもある。いい機会なのでそこにもあらためて触れておきたい。まだ未聴の向きは、是非ともネットで検索を!

 以上、極私的な選曲であるが、話のタネにでもしていただければ幸いである。

(近田 春夫/Webオリジナル(特集班))

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