本好きリビドー(124)

◎快楽の1冊
『ブラック・リバー』 S・M・ハルス/高山祥子=訳 創元推理文庫 1080円(本体価格)

 全く挫折も苦労もなく生涯を終える人生、というものはあるのだろうか。もしかしたら、あるのかもしれない。しかし、大概は苦しみ、そこまで行かなくても面倒くさい局面を伴う毎日が普通であろう。楽しいだけの人生はなかなかあり得ない。
 本書『ブラック・リバー』は60歳の元刑務官が主人公である。アメリカでの原書刊行は昨年2015年だ。ウェズリー・J・カーヴァー=通称ウェズは故郷の町、ブラック・リバーを妻クレアとともに離れ、18年を過ごしてきた。しかし、クレアは白血病で亡くなる。ウェズは彼女の遺灰を故郷に埋葬するか、散灰するか迷いつつ故郷に戻る。
 だが、目的はそれだけではない。かつて刑務官時代のウェズに全くもって尋常ではない暴行を働いたことのある受刑者ウィリアムズが仮釈放される予定が立った。その予定を完全に決めるためにはウェズの証言が公聴会で必要である。その会の出席も帰郷の理由の一つであった。
 説明が多過ぎる小説を読んでいて、がっかりするときがある。小説は小説であり、ほかの何ものでもない。当たり前のことだけれど、ニュース記事ではない。物語の冒頭、あるいは中盤でも、説明が多過ぎる小説は出来が悪い、と言っていい。例えば、この登場人物はどういう生活を送ってきたのか、履歴書のように説明を羅列するような小説は、ストーリーに浸り切る快感を削ぐのである。
 しかし、本書は正反対だ。ページが進むにつれ、しだいにフェズの幾つものつらい体験が明らかになってくる。クレアの連れ子との確執、先述のウィリアムズから受けた暴力シーンなどなど、あまりに痛々しい。けれど、彼は諦めていない。故郷で過去を振り返り、結局は絶望しない60歳の姿はすがすがしい。楽しいことばかりでなくても生きていること自体に価値がある、と感じさせてくれる。
(中辻理夫/文芸評論家)

【昇天の1冊】
 性的不能というと、現代ではEDなどの勃起不全の症状を思い描く。だが、じつは西洋では、単に勃起するか否かが問題なのではなく、例えば女性を妊娠させることができなければ不能のレッテルを貼られ、社会不適格な男とみなされる歴史があったという。『性的不能の文化史』(作品社/3700円+税)は、社会からタブー視されてきたそうした不能者や、男性不妊に焦点を当てた興味深い書籍だ。
 不能者の中には、歴史上の著名人も少なくなかったらしい。
 フランス革命の際、ギロチン台で処刑された国王・ルイ16世(妃はあのマリー・アントワネット)をはじめ、万有引力の発見者のニュートン、そしてアドルフ・ヒトラーも…。
 生殖能力のない男たちは、自分が不能者であることを、ひたすら隠蔽したという。
 それだけではない。近世になると、セックスで女を満足させられない男も不能者扱いされたため、上流階級の一部の男たちは、新婚初夜を恐れるようになった。まるで現在の日本男児が妻との営みを忌避するあまり、妻が相手の時だけ勃たない“妻だけED”に悩まされているのに似ている。
 つまり「セックスには強くなくてはならない」「子孫を残すのが義務」というのが、常にプレッシャーとして男をさいなんできたというわけである。
 お堅い本だが、実際は男たちの苦難のセックスヒストリーを真摯かつ正面から解説しており、「男って、どこか切ない」と思わずにいられない。
(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)

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